51iKH2QqzXL._SL500_ (1)




1: 世界@名無史さん 2021/01/24(日) 23:36:24.29 0
五胡十六国から南北朝にいたるまでの、中国が混乱を極めた時代の歴史について語りましょう。
関連記事
【1】五胡十六国から南北朝








84: 世界@名無史さん 2021/02/15(月) 18:47:58.55 0
北魏の道武帝は献明皇后の妹に惚れて、その夫を殺し、彼女を奪って紹という皇子を生ませた
紹は町を出歩き、通行人を脅して物を奪い、畜生を切りつけて楽しむ放蕩者だった
その紹によって、ついに道武帝は殺された

なんだか間抜けな死に方だな

85: 世界@名無史さん 2021/02/16(火) 05:35:25.52 0
東晋孝武帝の布団蒸し殺されも間抜けな死に方

86: 世界@名無史さん 2021/02/16(火) 06:28:22.58 0
>>85
本当に布団蒸しなんかで人は死ねるものなのだろうか?
サウナなんか90度にもなるがへいちゃらでしょ。

87: 世界@名無史さん 2021/02/16(火) 06:49:30.74 0
この頃は皇帝が宦官に暗殺されることがよくあったな
こういう暗愚な皇帝ならまだ分かるんだが、北魏の太武帝みたいな大英雄も宦官に暗殺された

88: 世界@名無史さん 2021/02/16(火) 09:42:29.33 0
太武帝程度で大英雄なら楊堅やら李世民の扱いはどうなってしまうんだ

89: 世界@名無史さん 2021/02/16(火) 12:03:45.12 0
楊堅
北周の武帝が統一した北朝を棚ボタで引き継ぎ、史上最弱レベルまで弱体化していた南朝を滅ぼす
歴代統一王朝の中で、最も楽だった統一を実現

92: 世界@名無史さん 2021/02/18(木) 17:25:13.98 0
>>88
司馬炎より曹操が英雄だと思わんか?

それと同じだ

93: 世界@名無史さん 2021/02/18(木) 18:57:05.92 0
大陸統一した司馬炎と石勒と同レベルの領土しか獲得できなかった曹操を比べるのもおこがましい
出発点比べても石勒のが遥かに難易度高い

113: 世界@名無史さん 2021/02/23(火) 18:24:09.79 0
>>93
曹操は兵戸制の確立という功績がデカすぎる
千数百年以上のちの清代まで現役とかすごすぎる
あと武帝の塩の専売もな

190: 世界@名無史さん 2021/05/08(土) 09:03:08.48 0
符堅臣下の呂光も人傑やな
呂氏の猛将というと呂布に並ぶとか
後涼も建国するし
内政はからっきしだが

193: 世界@名無史さん 2021/05/08(土) 22:34:20.78 0
五胡十六国時代で優秀な人物というと、慕容恪はどうかな?
恪は常に慕容皝に頼りにされ、ほとんどの戦いに参加している
性格は沈着にして度量があり、物腰は謹厳だったという
慕容儁と扶余戦に出かけたとき、身を矢で射抜かれながら突撃して勝利を得たとあるように勇猛な人でもあった

194: 世界@名無史さん 2021/05/10(月) 11:24:07.50 0
>>193
Wikiで斜め読みさせてもらった
麻秋という人物が前燕にも前涼にも攻めてて興味持ったわ
前涼の歴史読んでても麻秋出てきたから
ここらの小説あったら面白そうだ

195: 世界@名無史さん 2021/05/10(月) 22:28:43.30 0
慕容恪は、彼自身の短慮によって人を殺した例は一つもなかった
彼は捕らえた捕虜は兄の慕容儁のもとに送って賞罰を任せていた
彼は軍略にも長けていたので、皝も儁もしばしば恪の意見を採用したし、彼も部下の意見を尊重した
恪が遼東に鎮するようになると、高句麗は彼を憚って攻めてこなかった
史書においてこれだけ良く書かれている人物は珍しい
178: 世界@名無史さん 2021/04/17(土) 08:58:21.22 0
北斉の文宣帝は、即位の後東魏の廃帝を殺したのをはじめとし、ついで東魏の一族を片っ端から殺した
しかし帝位を窺う心配があるというので、今度は自分の一族を殺しだした
ことに人望があって役に立ちそうな二人の弟を土牢に閉じ込めて、最後にこれを焼き殺した
五胡十六国・魏晋南北朝時代にはこういう異常な君主が多いな

180: 世界@名無史さん 2021/04/20(火) 19:05:49.54 0
>>178
文宣帝はこの時代の異常揃いの皇帝どもの中でも別格に最凶

179: 世界@名無史さん 2021/04/19(月) 16:11:16.15 0
武こそ正義っちゅう遊牧気質が抜けきらんかったんか
血族すら信頼できんというのはアラブ部族とかぶるな

181: 世界@名無史さん 2021/04/20(火) 19:17:31.82 0
北斉で比較的まともと評されてるのが廃帝殷とか孝昭帝の在位1年しかない連中なことを考えると、単に残虐行為の事績や犠牲者の数が在位の長さに比例してるだけかもしれん

182: 世界@名無史さん 2021/04/20(火) 22:41:00.91 0
石虎は息子の石韜を殺した石宣を倉庫に閉じ込め、鉄の環を襟にはめて首環のようにし、数斗入りの飼葉桶をつくって、そのなかに汁と飯を混ぜて入れ、豚や犬に餌をやるようにして食事をさせた
また石韜を刺した刀を持ってきてその血をなめさせ、記すに忍びないような残酷な殺し方をした
石虎は宮女たちをひきつれてそのさまをながめていたという

189: 世界@名無史さん 2021/05/08(土) 08:14:20.21 0
>>182
晋の最後の皇帝が匈奴に捕らえられ、豚小屋に監禁されて残飯を食わせられた、と田中芳樹の小説にあった。
史実では庶民の服装をさせられ宴会の給仕係をさせられたとあり、残飯云々の話はない。

この話からパクったんだな。
田中芳樹は漢民族マンセー、日本含め、その漢民族様にたてつく異民族は徹底的に罵倒する。
だから清王朝は絶対に認めない。名君を輩出したといえ女真族だから
ましてや五胡16国なんか、漢民族様が匈奴にメタクソにやられた時代だからね

石虎も匈奴だが、残飯のエピソードは匈奴の内輪でやったこと。
だが漢民族の皇帝陛下にしたことにして、匈奴を「残虐性」をうったえる、と

191: 世界@名無史さん 2021/05/08(土) 11:36:17.87 0
漢民族をマンセーする必要はないが五胡にも特別親近感なんてわかない
史実として五胡十六国時代を楽しむまで

94: 世界@名無史さん 2021/02/19(金) 22:19:19.32 0
北魏には、皇帝位の継承者が定まるとその生母を殺すという慣わしがあった
なんだか残酷な習慣だな

95: 世界@名無史さん 2021/02/19(金) 22:23:06.04 0
>>94
外戚の専横を防ぐためには、それが最善の手段だけどな

平安時代の藤原氏なんか、「いかにして、娘を皇后にして次の天皇を産ませるか」というのが権力闘争そのものだった

96: 世界@名無史さん 2021/02/19(金) 23:05:25.90 0
外戚一族ほぼ独占のおかげでまだ天皇家として続いてる
代が変わるごとに外戚変わってた支那王朝は全滅

99: 世界@名無史さん 2021/02/20(土) 06:05:58.24 0
日本だと、父系は天皇家で母系は藤原氏

遼では、父系は耶律氏で母系は蕭氏

二人三脚で高貴な血統が続く

100: 世界@名無史さん 2021/02/20(土) 11:27:27.86 0
でも遼の子孫なんか今いるのかどうかもわからないし仮に居ても皇帝でも何でもないやん

107: 世界@名無史さん 2021/02/21(日) 08:00:33.30 0
>>100
耶律氏一族は元の北帰後、今の遼寧省西部に居住した結果、女真族と同化した。
満州八旗の伊拉里氏は耶律氏の後裔で乾隆帝の皇子の妃も出している。

101: 世界@名無史さん 2021/02/20(土) 12:51:33.99 0
欧州では、オーストリア・ハプスブルク家とスペイン・ハプスブルク家で近親結婚を繰り返した結果、白痴や病気の王子が生まれる羽目になった

父系と母系の2本立てにしたのは生活の知恵だったのだろう

102: 世界@名無史さん 2021/02/20(土) 22:44:11.52 0
子供を目当てなら農家の健康な娘が一番だからな
京都の郊外の農家の娘を名家の養女という事にして、お公家さんの側室にするとか普通にあったろうな

そういえば東晋の皇帝には子供に恵まれなくてとにかく健康な子を産める欲しいと女を探し回ったら後宮の下女の黒人女が体格満点だったのかこれを皇后にしたとかいう話があったよな
その皇后は見事男の子を産んでその子は成人して帝位に付いたという
だから東晋には黒人皇帝がいた
李 陵容(り りょうよう、? - 隆安4年7月4日(400年8月9日))は、中国東晋の簡文帝の側室。子は孝武帝・司馬道子・鄱陽公主。

出自は不明であるが、褐色人種とされる。奴隷として織室で働いていた。背が高く、色が黒い。織室の者から「崑崙奴」と呼ばれた。

会稽王司馬昱は、男子がみな夭折して後継ぎが育たないことに悩み、術士を呼んで妊娠しやすい女を探してる。術士は陵容を見て「彼女です」と言った。司馬昱は、子孫繁栄を願って陵容を側室として迎え入れる。予言通りに2男1女を出産した。

104: 世界@名無史さん 2021/02/20(土) 23:02:49.15 0
>>102
そうか、そんな逸話があったのか

だいぶ前に見た中国の時代劇で、東晋の皇帝の妻が妙に色黒だったのはそのせいか

103: 世界@名無史さん 2021/02/20(土) 23:01:14.16 0
北魏は文学では南朝におよばなかったけれど、美術の面では雲崗石窟など、優れたものを残しているな

105: 世界@名無史さん 2021/02/20(土) 23:04:15.49 0
>>103
北朝は北方民族だから、漢文や漢詩にそこまで習熟してないわな

106: 世界@名無史さん 2021/02/21(日) 00:18:40.33 0
>>105
様々な北方民族についての考古学史料を見れば各々に固有の物語や「詩」があったのは明らかで、華夏的文脈で読み解けないからと云ってそれを「文学的水準は低かった」と評するのはあまりにも中華史観に毒された価値観偏向と思われるが、どうか?

109: 世界@名無史さん 2021/02/22(月) 14:43:00.12 0
北魏の文化人で有名なのは温子昇。
北朝まで範囲を広げると庾信が有名。
もっとも庾信はもとは梁の人で、使節として赴いて西魏の広陵攻撃に際会し、そのまま留められて西魏・北周に仕えた

111: 世界@名無史さん 2021/02/23(火) 14:45:55.44 0
一口に五胡といっても、氐のように農耕化がかなり進んで漢族の文化にも慣れたものから、鮮卑拓跋部のように牧畜と狩猟の要素を濃厚に保持し、漢文化との接触も少なかったものまで、生活状態や文化状態はさまざまだったんだよな

121: 世界@名無史さん 2021/03/05(金) 14:52:53.07 0
西魏になると漢化政策の揺り戻しが起きて、孝文帝の改革により漢族の姓に改められていた諸族の姓をもとに戻したのみならず、漢族にも功績によって鮮卑姓を与えている

122: 世界@名無史さん 2021/03/05(金) 20:50:06.42 0
>>121
それを「胡化政策」と呼ばなければ不公平だな

126: 世界@名無史さん 2021/03/06(土) 00:39:47.22 0
>>122
胡化というより復胡政策の方が適切だと思う。

123: 世界@名無史さん 2021/03/05(金) 22:30:21.41 0
西魏では鮮卑語がかなり広範に用いられ、胡族の服装もおこなわれている

144: 世界@名無史さん 2021/03/06(土) 22:28:30.96 0
五胡十六国の時代以降、漢民族の身近な生活・風習にも遊牧民のそれが大きな影響をおよぼしている
筒袖・詰襟、膝まである綿入れの上着、両股が分かれ、膝の下で縛ったズボン、動物文や唐草文のあるバックルなどが着用された

食物にも胡風が入る
バター、チーズ、醍醐、羊肉の料理、現代人がバーベキューやジンギスカン鍋などと呼んでいる調理法など
粉食も行われるようになった
胡牀が入ってきたのもこのころで、それまでは日本のように座っていたものが、椅子に腰かけるようになった

145: 世界@名無史さん 2021/03/20(土) 21:54:12.46 0
この時代の中国料理書にもチーズはすでに書かれていたが現代中国人はフランス料理やワインは大好きだがチーズは敬遠するという
くさい遊牧民料理は中華思想では野蛮になるのか

平安貴族は中国からつたえられた甘いチーズケーキ状のものをべていたが中国でチーズはある時点で豆腐にかわり、チーズは忌避されるようになった

151: 世界@名無史さん 2021/03/30(火) 09:48:50.65 0
北魏の太武帝は長生きがしたくて熱心な道教の信者になった
太武帝が欲したのは難しい理論ではなく、食物をとらないでもつねに健康で、体が鶴のように軽く飛べるようになるという、超人的な能力を獲得したかったのだとか

中国の皇帝にはこういういかがわしい道士にだまされるというパターンが多いね

152: 世界@名無史さん 2021/03/30(火) 10:25:20.80 0
まあ、現代でも新興宗教にハマる人がいるんだからな
5世紀の中世人じゃ迷信に染まるのも仕方ない

155: 世界@名無史さん 2021/04/01(木) 00:01:02.82 0
ほぼ10年におよんだ永嘉の乱では大量の虐殺をともない、中原の人口は「百に一、二無し」と記録されている
八王の乱を合わせると、二十数年にわたった二度の動乱によって、ながく政治と文化の舞台だった中原の地は壊滅状態に陥った

この時代は庶民にとっては苛酷な時代だったんだろうな

164: 世界@名無史さん 2021/04/04(日) 07:23:23.70 0
>>155
それは中央政府の権力低下による課税人口の減少だからな
庶民は有力な豪族の庇護下に入って都まで労役や兵役を負担しなくてよくなったのだから
反って喜んでたのかもしれない

北魏の時代の話だが定州刺史の韓均が不課税者の摘発を行ったところ一気に十万戸も増えたという


196: 世界@名無史さん 2021/05/11(火) 10:05:12.68 0
前燕の人口は1000万ほどとWikiに書いてあった
一方三国時代の戸籍人口が三国全部合わせても1000万
総人口は推定でも2000万ほど
華中からの避難民と異民族混入度合いが多かったのかな

197: 世界@名無史さん 2021/05/11(火) 18:04:52.94 0
いや乱世の三国時代はまともな戸籍調査ができてない逃散した農民流民を補足できてないだけでは

199: 世界@名無史さん 2021/05/12(水) 11:15:50.00 0
>>197
それだけではない
もし流民を捕捉できてないだけだったら西晋の統一時にもっと増えてる

201: 世界@名無史さん 2021/05/12(水) 15:39:19.59 0
この時代の事について書いてある本を読むと「徙民」とか「流寓」といった普段聞き慣れない用語がよく出てくるな

202: 世界@名無史さん 2021/05/12(水) 18:55:01.88 0
八王の乱は中原地方を荒廃させ、自然災害と疫病も加わって農地は荒土となった
「百姓また寇賊に殺され、流屍は河に満ち、白骨は野を蔽う」と史書は惨状を記録している
生活の場を失った農民たちは安住の地を求めて流民となり、多くは開発途上の南方に移動したが、その数は約30万戸と推定されている
こうして一時、華北に真空地帯が出現すると、これを埋めるように、北辺の遊牧民が南下を始めた

203: 世界@名無史さん 2021/05/12(水) 19:08:06.92 0
前涼も初代が良い統治をしたから長安辺りから沢山移民が来たようだな

204: 世界@名無史さん 2021/05/12(水) 19:15:11.61 0
石勒の史伝を見ると何遍も同じ城を落としてる
そして地盤を固めるのが相当後になってから
これは占領地には略奪で一定時期だけ滞在出来たものの補給が維持出来ないから別の土地に移動してるように見える
おそらくは元の占領地は放棄してるのだろう
これが異民族の強さであり弱さのように見える

205: 世界@名無史さん 2021/05/12(水) 19:34:46.21 0
ただ全体的に三国時代や西晋時代より把握されている人口は上昇している

207: 世界@名無史さん 2021/05/12(水) 22:29:07.37 0
漢の時代の人口は、一桁まで把握されていた
当時の統計に、5959万4978人という数字があって、とても細かいが、そういう体制が維持できなくなったのだろう

引用元: ・五胡十六国から南北朝