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1: 世界@名無史さん 2020/08/14(金) 13:18:47.16 0
どんどん領土を奪われて隣国にやりたい放題されまくった








2: 世界@名無史さん 2020/08/14(金) 13:54:17.01 0
>>1
どんどん領土を広げて隣国にやりたい放題したその過去に起因する
必然的な結末であると申し上げられましょう。

3: 世界@名無史さん 2020/08/14(金) 14:07:48.10 0
でも唯一幸運だったことは、日本の徳川家のようにはいかなかったけど、オスマン家の最後のスルタンが新政府から国外への亡命を黙認してもらえたことだよな

だから、明朝の最後の皇帝やロマノフ朝の最後の皇帝ほどの悲惨な末路は辿らずに済んだ

5: 世界@名無史さん 2020/08/14(金) 17:19:57.85 0
>>3
売国奴呼ばわりされたにしてはまだ良かったな

6: 世界@名無史さん 2020/08/14(金) 19:23:11.85 O
オスマン帝国が調印させられた、セーブル条約のままだと本当に悲惨だった
現在のトルコ領域はケマル・アタチュルクのお陰
セーヴル条約は、第一次世界大戦後の1920年8月10日に連合国とオスマン帝国との間に締結された講和条約。オスマン帝国はこの条約によって広大な範囲の領土を失った。

条約を締結したメフメト6世率いるオスマン政府(イスタンブール政府)に対し、ムスタファ・ケマルが主導してアンカラに組織されたトルコ大国民議会(アンカラ政府)はこの条約に反対した。条約締結後に更なる領土の拡大をはかろうとしてギリシャがおこした希土戦争で勝利したアンカラ政府は、ソ連と単独に条約を結んだため、旧連合国は再び交渉の席につきローザンヌ条約を締結、現在のトルコ領が確定した。

セーヴル条約ではクルド人自治区の設置が謳われていたが、あらたに結ばれたローザンヌ条約で無効となり、居住の領域がイラク、トルコ、イラン、シリアの国境で分断されたクルド人の問題が引き起こされることとなった。

8: 世界@名無史さん 2020/08/14(金) 20:53:25.86 0
>>6
ほんとそれ
ムスタファ・ケマル・アタテュルクがいなかったら今のトルコの国土はほとんどなかったよ
てか国が滅んでいたかもしれない

10: 世界@名無史さん 2020/08/14(金) 22:59:54.46 0
独立を保ったとはいえ、他の全てを失ったトルコは、帝国主義(オスマン主義)から民族主義に乗り換えるという精神必勝法によって、誇りを維持しようとした

11: 世界@名無史さん 2020/08/14(金) 23:31:08.46 0
アラブもギリシア人もいなくなったからな

あれ・・・・クルド人が

12: 世界@名無史さん 2020/08/14(金) 23:51:41.56 0
トルコ政府いわく山岳トルコ人らしいぞ

13: 世界@名無史さん 2020/08/15(土) 23:13:11.90 0
実際は民族主義とイスラム主義と幻のオスマン主義のご都合ダブスタトリプルスタだろ
純トルコ民族主義を徹底すれば今の国土だって東半分はクルド独立国かクルド自治領

14: 世界@名無史さん 2020/08/16(日) 00:24:52.24 0
ギリシャ人とアルメニア人はとっくに叩き出されたの?

44: 世界@名無史さん 2020/10/13(火) 07:02:47.54 0
>>14
オスマン帝国、青年トルコにより大虐殺されて何百万人も殺された
彼らがキリスト教だったのが原因

51: 世界@名無史さん 2021/03/18(木) 16:18:41.62 0
>>44
ギリシャとは住民交換をしたけど、それ以前に大量に殺してたのか...

16: 世界@名無史さん 2020/08/17(月) 15:45:58.24 0
ギリシャとトルコの住民交換では、言語や血統よりも「宗教」が判別の基準となった
トルコ語しか話せなくてもキリスト教徒なら「ギリシャ人」、ギリシャ語が母語でもムスリムなら「トルコ人」扱いだった

17: 世界@名無史さん 2020/08/18(火) 16:28:17.06 0
トルコ人の先祖はトルコ系遊牧民に征服されるとトルコ化したり
マケドニアに征服されるとギリシャ化したり
自らの言語や文化に愛着が弱い人々だったようだ
アルメニア人やクルド人はギリシャ化もトルコ化もしなかった

18: 世界@名無史さん 2020/08/18(火) 21:06:32.56 0
トルコ東部からアメリカに移民したアルメニア人作家ウイリアム・サローヤンは
「トルコで私が住んでいたアルメニア人の村の人たちは都合でよくキリスト教徒になったりイスラム教徒になったりしたものです」
と語っていた

31: 世界@名無史さん 2020/09/22(火) 17:13:18.78 0
バルカンに限らず東欧各地で国民国家ブームのようなものが起こっていて民族自立、独立がトレンドだった
カタキ役は多民族の大帝国で、ドイツ、ロシア、オーストリア・ハンガリー帝国、そしてオスマン帝国

19: 世界@名無史さん 2020/08/19(水) 19:55:03.15 0
日本では、お雇い外国人はあくまで「教師」であり、実際の活動の主体は日本人だった
すなわち一刻も早く西欧の技術を習得し、日本人が海軍軍人として、また技術者として自立することを目指していた
一方、オスマン海軍では、たしかに士官学校に何人かの外国人教官を招きはしたものの、彼らにとっての西欧技術の導入とは、そのまま外国製の軍艦や大砲を購入することであった
自国に技術的な裏付けがない以上、これらの操作にあたっては、外国人の技師や機関士に頼らざるをえなかった
その結果、いつまでも一人立ちできなかったのである

20: 世界@名無史さん 2020/08/20(木) 05:51:20.99 0
ギリシャに独立されるまでは、オスマン海軍はギリシア人がやっていた
民族的モザイク国家であるオスマン帝国は、職業ごとに得意な民族が担当していた
何百年もそうしてきたものを急に変えようとしても、うまくいかなくて当然なのだ
理屈で分かっていても、発想がついてこられない

45: 世界@名無史さん 2020/10/13(火) 07:05:41.59 0
>>20
教育改革されたキリスト教たちと違って、旧態依然のイスラム神学校では対抗できなかったんだよ
18世紀にはイスタンブールの企業の80%がキリスト教徒
これへの嫉妬がイスラム支配者がキリスト教徒を大虐殺しはじめた原因

46: 世界@名無史さん 2020/10/13(火) 09:14:00.48 0
>>45
バルカン戦争以降、キリスト教徒資本家を狙い撃ちした課税や、彼らに対するボイコット運動が起きたな
52: 世界@名無史さん 2021/07/08(木) 14:25:11.14 0
オスマン帝国末期には、イスタンブルの都大路には西洋式の馬車が行き交い、ターバンにトルコ服のオスマン官人にかわって、赤いトルコ帽にフロック・コートや洋式軍服のハイカラな官僚・軍人が闊歩し、新式上流階級の女性の中にも、洋装に薄いフェラッジェと呼ばれるヴェールをつけたハイカラさんが現れ始めた
この辺は明治日本と同じ

54: 世界@名無史さん 2021/07/08(木) 22:22:12.61 0
オスマン帝国では伝統的に、床に敷いた絨毯、キリムの上に座ったり、差布団上にあぐらや正座、あるいは片膝を立てて座っていた
食事もそこに食卓用の盆をおいてしつらえた食事用の席でとっていた

しかし末期には西洋式に、室内に椅子と机を置き、椅子式で暮らし、椅子で食事する生活様式をとる人々も現れ始めた

25: 世界@名無史さん 2020/09/21(月) 19:16:30.92 0
オスマン帝国の国家財政は18世紀から19世紀にかけて悪化の一途をたどった
領土の喪失、軍事費の増大、宮廷の奢侈、官僚制の腐敗、徴税請負制などによる税収の減少など、その要因をあげればきりがなく、これを立て直すことはもはや不可能と思われた
そして1854年、クリミア戦争の戦費をまかなう目的ではじめて外債に手を染めると、あとはなしくずし的に外国からの借款を繰り返した

41: 世界@名無史さん 2020/10/10(土) 18:46:42.20 0
露土戦争の結果結ばれたキュチュク・カイナルジャ条約で、オスマン帝国はアゾフと黒海北岸を失い、クリミア・ハン国の独立を認めることになったが、これがオスマン帝国の衰退の始まりとっていいのだろうか

一方、ロシアはピョートル大帝の夢である不凍港を手に入れた

42: 世界@名無史さん 2020/10/13(火) 06:22:24.34 0
>>41
いわゆる「東方問題」の始まりはキュチュク・カイナルジ条約になるな
そこから「ロシアの南下政策に押されるオスマン帝国」像が確立した

48: 世界@名無史さん 2020/10/13(火) 18:48:11.49 0
1838年にオスマン帝国はイギリスとバルタリマヌ条約を結んだ
この条約は、イギリスの産品がわずか3%の関税でオスマン領内にもたらされることを認めた不平等なもので、結果としてイギリスの工業製品の流入が進んだ
オスマン帝国はその後、ヨーロッパ各国と同様の不平等条約を結んでいる
また、この条約は宗主権下にあるエジプトにも適用され、エジプトにもきわめて不利な影響をおよぼした

引用元: ・オスマン帝国の末期って悲惨だよな