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1: 人間七七四年 2011/09/23(金) 17:50:27.74 ID:Blwz8JaE
かなりのムリゲーだけど徳川・伊達と組んでたら可能性はあるんじゃないかな








188: 人間七七四年 2011/10/16(日) 10:33:04.01 ID:2JCAkX0u
徳川伊達を引きこんでやっとスタートラインだよな
長曽我部と一緒でスタートすらたどり着けなかったって事

194: 人間七七四年 2011/10/16(日) 19:52:01.13 ID:ABVVY/Sz
河越夜戦の時は山内上杉、扇谷上杉、古河公方など、関東の勢力全て敵に回して大勝利したのに何でこんなに劣化したのか・・

197: 人間七七四年 2011/10/16(日) 20:42:03.66 ID:tauknxb+
関東の勢力全て敵なのが河越夜戦
全国の勢力全て敵なのが小田原役

そりゃ早雲でも氏綱でも氏康でも無理だわ

202: 人間七七四年 2011/10/17(月) 13:19:18.26 ID:zW/dwsRo
秀吉本隊が到着したら風間の諜報活動実施
秀吉の本陣が把握出来次第、即座に夜襲
選りすぐりの精鋭5000と囮の決死隊20000で城を出撃
目指すは秀吉の首一つ
雑兵の首など獲らずにひたすらに秀吉だけを狙う

秀吉さえ討ち取れば残りの連中に戦意など無いので悠々凱旋

210: 人間七七四年 2011/10/19(水) 10:10:41.37 ID:n0LYD1N9
現代だからわかる事だが
伊達に期待するのが間違い

212: 人間七七四年 2011/10/19(水) 11:28:14.77 ID:SaNJSK/T
これほんと無理ゲーなので、西股総生氏などの考察の一つでもある箱根決戦ができたとしたら、どうかってたかかんがえるしかないんじゃないですか?
いわゆる山中城3日もてばってケースです。
氏直か他が主力を箱根に進出して二子山ないし屏風山に本陣を置き、箱根峠ないし芦ノ湖周辺で決戦。
ウィキによると山名城落城同日に鷹ノ巣砦を井伊が攻略してるので、3日間山中城が頑張れば、北条主力が展開を終え、先陣の徳川とぶつかるですよね。
箱根で時間稼ぎができればどうなるか?

213: 人間七七四年 2011/10/19(水) 12:50:35.81 ID:dtKtHBiT
いやだからそうさせないために山中城を無理攻めしたわけで

214: 人間七七四年 2011/10/19(水) 12:53:26.46 ID:SaNJSK/T
>>213
だからそこをイフで

216: 人間七七四年 2011/10/19(水) 14:09:28.92 ID:OElqSA2d
歴史家はここでひとつ、山中城がなぜあれほど短時間で陥落したのかをもっと真剣に考えるべきだ。
関東への最大の入口の東海道に鎮座しつつ首都小田原に近い山中城は言うまでもなく北条氏の最先端の築城技術が投入され数万の攻撃をも迎え撃つことを想定された戦略レベルの城だったはず。
そこに篭る兵力も十二分とは言わないまでも4~5千人。
攻め寄せる敵が精強にして大軍だったとはいえ数時間で落とされたことに対する疑問が思いの外少ないというのが驚かざるを得ない。

227: 人間七七四年 2011/10/20(木) 12:28:53.71 ID:7p62LSmA
>>216
当時の山中城守将でめぼしいのって誰かいる?

・松田康長→奉行人で戦闘タイプじゃないのに最前線に配置、城を枕に討ち死に。
・松田康郷→松田一族では珍しく武闘派だが、戦後結城秀康に仕えている辺り、早々に逃げたと思われる
・蔭山氏広→北条幻庵の孫婿。こいつも戦後に生存確認されているので逃げたと思われる。

229: 人間七七四年 2011/10/20(木) 12:46:04.50 ID:7p62LSmA
あー思い出した
北条氏勝が山中城の守将として入ってるんだよね。山中城名目上の総大将かな?
ただ、この人 山中城から落ち延びた時に「700騎」を率いて玉縄城へ逃走していて(毛利氏文書)、逃げた先の玉縄城でも戦闘らしい戦闘を行わず開城、以後は徳川勢の道案内役やってるんだ

他の諸将の動向からしても、圧倒的兵力の差の前に「堅城がどうとかそういうレベルじゃねーよ」ってなって、徹底抗戦なぞする気も失せてさっさと逃げたゆえの早期落城だったんじゃないのかね
まともに戦ったんなら逃げる大将に700騎って多過ぎるだろ

232: 人間七七四年 2011/10/20(木) 18:03:10.46 ID:TqVqgUfv
>>227
俺のご先祖様の間宮を無視するのは何でだ

233: 人間七七四年 2011/10/20(木) 19:01:22.12 ID:7p62LSmA
あー玉縄から派遣された間宮康俊もいたね。73歳で戦死。
でもこの人もどちらかというと武闘派ではなく官僚寄り、しかも上記のように高齢とまともに守る気がなかったんじゃないかと思える

234: 人間七七四年 2011/10/20(木) 19:25:33.79 ID:A1VEYxn+
でも女城主の城以外のほとんどの支城が落ちちゃったのによく小田原城は落ちなかったね
なんでも今ある立派な石垣や水堀は当時はなく、土塁と空堀だけだったらしいじゃん
ほかの城とどう違うっていうんだろ

237: 人間七七四年 2011/10/21(金) 00:24:57.02 ID:r7txd6tf
>>234
>女城主の城
え、どこの話です?
忍城の城主は氏長で、城代はのぼうさんだから違うからなあ・・・

238: 人間七七四年 2011/10/21(金) 01:08:36.00 ID:ga4ssuyd
普通に忍城のことだろ

239: 人間七七四年 2011/10/21(金) 09:33:58.02 ID:P+JG3Pfe
忍城にはのぼう様がいたから落ちなかったんだい。

小田原においで、総溝跡残ってるけどすごいよ。高さが半端ない。
あれを攻めるのは大変だと思う。

240: 人間七七四年 2011/10/21(金) 13:19:31.46 ID:enFQKzp7
むしろあれだけの規模の城がたった3ヶ月で開城に至ったのが驚き
やはりどんなに凄い城塞でも孤立無援化したら守りきれないものなんだな

250: 人間七七四年 2011/10/23(日) 13:50:17.48 ID:ZAssG72A
>>240
ていうより、いつの間にか関東方は遊びみたいな戦争しか出来ないようになってたから、負けたんじゃないの?

豊臣方からの再三の上洛(降伏)要請を蹴って、開戦を決行したのに事実上の無血開城じゃん?
小田家みたいな、何回負けても次のチャンスが来るなんてイクサに慣れ親しんだ結果、本物のムシャじゃない豊臣方の生真面目さに攻め滅ぼされたのが後北条方の現実じゃないの?

まあ、よりによって北条なんて名前を名乗ったことによる先祖の祟りかもしれんがw

242: 人間七七四年 2011/10/21(金) 16:30:33.24 ID:CFDsc5ml
後詰がなくても、規模の小さい支城なら兵糧次第で持つだろうけどあんだけ人がいると一枚岩とはいかないからね
裏切るものとか出て士気が下がる、氏直と氏政の関係も最後は微妙そうだし

243: 人間七七四年 2011/10/21(金) 20:01:59.64 ID:p19p8Tj7
戦国一の優良家族、家臣団の北条家でもこの有様だからなー
そう考えると冬の陣、夏の陣の浪人達の団結力すげええ

244: 人間七七四年 2011/10/21(金) 22:31:22.61 ID:Mukm8SQ5
牢人達は失うもの何も無いし、無職最強伝説を証明したんだよ

245: 人間七七四年 2011/10/22(土) 00:59:17.18 ID:iDJ7+t3c
打算も何も無いからな >浪人衆
豊臣方と徳川方の和平に横槍入れまくってご破算にしたなんて話もあるくらい、破れかぶれの連中だから

人生の背水の陣だよ

258: 人間七七四年 2011/10/23(日) 22:52:51.86 ID:fjIvj8ja
織田家に媚びへつらったり本能寺が起きた途端に滝川ぶちのめす辺りまでは見事な対外策だと思うんだけど、秀吉時代になってからがサッパリだよな。
なんでこんなに急に外交音痴になっちまったんだろう。

261: 人間七七四年 2011/10/24(月) 11:27:54.57 ID:UpLYmEMN
>>258
むしろ滅茶苦茶だと思うが
信長は媚びる奴大嫌いだし、秀吉は媚びれば赦してくれるのに政策が正反対いってる
本能寺の変の際もいきなり滝川に襲い掛かるとか安直過ぎる
情報収集を全くやっていなかったとしか思えない

262: 人間七七四年 2011/10/24(月) 13:59:36.82 ID:sxbDjdl6
>>261

>信長は媚びる奴大嫌い

自ら降ってくる連中に対しては寛容な方だろ。刃向う奴には徹底的に殲滅戦やるけど。
事実、信長存命時代は攻められてないで同盟維持しとるがな。(後々はどうなったかわからんけど)

>秀吉は媚びれば許してくれる
大幅に所領を減らされた上でな。そこをいかに最小限に留めて和平に持ち込むかが外交だろ。
そら難航するわな。

>本能寺の滝川攻め
じゃあ、織田の混乱に乗じて甲斐信濃ぶん取った徳川も思慮が足りないって事になるな。
それに本能寺の変が知れ渡った時点で上野の旧北条勢力の国人が次々と滝川を離反してるわけで、それを指加えて放置してる方が情報収集をまったくやっていないという事になる。
滝川が本能寺を知らせた上で国人衆にどうするか自由にしろって言ったのは嘘で滝川が本能寺を否定する書状を国人衆に出したのが残ってる。
つまり、本能寺が知れれば国人衆は離反するというのを滝川も知っていたわけ。
そこを付け込まないで傍観してる方が間抜けだろ
事実、そのあと織田が盛り返す事はなかったわけだし、それを理由に秀吉が不義だとか何だとか難癖つけたわけでもないわけだし。
それが戦国の習いってもんだろ。

263: 人間七七四年 2011/10/24(月) 16:45:55.74 ID:WP10N76t
>>261
本能寺後の滝川攻める前の北条は、一旦滝川にまるで協力者のようなふりして本能寺の真偽を確認したうえで信長の死亡の確認が取れると更に弔問の使者まで送って相手を油断させようとするような手の込んだ手続きをしている。
少なくとも上野侵攻が安直だったわけでも情報収集を全くしてなかったわけでもない。

277: 人間七七四年 2011/10/26(水) 09:50:04.54 ID:LoJK8PwW
遠交近攻の常識から信長存命時までの北条と織田の関係を見事な外交と考えるのはいかがかと?

278: 人間七七四年 2011/10/26(水) 13:03:56.69 ID:qXKmrtAK
毛利、上杉、武田みたいにひたすら敵対して滅亡路線まっしぐらにくらべたら上出来すぎるくらいだと思うけど。
だって急拡大してからの織田に対して徳川以外に大領を認めてもらえる大名なんてまずなかったじゃん。

286: 人間七七四年 2011/10/26(水) 22:24:46.67 ID:zH/NkQm1
隣国で同盟国の徳川家康が屈服した時点で身の振り方考えないとなあ~

287: 人間七七四年 2011/10/26(水) 23:11:03.95 ID:CDYMP4+Q
秀吉は駿相同盟から徳川だけを引き剥がしたかっただけだからなぁ
徳川と北条がセットで臣従してきたら秀吉も困るような気がする

北条の方も何のお膳立ても無く臣従はできない
同格と思っている徳川があれだけお膳立てされているから自尊心が許さないか?

北条は徳川を秀吉に引き抜かれた時点で詰みだろう

291: 人間七七四年 2011/10/27(木) 07:28:42.65 ID:m5AJGohk
徳川より先に土下座して、徳川に圧力かける手伝いしてればかなり優遇されたんじゃね?

292: 人間七七四年 2011/10/27(木) 08:06:43.85 ID:AnqsWVZK
小田原城の中の人たちが史実より遥かに賢く賢明ならばそのような選択も有り得ただろう
しかしそれは皆の知っている北条とは別のなにか・・・

298: 人間七七四年 2011/10/27(木) 18:08:36.30 ID:xSaPF64Y
つか近畿政権において関東に巨大な勢力作ると痛い目見るってのは室町幕府で信長わかってるだろうしねえ…
さすがに北条みたいな勢力をそのまま残すなんて どんな政権でもやるものだろうか

301: 人間七七四年 2011/10/27(木) 19:10:13.33 ID:/u7QO9aM
>>298
秀吉さんが思いっきりそれやって自分の家潰しただろ。

302: 人間七七四年 2011/10/27(木) 19:11:14.78 ID:5Gvmf30A
確かにw

310: 人間七七四年 2011/10/28(金) 05:57:43.44 ID:nbRkzFSM
まあ結局小田原の時点じゃムリゲーってこったな

347: 人間七七四年 2011/10/29(土) 21:16:24.08 ID:qxlDkG4y
仕掛けるんなら、徳川が土下座したタイミングで、徳川を攻撃して豊臣勢力を引き込む…
九州や四国が落ち着く前なら豊臣の動員兵力もたかが知れてる。
せいぜい、徳川+上杉+前田+織田(信雄)ぐらいしかできないだろう。
この程度なら、小田原に籠城して耐え切れるんじゃなかろうか。

349: 人間七七四年 2011/10/29(土) 22:04:10.35 ID:k1JVsgky
城に籠って耐えるだけの時点で勝ちはないわけで

361: 人間七七四年 2011/10/30(日) 10:23:52.08 ID:S6Twi14v
他の城はほとんど落ちたけど小田原城は惣構え(外堀)すら無事だったんだから、もっと籠城できたろ
なんで食料が3ヶ月でなくなるんだよ
もっと人間の数と食料を計算してうまいことバランスとっとけよ 
そんで半年でも1年でも籠城して全所領安堵してくれるまで出てこないもん!って言えよ

362: 人間七七四年 2011/10/30(日) 11:41:51.07 ID:xrvcrY2X
そもそもなんで最初から籠城なのか意味不明。
伊達の後詰は間に佐竹・宇都宮がいるから期待できんし、小牧・長久手で援軍を出さず、秀吉に屈した徳川がいまさら味方してくれると考えるのも虫の良すぎる話。
早い話が後詰のあてがないわけで、こういう局面なら進攻してくる敵に対し内戦作戦による各個撃破を狙うだろ。普通。
最終的に籠城するにしても、緒戦で勝てれば士気も上がるしその後の和平交渉も有利になる。
初手から籠城はどうにも不可解。

367: 人間七七四年 2011/10/30(日) 15:59:09.00 ID:FmkXxsL+
>>362
まあたぶん、普通に秀吉の力を見くびってたんだろうな。

敵対する勢力は容赦なく粉砕しその領土を自分の勢力に組み込んでいった強靭な信長政権に対し、統一を急いで反抗しても最後に降参すれば寛大に処遇することで性急に勢力を拡張した秀吉は北条からみれば張子の虎に見えたのかもしれない。

実際豊臣政権は張子の虎のようなところはあったけどそれが表面化するのは秀吉死去後であって秀吉の存命中は相応の実力を伴っていたし、特に北条にとって不幸だったのは小田原攻めの前は天下統一の総仕上げという意味もあって豊臣方の士気は最高潮にあったことだろうな。

今の人間から見れば秀吉に対する北条の対処は失点が多過ぎだと簡単に言えるが、当時の地方の人間から見れば豊臣の力を正確に計るのは案外難しかったのかもしれない。
潰されたのは北条だけだけど秀吉に無謀な戦いを挑んで負けたのは長宗我部も島津も同じだし。
かといって秀吉死後の豊臣家支配の崩れ方は余りに呆気ないし。

368: 人間七七四年 2011/10/30(日) 16:21:34.11 ID:S6Twi14v
よく見くびってた、なめていた、甘く見ていた、関東は遠いからそんなに秀吉がすごいとは気がつかなかったっていうけどほんとかなあ
隣国の徳川と上杉が土下座してる相手だよ?
関東以外ぜんぶ抑え、関白になってるのにさ
それをたいしたもんじゃねーだろってほんとに思ってたならあたまイカレてるよ
比喩じゃなくてガチで

374: 人間七七四年 2011/10/30(日) 16:47:30.09 ID:FmkXxsL+
>>368
情報網の貧弱なあの時代なんてたぶんそんなもんだったんだよ。
島津だって関白秀吉に普通に戦争始めてるし。
徳川や上杉なんて北条の半分とかそれ以下の勢力だし国境を接してるから取り敢えず従属したくらいにしか思ってなかったんだろう。

372: 人間七七四年 2011/10/30(日) 16:33:57.69 ID:Vtbyoye8
さらに言うならこの段階では旧主筋とは言え一度は合戦までやった信雄も無傷だしなあ
むしろ北条の回りは秀吉政権の弱さしか見えなかったんじゃないか九州四国は遠いし

403: 人間七七四年 2011/10/31(月) 09:52:05.78 ID:4Om6MU5t
同時代だとウィーンはしのぎきったぞ。
あれはなんでだ?

404: 人間七七四年 2011/10/31(月) 10:17:14.28 ID:RqthZdIo
援軍が来たから

405: 人間七七四年 2011/10/31(月) 11:00:12.85 ID:4Om6MU5t
それは第2次だよね。
1次は、援軍の見込みなしで講和だったけどあんまり書籍がないからあれだけど、冬将軍のおかげみたいと書いてる。スルタンのやる気の問題だったのかな?
小田原よりはるかに冬は寒いんだろうな。リンゴができるから青森くらいの寒さか。
小田原はミカンができるからな。
大阪小田原間は500Km、コンスタンチノープルとウィーンは1000Km。
ウィーンの城壁周囲4km、小田原の総構9Km。守備兵ともに5万ほど。
ウィーン攻囲兵12万という資料がある。たぶん北条兵の方が強兵だと思いたい。
ウィーンは弱兵だと思いたい。でもウィーンはしのいだぞ。

414: 人間七七四年 2011/10/31(月) 18:57:39.24 ID:y97LGdU6
>>403-405
第一次ウィーン包囲も長引けば援軍がくるかもしれない危惧はあった。
皇帝カール5世がウィーンで包囲されていた訳ではなく、包囲していたウィーンはハプスブルク領の一部でしかなく、他の大部分のハプスブルク領は未制圧であり、対仏戦の状況しだいでは大挙救援も有り得た。
他のカトリック諸国が援軍として加勢する可能性も常にあった。

このあたりが北条が孤立無援で、領土の殆どが先に制圧されていた小田原包囲との違い。

417: 人間七七四年 2011/10/31(月) 22:18:51.75 ID:WgH0FzKu
常に二〇万の軍勢に囲まれて移動していたわけでもないだろうから小田原までの道中の何処かで奇襲をかければ千に一つとか万に一つの確率で太閤さんを討てたんじゃね?
その場合であっても、太閤さんの後継者の座を巡って軍は瓦解するか(=小田原攻め回避)太閤さんの仇討ちとして小田原に攻めてくるかはわからんけどさ

418: 人間七七四年 2011/10/31(月) 22:58:56.80 ID:VHbHbAr5
万に一つの奇襲にかけるか…石垣山に全軍突撃かますのとどっちが成算あるんだろう?

423: 人間七七四年 2011/11/01(火) 08:25:42.12 ID:I9rIButx
>>418
戦中なのに余裕で東北の大名を招集しているくらいだし、途中での奇襲はまず無理じゃないかな。
そう考えると、石垣山に全軍突撃の方が勝算はあるか?
まあ、大阪城夏の陣と同じで、後々勝算じゃなくて、称賛はされる行動と言われるかもしれないかなw

424: 人間七七四年 2011/11/01(火) 09:00:26.45 ID:sSyPlplv
着陣した当日に夜襲するしかない

425: 人間七七四年 2011/11/01(火) 09:36:23.72 ID:pzDjGr4W
金ヶ崎撤退や毛利相手に押し込んだ秀吉が奇襲で死ぬか?
すたこら逃げると思うが

436: 人間七七四年 2011/11/03(木) 07:34:21.57 ID:Rdzs4wKN
それを思えば信長公はすさまじい根性があったよな 桶狭間の時の話だけど

456: 人間七七四年 2011/11/04(金) 18:19:49.14 ID:qKSlljEf
一旦城に篭ってその周りを囲まれたら奇襲はもう無理だろう。
城門からしか出られないから大軍で一気に突入できないし。

463: 人間七七四年 2011/11/04(金) 23:00:22.39 ID:cvE/2Ei+
攻撃は最大の防御ということだな


引用元: ・小田原の役で後北条軍が豊臣軍に勝利する方法