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1: 人間七七四年 2019/12/28(土) 15:49:13.47 ID:FnFiN2JC
信長の前に中央に政権を築いた三好長慶。

しかし十河一存、三好実休、三好義興、安宅冬康と兄弟・子息を立て続けに失い、自分も病死して政権は崩壊同然になった。

もし、長慶と兄弟子息が生きていたなら、信長は畿内に進出できたのであろうか。








4: 人間七七四年 2019/12/29(日) 07:45:27.66 ID:+pbBPqdH
松永兄弟と三好一族で内部闘争

5: 人間七七四年 2019/12/29(日) 12:06:18.23 ID:KM0EmhN+
難敵は朝倉義景だろうけど加賀門徒と越前を挟撃したかも
対毛利は大友・河野・赤松で包囲して山名・別所・内藤で赤井を封じ込めてその先は羽柴秀吉のような天下一統のビジョンがあるかだけ

6: 人間七七四年 2019/12/29(日) 12:25:05.83 ID:+E2btfKb
>>5
朝倉がそんなに問題になるかな?

9: 人間七七四年 2019/12/29(日) 14:30:22.68 ID:KM0EmhN+
>>6
若狭を巡って内藤宗勝と合戦したけど
本願寺の仲介で和睦するかもね

河野は史実で三好と結んでいたし土佐は元々細川領国なので畿内で三好の覇権が確定すれば四国全土も早々に三好になびきそう
毛利は貧乏なので富裕な三好と敵対できるとは思えない

10: 人間七七四年 2019/12/29(日) 17:49:18.59 ID:fczLrpIu
長慶が阿波公方を上洛させることはまあ無いだろうから長く続いた上洛合戦はこれで打ち止め
諸悪の根源だった管領も三好が力で押さつけて中央の政治腐敗は改善
あとは義輝が全国津々浦々で調停して平和に
はい戦国時代終了、室町幕府は千年続きましたとさ

82: 人間七七四年 2020/05/29(金) 11:48:37.51 ID:G1iiYufm
三好一族は主君細川を下克上で討つわ、将軍義輝を殺害するわ、将軍義昭を襲撃するわで、逆賊、大悪党じゃないか?
当時は新聞やラジオ、テレビ、インターネットがない時代だから世間の評判なんてものは当人たちの耳には届かないけど、当時の公家や他の大名や庶民たちからは三好一族はどんな評判だったのだろうか?
天下の大悪党?逆賊?
戦国時代はこんなのは当たり前だから特に問題なしなのかな?

83: 人間七七四年 2020/05/29(金) 12:00:27.78 ID:R/rUf/c4
細川との揉めは細川との確執や国衆問題もあって畿内国衆はある程度わかってる
義輝殺害も当時の公家の記述に将軍が謀反したため、と書かれてたりかなり三好寄り
ただ地方の方はわりかし将軍が死んだのはショッキングな出来事だったようである
って感じ

うわべだけを見ず、なぜ揉めたのかとかまで見た方がわかりやすいんじゃないかな

84: 人間七七四年 2020/05/30(土) 11:21:28.46 ID:m689B1PK
>>83
将軍が謀反ってのがおかしい
謀反は家臣が主君にそむいて兵をおこすことだから
将軍に力が無くお飾りのような存在だったにせよ、主君は将軍で家臣は三好でしょ
鎌倉幕府も室町幕府も将軍が殺されたり追放されたりして、将軍の存在意義が無いな

85: 人間七七四年 2020/05/30(土) 12:00:54.76 ID:oPDsstfV
それを俺に言われても困る
当時の公家に主上ご謀反って書かれてるし

天皇だろうと当時の実力者に対しての反逆は謀反とみなされるのはいくらかあるし

86: 人間七七四年 2020/05/30(土) 13:28:00.99 ID:uo+gq1Us
信長公記にも書かれてるからな
当時の人の認識が伺える

87: 人間七七四年 2020/05/30(土) 15:47:12.99 ID:4AWv9Axu
弘治改元の朝廷への費用負担を義輝が怠っていてさらに辛酉、甲子の年は慣習で必ず改元しないといけないがそれも義輝が費用を捻出できず怠った
永禄改元後は朝廷からの知らせもないほど完全に無視されているので朝廷と公家は義輝に代わって費用負担したと見られる三好を支持してたのは明らかだよ
ちなみに義輝は改元を知っても永禄の元号を使わなかったんでこれは天皇の権威に服さないのと同様と見なされる

88: 人間七七四年 2020/05/30(土) 16:09:10.28 ID:oPDsstfV
主君であるのはその義務を果たしてこそな訳で
それが果たせてないとみなされた場合は世間でも扱い雑よね

89: 人間七七四年 2020/05/30(土) 17:07:42.67 ID:Pl3+QoaC
三好長慶って麒麟がくるでも凄い悪人っぽく描かれてるけど、地元民からは尊敬されてるって話も聞いたことがある。
良い評価とかも結構されてたりするの?

90: 人間七七四年 2020/05/30(土) 17:32:11.00 ID:oPDsstfV
天野先生の研究とか読んだらいいんじゃないかな
少なくとも単純な悪人像を思い描く人は研究読んだ人では結構少ない

というか麒麟が来るのあれも別に悪人のように描いたわけではなかろうよ

94: 人間七七四年 2020/06/02(火) 00:47:40.98 ID:D2JPB8cX
仕方なく長慶が悪役させられてるけど実際は義輝の方が暗殺しかけたり反三好扇動したり裏で色々あくどい事してる

95: 人間七七四年 2020/06/02(火) 22:15:31.89 ID:Pi4FUB87
実際には長慶ってどういう人だったん?

98: 人間七七四年 2020/06/04(木) 10:32:02.96 ID:ou0EOn7s
>>95
代替わり後は文化人としての名声も高いから相当賢かったと思うよ

97: 人間七七四年 2020/06/03(水) 19:15:34.79 ID:04Q6LPOY
細川藤孝が模範にするくらい姿勢が良かった

99: 人間七七四年 2020/06/04(木) 12:03:46.38 ID:hwxoLGDG
子供が亡くなって、やる気を失った人

109: 人間七七四年 2020/06/16(火) 18:19:00.79 ID:zfHc/7l8
三好長慶は天下を治めるべく帝王学を叩き込まれた麒麟児だよね
義興も同様に教育されてたろうから両者の早すぎる死がなければどんな世の中になっていたか興味深いよね

111: 人間七七四年 2020/06/16(火) 21:49:03.31 ID:4t0tlko2
長慶がしばらく元気で生きていれば将軍義輝の殺害はなかっただろうね
そうなると信長の上洛も将軍義昭もなく歴史は大きく変わっていただろうな

112: 人間七七四年 2020/06/16(火) 23:26:45.58 ID:7rVgdNMK
>>111
その場合、義輝が暴走しかねん。
義輝が織田や浅井らに上洛命令だしかねんし、嫌でも反三好戦争が起きそう。

113: 人間七七四年 2020/06/17(水) 00:22:20.38 ID:tkhH+VWd
>>112
三好家と織田家は守護代家同士で早くから誼を通じてるからそれはないかと
大友は毛利と鍔迫り合いで東進する余裕はない

118: 人間七七四年 2020/06/17(水) 06:31:30.25 ID:6WfHSGe2
>>113
三好と織田が通じていた事実なんてないぞ。
大友? 何で大友が出てくるのかな?

128: 人間七七四年 2020/06/18(木) 02:33:15.62 ID:4521Hn9s
>>118
取次を介して互いにやりとりしてるしその史料も残ってたはず
でないと永禄2年に500の軍勢率いて上洛したり堺を訪問できるわけないじゃん
堺は三好の軍事拠点にして本拠地だよ

最も幕府の権威を当てにして義輝に献金してたのが大友義鎮でしょ

119: 人間七七四年 2020/06/17(水) 13:45:41.47 ID:Dvt7GXFM
まあ信長が義輝担いで上洛戦やるのは十分あり得るな
濃尾北伊勢に浅井の軍勢加えたら三好の倍くらい兵力あるだろうし

120: 人間七七四年 2020/06/17(水) 18:24:48.25 ID:8AxmVS5X
>>119
長慶が政長を攻め滅ぼしたとき勝手に晴元が義輝を巻き込んで逃亡しただけで、長慶に将軍家と敵対する意思はなかったじゃん
義輝不在時に代わりの将軍を立てなかったことが何よりの証明だし

それにプライドが高く猜疑心の強い義輝がわざわざ素性の知れない信長のところまで行くと思うか?

121: 人間七七四年 2020/06/17(水) 19:43:22.54 ID:cssTClV9
>>120
素性の知れない信長と1559年に会見してるだろ。それと長慶の手足になる兄弟が死んでるなら長慶に往時の判断力はないだろう。

123: 人間七七四年 2020/06/17(水) 22:44:12.08 ID:sZPmrug9
当時の状況考えれば信長のところに行くくらいなら六角とか斎藤のところに行くだろ普通

135: 人間七七四年 2020/06/19(金) 15:55:00.22 ID:Fo92cJEv
紀伊と丹波に爆弾抱えていたからどのみち長く続かなかったろうな
丹波方面の戦いだとそのうち朝倉が介入してくるだろうし

136: 人間七七四年 2020/06/19(金) 17:35:12.30 ID:sInrDnxo
>>135
朝倉が丹波まで長駆行ける能力はないだろ。
若狭ですら手に余ってたのに。

141: 人間七七四年 2020/06/19(金) 21:09:27.90 ID:cqmHR9Un
>>136
朝倉義景の叔父は越前波多野氏の養子に入ってるぐらい関係深いよ
その関係もあって波多野宗高は越前に朝倉氏の支援に赴く途中で討たれてる
波多野氏から兵が出せるという事はまたその逆だって可能と言えば可能

137: 人間七七四年 2020/06/19(金) 17:35:52.74 ID:B/oOF0Il
朝倉は加賀一向一揆がいるから本格的な上洛戦は無理だよ
三好長慶は本願寺の荘園の代官をしてるくらい法主との関係が良好だからね

138: 人間七七四年 2020/06/19(金) 17:47:42.71 ID:sInrDnxo
>>137
仲が良かった割には、長慶が死んで織田が上洛したらあっさり鞍替えしたな本願寺。最初から三好と組んで抵抗したら良かったのに。

139: 人間七七四年 2020/06/19(金) 19:56:30.48 ID:9kL0hD1v
>>138
あれは信長というより義昭に挨拶しに行ったんだろうね
最近は信長公記が織田信長寄りにバイアスかかってるという研究も出てきていて信長公記を元にすると辻褄合わないことが結構指摘されてる

140: 人間七七四年 2020/06/19(金) 20:54:19.58 ID:kcjhdq12
義昭に挨拶しに行った時点で「信長寄りです」って表明したも同じだろう。
まさか義昭に挨拶して信長に挨拶したわけじゃないんだからねッ! って言うのは通用しないと思うぞ。信長は義昭の事実上の後見人なんだから。地位や官位はどうあれ。

144: 人間七七四年 2020/06/19(金) 21:52:01.34 ID:9kL0hD1v
>>140
ところが信長上洛直後の京都より西側は松永久秀
おまえはもう信長公記の虜だな

147: 人間七七四年 2020/06/19(金) 23:23:52.37 ID:kcjhdq12
>>144
>ところが信長上洛直後の京都より西側は松永久秀

なんじゃこれ?
松永久秀は当時大和だからどう考えても西側はあり得んよな?
河内若江に三好義継、高屋に康長、摂津有岡に池田、それに三人衆とかのはずなんだが……。
大和っていつから京都より西側になった?

152: 人間七七四年 2020/06/20(土) 04:22:24.62 ID:JOCXsrh0
>>147
三好三人衆や篠原長房の京都への東進を全て引き受けたのは松永久秀だよ
信長と足利義昭の上洛に合わせて村上武吉や毛利元就との連携を取り次いだのも松永久秀
信長の上洛時に三好の抵抗がほとんどなかったのは三好の軍勢が大和から備前にかけて兵力が分散されてしまったため
その兵力分散させたのが松永久秀
確かに松永久秀は大和を領地としてるが三好長慶の部下としては摂津が領地だった時が長くて三好政権下で畿内一帯及び隣国の西国大名との取次をしていた関係で顔が利く
もちろん堺も
そもそも信長公記の記述だけを信じて信長の軍事力だけで上洛戦が完結したと考える方が無理あると思わないかい?

153: 人間七七四年 2020/06/20(土) 16:13:34.69 ID:4UcefqLA
天野氏が言ってた織田政権はあくまで織田・松永(三好)・足利の同盟連合政権であったり、当時の松永は決して織田から家臣扱いされるほど影響力が低くないって話かー
言わんとしたことがわかってとてもすっきりした

154: 人間七七四年 2020/06/20(土) 16:48:12.18 ID:JmX1+1xM
連合政権って言うけど、例えば細川政元や三好長慶の場合、前政権との連合政権だったかな?
政元の場合は、日野富子と伊勢氏の力が必要だったから、まあ連合政権といえる。日野富子が死んで解消ってところか?
長慶の場合は、氏綱をどうしても必要としたから、三好、細川連合政権。
信長の場合、久秀が必要かな?
義昭と昭元を抑えてるし、当時の松永って筒井や三人衆に押されるくらい弱体化してたはずだが。

155: 人間七七四年 2020/06/20(土) 18:08:55.06 ID:4UcefqLA
実際最終的には筒井との関係とか考えないで松永キレさせて攻めてるけどそれはともかく、畿内に顔が利いてしかも幕府の要人としてノウハウもあるっていう部分は充分に必要になる要素じゃない?

義昭は顔が利くとは言い難いし昭元は信長上洛時で20いくかいかないかくらいだっけ?

161: 人間七七四年 2020/06/21(日) 14:56:58.66 ID:LwxN9j8f
>>155
上洛当時畿内に織田の勢力基盤存在してないしね。
幕臣の領地戻してやったくらいしかしてない。
松永を敵にすれば、簡単には潰せないでしょう。

157: 人間七七四年 2020/06/20(土) 20:34:30.98 ID:c9N4udvi
織田政権の当初は京都と幕府御料地は義昭、大和は松永、河内は南北を三好義継と畠山、摂津は三守護で分割
畿内各地の自治都市は信長に恭順することで三好時代同様の都市特権を認められてたはず
畿内のほぼ全域を直接統治していた三好家よりもずーっと緩い支配体制だよ
だから度々三好の反抗でぐちゃぐちゃになり、離反者が相次いで最後に明智光秀によって完全に瓦解するに至った

160: 人間七七四年 2020/06/21(日) 14:50:19.34 ID:LwxN9j8f
>>157
そういう事、畿内の殆んどは名目上は幕府の傘下に入っただけで、実質的に織田の従属同盟下に入った
だけでしかないね。
畿内の諸勢力が別孤に織田と同盟結んでる状態。
信長は上洛後にすぐに伊勢に戻ったりしてるし、尾張美濃伊勢の三ヶ国の完全平定が優先だったんでしょうね。
この辺を理解しないと大和の筒井や摂津の荒木の存在が理解できない事に成ります。

筒井は松永の宿敵で間接的に織田と抗戦してるし、荒木も摂津三守護の池田氏の婿で家老の立場から三守護全員倒して摂津一国の領主に成りあがった。
間接的に織田と抗戦してるんですがね。

158: 人間七七四年 2020/06/20(土) 21:25:15.72 ID:4sW4P40n
長慶とその兄弟がもう少し長生きしてたらなとは思う。
長慶ひとりではどうにもならないだろう。

引用元: ・三好長慶と一族が長生きしていたら?