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462: 名無し三等兵 2012/04/19(木) 01:26:40.19 ID:NH9SRUsp
うちのじいさん、大村航空隊で獣医(笑)やってたよ。

464: 名無し三等兵 2012/04/19(木) 09:19:58.81 ID:???
>>462
>航空隊で獣医

あながち、否定もできないな。
岐阜では、近くの(名古屋?)三菱で製造したゼロを各務原の飛行場まで「馬車」で運んだそうだから。
以前、当時の写真を見たことあるが、道路を馬車に曳かれて行くゼロは、長閑な雰囲気でまた滑稽だった。

480: 名無し三等兵 2012/04/20(金) 01:24:27.06 ID:???
>>464
試作機の頃は「揺らして壊れるといけないからゆっくり運ぶ」ために牛車だったそうだよ。
工場から飛行場まで半日かかったんだって。

489: 名無し三等兵 2012/04/20(金) 19:48:20.17 ID:???
>>480
確か、三菱は最後まで、牛車輸送だったはず。トラックでは100%、馬車でも20だか30%の確率で胴体にクラックが入るんだそうな…馬車でも牛並みの低速で一昼夜かかるのが痛かった…と、昔NHKの特番に出た堀越技師が言ってたようなかすかな記憶が…

468: 名無し三等兵 2012/04/19(木) 18:02:22.35 ID:???
じいちゃんが近衛第一連隊所属で、この前母の実家の整理に行ったら全国近歩一会報ってのがいっぱい出てきたな。
書類を大量に溜め込んでる人だからこれでも一部だと思うが、中々右翼的というか激しい事が書いてある。
歴史教科書作ってる奴らなんて、共産主義の回し者だとか。
じいちゃんは血筋は良い部類だと思うが、親が早死にして中卒。無論下っ端。
同期に大卒や高卒の人も結構いたから気後れしていたが、皇居の周辺警備が仕事だからボロを出してドヤされる心配も特にないし、
皆良い人だから良かったってよく話してた。
就職にも有利なネタだったらしいし、本人はずっと自慢だったみたいだし、かなりの皇室ファンだった。

476: 名無し三等兵 2012/04/19(木) 21:41:56.17 ID:???
>>468
近衛歩兵第一連隊に所属していたとは、家門、郷土の誇りです。誰彼、簡単になれるようなものではなかったのです。
思想調査からはじまり身体能力、精神力等どれをとっても一般の歩兵よりもぬきんでていたと聞き及んでおります。
同じく、近衛歩兵第ニ連隊も、近歩(きんぽ)第一と並び称せられ、大日本帝国陸軍最初の歩兵連隊であります。
これもまた優秀なる兵士から構成された連隊でした。

その旧近衛師団司令部庁舎は、今現在東京国立近代美術館工芸館となっています。
どうか、文中のおじいちゃんを家の誇りとして大事にしてあげてください。

481: 名無し三等兵 2012/04/20(金) 02:24:01.77 ID:???
>>476
祖父は今かなりぼけてはいるが、ほんの数年前に近衛歩兵の同窓会?みたいなのが解散になる時はまだ元気で、東京の集会に出かけていった。
その集会で会長を務めてた人のスピーチで同じ事言ってたらしいよ、私達は文武両道眉目秀麗質実剛健、良家の子弟と言う当時のエリートであり、隊の中での階級は違えど皆近衛兵であった事を誇りに思いなさいって話。
国家公務員やってて余り出世もしなかったが真面目に仕事してたらしいし、家事も手伝ってたし、正直出来過ぎてる位立派だよ祖父は。
立派だけどいばらないのも偉い。
少なくとも家族にとっては本当に尊敬の対象。

祖父の兄さんの徴兵の時ははまだ一般庶民からの近衛兵は少なかったらしく、大伯父さんは南方で整備士として普通に務めていた。
整備士だから死ぬ確率は低いかなと最初は安心していたらしいが、南方に着いてみると基地=活動拠点なんで当たり前に真っ先に空爆の標的にされてたそうだ。
彼は物凄い危機を何回も経験したが無傷で生還して長生きしまだぼけずに元気だし、うちの近い親戚では大伯母さんの旦那さん以外全員無傷で当時裕福だった祖母の実家も平成に入るまでは安泰だったし、母方の祖父母の一族は割と被害が少なかったと思われる。

515: 名無し三等兵 2012/04/21(土) 12:10:49.73 ID:wmEE8F2o
俺のばーちゃんのお兄さんは満州で満州人使って狩りばっかりしてたんだって
大尉になって帰ってきたらしいけど、うちのばーちゃんは、そんなことばっかりしてたから戦争に負けたんだって嘆いてたなぁ

527: 名無し三等兵 2012/04/21(土) 15:57:04.37 ID:2/XBinBa
俺の爺さんは志願して通信兵やってたらしい。
どこかは知らんけど。

567: 名無し三等兵 2012/04/23(月) 08:12:25.41 ID:???
>>527
おれの爺様も通信兵だった。
おれがハムの免許の勉強してるとき手伝ってくれたが、「イトー、ロトーマヨウ、ハーモニカ・・・」とかの教え方なんで参考にならなかった。

568: 名無し三等兵 2012/04/23(月) 10:04:37.70 ID:???
うちのじいちゃんは、昭和20年に20歳。
徴兵前に終戦

569: 名無し三等兵 2012/04/23(月) 10:15:45.33 ID:???
>>568
運が良いのか。有力者のコネで召集免れてたんか。
学徒動員とかで16歳以上はとっくに徴兵されてる戦争末期だったんしょ?

572: 名無し三等兵 2012/04/23(月) 11:20:04.16 ID:???
>>569>>570
俺も気になって調べてみたんだけど徴兵はあくまで20歳からだったみたい。
それから「学徒勤労動員」と「学徒出陣」は違う制度らしい
「学徒出陣」は大学生など高騰学校生の徴兵延期措置を撤廃するもので初等・中等の学生を徴兵するものではないらしい。
ただ、志願すれば17歳からでも兵隊になれたし、予科練は高等小学校卒業で志願できた。
そして「志願するのが当たり前」みたいな空気もあっただろうからそのへんから来る誤解もあるんじゃないかな?

うちのじいちゃんも勤労動員で工場勤務はしてた。

574: 名無し三等兵 2012/04/23(月) 12:13:06.44 ID:???
>>572
昭和18年に徴兵検査を満18歳に下げたり、平時は兵役不適の丙種を「第二乙種」と呼称変更してまで徴兵してますが…また、文系学生の徴兵猶予の廃止と理系学生の繰上げ卒業で有名な「学徒動員」を実施していますよ。
志願制度では「海軍特別年少兵」は国民学校卒業(13歳)、予科練や少年航空・戦車兵は、満15歳で

576: 名無し三等兵 2012/04/23(月) 13:25:45.97 ID:???
>>574
昭和18年は満19歳で、昭和19年に満18歳だろ。
で、実際の入営は徴兵検査の翌年じゃないか?

582: 名無し三等兵 2012/04/23(月) 20:47:22.11 ID:???
>>576
「甲種合格」は徴兵名簿に載って定期的に召集、平時は22歳迄赤紙来なければ逃げ切れたとか?
「関特演」以降は検査後すぐに赤紙きたと昭和17年兵のうちの爺様(甲種合格)が言ってた。
「乙種」は、いつ何時でも召集出来るので、開戦後は甲種より先に赤紙来る事が多かったんだと。
あと、「赤紙」は「臨時召集令状」なので「予備役」と「乙種」しか届かないんだよね。
郵送されることは無かったのに「一銭五厘」と一緒で、正しくない事が後世に伝わっているのは問題だよな。

570: 名無し三等兵 2012/04/23(月) 10:35:41.22 ID:???
>>568
うちも同じだけど大学生で学徒動員 戦車兵となるも戦車は無し
ばあちゃんは海軍の事務所に勤労動員

575: 名無し三等兵 2012/04/23(月) 13:22:02.91 ID:???
国民学校の先生で、教え子達が戦地に行くのを見送るのが辛かったけど
当時はそんなこと言える空気じゃなかったと戦後60年たって100歳超えても言ってたな。

578: 名無し三等兵 2012/04/23(月) 17:47:44.77 ID:???
うちの爺さんは九州から特攻に出発したら機体トラブルで離陸直後に不時着。
そのまま入院で終戦だった。

それが無ければ自分がいないと考えるとぞっとする

581: 名無し三等兵 2012/04/23(月) 19:55:51.24 ID:???
母方のじいちゃんは南洋の島にいたらしいが、かなり悲惨な体験をしたらしくどこか聞けなかった
本籍長野で南洋ってどこだろ

祖父兄は本籍一緒なのに戦車隊にいて終戦時スマトラらしい

590: 名無し三等兵 2012/04/24(火) 11:14:22.72 ID:???
フィリピンの航空部隊にいたが、偶然レイテ海戦前に配置替えで、戦死しなかった
(自分だけ生き残った事は辛い体験だったみたいだ)
日本敗戦直後は、インドシナで仏軍の代わりに警備をして、その後帰還した
(仏軍はインドシナに終戦後が戻っては来たが、現地では既に仏軍の権威は失墜し警備にならなかったらしい)

610: 名無し三等兵 2012/04/25(水) 08:05:48.66 ID:???
おれの曾爺ちゃんは、片方が義眼だったから戦争行かなかった。
でも、馬車曳き業やってたんで、馬だけ徴用されたそうだ。
馬がいない間何やって暮らしていたかは、聞いていない。

629: 名無し三等兵 2012/04/27(金) 05:31:44.55 ID:???
そういやじいちゃんの遺品に従軍手帳と勲章?みたいのあったなぁと思って見てみた
満州国東安省県?凱満州国第・六七七一部隊って書いてた

詳しくはあんま聞かなかったがうちのじいちゃんは戦時中に何かあって帰ってきたらしい
手帳に寄せ書きやらいっぱい書かれてて微笑ましかった

みんなから○○兵長殿って書かれてて生前勲章を自慢してたの思い出してなんか懐かしかったわ
寄せ書きしてくれた人たち無事かなぁ
住所とかいっぱい書かれてたし、暇なときにでもじいちゃんの思い出巡り旅行でもしてみようかなw

667: 名無し三等兵 2012/04/29(日) 09:52:18.16 ID:???
>>629 
「六七七一」
その数字って、部隊のことじゃなくって叙勲の法律番号?じゃないかな。
その番号だと、当時、危篤者に与えられていたような気がするが。
いずれにしても、いろいろググってみな。
当時の爺ちゃんの事や、周囲の事が分かると思うよ。

638: 名無し三等兵 2012/04/27(金) 23:51:46.91 ID:???
昔聞いた話を断片的に覚えてるけど

・田舎から出稼ぎに来ていた
・横須賀で飛行機作ってた
・二階から空を見ていたら低空飛行してきた艦載機のパイロットを目が合って追い回された
・屋根と天井を機銃弾がピュンピュン抜けてきて怖かった
・予備役だった
・終戦時の引き上げの際には皆布団を持ち帰った、鉄くずや軍需品よりも布団を優先した。
・戦後は国鉄に就職しバスの運転手

640: 名無し三等兵 2012/04/28(土) 12:51:46.69 ID:TASdoN+P
むかし、爺ちゃんは動いている戦車の下に爆弾を持って潜り込む訓練をしていたらしい。
訓練で動いてる戦車の下に爆弾持ってもぐり込むのは相当な恐怖だったらしい…

668: 名無し三等兵 2012/04/29(日) 10:57:44.37 ID:mLza33T1
国内で駅長をしていた
地方駅だから、農民や漁民から野菜や魚をただでくれたらしい

叔父さんは、一人は国内の軍事教練の中尉で、祖父の駅長の娘と結婚した。
もう一人は、上海で食料庫の警備兵をやっていて、古くなった食料を処分と称していただいたそうだ。

672: 名無し三等兵 2012/04/29(日) 16:28:39.73 ID:???
船員で、徴用されて南方航路にいた。
やつらは全く当てにならん、うそつきで卑怯者だと日本軍大嫌いだった

685: 名無し三等兵 2012/04/29(日) 20:57:02.55 ID:???
「船員に告ぐ」だっけか? 無茶苦茶な訓示を押し付けたりされたんだよなあ
護衛を放り出して自分だけ引き返したのも居たとかいうし
戦後の海運界が海軍の後進の海自に不信感ばりばりだったってのがよく分かる

700: 名無し三等兵 2012/04/29(日) 23:48:44.34 ID:???
母方のはビルマ方面にいたそうだ。現地で自転車で行軍中に転んでハンドルが肺に刺さって怪我したのが幸いして日本に強制送還された。

父方のは整備工だったので開戦前から終戦まで浜松の工場に連行されたそうだ。
何を作ってのかまでは知らんし聞いても教えてもらえなかったわ。

711: 名無し三等兵 2012/04/30(月) 17:15:26.40 ID:???
オレの爺様は大正時代に『シベリア出兵』
爺様の弟は戦時中『吉林』に出征。
婆様の弟は学徒動員で、慶応から海軍。
親父の兄貴は予科練。
親父は公募の少年戦車兵で陸軍に入ったが、函館山でトンネルばっか掘らされて終戦。
おふくろの親父は満鉄職員だったが、おふくろの兄貴と一緒に徴兵されて、シベリア送り。

おふくろとおふくろの婆様は、昭和21年9月に帰国できたが、おふくろの親父と兄貴は、昭和27年に帰国。
帰国後3ヶ月で三週間と間を明けずに二人とも衰弱死。


母方は悲惨だった様だ。

713: 名無し三等兵 2012/04/30(月) 20:25:53.33 ID:???
>>711
最後の力を振り絞り日本の地を踏んで思わずホッとしたのだろうな
ご冥福を祈る

721: 名無し三等兵 2012/04/30(月) 21:02:24.85 ID:12zutZPX
俺の爺さんは海軍航空隊の整備兵。
真珠湾にも行ったとか。翌年、帰省したとき村の小学校で歓迎会があり、まるで自分が敵の戦艦を轟沈したように得意満面に村民の前で話をしたそうな。
爺さんの弟が話を聞いて、何で整備兵が空を飛べるのか不思議に思ったらしい。爺さんの葬儀の時に聞いた話。
爺さんは真珠湾から帰ったら、転勤になり生還。

726: 名無し三等兵 2012/04/30(月) 21:52:20.37 ID:???
俺の爺さんはハルビン近くの満州開拓民、徴兵年齢はとっくに過ぎてたが、ソ連侵攻に備えた根こそぎ動員で捕まった。
詳しい話は言わなかったけど、防衛線は開拓地よりも満州の内側で、開拓地も開拓民も、徴兵された兵卒すらもソ連の盾に使われた。
幸いにもシベリアには行かずに済んだが、妻子とは死に別れになったそうな。
その死んだ妻の妹と再婚し、それが俺の婆ちゃん。
葬儀の時は戦友たちの列が凄かった。

746: 名無し三等兵 2012/05/01(火) 16:11:38.67 ID:???
うちのじいちゃんは帝国海軍の兵曹長
乗った艦は戦艦扶桑、空母隼鷹
じいちゃんいわくラバウルで食べた青いバナナは旨かったがヘビは固くてイマイチらしい
じいちゃんの弟は特攻で戦死した
仏間にある弟さんの遺影はあどけなさの残る青年だ
今年じいちゃんは96歳になる
戦時中に負傷したせいで肋骨は三本無いが今でも元気にクワをかついで山登りしている超タフガイだ
弟さんの分まで長生きしてほしい

780: 名無し三等兵 2012/05/02(水) 17:27:08.22 ID:???
じっちゃんじゃないけど大伯父がインパールで死んだ。
妻だったじっちゃの姉が後追うように自殺。

お盆などで田舎に集まる時は戦争の話はタブーな我が家

781: 名無し三等兵 2012/05/02(水) 17:46:57.21 ID:EgWAbo+H
じいさんは当時みなし銀行と言われてた銀行を設立して朝鮮に行って投資家をやってたから戦争には行ってない。
じいさんの兄が職業軍人だったが地元の連隊で教官やってて内地で終戦

813: 名無し三等兵 2012/05/03(木) 19:51:02.40 ID:???
長崎県に在住の父の体験談(終戦時小学生)
8月15日以降の話。
家の近くの日本通運の倉庫が陸軍に摂取されてたが、いたずらで忍び込んだら、物凄い数の缶詰やら食料があったそうな。
だから、敗戦間際の物資不足というのはウソだと言っている。

926: 名無し三等兵 2012/05/05(土) 10:21:36.80 ID:???
爺さん、俺が生まれる前に他界
父の話によると、戦時中に満州で憲兵やってたそう
で終戦になり、「憲兵狩り」があり逃げまくって、戦後本土に帰ったのは、戦後かなりたってから、帰国時、ポケットから札束があふれんばかりもって帰ったそう、しかしその金は父の病気の費用に・・・
死ぬ時、父に病床でかなり懺悔したみたい・・・内容は俺は怖くて聞けない

938: 名無し三等兵 2012/05/06(日) 00:58:54.03 ID:3MMVUj0S
そういや親戚のじいちゃんが機関銃を持ち帰ってきたとかいってたな
どこにいったんだろ

943: 名無し三等兵 2012/05/06(日) 16:06:31.10 ID:???
ばあちゃんは満州から命からがらなんとか帰ってきた。爺ちゃんのことは不自然なくらい話題にでず、写真一枚ない。

引用元: ・みんなのじいちゃん等は戦争中どこに行ってたの?2