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1: 世界@名無史さん 2007/10/13(土) 11:38:38 0
ダストシュートとかガス以前のオーブンとかについて語りましょう。








4: 世界@名無史さん 2007/10/13(土) 11:57:38 0
ダスト・シュートとは高層建築物に設置するごみ棄て装置。
各階で投入されたごみはチューブを通して下に集積される。

日本においては昭和30年代まで公団住宅などの高層の集合住宅に設置されたが、ビルの高層化やゴミ問題の可視化に伴って廃止されるようになった。
欧米においてはまだ使われていることが多い。

「ダスト・シュート」自体は和製英語であり、英語では"Garbage chute"または"Rubbish chute"という。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%88

5: 世界@名無史さん 2007/10/13(土) 12:00:33 0
Republic of Yemen / al-Jumhuriya al-Yamaniya》シバーム旧市街

一般的に台所は3階あたり、便所は5階(住居部分)くらいにつくられている。
投入された汚物やゴミは、dust chute を通じて、1階(外)に集積される仕組みになっている。
http://sekitori.web.infoseek.co.jp/Houses/ie_ye_shibam_old_dust.html

6: 世界@名無史さん 2007/10/13(土) 12:08:14 0
パリでも、18世紀からアパルトマンが存在した

10: 世界@名無史さん 2007/10/13(土) 23:24:52 0
19世紀のアパートというと、通路両側の窓から敷かれた
洗濯物干し用の綱を連想する

11: 世界@名無史さん 2007/10/13(土) 23:35:24 0
>>10
窓から窓に橋渡しされた綱ね
そこに、万国旗のように、洗濯物をずらりと吊るす
ナポリの旧市街のアパートのように

18: 世界@名無史さん 2007/10/15(月) 02:56:34 0
今のフランスでは>>11のように外で干すのはたしか禁止されていたと思うが、いつから景観を気にするようになったのかねぇ

19: 世界@名無史さん 2007/10/15(月) 22:40:55 0
>>18
第二次大戦後?

20: 世界@名無史さん 2007/10/16(火) 00:09:54 0
オスマンのパリ改造の時は?

21: 世界@名無史さん 2007/10/16(火) 03:07:45 0
パリ改造の時、確かデザイン規制は導入してるな。

22: 世界@名無史さん 2007/10/16(火) 10:04:36 0
オスマン知事の功績か
そういや建築家だったな

欧州の建築家は、美術的文化的知識やセンスも要求されるからな
おまけに、最初から志していた学生ほど脱落しやすい。
幅広い視野と能力が要求されるのだって

23: 世界@名無史さん 2007/10/16(火) 20:43:40 0
バルセロナの建築家ガウディも、アパートを建築している
きのこみたいな形状

16: 世界@名無史さん 2007/10/14(日) 17:04:44 0
世紀末ウィーンではすっげえ人口がふくらんで増築につぐ増築で危ないことになってたって聞いた
あとパリでは(改造前?)「水に注意!」っていって、集合住宅の高いとこから汚物投げたりしてた。排水設備が整ってなかったから

17: 世界@名無史さん 2007/10/15(月) 00:05:23 0
>>16
結構無計画なミニ開発してたんだね
建築基準の規制強化は、いつごろから法制化されたの?

26: 世界@名無史さん 2007/10/16(火) 22:47:42 0
>>17
フランスでは17世紀から、家並みの正面を合わせる、高さをそろえるといった法律があった。

25: 世界@名無史さん 2007/10/16(火) 22:30:19 0
古代ローマの集合住宅は、上の階になるほど家賃が安かった。
今のように上の階の方が高級、と見なされるようになったのはいつごろなんだろ?エレベーターの出現から?

26: 世界@名無史さん 2007/10/16(火) 22:47:42 0
>>25
19世紀のパリのアパルトマンも上の階には貧乏人が住んでいたな。
やっぱり摩天楼とエレベーターが出現してからなのでは。

45: 世界@名無史さん 2007/10/22(月) 02:20:43 0
>>25
エレベータの出現からだろうね。

ただ、パリでは未だに表通りに面した1階(日本の2階)も高級物件向きフロアと見做されてるね。
古めで地区もそれなり、ワンフロアの面積がとれる建物に限るんだろうけど。
昔の名残なのかなあ。

上層階でも、表通り向きでエレ到達最上階、広い間取りならお金持ち向きでしょうね。

1階やエレ有り最上階でも使用人専用の入り口&廊下、階段&エレベータを使う部屋や、元々小さめの間取りしかないアパルトマンなんかはその限りではないですが。

27: 世界@名無史さん 2007/10/16(火) 23:00:59 0
http://a-parisnotomodachi.com/marc-kangae/index.html
「屋根裏部屋」という言葉をお聞きになったことはありませんか。
パリには一軒家はほとんどなく、7階、8階建ての建物が道の両側にずらりと並んでいます。その最上階は「女中部屋」とか「屋根裏部屋」と呼ばれています。これはそもそもは、同じ建物の中にあるお金持ちの使用人の住まいでした。
彼らは日中は階下の雇い主の屋敷で働き、夜になると自分に割り当てられた屋根裏部屋で休んだのです。ですからこれは単に寝るだけの部屋で、台所やシャワーはありませんでした。
彼らは雇い主のところで食事をしましたし、そもそも19世紀後半までフランスでは入浴の習慣が定着しておらず、ちょっとしたお金持の家に も入浴の施設などなかったのです。
パリでは建物を壊して建て替えることはめったにありませんので、今でも19世紀以前に建てられた屋根裏部屋つきの建物が多いのです。
20世紀に入るとこれらの部屋は改装され、学生や画家の卵の経済的な下宿として使われるようになっていきます。さらに近年では、家賃が安いために、経済的にあまり豊かではないフランス人や、マグレブ(フランスがかつて植民地としていた北アフリカ各国)出身の人たちの住まいともなっています。

28: 世界@名無史さん 2007/10/16(火) 23:02:22 0
もしあなたが、昔ながらの「屋根裏部屋」住まいを体験したいと思っているのなら、それもいいでしょう。でも、もし清潔で快適、そして安全な生活を求めるなら、注意してください。
インターネットで、現物を見もしないで「屋根裏部屋」を予約するのは危険です。現地でびっくりするような目に遭いかねません。
予約した部屋に行ってみたら、建物の最上階でエレベーターはなし。
お手洗いは階に一つで他の人と共同使用。
手入れはされておらず、台所はおかざりみたいなもの。
湯船がないのは我慢するにしても、シャワー水の出が極めて悪い。
例えば髪の毛を洗ったら、体を洗う分の水はもうない、といった具合です。
たしかに家賃は安いけれども、代償は大きく、いろんな智恵がないと暮らしていけません。

38: 世界@名無史さん 2007/10/19(金) 22:20:26 0
パリの冬を屋根裏部屋で住むのは、厳しいだろうな
一人住まいでないケースなんて、本当にあったのでしょうか?

グリゼット=お針子も、たいてい屋根裏ではなかったと思いますが・・
画家セザンヌの奥さんも、元グリゼットだっけ?

40: Ryuju ◆RlujhF6VrA 2007/10/20(土) 19:41:13 0
賃貸である以上、大家みたいな人がいたんだろうけど、どんな人だったんだろうか?
同じ建物の一角に住んでたのか、別宅持ってたのか。

41: 世界@名無史さん 2007/10/20(土) 20:00:47 0
>>40
ユーゴーのレ・ミゼラブルでは、廃屋に近いボロ家屋なら、家主が管理人もしていたな
普通のアパートなら、家主は別宅でしょ

43: 世界@名無史さん 2007/10/21(日) 14:05:07 0
>>40
アパルトマンの類型の一つに、貴族など上流富裕層の邸宅の楼門部分が肥大化して、賃貸住居として貸し出されるというものがあります。
プルーストの実家もかなり裕福な家庭でしたが、住まいはそのようなアパルトマンではなかったでしょうか。
あるいは、彼の小説の登場人物がそうだったかも知れませんが。

19世紀パリのアパルトマンの面白さの一つは、当時のカリカチュアにも描かれているように、階によって、住人の社会階層が見事に分かれていることですね。

44: 世界@名無史さん 2007/10/22(月) 00:19:44 0
水道・電気・ガスが使われるようになったのはいつごろ?
その前は水とか燃料とかどうしてたんでしょう。
上階へ運ぶのは大変ですよね。

46: 世界@名無史さん 2007/10/22(月) 19:47:11 0
>>44
「マナーハウス」見てたら、なんか1904年?にたてられたお屋敷でも、ガスじゃなくて石炭だかマキだかでコンロの火をおこしてた。
集合住宅もそれだったのかも。
うろおぼえだが、石炭を集合住宅の上の階の部屋に持ってく屈強な男達の仕事ってなかったっけ?
「パリのカフェ」みたいな本で、そういう描写を読んだような。

48: 世界@名無史さん 2007/10/23(火) 03:07:21 0
>>46
19世紀も後半になると、エレベータが導入されます。
もっとも、一部の高級アパートに限った話ですが。
エレベータが導入されても、2階(中2階をカウントすれば3階)に最も豪華な住戸を置くというしきたりは、その後も長く続きます。

65: 世界@名無史さん 2007/10/28(日) 18:08:40 0
ドラマの方の名探偵ポアロでポアロが住んでたホワイトヘブンという集合住宅、ダストシューターがついてて驚いた。第二次大戦前だと思うが、なにげにダストシューターは歴史があったらしい。欧州ではね。日本じゃ普及しなかった。

66: 世界@名無史さん 2007/10/29(月) 21:12:44 0
>>65
欧州って、戦後でも80年代まで、家電の部品の個人売買あるような、庶民は中古品使ってるリサイクル社会のイメージあるけど

74: 世界@名無史さん 2007/10/31(水) 01:51:49 0
北欧のコーポレイティブなんかだと、ダストシュートで集めた可燃ゴミを全館暖房のためのボイラーの燃料に使っているところがあるね。

88: 世界@名無史さん 2007/11/03(土) 19:26:20 0
http://kaitekido.exblog.jp/4577724/
1852年に建設された「ナポレオン共同住宅」は、清潔で換気の行き届いた200世帯用の低家賃住宅からなる、巨大な団地だった。ここには、母親が働いているあいだ子どもを預かる託児室まで備わっていた。
また翌年には、ナポレオン三世は自らの内帑金40万フランを提供して、パリの最貧地区にモデル浴場・洗濯場を建設した。
さらに1860年には、労働者用リハビリ施設も開設する。
ナポレオン三世は、労働者にとって工場や建設現場は戦場に等しいのだから、そこで負傷を負った人々には、国家がその生活を保障する施設を建設すべきだと考えたのだ。

112: 世界@名無史さん 2007/11/22(木) 20:27:07 0
>>88
>ここには、母親が働いているあいだ子どもを預かる託児室まで備わっていた。
>ナポレオン三世は自らの内帑金40万フランを提供して、パリの最貧地区にモデル浴場・洗濯場を建設した。


ミゼラブルな未婚の母ファンティーヌさんも、皇帝の恩恵に預かれれば、コゼットを鬼畜な宿屋に預けたりしていないよ
作家ユーゴーと違って、皇帝は実践者でした

113: 世界@名無史さん 2007/11/23(金) 00:55:26 0
>>112
「鬼畜な宿屋」ってファンテーヌは事実を知らなかったじゃん。
仕事をやめさせられるまではきちんと送金してたし、テナルディエのウソ八百な手紙を信じて、ちゃんと面倒見てもらってると思ってた。

114: 世界@名無史さん 2007/11/23(金) 10:02:12 0
>>113
だから、託児所に預けて働ければそうしてたの
19世紀前半には、子連れの寡婦には、働き口がなかったの
だから、里子に出した

89: 世界@名無史さん 2007/11/03(土) 19:27:43 0
http://nexsight.exblog.jp/6337440/
最近、別のTV番組で知ったことだが、パリではナポレオン帝政時代に、パリ大改造が実施され、建物を建てるときは、

1.アパルトマンの3階は建物の重要な部分で、決められたサイズのバルコニーを作ること
2.屋根裏部屋の屋根の傾斜は45度
3.新たに建物を建築する時は、隣の建物と並行に作ること(でっぱらないこと)

などが、条令として決められ、今も守られているという。

90: 世界@名無史さん 2007/11/03(土) 19:31:16 0
パリのカフェとオーヴェルニュ人
http://auvergne3france.blog7.fc2.com/blog-entry-69.html
水運び屋には2種類ありました。800から1200リットルもの水を馬車に引かせて運ぶもの・・・これは給水所の自由利用権を買えるごく一部の者だけができたこと。ほとんどの運び屋は、公共の水汲み場に列をなし順番を待って、十数リットルの水を2つの桶に入れて両肩にかけた天秤棒で担いで運ぶというものでした。
それをアパルトマンの上階まで運んだのです。
「水や~!み~ず、みず~」(A l'eau ! ou ai !, ou Oai !)と売り声をかけながら。(aiというのは「水」という言葉の方言を短縮して言ったものではないか、という義家族の推測です。)一回の手間賃は3スー(15サンチームくらい)、クリスマスにははずんだボーナスをくれる客もいました。

91: 世界@名無史さん 2007/11/03(土) 19:32:13 0
けれども19世紀半ばオスマン男爵がパリ大改造を始めたため、水道施設が各家に行き渡るようになります。
あわや失業か・・・しかしここでくじけるオーヴェルニュ人ではありません。
より裕福な客層のために、入浴のためのお湯を運ぶことにするのです!
バスタブとお湯を載せた荷台を客の家の前に止めると、まずバスタブを運び、続いて素早くお湯を運び、今度は中庭の水道の蛇口まで水を探しに行きます。
そして、客人(特に女性が多かった)が体を洗っている間はアパルトマンへの入室は禁じられていましたので、暗い(かどうかは想像ですが)階段の踊り場で終わるのを待っていたのです。体を洗い終わった後のバスタブの中の水は中庭に捨て、バスタブをまた荷台に積み戻すまで、一滴の水も床に落としてはなりませんでした。

92: 世界@名無史さん 2007/11/03(土) 19:34:52 0
この水運び屋も、冬は需要が少なくなります。そこで取って代わってきたのは冬に需要の多い炭売りでした。
(中略)
水運びの男達は、 妻帯者のほとんどは妻子を故郷に置いてやって来ているわけでしたが、宿の狭い一部屋に3,4台のベッドを入れて一人月約6フランの家賃でむさくるしい合宿暮らしをしていました。そこに女たちが掃除、洗濯、料理のために故郷からやって来ると、男達に負けず劣らず働き者のオーヴェルニュ女、水運びも手伝い、また炭の店番もする様になりました。
男達が配達に出かけている間、店ではついでに野菜や果物も売っていたようです。
配達は50kgもの炭を水と同じように階上まで運ぶのでしたが、雨の日には濡れた袋の重みはさらに増しました。
当時彼らは他にも、街灯の火を灯す仕事をして稼いでいました。1日1時間位と決まっていましたから、少なくても定額の収入になったのです。

98: 世界@名無史さん 2007/11/16(金) 20:26:11 0
チェコのプラハで先週まで一年間、1890年代に立てられた集合住宅(フラット)に住んでました。
どのフラットもエレベーター取り付けが一番大変みたいですね・・・。
日本風にいうと5階建ての4階に住んでましたが、水を持ってあがるのは重かった・・・。
昔の人は偉いよ、ほんと。

99: 世界@名無史さん 2007/11/16(金) 20:57:20 0
>>98
腕力つくでしょうね

100: 世界@名無史さん 2007/11/16(金) 21:21:36 0
>>99
私の住んでいたところにはエレベーターがついてなかったので、安売りしていた1.5Lの水、4本をスーパーで買って帰ったとき、大変でした。

101: 世界@名無史さん 2007/11/19(月) 07:49:57 0
>>98
う、羨ましい!
水道がついていなかったんですか!?
と思いましたが、飲料用のお水を買われたってことですね、きっと。

102: 世界@名無史さん 2007/11/20(火) 02:46:54 0
>>101
そりゃそうでしょ。
パリ(パリに限ったことではないけど)の水道水は、飲用に適しているとは言い難いですからね。

106: 世界@名無史さん 2007/11/20(火) 19:38:13 0
ウィーンの水は飲めるらしいお。
だからカフェで水がただで出てくるとか。

113: 世界@名無史さん 2007/11/23(金) 00:55:26 0
>>106
ウィーンの水道水はチロルの山の水を引いてるから飲める。
19世紀に上水道が出来た。

107: 世界@名無史さん 2007/11/20(火) 19:42:10 0
19世紀の北欧やオランダの集合住宅は、夜間、多数のハマダラカに刺されまくるようなひどい住宅だったらしい。
下記文献では、集合住宅とはいってないが、金持ちではなく、貧乏人が多数住んでいた集合住宅のことであると考えた方が、自然だろう。

『国立感染症研究所部長 倉根 一郎
マラリアの流行には、とくに住宅構造が関係し、現在の住宅構造を考えると、毎晩、多数の蚊に刺される可能性はほとんど考えられません。

岡山大学医歯薬総合研究科特任教授 竹田 美文
マラリアは19世紀に北欧で大流行したことがあります。
現在の北欧でマラリアが発生していないのは蚊対策ができたからで、温暖化によって流行するというわけではありません。』
http://www.healthist.jp/news/185_01/01_04.html

『北欧スウェーデンでは、1880年頃まで毎年4000-8000人のマラリア患者が出ていたし、オランダでも多かったという。』
http://www.tm.nagasaki-u.ac.jp/society/jstm/29-3.pdf

146: 世界@名無史さん 2007/12/11(火) 04:12:19 0
19世紀の集合住宅っていったらback-to-back-houseとかしか思いつかないなぁ
イギリスは1890年だかに住宅法とか制定してたけど結局人口流入に勝てなかったのかな。
1900年くらいのルポでイーストエンドについて取材してるのあるし。
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バック・トゥ・バック住宅
は、18世紀後半から20世紀初頭にかけて多様な形で建てられたイギリスの連棟住宅(テラスハウス)の一形態である。
何千ものこれらの居住施設は、産業革命において、拡大する工場の町の急速な人口増加(都市化)のために建てられた。バック・トゥ・バックス(背割り長屋)は、仕切り壁で4面のうち3面を共有し、正面の壁には扉と窓だけであった。

147: 世界@名無史さん 2007/12/15(土) 21:18:19 0
>>146
パリに比べれば、戦後になるまでロンドンは、都市再開発の面で、無計画だったような

148: 世界@名無史さん 2007/12/16(日) 02:07:47 0
ロンドンは、既に17世紀の昔に再開発済みだったからね。

155: 世界@名無史さん 2008/01/04(金) 16:36:15 0
>>148
ロンドン大火でね
すべて石造建築にになった

149: 世界@名無史さん 2007/12/16(日) 04:27:36 0
ロンドンは都市改良委員会が1780年代にも大規模な改良してたよ。
それが東貧西富を生み出したとかなんとか。

158: 世界@名無史さん 2008/01/13(日) 18:20:36 0
このまえフィレンツェ旅行にいったとき、街の建物の窓と窓の間の距離とかが均一だったので「お? 同じ間取りの部屋がいっぱいある集合住宅か?」と思った。

が、それにしちゃそういう建物ばっかり目につく。
しかも建物古い。そんな昔に集合住宅あったのか? と思い、ちょっと謎だった。

159: 世界@名無史さん 2008/01/13(日) 21:38:05 0
>>158
一つの集落で、変わった建物建てちゃ駄目だったんでしょ
長屋みたいに平屋の集合住宅は、古代からあったと思う
イスラム圏のカスバもそうだ

160: 世界@名無史さん 2008/01/14(月) 00:20:24 0
窓を均等に配置するのは、古典主義様式の定石中の定石。
現代の超高層ビルが、おしなべてガラスのカーテンウォールに覆われているのと同じく、一つのルールと見ればよい。
初めから集合住宅として建てられたものもあれば、一軒の屋敷が複数世帯に住み分けられるようになったものもある。
また、オフィスに転用されたものもある。
重層型集合住宅は古代ローマ時代からあった。
ローマ時代に比べたら、ルネサンス時代なんてつい最近のこと。
疑問に思うまでもなかろう。

164: 世界@名無史さん 2008/01/28(月) 00:29:34 0
古代ローマの区画がそのまま残っていたりして、近代化、自動車の登場で、どうするかで都市の構造が分かれたんだろうな

165: 世界@名無史さん 2008/01/31(木) 19:28:52 0
「街並みの美学」とか嫁

引用元: ・19世紀ヨーロッパの集合住宅について