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1: 諸葛太郎 2008/10/14(火) 20:10:18
1.どのような武将が必要だったか?
2.姜維意外にも参謀が必要だったか?
3.どのような経路で攻略すれば良かったか?
4.キ山にこだわってよかったのか?
5.魏の武将で、司馬懿は無理としても、こいつは討っておいたほうがよかったと思う武将は?

などなど、いろいろ孔明の北伐について、まったり語り合っていきましょう。








285: 無名武将@お腹せっぷく 2009/07/17(金) 13:13:04
北伐軍って10万近く(蜀の全軍)出してたのかねえ
それとも5万くらいかな?
魏なら10万くらいは出せたと思うんだけど

286: 無名武将@お腹せっぷく 2009/07/17(金) 14:56:38
>>285
晋書だったと思うけど263年に魏が蜀に攻め入る時に司馬昭が蜀の兵力を9万と予測してた。
そこから各地方の守備兵を除いて姜維が扱えるのが4万だったかな?(司馬昭の予測では)
まぁ本当かどうか分からんが。

287: 無名武将@お腹せっぷく 2009/07/17(金) 18:09:13
最後の北伐に諸葛亮が動員した兵力が十万というのも晋書にあったはず

288: 無名武将@お腹せっぷく 2009/07/17(金) 21:06:43
ほとんど国力ギリギリだな。やっぱ諸葛亮は凄いな。

289: 無名武将@お腹せっぷく 2009/07/17(金) 21:28:16
国力を絞るような本格的な北伐は1回目と5回目だけじゃないかな?

290: 無名武将@お腹せっぷく 2009/07/17(金) 23:47:02
降伏時の蜀の人口自体が100万くらいだったんじゃないか?
兵力10万って相当な負担だろ

291: 無名武将@お腹せっぷく 2009/07/18(土) 00:01:49
蜀の人口100万弱で兵力は10万強、魏は440万で兵力は30~40万?
ただ魏は戦線を二つ抱えてるから、経済力はともかく兵力だけなら諸葛亮の戦略は言われるほど絶望的な戦いじゃないと思うけどな。
演義だと蜀30万に対して魏70万とか出してくるけど西部戦線は蜀魏共に10万くらいの兵力だと思う。

292: 無名武将@お腹せっぷく 2009/07/18(土) 00:05:04
逆に言えば司馬懿は言われるほど楽勝な条件ではないので持久策は妥当か。

294: 無名武将@お腹せっぷく 2009/07/18(土) 19:27:02
蜀の総力を結集した軍だからな
魏といえどまともに当たれば勝っても負けても相当被害出ると思う
被害も出さず守っているだけで蜀は疲弊していくんだから持久策は妥当だな

296: 無名武将@お腹せっぷく 2009/07/18(土) 20:54:46
蜀は兵站弱くないだろう
蜀は沃野じゃなかったっけ?
蜀の兵站切れたのは孔明の第4次の長雨だけ

299: 無名武将@お腹せっぷく 2009/07/18(土) 21:29:02
輸送の問題があるじゃん、兵站の弱さとして

301: 無名武将@お腹せっぷく 2009/07/18(土) 21:42:39
木牛・流馬で解決

問題は長雨だが

五丈原で屯田
一年目は無理だが2年目からは
梅雨まえに麦の収穫があるから雨が降っても食いつなぐことが出来る
1年目はカブか? 芋か? ま、大丈夫じゃないの?

308: 無名武将@お腹せっぷく 2009/07/19(日) 00:29:12
食料そのものが無いというのは殆どない
食料を運ぶ物流がしょっぱいだけ
輸送手段、収集集積方法、輸送計画とかね
古代は言うに及ばず現代だって物流は大変だ

318: 無名武将@お腹せっぷく 2009/07/19(日) 12:18:45
諸葛亮は要所に至る前に対陣せざるを得なかったてことなのかな?
もう一回陳倉包囲すれば司馬懿も戦うしか無いと思うけど

322: 無名武将@お腹せっぷく 2009/07/19(日) 13:42:25
>>318
孔明はいつだって決戦を望んでるよ

323: 無名武将@お腹せっぷく 2009/07/19(日) 14:04:25
諸葛亮に一か八かはないだろうから決戦を望んでるということは勝算があるんだと思う
そうなると司馬懿は決戦を避けようとするから
相手の要所を衝くとかあえて弱味を見せるような方策が必要だったんじゃないかな?

333: 無名武将@お腹せっぷく 2009/07/19(日) 22:01:59
しかし関係ないが蜀主体だと呉って安全圏から蜀だけを戦わせてるみたいだが呉の方が攻められた時の「ヤバい」感は強いよな。
長江があるっていっても呉の全てを守るわけじゃないし
「魏が江凌に攻めこんだ」とかマジでピンチって感じするわ

334: 無名武将@お腹せっぷく 2009/07/19(日) 22:07:19
長江越えられたらほぼ終了みたいなもんだからな
軍事力的に考えて

335: 無名武将@お腹せっぷく 2009/07/19(日) 22:36:22
魏だって対蜀戦線より対呉戦線の方が動員兵数がはるかに多かっただろうしね

336: 無名武将@お腹せっぷく 2009/07/19(日) 22:44:47
兵站の心配が少ないから大軍投入出来るんだよな

337: 無名武将@お腹せっぷく 2009/07/19(日) 23:02:57
そうだね。魏の雍州は衰退が激しく、大規模な軍を常駐させることが出来なかった。
そのため、蜀漢の大規模な侵攻には必ず洛陽からの中軍の応援を仰がねばならなかった。
遙か遠い隴西に至っては言わずもがなで、四次北伐は両者が補給不足を抱える厳しい状況だった。

363: 無名武将@お腹せっぷく 2009/08/02(日) 02:21:00
>>337
>魏の雍州は衰退が激しく、大規模な軍を常駐させることが出来なかった。
>そのため、蜀漢の大規模な侵攻には必ず洛陽からの中軍の応援を仰がねばならなかった。

漢晋春秋によると、第1次北伐の箕谷の戦いで曹真軍すら趙雲軍より少なかったようですからねえ…
第2次北伐の陳倉駐屯軍の兵力が1000…
魏は大国とはいえ、中央より離れた軍団は苦しい状況で戦わざる得なかったのがわかる

366: 無名武将@お腹せっぷく 2009/08/02(日) 22:37:25
>>363
趙雲軍より少ないのか?
わざわざ中軍から兵を割いて派遣してるんだし、曹真と張コウで軍を2つに割っても3万くらいはいるんじゃないかね
一方の趙雲は1万以上あるとは思えないし

367: 無名武将@お腹せっぷく 2009/08/04(火) 00:53:56
>>363 , >>366
趙雲伝に「曹真が斜谷道に大軍を派遣した」とある

386: 無名武将@お腹せっぷく 2009/08/08(土) 23:28:00
>>366
諸葛亮が統率する蜀軍は公称20万(後主伝)。
そのうち一部を趙雲・トウ芝に割いたとしても結構な数になる。
一方、曹叡が対蜀に派遣した軍勢は公称5万。
どちらも実数には程遠いだろうし、戦闘部隊の割合も不明だから、額面の通りに受け取るわけにはいか
ないが、魏のが大軍とは限らないよ。
元々、対蜀の軍隊は撤廃してたうえに、呉が執拗に国境地帯を犯している状況で、魏が対蜀用の軍隊をいきなり大規模に動員できるとは思えない。

そもそも趙雲軍が大軍でなかったら、曹真自ら関中の軍勢を集めて防御にまわらなきゃならない理由は
あまり無い。

393: 無名武将@お腹せっぷく 2009/08/09(日) 18:38:44
>>386
諸葛亮が出陣前に斜谷道からビに向かうと宣伝した
曹真は諸葛亮本隊を防ぐため大軍を連れて箕谷へ向かった

463: 無名武将@お腹せっぷく 2009/08/13(木) 18:19:18
>>393
諸葛亮伝では、諸葛亮出陣→囮に引っかかった曹真派遣→三郡攻略の順番だが
明帝紀では、諸葛亮の出陣→三郡攻略→曹真派遣の順番になっており、
諸葛伝の囮うんぬんの下りは孔明の智謀をアピールするための蜀側による後付のような気がする
一大軍事拠点である媚に曹真が大軍で駐屯していたら、既に最低限の対策(長安の守備)は採られていることになり、「関中が激震する」とか「朝野が恐怖する」必要性が無いじゃん。

魏側に蜀に対して備えが無く、かつ連年の呉との戦争で疲弊していた魏が(ただでさえ消耗していた関中に)いきなり大軍を動員できるわけないし、だからこそ魏延が五千か1万の軍隊で侵攻して勝てるっすよwwwって余裕ぶっこいてたわけで。
曹爽時代に蜀に侵攻した時の動員数が7~8万なのだから、曹叡の時代に繰り出した防衛軍の動員総数が5万というのは妥当な数値だと思う。

369: 無名武将@お腹せっぷく 2009/08/04(火) 19:41:14
馬ショクが
街亭を落とされなけりゃ…

370: 無名武将@お腹せっぷく 2009/08/05(水) 06:55:13
そもそも馬謖は諸葛亮の言うとおりにしていれば張合βを撃退できたのだろうか?

371: 無名武将@お腹せっぷく 2009/08/07(金) 23:18:53
>>370
恐らく難しい。問題点は大きく三つ。
一つは張コウ軍の目的が涼州解放を企図したもので一定の独立性と自立性を確保した相応の軍規模だったろうこと
第二は諸葛亮体制下での軍事体制が未熟な状態で高度に戦略的な軍事行動に出てしまったこと
第三は第二の状態であるにも関わらず登山家に諸葛亮の指揮権が届かない敵中深くでの行動を行わせたこと

この他、趙雲の軍事行動が作戦目的を達成できなかったことも響いてる。
作戦所期の目的は魏の主軍を引きつけて涼州への魏軍の侵入を遅滞させること
だがこれは張コウ軍が街亭へ向かって遡上しはじめると曹真に封じ込まれて軍事力として脅威性を失ってしまっている。
この時点で趙雲の軍事行動は作戦目的から大きく後退している。

374: 無名武将@お腹せっぷく 2009/08/07(金) 23:56:24
1.敵将は歴戦の名将。大戦力を預けられ、後背を気にせず作戦はフリーハンドが許されてる
2.こっちはシステムが未整備なため部下に言うことを聞かせる処断権が無く、統制を効かせられない
3.唯一部下に言うことを聞かせられる総大将は遥か遠くにいて状況を知らずその声も届かない

さあ、登山家は勝利を掴めるか?

372: 無名武将@お腹せっぷく 2009/08/07(金) 23:23:07
>>370
まぁ登山家が低くとも将軍職と護軍あたりの役職持った上で仮節あたりを賜ってたら諸葛亮の救援が間に合った可能性はあるけどね

376: 無名武将@お腹せっぷく 2009/08/08(土) 00:47:03
登山家じゃ張コウ相手は荷が重すぎる
対抗できる将は魏延ぐらいじゃね?

379: 無名武将@お腹せっぷく 2009/08/08(土) 18:58:40
>>376
事は単純に登山家無能に帰せられるようなものじゃないと思ってる。
まぁ、やっちゃった所はあるにせよ、それ以前の前提条件がきつ過ぎ。

379: 無名武将@お腹せっぷく 2009/08/08(土) 18:58:40
>>371,>>374の2に書いてるように登山家は能力以前に手足を縛られた状態で戦争の指揮を執ることになったと言うのが現在の俺の認識。

反骨やゴリなんかだと確かに妥当なんだが、それは周囲が彼らの実績を認めていたことが大きくて、未熟な軍事統制システムを認められた実績と言う世評で補完して統制を保ちえた点が一番登山家と違うんじゃね? という。

だから当時の街亭の指揮官は登山家でなくて王平でも張嶷でも後期蜀の名将の誰であっても、周囲に実績を認められていなければ、才能があったとしても登山家のように両手を縛られた状態で指揮をとらざるを得ず、結局登山家と似たり寄ったりな結果だったんじゃないか?と思うわけよ。

383: 無名武将@お腹せっぷく 2009/08/08(土) 19:59:01
記述を読み取ってみたら、登山家が陣張った山の近辺には城があったみたいだな
これも絡めて防衛すれば、史実よか善戦できたかもわからんね
打撃を与えるにしても、耐え忍ぶにしても、山に拠るだけよりは、効果的に機能させられるはず
隘路を抑えたというわけでもなし(水断たれてるし)、高地に陣張って正面に間隙を作るよかマシだったのは間違いないと思うんだが

387: 無名武将@お腹せっぷく 2009/08/08(土) 23:48:13
>>383
孟達の寝返りは潰され、先に攻め込んだ呉は既に撃破され、蜀の瑯西郡攻略部隊は撃退され、魏の本部では蜀軍の背後の糧道を断つ計画が持ち上がっていた。
曹真が趙雲を蹴散らすのをもう少し早くして、そして進軍していたら孔明は背後を取られていた。
(背後を襲われるルートを防ぐという意味でも趙雲部隊が少数とは思えない)

曹叡が山奥に篭っていた諸葛亮が出てきたのは致人の術に相当するとまで言ってるように、諸葛亮の進軍は薄氷を踏んでる状況だった。
正直、街亭の勝敗なんて関係無しに諸葛亮のケツには火がついてたと思う。

464: 無名武将@お腹せっぷく 2009/08/13(木) 18:51:21
>>387
因みに趙雲は桟道を焼き払って追撃を絶っている。
逆侵攻するための用意など急行した曹真が持っているはずがないし、陽平関のような超要害を奪って後方遮断というのはまあ無理だろう。
年を越すくらい長期化したら別だろうけど。
逆に言うと、諸葛亮が街亭で敗れただけであっさり退いたのは
「魏が本腰を入れる前に隴西を固めて勝負を決めなければ勝てない」
という目算があったからかもしれないな。

384: 無名武将@お腹せっぷく 2009/08/08(土) 22:40:24
魏は張コウは涼州へ派遣し、守らせ、然る後、東西から諸葛亮を挟み撃ちする計画
馬謖は張コウの北上を食い止めるのが役目

諸葛亮の狙いはキ山での本隊同士の決戦
勝利を収めその勢いでヨウ州獲得
という計画

385: 無名武将@お腹せっぷく 2009/08/08(土) 22:44:58
>>384
諸葛亮も街亭をめざしていたんじゃねーの?

393: 無名武将@お腹せっぷく 2009/08/09(日) 18:38:44
>>385
祁山-陳倉は街停を経由せずストレートに行ける
諸葛亮が祁山を空けて北上したら
陳倉から魏軍が真っ直ぐやって来て詰まれる

397: 無名武将@お腹せっぷく 2009/08/10(月) 01:25:22
こういうスレで言うのもなんだが考えれば考えるほど北伐がいかに無謀だったのかがわかるな

398: 無名武将@お腹せっぷく 2009/08/10(月) 02:14:36
北伐は蜀内の意識を一つにする為にも必要だったからなー。

399: 無名武将@お腹せっぷく 2009/08/10(月) 11:42:37
引きこもるだけだと中原の人間にも忘れ去られる。
国内国外を問わず宣伝戦の一環と見ることが出来るだろう。

実際魏呉の対立の方が当時の為政者にとってメインのはずなのに耳目を集めるのは蜀の無謀な北伐の方ばかりだ。

400: 無名武将@お腹せっぷく 2009/08/10(月) 12:50:27
蜀が漢を名乗っている以上、魏とは絶対に戦わないと駄目だから
建国の時点で既に詰んでた

402: 無名武将@お腹せっぷく 2009/08/10(月) 21:03:12
現実的な侵略戦争として考えたらどう考えても無謀でしょう、事は正面の軍を破ればいいという単純なものじゃないんだから
だからこそパフォーマンスとして考える向きがあり

そういう意味では確かに成果はあった

405: 無名武将@お腹せっぷく 2009/08/10(月) 21:34:51
当時の関中は馬超の乱が起こったようにとても政情不安な土地柄
それを力で制圧したのが曹操という構図で、要するに当地の豪族や異民族は魏に含みがある
事は正面の軍を破ればいいという単純なものじゃないんだ

つまり、蜀はまるで成算の無い、または単なるラッキーパンチ狙いでの侵略ではなく、こういった情勢を利用できれば関中での魏の支配をひっくり返せるという目算があっての戦争だったのだと思う

414: 無名武将@お腹せっぷく 2009/08/11(火) 00:02:40
魏が建国間もないころならまだ北伐やりようがあったかもしれないが
諸葛亮が北伐やる頃にはもう国として成り立ってたからなぁ

引用元: ・【227-234年】諸葛亮の北伐を成功させるには?