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1: 世界@名無史さん 04/04/13 15:51
なんか遠洋航海とかだと死亡率70%だったとか
食料とか一日に食べれる量も限られてただろうし水とかもね。
想像以上に過酷なものだったんだろうか







8: 山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM 04/04/14 00:36
トラベルの語源はトラブルだと文化人類学者が書いていた気が。納得出来ますが。

9: 世界@名無史さん 04/04/14 18:02
>>8
前に読んだ本だと、カンタベリー大聖堂(聖トマス・ベケットのベケット・ウォーターがお目当て)に巡礼に来たフランス人たちが「トラブル、トラブル(疲れた、疲れた。)」と言っていたのが語源だ、となっていました。
まあ、そういう説もあるということで。

11: 山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM 04/04/19 01:03
>>9
いずれにせよ楽なものでは無かったようですね。
観光を楽しめるようになったのは70年代からかな。

14: 世界@名無史さん 04/04/19 16:08
歩きだと平均一日20キロ進むのが限界だった
十字軍は一日10キロ程度しか進まなかったが

30: 世界@名無史さん 04/04/30 18:54
マールバラ公の行軍スケジュールの記録(スペイン継承戦争時)によると、
夏場の場合、朝三時頃起床→行軍開始→正午頃に行軍停止→設営開始
とかそんな感じだったと思う。
(何分、かなり昔に読んだんでうろ覚え。)

中世じゃないだろってツッコミはあるかも知れんが、大して変わりは無いんじゃないかな?

35: 世界@名無史さん 04/05/09 00:22
モンゴルは100キロは行けたらしいね。
十字軍の十倍か。
そるりゃ、勝てんわなあ。

17: 世界@名無史さん 04/04/30 00:05
そもそもの旅に出る目的は、
侵略、巡礼、行商、謁見(外交官)、郵便配達(飛脚)
他に何があった?

18: 世界@名無史さん 04/04/30 00:30
学問。
遠国の大学に入るための旅。

19: 世界@名無史さん 04/04/30 00:37
騎士って武者修行してたんじゃないの?

40: 世界@名無史さん 04/06/04 23:32
>>19
嫁探しの旅に出ることがしょっちゅうだったらしく、よその親戚の貴族のとこにいくと、その貴族が歓迎の宴を開くもんで、領内の農奴の家一軒一軒から鶏を1羽謙譲させて大変迷惑などというお話があったとか無かったとか。
岩波の何かの本にかかれてた。

32: 世界@名無史さん 04/04/30 23:41
武者修行ってほんとなんですか?

41: 世界@名無史さん 04/06/15 21:27
>>32
城を持っている領主の子弟の場合、次男以降は自分の城を得る為に城付きの姫を探して、武者修行をしながら各地を廻ります。
戦に参加したり、馬上試合に参加したりして、武功を立てる事が出来るともしかしたら婿に・・・と所望してくれる貴族がいるかも・・・と言った具合です。
次男どころか跡取りの長男も旅に出る事も珍しくありませんでした。
領主以外の成人男子の自由人が城にいる事はあまり好ましく思われていなかったからです。
親が富裕な場合は、旅費をたっぷり持たせたので危険は相対的に少なかったのですが、長男の旅費もケチるような財政状況の場合、次男以降はほとんど死出の旅路みたいなもんだったとか。

デュビーの『中世の結婚』は騎士の武者修行による嫁探し(=城探し)も書いていて面白いですよ。

33: 世界@名無史さん 04/04/30 23:41
近世になれば娯楽で旅をする人増えるんだがなぁ
シーボルトは日本に来て、旅行者の多さに驚いてたらしいね

42: 世界@名無史さん 04/07/31 09:42
護衛を雇い仲間を募り知り合いを訪ね略奪なんかもしながらならある程度は旅できるかも。
貴族ではない平民、しかも金のある商人でないなら、旅は自殺行為かと。

43: 世界@名無史さん 04/08/07 20:34
>>42
それでも巡礼の旅は庶民にも大人気。
仲間を募ってはいたけど、護衛まで雇う余裕は、庶民の巡礼にはなかった。

44: 世界@名無史さん 04/08/08 00:16
>>43
そこでテンプル騎士団の登場です。
街道の警備から金融業務まで、巡礼者が必要とするあらゆるサービスを提供してました。

45: 世界@名無史さん 04/08/08 00:47
テンプルは、手形扱ってたんだよね<金融業務
今で言ったらトラベラズ・チェック(?)

48: 世界@名無史さん 04/08/09 15:27
フランスの南の町に行ったとき、1100年の歴史を持つ旅行会社って看板を見た。
興味本位で中を覗いて会社案内のパンフレット見たけど、エルサレムだのローマだのの聖地巡礼ツアー(?)をテンプル騎士団登場前から「商売」としてやっていたみたい。

37: 世界@名無史さん 04/05/10 20:09
職人が親方になる前の修行の旅(遍歴)

46: 世界@名無史さん 04/08/08 06:43
中世前期の石工はかなり移動が多かったよね

47: 世界@名無史さん 04/08/09 13:36
建築ラッシュは盛期中世だよね?
橋建てたりしてたのかな?<石工の移動

49: 世界@名無史さん 04/08/09 23:25
通貨ってどれぐらい通じたんだろうね。
両替のレートで苦労する中世風ファンタジーとかあんまり見ないけど。
まずい国王の顔が刻印された金貨なんぞ使おうものなら軽くて投獄、なんてことはなかったのかな?
ヘンリー7世刻印の1ポンド金貨1枚で各国の酒場の安酒が何杯飲めたか、みたいな庶民的なデータはないもんだろうか?

50: 世界@名無史さん 04/08/10 19:57
どうなんだろうねえ?

「各国の酒場の安酒が何杯飲めたか、みたいな庶民的なデータ」は知りたいけど。
地域ごとの使用データになるんじゃないかな?

>通貨ってどれぐらい通じたんだろうね。
については。
6世紀ころからはビザンツのノミマス硬貨が、基幹通貨として広域に流通してたけど。
イスラム圏の伸張以降は、ヨーロッパ地域で金貨の流通量は減っていって。(ビザンツへの金の流入量が減ったそうだ)
貨幣は物々交換の補助手段になった、とか言うよね。

フィレンツェのフローリン金貨は比較的広域に流通したらしいけど。
庶民の生活にはあまり関係なかったらしいし。

ヨーロッパで硬貨の一般的な地位が回復に転じるのは、やはり十字軍の時期以降なんじゃないかな?

51: 山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM 04/08/10 23:50
>49
>両替のレートで苦労する中世風ファンタジーとか

1170年代に英国の田舎からロンドン経由でパリへ行ってパリ大学で学んだ僧ネッカムによれば、彼はフランスへ上陸した時とパリへ入った時の二度両替商の世話になっています。
フランスでもブーローニュ伯領では使えた貨幣が通用しなくなっていたため。
旅の途中に乗っていた馬を着いた先で売ることもあったそうですが、こうした情報は先達や旅で知り合った人間から仕入れていたようです。

53: 世界@名無史さん 04/08/11 20:31
通貨の流通については南北に格差があるよね。

54: 世界@名無史さん 04/08/11 20:53
>>53 
ローマとゲルマンだな。
ゲルマンの地域は11c以降から本格的に流通が始まるが、ローマは10c後半には商業体系の復活が見られるんじゃないかな。
ローマ法の合理性や帳簿、通訳などの商人としてのスキルの面でもローマには土台があるからなぁ。まぁイスラムやユダヤもそうだけど。

59: 世界@名無史さん 04/08/13 06:51
>>54
ローマ法の適用される商業「活動」という場合は南は10世紀後半に始まり11,12世紀に普及。
北は13、14世紀と言えるでしょうね。

57: 世界@名無史さん 04/08/13 04:24
ヨーロッパ中世の通貨は、ご存知の通り銀が主流です。
また、これは半分や4分の1に割ったもの等があります。
でも貨幣は
1libra=20solidus=240denarius
中世初期においてはデナリウス貨(英:ペニー仏:ドゥニエ)だけ存在し、上位のものは単に計算上のものであったようです。

貨幣は普通その貨幣鋳造権(上級領主権)を持つ領域内の君主の刻印が打刻され、基本的にその領域内で流通するものであったようです。

もちろん領域や時代ににより、銀の含有量や貨幣の大きさに差異があるし、流通過程時における摩耗によって(試金なども行われるため)、どちらかというと重量としての方が重要視されていたようなので、大分ファンタジー世界とは勝手が違うと思います。

71: 世界@名無史さん 04/11/27 22:28:08
中世領主の子弟の教育ってどれぐらいのレベルだろう。
日本みたいに寺に預けられたり家庭教師になってもらったり、みたいなことしてたのかな? 
スコットランドとかだと…狩りぐらいしかしてなさそうだがw

75: 世界@名無史さん 05/01/26 22:52:16 0
>>71
中世初期~盛期だったら、騎士の子弟は大体が文盲だと思って良いかと。
文字の読み書きは僧侶の仕事だったので、文学を解する貴族は馬鹿にされないまでも普通じゃない存在です。
逆に貴族階級の女性はかなり高度なラテン語を読み書きできます。
・・・こんな夫婦が上手く行ったのが、本当に疑問ですが。

76: 世界@名無史さん 05/01/27 14:30:30 0
貴族の子弟でも、二番目とか三番目とか庶子とかは修道院に入れられる場合もあったようです。
大学があちこちにできると、そちらに送られて教育される場合も。
(これらは、将来の領内役人候補。仕送りや学費を考えると結構な財産が必要ですね。)

時代や地域の土地柄、貴族の領地の大小、家族構成等々によっても変化しますので、一概には言えないんですが、全体で見るとやはり識字率は低かったようですね。

77: 世界@名無史さん 05/01/27 16:36:19 0
じゃあ逆に、中世以前、たとえば2世紀から3世紀頃のローマ帝国内での一般庶民の識字率ってどれくらいのものだったのか、何かしら手がかりをご存じの方はいらっしゃいませんでしょうか。

たぶんに上流階級(元老院議員とか、騎士階級とか、もしかしたら軍人も)はラテン語の読み書きは必須だったと思うのですが、たとえばパン職人とか酒場のマダムとか風呂屋の親父とか。

「中世」からはちょっとはずれちゃいますが、よろしければ教えて下さい。

79: 世界@名無史さん 05/03/07 00:23:54 0
>>77
識字と関わってくるのが計算能力ですな。
あの時代のローマは貨幣経済が庶民にまで浸透していたのなら硬貨をやりとりして勘定ができたはず。
アバカスは学者限定で庶民は・・・指折りか暗算?

81: 世界@名無史さん 05/03/07 00:36:44 0
>>77
2~3世紀ってのに外れちゃいますが、某先生は落書きの多さからみて、ポンペイの盛期の識字率は30%は下回らないだろうなんて言ってますね。
どこまで信用できるのかはわかりませんが。

80: アクィラ ◆0fUIPC892c 05/03/07 00:32:51 0
複式簿記の発明は、中世ヨーロッパですね。

古代ローマの経済合理性を低く見るときに、持ち出される根拠の一つです。

146: ジーモン ◆.5DV4fMpf6 2005/12/05(月) 16:23:25 O
>>80
簿記はヴェネチアで誕生したらしいですね。

86: Ryuju ◆RlujhF6VrA 2005/03/29(火) 18:59:06 0
識字率に関しては、都市と農村で差があったと思う。
都市は何だかんだ言って商人が結構多いから、読み書きそろばんは必須だったろうし。
ポンペイでは識字率が三割、ガリアの農村では一割以下でも不思議には思わないが、>>75の中世の貴族では女性の方が男性より識字率高いってのはちょっと驚いた。
やっぱり家政とか手紙とかで必要だったからかな?

90: 世界@名無史さん 2005/04/15(金) 01:18:39 0
>>86
文字は正統な貴族のする仕事ではないと思われていたんだよ。
聖職者になった一族や、女性はこれから外れるわけだ。
女性が書記役をやる為に字を習ったと思うのは誤解だね。

89: 世界@名無史さん 2005/04/15(金) 01:05:17 0
中世だと、正書法のまだない言語も多かったろうから、読み書きといえばどの国でもラテン語の習得、だったのでしょうか。

95: 世界@名無史さん 2005/05/12(木) 08:50:53 0
>>89
金印勅書では、選帝侯の子弟にラテン語とスラヴ語の習得を義務付けてたと思う。

97: 世界@名無史さん 2005/05/16(月) 17:05:36 0
唐代の中国を旅した、栃木の旅行家としての円仁を眺めてみる。
彼の手荷物は、法衣、衣類、鉄鉢、小さい青銅の鈴、托鉢用の茶碗、文具類、水筒、藁の雨具、現金700文と20オンスの金。
当時の金の価値って、今より高かったのか低かったのか?
手元に資料がないので怪しいメモと自信の無い記憶をたぐると、円仁は一日30kmほど歩いて移動していた。
歩速4km/hだと、一日7時間半歩く。実際にはまっすぐな道でもないだろうし、食事や休憩もあるので、おおむね日の出から日没まで歩き詰めだろうか。ちなみに当時、円仁は44歳。
ソース『世界史上の円仁』E.ライシャワーだったと思う。
あと地方地方によって両替レートがマチマチで複雑だとかも書いていた気がする…

99: 山野野衾 ◆a/lHDs2vKA 2005/05/16(月) 20:46:12 0
>>97
とりあえず見返してみたら、ネタが色々と。
・漂着場所が分からないので、卜部に聞いてみたら、初めは唐の海岸だと言い、次に新羅の海岸だと言って来たが、唐の海岸であった。
・水夫が患っていたが、とうとう病死したので、筵に包んで水葬にした。
・戦乱の中、長安の健児は、人を斬罪にした後に、その肉を喰らっていた。

当時、日本の僧侶が唐へ赴く場合、「旅資」とされたのが砂金でした。
延長4年(926)に、興福寺の寛建が五台山巡礼に赴いた時には、朝廷から「黄金小百両」を賜っています。

126: 世界@名無史さん 2005/11/27(日) 17:36:02 0
中世ヨーロッパには道なんて上品なものはほとんどなかった。
旅人は休耕畑を突っ切って歩いた。
宿屋にベッドなんてものはなく、裸になってわら束にくるまって寝た。
追いはぎ、オオカミいっぱい。
楽じゃないっすね。

127: 世界@名無史さん 2005/11/27(日) 18:02:22 0
>中世ヨーロッパには道なんて上品なものはほとんどなかった。

なわけないだろ。

129: 世界@名無史さん 2005/11/27(日) 19:58:40 0
まあ、
「中世の道」J・P・ルゲ、白水社てなズバリの題名の本もあるしね。

130: Ryuju ◆RlujhF6VrA 2005/11/27(日) 22:04:18 0
道というのをどこまで認めるかだなあ。
洋の東西問わず、大抵の所で舗装されてないわけだし。
当然雨降ったらぬかるむし、ちょっと人が通らなければ草も生える。
農村の畑と畑を往復する道なんか、非常に細い印象。

131: 世界@名無史さん 2005/11/28(月) 00:35:29 0
ローマの道なんかは後世までかなり整備されていたんじゃなかったっけ。

133: 世界@名無史さん 2005/11/28(月) 00:44:54 0
だが放置されてボロボロになったものも多い。

139: 世界@名無史さん 2005/11/30(水) 13:41:32 0
街道(straβe)は国王諸特権or君主特権に属していたし、地域の農民などが補修・維持をする義務があったから全く無くなるってことはないだろう。

150: 世界@名無史さん 2005/12/05(月) 23:58:03 0
中世の冒険者ってのは、おおむね傭兵稼業の者を指す。
ヨーロッパ中をあちこち旅して、貴族同士の戦争があったら参加して金を貰う。町や村で略奪をする。傭兵部隊に入る事もある。

自分の高校の世界史教科書に「当時の軍隊は、冒険者や浮浪者をかき集めた~」と一文があって、丁度RPGブームの頃だったから密かに感動した覚えがある。

151: 世界@名無史さん 2005/12/06(火) 19:33:14 0
あるいは巡礼者や遍歴職人などもある意味で冒険者と言えるだろうな。
巡礼者は二度と故郷に帰らぬ覚悟をもっていたりするし、遍歴職人もその移動範囲を見ると(徒歩のみで移動していることを考えると)家に帰らぬ覚悟もあったんじゃないかと。

154: 世界@名無史さん 2005/12/10(土) 01:37:05 0
戻らないって事は全財産もって移動してたのかな?
当時なんて銀行業務も未発達だしギルドが為替発行とかも一部の先進地域だけだろ?
悪い領主さまとか追剥ぎはウハウハだな

157: 世界@名無史さん 2005/12/10(土) 21:15:57 0
十字軍時代以降はテンプル騎士団が、現代の銀行に相当するような業務も行っていた。
例えば、パリで預けたお金をエルサレムで引き落とす事も可能だった。

でも、>>154の言うように「悪い領主さまとか追剥ぎはウハウハだな」でもあった。
領主の大半はこの悪い領主さまで、追剥ぎからも上前はねていたようだ。

155: 世界@名無史さん 2005/12/10(土) 03:19:36 0
>全財産
何キロになるんだ?そもそも運べるのか?

160: 世界@名無史さん 2005/12/11(日) 14:52:29 0
>>155
全財産といっても中世の職人だったら着ている服と道具だけ。
江戸時代の日本でもそんなもの。

156: 世界@名無史さん 2005/12/10(土) 08:51:41 0
巡礼者には修道院や教会、兄弟団があるし、遍歴職人には各都市に職人組合がある。これらの団体がそれぞれ援助するから巡礼者も遍歴職人も大丈夫。

171: 世界@名無史さん 2006/02/03(金) 23:27:31 0
フランスでは、職人の遍歴は19世紀にもあった。

172: 世界@名無史さん 2006/02/04(土) 17:03:33 0
遍歴職人はドイツだと今でも健在だが。

173: 世界@名無史さん 2006/02/05(日) 05:42:41 0
まじで?
さすらいのサーバー屋さんとかがいるの?

174: 世界@名無史さん 2006/02/05(日) 21:08:02 0
いや、大工とかそういうふつうの職人。
伝統に則った独特の格好して遍歴している。
周りの人間も遍歴職人だってわかるのでそれなりに優遇されるらしい。
少し前だったが、そういう女の遍歴職人のドキュメントをNHKBSだったかどこかで放送してたな。
やはり野宿とかしなきゃならない場合もあって女ならではの苦労がある、みたいな話だった。

178: 自転車小僧 ◆IBmI/K76EY 2006/03/19(日) 01:19:02 0
>>172~174
煙突掃除職人なんてのもあるね。ハンガリーでケーメニシェプレと呼ばれているやつ。
チロリアンハットをかぶって白いシャツに半ズボン、長い煙突掃除用のブラシを持って各地を巡回している。

186: 世界@名無史さん 2006/06/26(月) 00:25:15 0
一人旅して山賊に襲われて危機一髪逃れて酒場でおっさん相手に武勇伝聞かせたい

187: 世界@名無史さん 2006/06/26(月) 01:00:33 0
>>186
で、危機一髪逃れた話が、何度も語っているうちにいつの間にか

「群がる山賊どもをちぎっては投げちぎっては投げ……」

みたいに尾ひれがつくとw

引用元: ・中世の旅・冒険ってどんな感じ■