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1: 人間七七四年 2016/03/12(土) 10:34:07.87 ID:q5cQlzrd
東軍の完勝と云わざるを得ない戦い。

東軍          西軍
☆足利義尚:将軍就任 ★足利義視:美濃へ追放
☆細川政元:管領就任 ★山名政豊:凋落
☆畠山政長:管領就任 ★畠山義就:河内へ放逐
☆斯波義寛:尾張守護 ★斯波義廉:越前で没落(実家の渋川氏も九州と関東の両方で没落。)








4: 人間七七四年 2016/03/14(月) 22:57:39.84 ID:4x0yWzgi
応仁の乱まとめ

将軍「弟(義視)を将軍にするので細川勝元を後見人にした」
嫁「息子(義尚)が生まれたから息子を将軍にしたい。山名宗全は力貸せ」
細川勝元「俺は弟(義視)を推して東軍」、山名「じゃあ俺息子(義尚)を推して西軍」
赤松政則「俺東軍!山名を播磨から追い出すわ」
将軍「西軍を討伐せよ」

畠山持国「うちも弟(持富)を跡継ぎにしたら別の弟政長と東軍へ、息子(義就)が反発して西軍ついたわ」
斯波義廉「新しく当主になった斯波義敏(東軍)が嫌いなので西軍につくわ」
朝倉孝景「斯波義廉に味方して西軍につくわ」
土岐成頼「俺もー」
六角高頼「俺もー」
大内政弘「東軍が勝つのは困る。細川とは貿易利権で争っているので西軍につくわ」

2年後
弟(義視)「東軍に追い出されたから西軍頼るわ」
細川勝元「義視が勝手に出てって将軍名乗り始めたから息子(義尚)を推すわ(ニヤ)」

3年後
朝倉孝景「東軍に寝返るわ」
山名宗全「なんか寿命近いし劣勢だしもう降参するわ」
大内政弘「西軍は俺にまかせろ」

4年後 山名宗全「死んだ」 5年後 細川勝元「俺も死んだ」

6年後
将軍「弟(義視)許してやるから戦いやめろ」
息子(義尚)「将軍になった。」
山名&細川「和睦した」
土岐成頼&六角高頼「絶対やめへんでー」
大内政弘&畠山義就「まだまだ暴れるでー」

10年後 (終戦)
大内政弘「飽きたから山口へ帰るわ」
土岐成頼「義視引き取るわ」
六角高頼「近江統治、頑張るわ」
畠山義就「みんな見捨てないでー」

15: 人間七七四年 2016/03/26(土) 06:25:53.36 ID:pDCxGyIW
>>4
まあ、かなりちがうけどな

畠山家とか斯波家の動向が。
あと、義尚の後見人は宗全じゃなくて伊勢貞親だろ、応仁の乱の数年前に宗全と勝元の連合に追い落とされた。

23: 人間七七四年 2016/03/28(月) 00:45:46.07 ID:303NHxmF
>>15
そもそも西軍って畠山義就に便乗しただけで、足利義尚なんて担ぐ気無かった気がする。
だから足利義尚は、はっきり言って西軍嫌いだったんじゃないだろうか。

21: 人間七七四年 2016/03/27(日) 02:46:45.03 ID:rRoSzATu
>>4
畠山持国「諸事情で弟(持富)を跡継ぎにせざるを得なかったのが腹に据えかねて廃嫡したらそいつの実子政長が東軍へ」
みたいなのだからな。

政長は持国の弟じゃなく甥。

あと、斯波義敏は義廉の前の当主で、返り咲きそうだった(=義廉を追放)のだから、気に入らないとかいうレベルじゃなく仇敵。

5: 人間七七四年 2016/03/16(水) 17:35:18.51 ID:9xUY4x6O
そして大内・土岐・六角・畠山のような旧守護系は守護代に下剋上されたり外来勢力に侵攻を受けたりして滅ぶのであった

17: 人間七七四年 2016/03/26(土) 15:06:12.33 ID:3CyM7sZr
>>5
下克上された大名の大半が西軍だと思うんだが、気のせいかな?

乱の中盤ごろに勝元や義政が西軍大名の家臣たちに寝返りを求める手紙攻勢かけて、その影響で西軍の下克上が加速されてる気がする

18: 人間七七四年 2016/03/26(土) 22:50:07.06 ID:+DjxyESL
>>17
尼子や浦上は?朝倉が本当に裏切ったのって東軍だよな?最後西軍と仲良くしてるし。

22: 人間七七四年 2016/03/27(日) 02:50:57.81 ID:rRoSzATu
>>18
スマン、尼子や浦上は東軍からの下剋上だな
朝倉はもともと西軍だったのが裏切って東軍に移動したクチだからむしろ典型。

7: 人間七七四年 2016/03/16(水) 23:26:22.09 ID:AOgP06Dt
東軍が勝ったというのは、結局東軍主力の細川以外がことごとく国元に戻ってしまった、という事で京都ではそういう認識に成った、って事だわな

11: 人間七七四年 2016/03/19(土) 00:31:56.23 ID:DQnDpI0g
>>7
畠山政長も京都に残ってる

13: 人間七七四年 2016/03/19(土) 11:29:49.22 ID:eaedW7Jw
>>11
応仁の乱が終わる頃には政長は根拠地を奪われ実権は義尚擁立側つまり西方に
義就方がのちに勢力を落とすのは応仁の乱よりはるかにあとの問題。政長子孫が高家として生きながらえたのはのちの権力者の庇護によるもの

14: 人間七七四年 2016/03/19(土) 13:44:32.92 ID:NGk8vJf/
>>13
畠山政長は管領となり、その子孫は戦国大名化して、久米田の戦いや教興寺の戦いで覇を競っているけど?

19: 人間七七四年 2016/03/26(土) 23:06:51.22 ID:4CHSW9Zh
東軍が勝ったというより、細川が勝ったっていう感じ。
間もなく幕府は乗っ取られて、幕府というより戦国大名細川氏の領国になるし。

20: 人間七七四年 2016/03/26(土) 23:35:01.32 ID:+DjxyESL
はぁ???意味分からんわ??

細川政元は、乗っ取りに成功しなくて、六角討伐に失敗するわ、旧西軍の将軍来るわ、いつまでたっても魔法使えないわで、挫折感感じて、明応の政変起こしたんだろ。

22: 人間七七四年 2016/03/27(日) 02:50:57.81 ID:rRoSzATu
>>20
順番逆だろ
明応より前は細川政元は一介の守護大名であって管領じゃないんだから、ろくな権限がなくて当然。
明応の政変で政長を死なせてからはじめて管領になって権力を握ったんじゃんか。

26: 人間七七四年 2016/03/29(火) 22:14:17.25 ID:YfrvnJoK
三管領四職の大名家滅亡

京極氏:大名家として存続
赤松氏:関が原を乗り切れず滅亡
畠山氏:豊臣秀吉の紀伊征伐により滅亡
一色氏:豊臣秀吉に降るが寝返りを疑われ滅亡
細川氏:織田家に降るが領地を奪われ滅亡(京兆家)
山名氏:織田家に降るが寝返りを疑われ滅亡
斯波氏:織田信長に追放されて滅亡

戦国時代は乗り越えてる

35: 人間七七四年 2017/02/22(水) 18:49:56.45 ID:7JWQ31iC
そうか?
観応の擾乱で内部争いが起きた際に二本松畠山氏は嫡流の座を奪われてるだろ?
その時点で嫡庶交替してるんじゃないの?

28: 人間七七四年 2017/02/02(木) 20:57:12.19 ID:YxZfqqx3
応仁の乱が起きなかったら、今出川殿は将軍になれたかな?

29: 人間七七四年 2017/02/02(木) 21:49:04.79 ID:1nulAkQp
義視が将軍後継から外れたのは伊勢貞親との対立で義政を怒らせたからで、応仁の乱と直接関係ないしな。

30: 人間七七四年 2017/02/03(金) 21:25:13.64 ID:FiPyivpH
文正の政変で勝利してるから、たぶん将軍になれたんじゃないか?

37: 人間七七四年 2017/03/21(火) 13:43:34.93 ID:a8SuljaQ
勝ち負けなんかついてたの?

38: 人間七七四年 2017/03/23(木) 02:45:33.60 ID:XT6OirsC
西軍諸将が東軍に帰順するという形で和睦してるから一応形式上は東軍の勝ちになってる。畠山義就とか和睦しなかった武将もいるが。

39: 人間七七四年 2017/03/24(金) 16:27:31.21 ID:SvDX2L7p
戦力的にも東軍の方が強いし……

40: 人間七七四年 2017/03/24(金) 19:55:53.87 ID:fBD1ojQh
東軍大名で応仁の乱の最中または乱後すぐぐらいに家中が分裂したり下剋上されたりした大名って少ないんだよ
逆に西軍には多い。
まあ、乱が始まる前から弱かった大名も東軍には多いけどさ。武田とか赤松とか。

42: 人間七七四年 2017/04/05(水) 17:00:55.01 ID:zYvo4Zcy
本(応仁の乱)では、応仁の乱は、勝者はいないと記載されてあった。
勝組のはずの細川家は、京兆家の求心力が衰えて、一族の結束が乱れて、内紛が起こるようになった
東軍が勝者に見えるのは、上皇、天皇、将軍がいたからだろ

44: 人間七七四年 2017/04/05(水) 18:40:39.81 ID:h9puzQmz
そりゃまあ、細川勝元が30台(アラフォーだが)の若さで病死したことが乱終結のきっかけのひとつなんだから、未成年の政元のカリスマ不足によって求心力が落ちるのはしかたない面もあるさ
だが、京兆家の求心力が衰えて内紛が起きるようになったのは政元晩年以後の話で、応仁の乱が終わってから何十年か経った頃の話だろ
そんな後の出来事を理由として東軍の勝利を否定するのって、まるで日本の高度成長期やらバブル期の経済発展を論拠に第二次大戦での敗北を否定するような乱暴な意見だと思うがなあ。

46: 人間七七四年 2017/04/05(水) 21:33:53.84 ID:gbgk4yWB
細川勝元の死は終結の原因というよりむしろ、和睦交渉に失敗した後山名宗全と細川勝元が相次いで死んで収拾を付けられる人物がいなくなったからグダグダと長期化したんじゃないかという気がする

47: 人間七七四年 2017/04/06(木) 20:28:00.86 ID:vdyDUy+g
ぶっちゃけ山名なんて早々に赤松にボロボロにされて戦力として機能してない
本来なら細川の圧勝が順当だと思うが

48: 人間七七四年 2017/04/06(木) 20:48:53.20 ID:/SHkxz3H
家としての力と個人としての影響力は二人が傑出してるからね
その周辺の人物は跡目争いで自分に有利に働きかけてくれる方についただけで家中は大分裂なんだから

50: 人間七七四年 2017/04/06(木) 21:15:45.05 ID:vdyDUy+g
>>48
応仁の乱後に大分裂したのって山名と京極だけじゃね?他は元からだし

53: 人間七七四年 2017/04/06(木) 22:08:26.39 ID:lMgFkdY9
>>50
乱後っていうか政争と武力衝突が近畿越えて展開されたの理由がそもそも跡目争いだからでしょ
西から東に鞍替えした人も東から西に鞍替えした人も結局跡目争いでどっちについた方が有利かということなんで
それに荘園と守護職の座を巡って他家との争いもあったり重臣たちの思惑が絡んで収拾が難しくなった

49: 人間七七四年 2017/04/06(木) 21:07:50.65 ID:vdyDUy+g
山名宗全も細川勝元も全然自軍をまとめられて無いだろ
赤松畠山土岐に振り回されて、二人が生きている頃からグダグダと6年も戦って、死んで4年で収まった
両大将が全く傑出してなかったのが長期化の原因だと思われ

51: 人間七七四年 2017/04/06(木) 21:16:18.22 ID:yZ1ssV+8
総大将以前に両軍とも軍団としての明確な目的が無くて諸将が各々自分の利害で戦ってたのが長期化のそもそもの原因だろう

54: 人間七七四年 2017/04/11(火) 01:04:04.47 ID:eQd5SQLC
東軍有利だったのは、細川家の守護国が比較的京都に近かったからだろ
丹波、摂津だったのが越前の朝倉が、東軍についたのも痛い
京都の近くの国がほとんど東軍についたから、西軍の兵站が細くなって、西軍は、苦戦した

55: 人間七七四年 2017/04/11(火) 01:47:23.81 ID:4prMORHR
西岡含め周辺の武装集団も東軍気味だしな
長期化、大規模化して兵站の問題が大きくなれば地理的優位性は形勢に直接影響するわな

56: 人間七七四年 2017/04/11(火) 08:05:00.02 ID:iMU8c/G8
そんな圧倒的に東軍有利ならなんで勝てないんだよ?

57: 人間七七四年 2017/04/11(火) 19:17:19.42 ID:WpvGQDrb
戦闘の上手な武将が東軍に少なく西軍に多かったんじゃね
あと、積極的に戦おうとする武将が序盤以外の時期には少数派だったことも大きいかと

60: 人間七七四年 2017/04/12(水) 21:16:52.32 ID:QTSU+o0F
東軍は、兵力が上、兵站も抑え、地理的にも有利、西軍の主力の朝倉も引き抜いて、赤松が播磨、備前、美作で勝ちまくり、錦の御旗まであったのにな。。

61: 人間七七四年 2017/04/12(水) 22:44:53.70 ID:uFV+lqn2
京都まで兵糧を輸送できるもっとも有力なのが美濃の守護代齊藤妙珍って時点で兵站が破綻してるよな
日本海方面からも瀬戸内海方面からも輸送の困難に打ち負けてる。
そりゃ富子に金を借りてでも兵糧を買うしかないわ(実際はどうだったか知らんけど。借りたのって講和の時だったっけ

62: 人間七七四年 2017/04/12(水) 22:59:53.46 ID:EXXTQLkw
>>61
まず兵糧を美濃から輸送するとかありえない
どこでも買えるのだから遠くから運ぶより、軍事力を背景に近場で買った方が早くて安い
西軍の畠山が富子に金を借りたという説は信憑性が低い

海上輸送の困難に打ち負けてるの意味は全くわからん
何の話だこりゃ

64: 人間七七四年 2017/04/12(水) 23:16:27.03 ID:UiqNh5lc
>>62
近くから買うというより、荘園からの略奪、横領だろ
法的に合法にしたのが、半済だったけど
だが、京都近辺が、戦乱で荒れていたので、現地調達が難しかったんだろ
持久戦になると最終的には、物量(食料、武器)の調達で決まるんだよな

63: 人間七七四年 2017/04/12(水) 23:04:33.75 ID:uFV+lqn2
海から京都に行くには細川領国内を敵中突破する必要があるわけで、相応の軍勢を引き連れないと運べないじゃん
淀川は細川領である摂津国内を通ってるんだぞ

69: 人間七七四年 2017/04/13(木) 00:35:00.00 ID:/z8MVx/+
>>63
摂津は大内が一部、終戦まで占拠してた。おそらくそこから兵糧が運び込まれてたんだろう。

70: 人間七七四年 2017/04/13(木) 04:54:51.02 ID:6s3XT7V+
>>69
摂津からは京都に入る西岡は東軍が抑えているので西軍はそのルート使えない

山名が抑えている播州、丹波福知山ルートで輸送していたらしい
同じく山名の領国だった山陰方面から送るには日本海側の若狭、鯖江方面から北近江ー琵琶湖ー山科ルートを使ってた

それが朝倉孝景が東軍に鞍替えし越前が東軍側になったことで日本海ルート使えなくなった

このため西軍方支配の尾張、美濃から南近江ー山科ルートが重要になり大内正弘が山科周辺に展開していたのはこのルート潰されたら完全に西軍の兵站が断たれてしまうから。

72: 人間七七四年 2017/04/13(木) 20:35:46.78 ID:mfqGgC5H
>>70
いやいやなんかだいぶおかしいぞ???

西岡は、畠山義就が制圧してた(西岡の戦い)
福知山ルートは細川の領国丹波を突っ切るルートで、通れるとは思えない

西軍の兵糧って本当の所はどうだったんだろう???

73: 人間七七四年 2017/04/15(土) 08:50:03.14 ID:1eWyqd1s
割高になるんだろうけど普通に民間から買ったんじゃ
東軍が民間のルートも遮断していたなら民間人が飢え死にするし

74: 人間七七四年 2017/04/15(土) 10:40:24.39 ID:wfbAv5QI
>>70
わざわざ領国から輸送しなくても、現地住人、商人、ダミー商人からの購入、借用、横領、略奪、、
兵糧の調達方法なんかいくらでもある
完全に包囲された篭城戦じゃなければ、両軍に流れ込む兵糧に差なんかでない
それより、矢、馬、銭の補充が大変そうだな

75: 人間七七四年 2017/04/15(土) 12:41:18.77 ID:ghfrOzP1
>>74
現地での徴用連発して反発した国人達が西から東、東から西に鞍替えしまくったので現地徴発はあまりしなくなったみたいだけどな
在京商人が現物の米や材木を持っているわけでもないので買ってもそれを運ぶルート遮断されてたら現物は届かないよ
だから美濃尾張の土岐、斯波から近江通ってのルートが重要視された
その辺りは少し史料読めば馬借達の動きから分かるらしい
俺は史料まで読まんけどt

77: 人間七七四年 2017/04/18(火) 20:37:50.20 ID:BSPxQXUc
周防と美濃は、西の山口、東の川手って公家達に言われてたそうだけど、大内も土岐も食糧不足の京都に高値で兵糧を売りさばいてボロ儲けしてた気がする

引用元: ・応仁の乱はなぜ東軍が勝ったのかを語るスレ