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8: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/02(木) 21:20:11 ID:YEZ15WU20
やはり光武帝劉秀かな
中国史上ただひとり滅亡した王朝の再興に成功した

10: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/12(日) 21:48:04 ID:gyM9baBI0
始皇帝と孔子だろう。

11: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/12(日) 22:07:43 ID:gyM9baBI0
始皇帝、孔子、司馬遷、蔡倫を上げられるね。

17: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/28(木) 20:57:17 ID:pDbvfUzH0
個人の能力としてずば抜けているのは朱元璋とか。
仲間を集めたりして大きな事をやったナショナルヒーローだったら劉邦とか劉秀とか。

20: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/28(木) 21:36:53 ID:m9DQkKx40
おまいら!岳飛様を差し置いて何を言ってるんだ?!!

21: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/29(金) 04:17:19 ID:V9Kmb/lFO
中国を創った始皇帝

22: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/29(金) 04:19:43 ID:HgHvTG8E0
普通に孔子

26: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/29(金) 19:21:40 ID:BqiSUfrv0
康熙帝

35: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/31(日) 19:19:27 ID:JLB0N0Fv0
武則天

36: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/31(日) 19:30:06 ID:0cULOKMr0
孔子か蔡倫

40: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/01(月) 21:49:35 ID:vNJDLLbh0
大航海時代の先走りになった朱棣と鄭和はどうかな

48: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/20(土) 11:34:18 ID:zMUwOzr50
墨子だね。孔子とかだるいもん。孔子とか言ってるやつばかじゃねえのとおもふ。

55: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/21(日) 16:38:17 ID:qhpWB/Eh0
毛沢東だろ常識的に考えて
なぜかというとb(ry

57: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/21(日) 20:47:07 ID:nUcG41zMQ
韓信と范蠡

59: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/21(日) 21:00:23 ID:kmTVIdWK0
始皇帝か玄宗

60: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/21(日) 21:25:50 ID:wnmWhe3W0
始皇帝か毛沢東だな。
どちらも戦国の世を統一した偉大な皇帝

68: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/22(月) 08:49:29 ID:RV/2oHwi0
始皇帝だろうな。

理由
1.統一国家という前例がない時代に至上初めての統一国家を作る
2.至上初めて皇帝に即位する
3.当時の世界ではものすごい文明を持つた国家の皇帝となつた

毛沢東をあげている人が居るが、毛沢東は英雄とは思えない。
三流国家でしかない中国を建国した毛沢東が英雄とは思えん。
始皇帝が凄いのは上の3つを持っている所。

69: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/22(月) 08:51:14 ID:RV/2oHwi0
俺は始皇帝のほかに孔子・蔡倫・司馬遷もあげたいな。
これら三人は名将や名君を凌ぐ功績と偉大さを持っている。

始皇帝、孔子、蔡倫、司馬遷は不動の英雄だろう。
これらは三国時代の英雄を引き離せる力を持っている。

70: リベラル中道左派 2007/01/22(月) 10:35:16 ID:g1H7peEW0
私が選んだ中国10大歴史人物(ただ有名だけじゃなくて、あくまでも中国の歴史(世界の歴史ではなく)への貢献度を判断基準とする。
有名といったら、李白や曹操等のほうが畢昇などよりよほど有名だし、世界の歴史への貢献度からすれば、蔡倫のほうがもっと上位に入るはず):

①孔子
(春秋時代の思想家、哲学者。儒教創始者)
②始皇帝
(秦。統一中国初の皇帝)
③毛沢東
(中華人民共和国創始者)
④武帝(漢)
(劉徹。漢を最盛期に導いた。始皇帝と並ぶ最高の皇帝の一人)
⑤太宗(唐)
(李世民、二代目の皇帝。唐の最盛期の基礎を打立てた。名君の中の名君)
⑥董仲舒
(漢の儒学者。儒家の思想を国教とし、儒教の基礎を作った)
⑦朱子
(宋の儒学者、思想家。儒教を体系化<四書五経>した中興者)
⑧司馬遷
(漢の歴史家。中国最初の通史『史記』の執筆者)
⑨蔡倫
(漢の発明家。製紙術発明者)
⑩畢昇
(宋の発明家。活版印刷術発明者)

(このリストには帝王、思想家、発明家、史家は含まれているが、武人、文学者などは含まれていない。その理由は、武人、文学者などは広く知られているが、歴史への貢献度が比較的に小さいと思われるからだ。また帝王たちはみんな上位に入っているが、妥当かどうか皆さんのご意見を聞かせていただきたい所存である)

74: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/22(月) 19:57:21 ID:91PvwxQk0
武帝ってたまたまその地位にいただけで、本人は大したことしてなくない?

75: リベラル中道左派 2007/01/22(月) 20:15:19 ID:g1H7peEW0
日本では武帝があまり評価されていないが、英邁な資質ではあることでが中国では非常に評価されいます。
武帝の主な功績は
①中央集権的な郡県制を強化したこと
②儒教を国教として公認したこと
③中国の版図を広げたこと。

78: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/27(土) 23:56:37 ID:A57kYueY0
やっぱ岳飛が王道でしょ。

97: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/12(木) 20:53:50 ID:CC11Lb2Q0
好き嫌いや実績能力はともかく英雄視となると岳飛になりそう

99: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/21(土) 14:24:14 ID:+MyH7GyR0
文天祥は中国じゃどうなの?
ナショナリズム基地外の多い中国では大受けしてそうだが

103: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/22(日) 23:58:21 ID:O0RqGdlf0
文天祥は英雄というより烈士みたいな気がするけど
歴史を動かしたわけじゃないがその強烈な生き様が後世に残ったって言う

112: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/01(火) 21:28:47 ID:S7NKXukQ0
商鞅

113: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/01(火) 22:29:37 ID:RuGazFjB0
一人なら秦始皇帝だなぁ。
彼がいなければ皇帝、王を纏める者という概念は存在しなかった。

137: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/22(金) 17:52:07 ID:apYewB860
ダントツで始皇帝だと思う
始皇帝がいなかったら、その後中国が一つの国という意識が生まれてたかどうか・・・
欧州みたいに地方地方に国が乱立した地域になっていたんじゃないか?
インドも英領植民地になるまで一つの国という意識はなかったらしいし

161: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/19(日) 13:06:54 ID:4Xi63OQB0
秦皇、漢武、唐宗、宋祖、成吉思汗と、中国の代表的英傑五人をならべて、そのうちから一人をえらべといわれると、私はためらわずに宋の太祖を採る。
始皇帝は暴君的な要素が強すぎる。漢の武帝は建国の始祖ではなく、高祖、文帝、景帝という名君の遺産をついだのである。唐の太宗は兄弟を殺害したクーデターが、どんな弁解が史書にしるされていても、暗いものを私たちに感じさせる。
酔っ払っているうちに皇帝になった宋の太祖は、かりにそれが芝居であっても、私たちは深い親しみをかんじる。
それにもまして、宋の太祖が偉大なのは、父の趙弘殷も武将で、生っ粋の武門の人でありながら、自分のはじめた国家は、文によって統治するという大方針をきめたところにある。~略~
武門の出身であるからこそ、武の醜い面をよく知っていたにちがいない。
なによりも感動的なのは「石刻遺訓」である。

162: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/19(日) 13:22:35 ID:4Xi63OQB0
史上、「漢帝国を再興する」と叫んだ者は数多くいるが、ほとんどが惨めに失敗した。成功したのはただひとり光武帝だけである。
前漢の滅亡後、二十八才にして起兵し、卓絶した軍事的政治的手腕によって天下を統一した。統一後、ひとりの功臣も粛清しなかった点は、先祖である前漢の高祖にまさる。画期的な奴隷解放宣言も出している。
一代にして創業(実力による天下統一)と守成(新秩序の確立、民生の安定、文化の振興、後継者の育成)をなしとげ、総合点からいって中国史上最高の名君といってよい。
-中略-
中国の歴史上、自力で天下統一に成功した皇帝は、秦から晋まで十人ほどのものである。光武帝と二十八将の事績はもっと知られ、もっと評価されてよい。

漢の武帝は英雄的君主であったが濫刑酷刑の傾向があり、無実や軽罪にして獄死した人がずいぶん多い。また民政にまったく無関心で、黄河の堤防が決潰したのを二十年以上も放置し、二百万人の民衆が家も農地も失って流亡するのを救済しようとしなかった。
宋の太祖趙匡胤は先帝の大いなる政治的遺産を受けついだ幸運児であった。
明の太祖朱元璋はあいつぐ血の粛清によって朝野の人材を殺しつくした。
光武帝は彼らのいずれにもまさるように思われる。

164: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/27(月) 22:18:17 ID:yS/jLuSB0
蔡倫だろう 紙を作ったのは偉大すぎる

181: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/12(水) 15:03:40 ID:1k7m8Adv0
能力と性格の総合点で、光武帝劉秀

188: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/14(金) 13:37:03 ID:Ii+Vc1z60
男女差別が原因で不当に評価を低くされてる武則天
彼女はもっと評価されるべき

197: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/05/30(金) 16:43:17 ID:dXtI7qoM0
やっぱり朱元璋さまかな。

198: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/05/03(日) 08:24:58 ID:Vz1V4ivOO
項羽

中国史上、彼ほど人を惹き付ける人物はいないよ。

202: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/01(金) 17:55:33.26 ID:jlmz3Hdn0
李世民

205: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/03(火) 08:23:10.63 ID:bLjALLmE0
まあ始皇帝、劉邦、孔子とかだろ
222: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/09/21(水) 00:37:10.59 ID:jOL3/X6G0
劉邦は匈奴に敗けて朝貢した
冒頓単于が偉大過ぎたが
異民族も追っ払った始皇帝とは比較できない

そういうオレの推挙は もちろん康熙帝
漢民族でもないのに「聖祖」のおくり名が破格の偉大さを物語る
歴史的には最近なのにそこまで評価が高いのも凄い
比較するには三皇五帝まで遡らなければならないだろう

223: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/09/23(金) 01:21:11.17 ID:W9gHPvNa0
康熙帝は、いい意味で皇帝らしからぬ皇帝って感じだな
西欧文化に寛容だったらしいが、こういう所が政策にでも直接反映されていれば、開かれた国家として大きく発展した可能性は高いと思う
英雄というより、皇帝としては偉大な人

そういうオレの推挙は、劉邦
漢民族という枠を、現代にまで色濃く伝える漢帝国創始者
劉備然り、漢の持つ影響力は中国人の心を長く捉えている
称号や業績を越え、中国史に心の楔を打ち立てた英雄

224: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/09/23(金) 07:05:06.06 ID:3GoRnisJ0
劉邦は晩年のボケがなければねぇ
結局功臣を粛清したことで呂氏の暴走のサポートしたようなものだし

228: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/09/24(土) 22:00:07.22 ID:X0r3vgM40
>>224
でも劉邦の粛清は朱元璋や毛沢東とは若干意味合いが違う
韓信とか黥布、アイツらは王になって調子にのってた連中だからな。
まあ盧綰や樊カイまで殺そうとしたのは言い訳できないが

232: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/09/25(日) 03:07:05.57 ID:3musAFhf0
>>228
韓信とか黥布は軍閥で、最後に劉邦に協力して天下と穫らせてやった立場だからなぁ……
増長するのも当然で、ぶっちゃけ例え粛々としたとしても切られるのは時間の問題だったと思う
「俺が貴方を天子にしましたよ」なんて連中は皇帝からすれば鬱陶しいだけだ
どれだけ身を慎んでいても(返って人望が増したり、癪に触ったりして)難癖つけられて切られる事多いし

237: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/09/28(水) 20:31:41.37 ID:7JZv0IPd0
とりあえず、「全土統一」というのが大きいんだろうかね
始皇帝や劉邦は、そういう意味で最古参であり、先んじた感は強い
特に劉邦は長い王朝の始祖だし

238: 名前をあたえないでください 2011/09/28(水) 23:35:16.59 ID:UuinDRPI0
>>237
議論の対象になるのは、そういった人物かもしれないですね。

じゃあ李世民も兄弟殺しや親不孝的な汚点はありますけど、実質的な「唐」の建国者なので劉邦に匹敵すると考えても・・

239: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/09/29(木) 01:51:32.16 ID:mlRiEwFH0
中華と言う枠組みを作った始皇帝が一番の英雄だろ
周辺諸国にとってはこいつさえいなければという感じだけど

241: 名前をあたえないでください 2011/09/30(金) 12:08:22.13 ID:YcuOdJoC0
>>239
始皇帝も偉大ではあるが、受け継いだ遺産が大きく王朝の寿命も短命。
その点で劉邦と朱元璋は庶民出身、特に明の建国者である朱元璋は元乞食坊主から天下統一を成し遂げている。

ただ両者とも人物的に問題あるので個人的には宋の太祖である趙匡胤推す
彼には暗殺やら後ろめたい話が全くないので


242: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/01(土) 00:29:10.82 ID:U7Q4iL7Q0
>>241
趙匡胤を嫌いな人は少ないだろうけど、一般的な英雄像とは掛け離れてる気もするなぁ
後ろめたさがないという点では、皇帝なんかより一将軍みたいな人物の方が多そうだ

243: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/01(土) 00:33:21.64 ID:A4qWz4+s0
陳橋の変は十分に後ろめたいだろう。
陳橋の変は、960年に後周領内の陳橋(河南省封丘県)で起こったクーデターである。これによって後周が滅び宋が建国された。

959年、五代随一の名君とされる後周の柴栄(世宗)が急死し、当時7歳の皇太子柴宗訓が帝位に即いた(恭帝)。しかし軍部を中心に、幼少の皇帝を主君に仰ぐことへの不安の声がじわじわと上がり出し、一部からは成年の有力な皇帝を擁立すべしとの声が出始めていた。
翌960年、北方の大国・遼の軍勢が大挙して押し寄せてきたとの知らせを受けた後周の朝廷は、殿前都点検・趙匡胤を国防の総帥に任じ、遼軍への対処を委ねた。

趙匡胤が陳橋に入り、習慣であった深酒をして深夜に熟睡をしている時に事変が起こった。かねてより幼君を主君に仰ぐことに不安を抱いていた軍人たちが、趙匡胤の弟・趙匡義を仲間に引き入れた上で、首都の開封に戻って恭帝に代わり皇帝になるよう趙匡胤に求めたのである。かくして、趙匡胤は部下の用意した黄袍(黄色い衣)を身に纏った。黄袍は皇帝の着る衣服であった。
将兵に皇帝として、開封に戻ることを伝え、略奪等の蛮行を禁じた。翌朝、開封に入ると、恭帝からの禅譲を受け、正式に皇帝となった。これが北宋の太祖である(趙匡義はのちに第2代皇帝・太宗となった)。

しかし、この事変は一説に仕組まれたものであるとも言われていて、李卓吾は「黄袍はどこで売っていたのか?」と指摘している。皇帝専用の衣服が市販されているわけがなく、事前にこのクーデターで使用する為に特注するほかはないからである。


244: 名前をあたえないでください 2011/10/01(土) 02:36:06.85 ID:OhV1n6cf0
>>243
多少は後ろめたさはあるだろうね、それもあって柴氏を交代劇以後も「石刻遺訓」等で保護したんだろう。
ただクーデターのわりに血の臭いが殆どしなかったことは好評価したいね。

引用元: ・中国史最大の英雄は