guygog



1: 無名武将@お腹せっぷく 2005/11/03(木) 18:49:22
曹操が死んだ時点(220年)で15歳だった曹叡。
曹丕を超える軍事的才能があり、実際に曹丕以上の戦果を上げたそうですが、もし曹叡が曹操の跡を継いでいたら魏はどうなっていたのでしょうか?








5: 無名武将@お腹せっぷく 2005/11/03(木) 19:09:10
曹丕が早死にした場合なら曹彰、曹植辺りが黙ってなさそうなんだけどどうなんだろう
無事曹叡が継いだら帝位継承?
蜀呉の争いに乗じて

7: 無名武将@お腹せっぷく 2005/11/03(木) 19:49:28
跡目争いで国力低下でじゃね

13: 無名武将@お腹せっぷく 2005/11/03(木) 21:16:30
曹丕は孫権と同じく守成の名君ではあったけど、まだ天下を統一していない状態では戦略を停滞させる原因を作ったに過ぎないと思う。
もし、曹操が死んだ時点から曹叡が魏の覇業を受け継いでいたら天下統一への戦略を効率良く展開できたのではないかと惜しまれる気がするね。

17: 無名武将@お腹せっぷく 2005/11/23(水) 10:05:33
ソウヒが呉にこだわったのは失策だったな
あのタイミングなら万端のリクソンよりも死にかけのショクを討ちにいくのが正しい

19: 無名武将@お腹せっぷく 2005/11/23(水) 12:06:11
>>17
漢中方面の防備は割としっかりしてたんじゃないか?

20: 無名武将@お腹せっぷく 2005/11/23(水) 12:14:10
劉備、諸葛亮、馬超、魏延、趙雲らが健在の蜀なんか攻めたら曹操の二の舞だろ

21: 無名武将@お腹せっぷく 2005/11/23(水) 13:07:45
>>20
馬謖も健在ですよ^^

23: 無名武将@お腹せっぷく 2005/11/23(水) 13:45:40
夷陵の戦いのときの劉備はガチだからな
投入できるだけの戦力は投入してるだろうし、そもそも国境の防衛線は基本的には守りに入って援軍が来るのを待つ役目だからそんなに数はいない
その援軍が夷陵での壊滅的敗北で期待できないのだから、蜀を打つ好機ではあったろう
劉備は瀕死の状態で指揮系統も乱れる可能性が高い
陸遜も魏が攻めてくることは予想していても、魏に攻め入るまでは考えていない
そもそも攻めるのは守るよりも難しい、張遼・曹休あたりに無難に守らせておけば呉への対策は十分だろう
曹真、曹仁、できれば司馬懿もつけて蜀に攻め入らせれば、蜀滅亡までとはいわないが再起不能な打撃くらいは与えることができたかもしれない

それを呉にこだわってしまった挙句に、呉の差し金で起こった南中反乱が平定されるまで放置だからな、曹丕は頭に血が上って冷静な判断ができなかったか

30: 無名武将@お腹せっぷく 2005/11/24(木) 00:09:11
>>23
長江渡河まで考えなければ、つまり、江北を手中に収めると言う範囲であれば、蜀漢攻めより呉攻めの方が準備ははるかに楽。
蜀漢攻めの場合、どのルートを使っても兵站に大問題が起きる。
極端な話、蜀漢軍と接触しないうちに撤退になる可能性が結構ある。


32: 無名武将@お腹せっぷく 2005/11/24(木) 04:36:15
>>30
なるほど、しかし陸遜は稀代の名将だぞ
三国時代を代表する名将と、蜀漢に残る将を比べるとどうみても蜀漢のほうがくみしやすいと思えないか?
蜀漢末期に比べればマシとはいうものの

諸葛亮(実戦経験ゼロで第一次・第二次北伐は失策多し)
魏延(猛将)
趙雲(老いた良将)
呉懿(何やったのかよくわからん=残ってないんだからせいぜい良将どまり?)
馬謖(アホ)

一人の名将の方がこいつらより遥かに強敵だろう

それと、司馬昭が蜀漢を滅ぼした時は260年の魏帝暗殺だの諸葛誕・毋丘倹の乱だので忙殺されてるのを考慮して、261年・262年・263年上半期あたりが蜀漢攻略のために計画を練っていた期間だと思える
二年半~三年の期間が必要なら、夷陵敗戦直後から換算すると、大体南中平定戦が終わったか終わらないかといったところ

この時期ならやはり呉よりは討ちやすかったのではないかと思える

34: 無名武将@お腹せっぷく 2005/11/24(木) 10:12:12
>>32
陸遜を褒めるのは勝手だがわざわざ他将を貶めてまでそうするのは感心できんな。

なるほど一人の名将の存在は厄介なのかもしれんが、そんなものよりも純粋な国力や地形のほうが厄介だろうが。
そういう意味ではその時期は(というかそれ以降も)呉よりも蜀のほうが国力的には格下だがさ。

37: 無名武将@お腹せっぷく 2005/11/24(木) 19:20:52
蜀漢滅亡時は姜維の連年の出兵や、それに伴う漢中防衛体制の変更(事実上、防衛線を秦嶺から漢水への後退)があり、蜀漢の防衛ラインがかなり弱体化している。
その上、魏側も2年程度準備期間を置いているのにも係わらず、鐘会率いる魏の主力は撤退を考慮する状況にまで停滞してしまった。

それに比べれば、夷陵の役後では、漢中防衛は相当しっかりしてるし、魏側の準備も万端とは言えない。
侵攻してたら、後の曹爽の侵攻の二の舞だったかもしれない。

夷陵の敗戦は蜀漢にとって大打撃で、滅亡に繋がってもおかしくないくらいなのは同意する。
でも、その状況下でも魏が侵攻しなかった、ってのは逆の意味で蜀漢侵攻の難しさを物語っている、とも言えるんじゃないかな。


41: 無名武将@お腹せっぷく 2005/11/25(金) 05:25:35
>>37
史実では劉禅・姜維の蜀が先に討たれ、孫休・陸抗の呉は二人の死を待ってから攻め入られてるな
そういうことも含めるとやはり蜀を滅ぼすほうが呉を滅ぼすよりは易しいと思える
とはいうものの文帝明帝時代の呉蜀がそれほどまでに滅ぼし難いとすると、むしろ出兵は様子見程度に控えておいて、相手が攻め入ってくるのを迎え討つことで両国の戦力を徐々に逓減させていくのが最もベストな戦略だったということだろうか
それって曹叡がやったことだよな

44: 30=37 2005/11/25(金) 06:26:22
>>41
曹叡以降の戦略は概ねそうだね。
特に対蜀漢戦略は孫資が言ってるけど。
ただ、呉の江北領を攻める範囲であれば、蜀漢領を攻めるよりは容易かと。蜀漢攻めの場合、結局漢中方面限定となるから。
魏からすると、呉の江北領の場合、侵攻ルートの選択肢が多いし、比較的、地形が平坦で兵站もつながり易いが、蜀漢の場合、関中から漢中へ侵攻するか、隴西経由で侵攻するかに限られる。
関中から直接南下するのは峻険な山岳地を経由せねばならず、斜谷道、駱谷道、陳倉道のどれを通ってもかなり厳しいし、隴西経由だと関中南下路よりルート自体は楽になるが隴西へ自軍を廻すだけでも、かなり距離をロスする事になり、結局兵站が厳しくなる。
しかも、曹叡時代の後半まで、隴西方面は軍事的な準備が整ってなく、守備に回った場合の準備ですら万端とは言いがたかった。

ただ、最終的に両国を滅ぼす、と言う場合、両国の国力の面から呉より蜀漢の方が楽だったかもしれない。
それでも、呉は近く蜀は遠いって言う部分がかなりネックにはなっていただろうね。

33: 無名武将@お腹せっぷく 2005/11/24(木) 04:59:12
明帝は陳羣伝(だったか?)によると結局議論百出して沙汰止みになってしまったものの、九品官人法を継ぐ人材登用法を模索しているし、230年の勅令では「朗吏のうち一経に通暁する学問、民を治めるにたる才能の持ち主があれば博士が試験して優秀な成績を修めた者を選び出し、すみやかに起用せよ」と後の科挙に通じる発想の萌芽がうかがえる
新時代にふさわしいヴィジョンの持ち主だったのだろうがそれだけに夭逝が惜しまれる

39: 無名武将@お腹せっぷく 2005/11/25(金) 00:17:15
晩年の失政ってやつもそれほど酷いもんではなかったと思うが。
公孫淵の反乱もさっさと対処できているし。
やっぱ、もう20年ぐらい長生きできたら魏もあんなに簡単に滅びはしなかったかもな。

42: 無名武将@お腹せっぷく 2005/11/25(金) 05:51:02
>>39
というか、魏略に載ってる曹叡の乱行ぶりはところどころおかしいと思える点がある

明帝はささいな犯罪で死刑に処したとか記されてあるけど、正史には234年二月に鞭打ち刑で死に至る者が多いから削減せよ、12月には死刑法を削減して死に該当する罪を減らしたりしていて記述が正反対だ
約束事を破った者に対しては身内でも厳格だったが、諫言を行う家臣は曹丕と違ってことごとく許している
秦朗は無能なくせに明帝にこびへつらうクズと魏略では罵倒されているが、本当に無能なら鮮卑の反乱を治められたはずがない
魏略の宮殿造営に関する諫言でも、名前もよく伝わってないような官吏がとてもありそうに思えないことを喋っているが、ホラとすぐわかるのは芳林園のすみに土を盛り上げて山を築かせたという話
土を盛り上げるような単純労働は民衆に任せられる話で、それだけの人口さえ魏にないとはとても信じ難い話だ
公卿や大勢の官僚全員を総動員する必要がどこにあるというのか
曹叡を貶めたいあまりに語るに落ちたというべきだろう

魏略は宮廷内のことを色々な官吏から話を聞いて編纂されたものだというし、曹丕時代の反動で君主権強化した曹叡に対する官僚の反感から針小棒大に吹き込まれた部分が少なくないと想像している

43: 無名武将@お腹せっぷく 2005/11/25(金) 05:52:03
あと、曹叡に対する辛らつな批判が魏略にのみ集中してるのも色々と想像させて面白い

58: 無名武将@お腹せっぷく 2005/11/25(金) 23:44:53
曹家はほんと優秀だな

59: 無名武将@お腹せっぷく 2005/11/26(土) 03:16:13
曹叡には袁氏疑惑があるわけだが

「袁紹の孫」説

『三国志』明帝紀には、明帝は景初3年(239年)に36歳で死亡したと記されており、逆算すると生年は建安9年(204年)となることを挙げ、『三国志集解』の著者盧弼は、明帝が文帝から特に冷遇されたことなども傍証に挙げた上で、明帝の実父は文帝ではなく、曹操のライバルであった袁紹の次男の袁煕ではないかと主張している。

曹操が冀州を攻め落とし、曹丕が袁煕の妻であった甄氏を略奪した時点で、のちの曹叡は袁煕の子として既に世に生を受けており、曹丕はその子を(冷遇しつつも)養子として養育した、となる。

ただし一般には『三国志』明帝紀の享年が誤りだと解釈されており、例えば『三国志』の注釈者裴松之は明帝の享年は34が正しいと主張している。この場合には明帝の父は文帝で問題ないことになる。



70: 無名武将@お腹せっぷく 2005/11/26(土) 13:55:48
曹叡が軍事的に成功したように思われているが
曹叡の事跡の大半は防衛戦
曹丕の失敗は侵攻戦
要するに曹丕が軍事無能だったとはいえないって事
この父子の政治的な能力差を考えると曹叡が曹丕の後を継いでたら魏は縮小してたんじゃないかな

76: 無名武将@お腹せっぷく 2005/11/26(土) 14:26:22
>>70
>曹丕の失敗は侵攻戦
>要するに曹丕が軍事無能だったとはいえないって事

ここで問題になってるのは、曹丕が侵攻戦で敗北したから駄目というより侵攻戦にこだわりすぎたからでは?
何度も自ら呉に出向いたりして、討つ気まんまんじゃん
一度目の敗戦で曹叡以降の呉蜀逓減方針に切り替えればよかったんだよ

77: 無名武将@お腹せっぷく 2005/11/26(土) 14:32:16
あと、叡が凄いのは在位16年間を通して戦争の際自ら下した分析・決断のことごとくを成功させているところだと思う
正史での記述だと戦争での判断の誤りらしいものが見当たらない
二回の親征も効果的で成功裡に収めていることから、曹丕が軍事的才能がないと言うつもりはないが、曹叡以上に軍事的才能があったようにはみえない
実際に戦場に出たこともない20そこそこの若者がこれだから、曹叡が非凡だったのであって曹丕が無能な証拠にはならない

173: 無名武将@お腹せっぷく 2005/12/01(木) 18:06:18
曹叡が曹操の跡を継いでも、曹叡時代がはやく現出するだけだろうな
法学大好きの性格からして絶対に法制定には早期から着手するし、禅譲も九品中正法も臣下からの要望から必ず行うだろう
曹丕よりも若干素直に受けるかな?というくらいで
で、曹操の定めた制度はそのまま継承し、対外遠征は抑えて守りに重点を置く劉ヨウ案を受け入れる可能性濃厚で、史実よりも蜀が苦境にたたされる
(司馬懿の功績が若干減少?)

こんなもんだろう
それほど史実と違いはない

175: 無名武将@お腹せっぷく 2005/12/01(木) 18:26:28
曹丕が色々やってない状況だと皇帝集権から始めないとダメだな

176: 無名武将@お腹せっぷく 2005/12/01(木) 18:40:33
曹丕時代の妥協的な君主があってこそ曹叡による君主権強化が成り立ったと考えられるから、史実の曹叡よりも軟化した君主になったかもしれないな

178: 無名武将@お腹せっぷく 2005/12/02(金) 00:16:38
曹叡が曹操の跡を継いだ場合、曹丕の扱いはどうなったと思う?

179: 無名武将@お腹せっぷく 2005/12/02(金) 00:18:36
>>178
死んでるのでなければ常識的に考えてその仮定にならないよ。
だから曹丕は既に死んでいると考えればいいだけだ。

182: 無名武将@お腹せっぷく 2005/12/02(金) 07:20:47
疫病が流行ったとき、丕&植ともにやられたって前提で

183: 無名武将@お腹せっぷく 2005/12/02(金) 12:35:41
じゃあ彰

184: 無名武将@お腹せっぷく 2005/12/02(金) 12:35:41
曹彰は確実に反抗するね。
素早く抹殺できるかどうかが曹叡の分かれ目であり試金石だな。

207: 無名武将@お腹せっぷく 2005/12/03(土) 17:42:05
>>184
永楽帝と建文帝みたいなことになったりしてな

187: 無名武将@お腹せっぷく 2005/12/02(金) 18:31:54
ってか成人した曹操の息子全滅じゃなきゃ無理じゃんw
そんな皇族がボロボロの状況って、国にとっちゃ最悪だな

188: 無名武将@お腹せっぷく 2005/12/02(金) 19:17:30
いや、丕、彰、植の三兄弟が死ねば叡にお鉢が回ってくる事は充分に考えられる
あとは曹宇辺りの出方次第だな

192: 無名武将@お腹せっぷく 2005/12/02(金) 20:07:11
最低でも曹丕が王太子になってからでないと曹叡が曹操の後を継ぐのは難しいんじゃない?

193: 無名武将@お腹せっぷく 2005/12/02(金) 20:46:30
じゃ曹丕が後を継いだ次の日に死亡→曹叡即位 って前提で

194: 無名武将@お腹せっぷく 2005/12/02(金) 22:13:24
曹叡の歳が心配だな。そりゃ

195: 無名武将@お腹せっぷく 2005/12/02(金) 22:17:35
曹丕の在位5、6年だから心配する事もない
20歳即位が15歳即位になる程度だ

199: 無名武将@お腹せっぷく 2005/12/03(土) 05:50:32
今の15と20じゃないからさ
元服しちゃえば大人

201: 無名武将@お腹せっぷく 2005/12/03(土) 08:41:58
>>199
今の15と20じゃないからこそ、不安過ぎるだろう
元服しちゃえば大人というが大人1年生と大人5年生だぞ?国家多難の時期にトップが

202: 無名武将@お腹せっぷく 2005/12/03(土) 08:51:06
子供が小さい大人ではなく子供であるって観念は近代の物
子供は小さな大人だと考えられていた時代の成人ってものは今の成人と全く別だし大丈夫だろう
史実で曹操も曹叡も15歳で政治家デビューしてるんだしな

200: 無名武将@お腹せっぷく 2005/12/03(土) 07:42:24
若くして一族の長って有力な後見がないと難しいと思うぞ。
普通は叔父なんだろうが、後継のライバルでもあるし。
孫策、権はそこが上手くいったけど。

209: 無名武将@お腹せっぷく 2005/12/03(土) 21:15:52
227年4月の五銖銭再発行は成功したのかな
文帝時代に穀物の価格が沸騰して廃止されてたけど

210: 無名武将@お腹せっぷく 2005/12/03(土) 23:48:03
曹叡の五銖錢が晋の時代まで用いられたらしいから成功したんだろう

213: 無名武将@お腹せっぷく 2005/12/04(日) 11:00:34
経済の流通が物々交換から貨幣経済へ移行することが一番重要だったから、それが魏以降も流通したという事は成功と見て問題ないだろう

まあ曹叡時代の五銖錢復活も悪質な絹が流入して魏の財政を圧迫したのが、政府が発行に踏み切る要因だったからそれ以上悪化させない為という部分はあるだろうが、曹丕時代のように発行しても大インフレが起きて使い物にならなくなるということは起きていないから、経済の安定と政府への信用が曹叡の時代になってやっと整ったんだろうな

あと北方は董卓の影響を直に受けて貨幣経済が崩壊したが南方は独自の貨幣経済を保っていてその貨幣が魏に流れていたらしいから、魏王朝発行の貨幣が流通するという事は南方(呉)からの経済的な力を排除できたという意味でもプラスだったろう

226: 無名武将@お腹せっぷく 2005/12/12(月) 22:01:52
明帝の評価は煬帝の轍を踏んでるわなぁ
明帝以降は実質司馬魏だったわけで、なんとしても明帝の評価を貶めなくては
それでも功績が残ってる点が非凡

250: 無名武将@お腹せっぷく 2005/12/19(月) 20:57:30
曹叡というと陳矯とのやりとりと、即位直後は人前に出たがらなかったというエピソードを思い出す。

252: 無名武将@お腹せっぷく 2005/12/24(土) 23:33:39
曹丕に似てないな~
と言われるのか怖くてひきこもる曹叡萌え

254: 無名武将@お腹せっぷく 2006/01/04(水) 21:01:36
曹叡が曹操の跡を継いでいたらも気になるけど、曹丕が愛していた曹礼が曹丕の後継者だったらどうだったかな、と思ってします。
曹礼はさっさと死んでしまったが。。

255: 無名武将@お腹せっぷく 2006/01/14(土) 16:38:45
だがなんだって曹宇は大将軍固辞したんだろうな
別に皇帝になるわけでもなし、次の皇帝は幼少で危ないってんだし
謙譲の美徳なんぞ悠長に発揮しておらんですぐに拝領しとけばよかったものを

256: 無名武将@お腹せっぷく 2006/01/14(土) 16:49:50
幼少の皇帝のときの大将軍なんて危険にもほどがあるからね
よほどの実力か野心がなければ、いきなり拝命するのは怖いだろうさ

272: 無名武将@お腹せっぷく 2006/01/16(月) 07:43:29
曹丕と曹叡の順番が逆ならすんなり行ってたかもね。
救民、文学、学問に集中したけど君主権には興味なさげな曹丕は安定期の方が向いていたかも。

273: 無名武将@お腹せっぷく 2006/01/16(月) 11:05:57
曹丕も君主権に興味がなかったわけじゃないだろう
なかったら臣下から反対の相次いだ戦争起こしたりしないよ


引用元: ・曹叡が曹操の跡を継いでいたら魏はどうなってた?




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