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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/07/09(日) 14:06:46 ID:43eFUpDb
織田氏家臣の森家を語りましょう。
戦国時代・人気の蘭丸の親可成、次男長可ら森家の人々、またそれに関する事柄・人物なら何でもござれ!
 










2: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/07/09(日) 14:19:36 ID:7h2Nqobn
そういや蘭丸は可児市出身だったな。

4: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/07/09(日) 14:27:42 ID:ZV58xkq1
鬼武蔵とまで呼ばれたのに最後がアレなせいで無名の長可

5: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/07/09(日) 14:43:54 ID:hiDPsROF
>>4
結構好きなだけに勿体なかった(´;ω;`)

6: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/07/09(日) 14:47:12 ID:yvmphgE3
存在すら忘れられがちな長男…
ごめん、名前忘れた。

森 可隆

森 可隆(もり よしたか、天文21年(1552年) - 元亀元年4月25日(1570年6月8日))は、戦国時代の武将。織田信長に仕えた武将森可成の長男。

1552年、誕生。父は信長にしたがって一族とともに各地を転戦していたため、尾張の森氏の旧領の留守を守っていた。1570年(元亀元年)、父の可成は信長の命で朝倉方の籠もる越前敦賀・手筒山城を攻めた際に可隆も同行した。初陣の可隆は城に一番乗りを果たし、同城は陥落したが、可隆は深入りをし過ぎたため反撃を受けて討死した。享年19。


7: 奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 投稿日:2006/07/09(日) 20:06:09 ID:zJZIw7ZY
地元民としては、森家が可児市と言われてもピンと来ない。

11: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/07/09(日) 22:39:24 ID:2lTBdhC3
A「長可カコイイ」
B「あぁ、蘭丸の兄か」
A「蘭丸を長可の弟と言ってくれ」


可成の息子と言ってください

14: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/07/10(月) 09:48:17 ID:MS36itgt
忠政さんだけでしょ。森家で成功した人は。

15: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/07/10(月) 21:27:04 ID:nnzxPfpf
忠政は小姓やめさせられたのが逆に幸いしたな

16: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/07/13(木) 23:46:03 ID:AbKENa8i
忠政以降の森家はどうなったの?

17: 奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 投稿日:2006/07/14(金) 00:17:40 ID:RUILMdTW
ヨレヨレながら播磨で明治維新につなげてるね。

25: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/07/31(月) 18:24:54 ID:FC0ACvCj
可成の長男の可隆も朝倉方の城を攻めて死んでるし、森一族は呪われているとしか思えない。可成の父可行は天寿を全うしたのにね

28: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/08/01(火) 23:19:17 ID:U4LVwsNI
>>25
戦国の武将なんてそんなものでしょ
後世に名を残せただけでも良かったと思わなきゃ

35: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/11(月) 05:23:09 ID:G6oZgR+n
本能寺後、滝川と河尻は理由がはっきりしているけど、森長可って信濃で反乱にでもあったのか?

36: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/12(火) 20:25:16 ID:9dsCDKaF
小牧・長久手の戦いで戦死してると思うが

37: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/13(水) 00:22:05 ID:fP9Eb479
その前の話だろ。本能寺~旧領へ戻るに至るまでの足取り。

40: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/21(土) 17:14:11 ID:wZ442tkC
>>37
だいたい、こんな感じ。

・6月6日、越後の二本木で「本能寺の変」の情報を入手。
・6月14日、信濃国人衆が上杉景勝へ内通。
・6月18日、海津城を放棄して旧領へ撤退開始。
・6月?日、信濃国人衆の追撃を受けるが撃退、美濃へ帰還。

45: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/28(火) 01:18:03 ID:xJXkP7bP
森 可成(1523年 - 1570年)

森 可隆(1552年 - 1570年)
森 長可(1558年 - 1584年)
森 長定(1565年 - 1582年)
森 長隆(1566年 - 1582年)
森 長氏(1567年 - 1582年)
森 忠政(1570年 - 1634年)

兄弟全て活躍し、武勇の誉れ、後世に残した。
まったくもって、可成の子にハズレなし。

64: 人間七七四年 投稿日:2007/05/09(水) 11:10:15 ID:dM0uWka9
>>45
通字は「可」だよね?
183: 奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 投稿日:2009/01/15(木) 00:22:04 ID:pBFtJy0H
「可」の字は森氏か金森氏くらいでしか見かけないような。

184: 人間七七四年 投稿日:2009/01/15(木) 01:11:07 ID:JfqY64Tb
>>183
森氏の方が名乗り始めたのは大分古いけど由来はよく分からんんね。

ただ、土岐が斎藤妙椿の傀儡に落ちぶれたぐらいからそれまでの「頼」の通字(土岐氏の通字)を捨てて「可」の字を使い出した。

201: 人間七七四年 投稿日:2009/02/14(土) 23:01:21 ID:EDzK6lxv
森忠政の後を継いだのが森(関)長継な訳なんだけどやっぱり長可にあやかった名前なのかね。

202: 人間七七四年 投稿日:2009/02/15(日) 10:03:00 ID:a9LrwVBI
>>201
美作榮古録の千年寺縁起によれば、家督継承前は関家継で、忠政の養子になった時に長継になった。
だが、この改名のときに可継という案もあったそうだが、海絽と言う僧に可の字は二代続いて戦死をしているからと反対されて長継になったらしい

その後の赤穂藩主森氏でも可の字は通字になっているから、まあ俗説かもしれないけど

203: 人間七七四年 投稿日:2009/02/15(日) 21:15:33 ID:NCbFkOoP
長継→長武(長義)→長成と、津山藩主は「長」の字を通字にしていて、赤穂藩主森氏も「長」を通字にしたかったのだろうが、藩祖長直の兄・長俊が既に別家として独立していて、「長」の字を通字にしていたので「可」または忠政の「忠」を通字にした。
この長俊は津山新田藩から三日月藩へ移されて明治に至っている。明治までの歴代当主はほとんど「長」を通字にしている。
長可や忠政の名前が子孫に伝わったのは、それなりに意識されていたと思う。
森氏に限らず、武家は皆そういうものだろうけれど。

205: 人間七七四年 投稿日:2009/02/16(月) 18:58:53 ID:zkAuLpd7
最近、長可だけ注目されがちだが忠政も結構強かだよな。
秀吉が死んだとき金目の遺品だけはちゃっかり受け取って年内に家康に平然と会いに行ったりw

46: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/28(火) 01:35:00 ID:Po6EekqY
長可の遺言状が泣かせるよね。
妻は里帰りさせろ、母親は京に住んでくれ、娘は武士ではなく医者に嫁がせろ、兼山城は大事な城だが、忠政には跡を継がせるな(城の取り合いで死ぬかもしれないから)云々。
一族を沢山失った人らしい内容だ。

60: 人間七七四年 投稿日:2007/03/16(金) 19:38:11 ID:WrHh2IYd
父子兄弟の内6人が討死とは・・・
6男がいて良かったねってところだな。

47: 前田 ◆LIBERALCQY 投稿日:2006/11/28(火) 10:53:45 ID:l4jTg7bI
若いのにしっかりしているね。

48: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/28(火) 14:37:29 ID:PpG5suMe
本能寺がなければ信忠の片腕として政権中枢に入れただろうな。
猛将タイプだから柴田勝家みたいな立場か?

49: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/28(火) 14:40:55 ID:itZ4E4a2
森可成の大親友は柴田勝家と前田利家の二人
いつもこの三人で行動をともにしてたらしい。

55: 名無し議論スレにて投票方法審議中 投稿日:2007/01/10(水) 19:20:12 ID:IQAjyjdo
森可成って、いつから織田家に仕えるようになったんだろ?

59: 人間七七四年 投稿日:2007/03/02(金) 00:25:35 ID:xEdjYsrt
元々は土岐氏につかえてたたらしい

65: 人間七七四年 投稿日:2007/06/05(火) 20:05:06 ID:2k2Z1GiN
昼休みに小説、「森長可」を読み終え、泣いてしまいました。
でも一番感動的だったのは、遺言状かな。

67: 人間七七四年 投稿日:2007/06/09(土) 05:07:03 ID:hPv2VUwM
>>65
秀吉はその遺言状を読んで号泣したそうな。
でも忠政には長可の遺領28万石の内7万石しか継承を認めていない。ドケチ。

72: 人間七七四年 投稿日:2007/08/27(月) 22:11:23 ID:5U6SbxxU
>>67
忠政自体幼少で実績が無かったから当然では?

73: 人間七七四年 投稿日:2007/09/01(土) 13:34:24 ID:YiOv3ppf
それを原因にして関ヶ原では東軍につく忠政w
半分本音、半分言いがかりってとこかなw

75: 人間七七四年 投稿日:2007/10/02(火) 01:24:47 ID:YulCaPjk
>>73
結果オーライってことで。

66: 人間七七四年 投稿日:2007/06/09(土) 04:45:26 ID:hPv2VUwM
忠政は幼少時は結構波乱万丈の人生だな。
間一髪で本能寺の変を免れたり、その直後に甲賀忍者(?)に安土城から救出してもらったり、兄貴には岐阜城からヒモ無しバンジーさせられるし。

68: 人間七七四年 投稿日:2007/07/07(土) 11:41:18 ID:nVqdXu2O
ずっと森長可はベテランだと思ってた
鬼武蔵なんて異名があるくらいだし
享年26か・・・

70: 人間七七四年 投稿日:2007/08/05(日) 17:26:17 ID:R+SZKzLu
乱丸は享年28歳だったという説があるね

74: 人間七七四年 投稿日:2007/09/28(金) 13:38:24 ID:WyQeOXDP
>>70
城持ちだったはずだから、あり得る話。

77: 人間七七四年 投稿日:2007/10/03(水) 15:55:27 ID:dZPcMjrZ
>>74
トンデモ説だよ。

94: 人間七七四年 投稿日:2007/12/12(水) 08:25:46 ID:C+3PjrX4
森家は信長家臣団の中枢。
信長ですら森の横暴に見て見ぬ振りをするしかなかった。

95: 人間七七四年 投稿日:2007/12/13(木) 20:43:03 ID:hR0UTMx9
何だかんだいって森家の人って信長と信忠の為に生きたって感じがするからな
柴田ですら信行派だった時代から可成は信長派だったから
信長家臣の中で一番最初に領地もらってるし
結果的に親父・長男・三男・四男・五男が信長の為に戦死してる訳だし

96: 人間七七四年 投稿日:2007/12/27(木) 00:20:26 ID:UQSWJqHz
寺を焼き討ちしまくった信長が可成の菩提寺は焼かなかった
長可が関所破りをしても庇った
何の戦功も無い蘭丸を城持ち大名
信長は森一家にとことん甘いよな
三法師の母親が可成の娘説もある

101: 人間七七四年 投稿日:2008/04/22(火) 15:41:09 ID:qvwfSZJd
森蘭丸の甲冑は「甲冑師 明珍宗恭と語る」って本に捏造の贋物って書いてある
兼山歴史民俗資料館は森蘭丸の甲冑が、捏造品と知ってて特別展なんかしてるのか?

104: 人間七七四年 投稿日:2008/05/01(木) 09:32:12 ID:D20c/tbZ
小姓でわずか18歳で死んだ蘭丸に、鎧がないって事が普通かもね。

106: 人間七七四年 投稿日:2008/05/01(木) 10:17:45 ID:Sm7UCaFA
18だったら普通、とっくの昔に具足始めも初陣も済ましてるような年齢だしなあ
身分・立場的にも鎧くらい持ってるだろ

107: 人間七七四年 投稿日:2008/05/01(木) 13:54:35 ID:rSfJGHgY
蘭丸は何処かの城主になってるんだよ 場所不明だが
奥さんは居たらしい 子供は不明
「森一族のすべて」より

113: 人間七七四年 投稿日:2008/05/30(金) 00:42:33 ID:zyEViHyt
>>107
金山城か岩村城だな
新人物往来者のすべてシリーズは鵜呑みにする本じゃねーよ
まあ結婚しててもおかしくはないが

111: 人間七七四年 投稿日:2008/05/14(水) 15:12:10 ID:jgCYZwxX
蘭丸は初陣すらしてないだろ

113: 人間七七四年 投稿日:2008/05/30(金) 00:42:33 ID:zyEViHyt
>>111
初陣してなくても何かしら鎧の用意くらいしてるだろ
つーか、戦場に向かう信長に付いてきてんだしさ

118: 人間七七四年 投稿日:2008/08/10(日) 16:14:30 ID:pknMCE2d
蘭丸って漫画とかゲームでは大抵中性的なイケメンだけど
家系を考えればむしろ筋骨隆々なガタイのいい青年だったんじゃ無かろうか。

119: 人間七七四年 投稿日:2008/08/12(火) 11:26:56 ID:fOEReztd
ガチムチであんまりお利口さんじゃないイメージの家系だよな。

121: 人間七七四年 投稿日:2008/08/20(水) 04:05:24 ID:o5c3asuP
歪曲は江戸時代辺りから始まってるよなぁ
美男子なんて生きてた頃は言われてなかったのに江戸時代に受けが良かった男の子が中性的な美少年だったせいで蘭丸もそういう風に描かれて現代にもそのイメージが定着しちゃったし…

124: 人間七七四年 投稿日:2008/08/21(木) 12:43:56 ID:pVsWcN2p
戦国・江戸初期の人物の話なんて森家に限らずどこも確証なんてない
森家だけ嘘って言う人はただの森家アンチ?

126: 人間七七四年 投稿日:2008/10/04(土) 20:09:14 ID:sspcXjmU
可成や長可に関しては他と大差ないけど
蘭丸に関しては他と一緒というレベルではないと思う
森家ファンから見ても(俺は可成が好き)

131: 人間七七四年 投稿日:2008/11/02(日) 17:24:11 ID:O1uOsHhC
あのまま織田政権が続いていたら、政権中枢のど真ん中だったな。森家。

132: 人間七七四年 投稿日:2008/11/04(火) 07:00:50 ID:58XhGhtj
一家臣としてならいいが政権の中心に居るとなると不安な一族


蘭丸に関する女性関係ってさっぱりだよな
あの時代なら結婚しててもおかしくない年齢
婚約者が居たとか未婚のまま死んだとか結婚はしてたとか情報が定まらない
浮いた話の一つもないしこんだけ女っ気がないと本当にガチホ〇かと疑ってしまう

134: 人間七七四年 投稿日:2008/11/04(火) 12:40:21 ID:Df36VSqJ
乱丸の一次資料なんて、有能で信長にある程度重用されていたのは、なんとなくわかるんだけど、人柄をしのばせる物はほぼ皆無だからなあ。

今残っている逸話は全部、小説講談ネタだし。

175: 人間七七四年 投稿日:2009/01/06(火) 16:38:55 ID:1uIYuoic
森蘭丸が越後へ潜入したけれど、すぐに上杉謙信に看破されたという史譚は何という文献に載ってたっけ?

177: 人間七七四年 投稿日:2009/01/06(火) 16:53:09 ID:eJwug9YJ
>>175
いろんなのに載ってるよ。名将言行録とか。

179: 人間七七四年 投稿日:2009/01/06(火) 17:01:26 ID:eJwug9YJ
>>175
ああすまん。乱丸と謙信の話は「森家譜」だ。

180: 人間七七四年 投稿日:2009/01/06(火) 17:02:14 ID:wdR/DG0h
赤穂藩森家の編纂した森家先代実録にも載ってるしな

206: 人間七七四年 投稿日:2009/02/17(火) 10:02:02 ID:j4n0U/cd
鬼武蔵殿の話を読んでると、乱丸が評価されたのって「森にしてはまともなやつ!」という評価のされ方のような気がしてきた

207: 人間七七四年 投稿日:2009/02/17(火) 11:35:36 ID:HZEj7cyK
いやあ、乱丸は在世時にはほとんど資料に出てこないし、江戸期のものに関してはまともな評価ってわけじゃないだろw
むしろ光秀を謀反に追い込んだ君側の奸、佞臣、って感じだと思うが。

208: 人間七七四年 投稿日:2009/02/17(火) 18:33:07 ID:X+0reW4d
長可も忠政もマンセーキャンペーンするには少々アクが強すぎる

209: 人間七七四年 投稿日:2009/02/17(火) 19:02:43 ID:HZEj7cyK
でも直江も実際は相当アク強いぜ~?
アレをあそこまで描けるんだから、森一族くらいどうとでもなる。

210: 人間七七四年 投稿日:2009/02/17(火) 21:06:33 ID:X+0reW4d
忠政のキラズ粥の逸話とか長可の2000人撫で斬りとかに比べれば直江の閻魔への手紙とか可愛いもんだと思うぞ。


引用元: ・【可児の坊】森可成、長可等、森氏総合【蘭丸】



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