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1: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/02(月) 02:22:29.39
入水を選ばず退却を選んだらどうなってましたか?








2: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/02(月) 02:25:14.91
壇ノ浦当事で500艘の船を駆り出せる力がまだあったのにね。

5: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/02(月) 12:23:19.86
退却って何処へ退却するんだい?
四国を追われ、山陽道も範頼軍に占拠され、北九州も範頼に押さえられ、対馬、壱岐も範頼に抑えられたんだけど。

9: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/02(月) 18:48:28.88
長門も九州ももはや源氏に制圧されていた

11: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/02(月) 20:55:45.52
壇ノ浦の兵士はどっから調達したんだ?

12: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/02(月) 21:12:36.48
>>11
松浦党、山鹿党、裏切る前の田口一族。
あとは降伏しても許される見込みのない人たち。

17: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/03(火) 10:50:18.52
まあ、船に乗っているのだから
沖縄か、朝鮮半島か、五島列島に逃げて、海洋帝国になるしかなかっただろうな
ただ、大勢の人間を養うのだから、沖縄や五島列島では
穀物が調達できないだろうから、済州島しかないだろうな
18: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/03(火) 11:38:27.16
日本海経由で奥州に行けなかったかな。

19: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/03(火) 15:15:18.76
>>17>>18
朝鮮、奥州他日本海方面は門司、壱岐、対馬が源氏方に抑えられてるから壇ノ浦から直接抜けれない。
屋島敗北で瀬戸内海の制海権も失ったから豊後水道通って南に抜けてその先どっかに行くしかない。

20: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/03(火) 16:50:53.64
逃げるにしても途中で水、食料の補給が必要。
大人数が彦島に封じ込められて一ヶ月。
さほど食料の備蓄があったとは思えない。
(範頼軍が食料不足に悩まされてた。平氏も不足の可能性あり)
逃げるにしてもまず補給に苦労するだろう。

34: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/06(金) 11:30:44.33
太平洋を大きく迂回。釣りしながら生き延びる。もしくは、義経が平家の船に飛び乗った瞬間、全速力で源氏方から船を遠ざけて人質。休戦協定を結ぶ。(遠方に勝手に逃げさせてもらう、もしくは関門海峡周辺からの源氏の撤退が条件)

35: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/06(金) 16:56:05.77
>>34
なんか義経ごと沈められそうなんだがw
彼、諸将からの評判が抜群に悪いし

37: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/06(金) 18:37:43.31
>>34
源氏方の作戦目標は「安徳天皇」と「三種の神器」の確保。
そこまで追い詰めて義経一人のためにその目標をあきらめるとは思えん。
ましてやみすみす神器ごと逃走をする海峡封鎖解除をするとも思えん。

両軍とも戦闘中に漕ぎ手が失われている可能性が大きい。
(ちなみに平氏方も相手の漕ぎ手を討っていたのではないかと最近は言われてる)
そんな状況で義経連れて一気に逃げれるかどうかわからないし、うまく逃げれたとしても多くの船は漕ぎ手を失っているから漂流して捕えられるか、海上で遭難するか、うまくどこかに陸地に逃れてもそこから隠れとおすのも難しい。
一番ラッキーなケースだと、無人島に流れ着いて0円無人島生活をすることだろう。

22: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/03(火) 18:54:16.91
壇ノ浦から近い源氏の手薄な拠点ってなかったのか?

23: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/03(火) 19:07:54.91
>>22
彦島。
でもこの最後の拠点落とされたら本当に最後。

25: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/04(水) 00:42:29.97
対馬の宗氏は一応知盛の遺児が逃れて始めたことになってるよな。

26: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/04(水) 03:49:35.50
>>25
否定説もあるけどね。
ただ、大軍団じゃなくてバラバラにそれぞれどこかに逃れるというのは可能だったかも知れない。

28: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/04(水) 21:17:17.48
>>26
実際は知盛の遺児じゃなくてその残党の中からリーダー格が出て僭称したんだろうね。

29: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/05(木) 22:49:36.68
宇久五島氏も平家盛が祖って説があるね

39: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/06(金) 21:58:27.19
種子島氏は行盛の後裔を自称しているが、そうした方が統治に都合のいい事情があったんだろうね。
やはり平家落人の一部が住み着いて、それなりの勢力を持ってたんだろうな。

40: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/06(金) 22:13:08.26
位一位の座にしがみつかなければ琉球でまったりと王国運営ってのも悪くないね。
九州は完全に源氏の手に落ちてたの?

43: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/07(土) 01:03:39.14
>>40
平家の地盤の豊前・筑前は範頼によって制圧済み
豊後は緒方惟栄らに押さえられていた
つまり豊後水道も玄界灘も源氏によって封鎖されていた

44: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/07(土) 19:14:43.44
封鎖って事は上手いこといけば海と陸から挟み撃ちできたって事か?

49: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/08(日) 07:52:03.46
>>44
対岸化から射かけることが可能
それと近くの船着き場からすぐに出陣可能。

51: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/14(土) 03:27:02.86
>>49
奥州藤原氏は平家を匿わなくても結局難癖付けて滅ぼされたじゃないか
平家と組んでパワーバランスを保つ方がずっと得策のはず

45: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/07(土) 19:45:49.95
①奥州藤原氏を頼る
②大陸の高麗や宋、金を頼る
③南海の島へ

49: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/08(日) 07:52:03.46
>>45
奥州藤原氏
平氏を受け入れた時点で頼朝との対立必至。
そのリスクを覚悟して平氏を受け入れる覚悟があるかが試される。

大陸
それを阻止するために先に北九州、壱岐、対馬を源氏軍が確保

南海
一番可能性が高いが、あくまでも三種の神器を確保する為に源氏の執拗な追及が待っている。

48: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/08(日) 00:33:26.89
瀬戸内の河野水軍も源氏方、九州の航路も無理となると日本海ルートしか残ってないぞ?

49: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/08(日) 07:52:03.46
>>48
上記の通り、関門海峡が封鎖されているので日本海にも出れない。
壇の浦の時点で平氏は袋のネズミ。

53: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/14(土) 08:27:32.79
義経の場合、頼朝は義経を匿ったということを理由に朝廷に奥州藤原氏追討宣旨を要求するんだけど朝廷側がいい返事をしない。
それで先に出兵して既成事実を作って朝廷に追認させる、という経緯だった。

平氏が来た場合は朝廷も躊躇なく、平宗盛追討宣旨&藤原秀衡追討宣旨を出しただろう。

義経と違って時間稼ぎできないから奥州藤原氏がどう出るかは読めないなあ。

54: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/14(土) 12:58:30.34
それ以前に、奥州から見れば受け入れるメリットゼロじゃないか。
それでも受け入れるほどの義理があるか?

55: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/14(土) 13:40:25.92
>>54
ないな
平家の力の源である西国利権と朝廷コネクション、武士団はどれも崩壊してるし

奥州の自治を守り抜くという基本方針によれば、鎌倉と平家が同程度の力を持ち、牽制しあう状態が望ましかったんだよね
義経はやりすぎたんや…

56: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/14(土) 17:12:24.71
>>55
福原政権・鎌倉幕府・平泉独立王国の「三国時代」を狙うのが奥州にとって賢い選択だろうね
あくまで後世から見ればだけど

ただ頼朝を旗印とする勢力は、伊勢平氏政権打倒というモチベーションで成立し得た物
京都と鎌倉が拮抗する以前に、同時に存在する事すら考え難い
更にはもし頼朝がいなくとも、いずれ誰かが歴史的必然に乗っただろう
やはり武家勢力は全面対決で打倒に走るか、公家化した平家の下で個別にくすぶるかの二択

奥州藤原氏も武力で中央を抑えられない以上、その歯車が動き出して以降の介入は困難

介入可能な時期があるとすれば清盛健在の段階、平家と他の武家勢力の分断を進めた上で後々も平家を存続させる手を打つ事だろう

その為には何としても福原京を完成させ、中央勢力を分散させなければならなかった
弱体化した平家が生き残る武器として、貿易港という力を持たせる事にもなる
そして史実以上の資金援助により増した発言力をもって、自治の黙認を引き延ばす
稼いだ時間で武家勢力のまとまりを数十年、何代かかっても催す

奥州が国力の底を見せるのが先か、歴史の舵を曲げ切るのが先か、結果の前に暗君を出し、史実通りの退場となるのか

なんてのは結果を知っているから言える選択か、それとも少しは予見した者もいたのか
とにかくこの機を逃せば後の歴史を知っている目から見ても、平家と平泉は詰みに近い

57: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/14(土) 18:04:31.14
平家はまだ九州に拠点が残っているうちに瀬戸内海を脱して、薩摩あたりに本拠地を築けばよかった。
薩摩を落とされた場合は、奄美・琉球・台湾への逃走経路を確保できる。
琉球を実効支配しながら、持久戦に入ればいいのではないか。
やがて、安徳天皇の子孫は琉球皇帝となる。

58: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/14(土) 21:59:49.19
琉球での拠点づくりを推す意見が複数あるね
でもこの時代の琉球には、本当に本土からの落人に対抗し得る勢力が皆無だったのかな?
伝説では為朝が琉球王国の始祖という事になってるけど

59: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/14(土) 22:54:38.76
宮古島くらいならさすがに源氏も攻めてこないんじゃない?

60: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/15(日) 02:16:00.95
現地の軍にタコ殴りにあって追い返されるかもよ?
統一した国家になっていない小国の集まりだから記録が残らなかっただけなのかも知れないじゃん

台湾も統一されていない多部族構成だけど、結構外部からの侵入は跳ね返してるみたいだし

61: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/15(日) 16:54:53.50
宮古島民に撃退される宗盛に胸熱

67: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/16(月) 06:30:29.38
伝説通りに為朝の子供がいて当然の様に弓の達人
平家の落人にトドメを刺す修羅の国であった

68: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/16(月) 08:30:41.10
それを平家の落人の視点で描くのも面白いかも。
行く先々で撃退されながら琉球まで流れ着いたけどついに為朝流の弓の餌食になって全滅みたいな。

69: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/16(月) 09:28:35.45
いっその事太平洋側に逃げるのはさすがに無理か
小笠原諸島とか大東島辺りに

71: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/16(月) 19:11:24.94
三種の神器と安徳天皇があるかぎり
平氏はどこまで行っても追いかけられる。

73: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/18(水) 19:13:15.32
三種の神器を源氏に渡せばよくね?

76: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/18(水) 21:05:11.47
>>73
一の谷の後の和睦交渉で安徳天皇と神器を都に返す話がでてたんだけど
平氏側の拒否で決裂。
結局この拒否の結果源氏に平氏討伐令がだされて範頼の西国出兵、屋島、壇の浦になったんだよね。

78: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/18(水) 22:57:52.57
>>76
渡した後、本当に和睦してくれると思う?

79: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/18(水) 23:33:23.88
>>78
一の谷直後の和睦当事者は平家と朝廷
朝廷は後鳥羽天皇の即位式に神器を間に合わせて安徳天皇から譲位してもらう平和手段を望んでいたから、それさえ達せられたら全滅までは望んでなかったんじゃないかな?
宗盛あたりの命は危うかったかもしらないけど。

源氏は朝廷からの平氏追討令がなかったらは平氏そのものの攻撃はできなかったとおもう。
平氏の処分は「後白河法皇の意思」次第だったと思う。

80: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/18(水) 23:39:37.25
>>79
つまりは、自分が命を失いたくなかった宗盛の悪あがきのせいで、一族滅亡の淵に沈んだということか。

81: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/18(水) 23:46:32.29
>>80
命惜しさかどうかわからないが、宗盛は和睦受け入れ賛成に傾いたが知盛、時忠の強硬派に押しきられて和睦破棄に至ったという見方もあるようだ。

74: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/18(水) 20:35:31.69
>三種の神器を源氏に渡せばよくね?

いやいや、渡しちゃった時点で平氏としての頼るものが何もない。
すなわちただの賊軍となるだけ。

75: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/18(水) 20:46:43.78
逃げるなら、範頼に九州を抑えられるまでないと駄目か
つまり壇ノ浦の戦いになった時点で詰み

77: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/18(水) 21:09:22.01
>>75
頼朝は範頼に山陽、九州を抑えさせて、義経に四国を抑えさせて平氏に降伏交渉させる構想があったかもと言われてる。

ただ義経が早期解決をめざしてあーなったという見方もあるらしい。

84: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/19(木) 22:47:02.73
琉球の拠点化に成功すれば、琉球で日宋貿易を行うことによって、経済力をつけることで巻き返しのチャンスも出て来る。
また、三種の神器を持っているのだから、安徳天皇の正統性・琉球の平氏政権の正統性を主張することもできるだろう。
奥州藤原氏の琉球版として、一種の僻地独立王国を築くことができたのではないか。

86: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/20(金) 00:41:33.10
壇ノ浦の後に平氏が高麗まで逃げて高麗王の指揮下に。
史実では高麗王がフビライに東征を勧めた事になってるが、高麗に渡った平氏が高麗王に日本攻めてくれと頼んで高麗軍主体の遠征軍に。
そんで怨みを持ってる兵士は対馬やら各島々で大暴れ。
実は島民の手をぶち抜いて紐を通して数珠繋ぎにして持ち帰ったっていうのは怨みから…
っていう風になっていたかも。まあありえない話ですけどね。
私は朝鮮が過去の戦争についてぶーぶー言ってるなら、日本も元寇について言えばいいんだ。
おたくら対馬で何をしたかわかってんの?って。

82: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/19(木) 00:46:49.77
和睦するなら一の谷の前じゃないと無理だろうな

89: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/20(金) 20:26:18.21
一の谷前ならもっと平家に有利な条件で和議が結べるだろ

90: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/20(金) 20:38:16.88
>>89
たださあ、和議の相手が急速にかわったからなあ。
義仲→後白河法皇って。
義仲死亡から一の谷まで半月もたってない。

93: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/20(金) 21:02:07.21
敗死直前義仲は平氏に和議を働きかけていた。
平氏側はそれをどう受け止めたか不明。
弱体化した義仲なら実力で制圧できたと踏んでいたかも。
一の谷の時も兵力は平氏方が多い(玉葉)と言われてたんだよね。

ちなみに一の谷の時京都側わ和議の使者を送ると言いながら源氏連合軍を出兵させたんだよね。

94: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/20(金) 21:04:09.70
義仲、藤原秀衡と連携して鎌倉方と戦うことが出来たらあるいは

95: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/20(金) 21:20:36.73
>>94
治承寿永の乱の初期に藤原秀衡(奥州)、城助永(越後)と提携して東国挙兵勢力を包囲殲滅する構想が平氏にはあった。
だが秀衡は動かず、城助永は休止して出兵中止、助永の後を継いだ城助職が横田河原の戦いに敗れて越後を義仲に奪われ平氏の包囲構想は失敗した。

96: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/21(土) 01:29:57.42
ありえねーよ
伝言力が無いに等しい時代に団結や同盟は無い
京から岩手までの伝令の往復時間を知ってるか?
先陣の考慮時間を加味すると1往復3か月はかかるぞ
目の前の戦術で勝てない奴等が同盟や戦略なんて無理無理

99: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/21(土) 15:41:51.25
>>96
城氏からはやる気満々で反乱軍をやっつけるというお手紙が都に来てたけどね。(玉葉)
壇の浦直前にどこかと組もうとした場合はムリだったと思うけどね。

100: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/21(土) 16:02:31.13
城氏ごときでは無理だろ
奥州藤原氏がもっと北関東あたりにちょっかいを出してくれていれば

101: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/21(土) 16:15:53.28
>>100
本命は奥州藤原氏だろうね。
結局動かなかったけど。
ただ佐竹の残党が常陸で色々策動していた頃、背後に奥州の援助があったかもという説があるから全く脈が無かったわけではないかも知れない。

城氏も越後だけでなく会津にも勢力を持ってたらしいからイメージより大勢力だったかも。
(城氏を会津から追い出したのは奥州藤原氏だけど)

102: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/21(土) 16:53:57.69
もっと早めに九州を制圧し、大宰府あたりに本拠を置いて数年単位の持久戦に持ち込めれば、その間に頼朝と義経の不和が表面化したあたりがチャンスだったかも知れない。

義経と講和し、安徳天皇から義経に伊予守の官位を授けて、四国の守備を任せる。
新宮十郎行家も抱き込んで、畿内へ時々奇襲攻撃させるとよい。行家は負け戦が続くだろうが、攪乱が目的なので、たとえ討死してもかまわない。

113: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/22(日) 10:18:44.56
平家のあっけない滅亡を考えると南北朝時代の南朝方はよく粘ってるよな


引用元: ・壇ノ浦の戦いで平家側が退却したら