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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/19(金) 15:30:35 ID:0fCGMLM20
赤壁の戦いの後、荊州の領有権を巡って争うこともなく、劉備と孫権が手を組んだとして、曹操を倒すことは可能だったか?
仮に可能ならば、どのような戦略が必要だったのか?









2: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/19(金) 15:46:12 ID:Ov2VhAAJ0
劉備と孫権が仲違いしなくても、曹操の勢力は強大。
劉備が蜀を攻め取り、孫権が南方を安定させている間に、曹操も北方を平定して、強固な地盤を築き上げる。
無理な遠征はせずに、守りを固めておけば揺るぎもしないんじゃないか。

8: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/21(日) 23:39:04 ID:3Bb/3em00
劉備はめでたく蜀を攻め取り、荊州は劉備と孫権で仲良く半分こ

孫権は江東方面から北上するとして、劉備は荊州を北上するべきか、それとも漢中を経て関中に進出するべきか。

15: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/25(木) 08:06:51 ID:Lvx6cZDQ0
>>8
荊州陥落と夷陵での消耗が無くても両面から攻めると思うよ。
国力兵力十分で漢中方面のみから攻めて奇跡的に長安奪おうが、荊州方面から攻めて襄陽を順調に落とし許に迫ろうが同じことで、中央に近づけばどっちみち負ける。

蜀漢が天下取るには漢中・荊州さらに江東から呉の快進撃が有り、魏の主軍が江東討伐を優先すると言う奇跡(地理、歴史面両方見ても奇跡が無きゃ無理)
その間に力の差を埋めるなんらかの策や、魏内部に味方を作る等してようやく戦える程度
北伐で長安を狙うってのは魏打倒の初歩中の初歩で、本当に大変なのはその先

16: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/25(木) 09:58:06 ID:UuLzHOlr0
やっぱり魏の内部に内応者を作らないといけないか。
大変だな。

17: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/26(金) 00:15:00 ID:5yY9mFzv0
しかも早い時期に内応者が出ないといけない。
戦力差が開いた状況ではすぐに鎮圧されてしまう。

21: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/28(日) 14:18:43 ID:bkNxNTS+0
皮肉にも適度な外敵が存在したからこそ魏の内部分裂も遅れた。
いっそ劉備が魏陣営にとどまってたほうが打倒曹家の成功率が高k(略

269: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/01/17(土) 05:10:22 ID:jDzr8bSo0
呉蜀同盟が信頼に足る堅固なものなら、多方面からの軍事行動も可能だな。
蜀が漢中制圧後として、長安・樊城・合肥への同時進行作戦はどうか。
とりあえず、最初に動くのは樊城攻撃だろうな。
関羽が戦局を釘付けにして、その間に長安・合肥への侵攻を開始。
実際の樊城攻めは蜀側の軍事行動と呼応していないが、連携出来れば一気に中原侵攻も出来ると思う。

271: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/01/17(土) 17:56:29 ID:cbZblTaXO
>>269
孫権に合肥落とせないだろ。

272: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/01/18(日) 23:13:09 ID:DE0Mf9pj0
>>271
呉全軍で特攻すれば何とかなるだろ。

273: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/01/19(月) 02:39:05 ID:WjIv2luW0
>>272
そんな大所帯で行軍したらあんな支流の多い所じゃ身動き取れないだろ

274: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/01/20(火) 17:48:36 ID:PK18F1RO0
>>1
呉が関羽を攻めずに、揚州・徐州を攻めて魏軍を牽制してれば関羽は襄陽は取れただろうし、220年に曹操が死んでるから呉と蜀が連携すれば、東晋が洛陽・長安を落としたように呉蜀同盟が洛陽・長安を落としていただろう。

275: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/01/20(火) 20:19:24 ID:KVcD1Zwf0
で、関羽が荊州北部落としたところで呉に旨味は?
ぶっちゃけ荊州北部取ったら蜀は呉と手を切る公算大だし、呉は蜀の攻撃防げなくなるよ

276: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/01/22(木) 12:47:04 ID:HTuszSDX0
>>275
だから・・・・力を合わせた場合の話をしてるんだろ・・・・・

296: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/03/22(日) 08:42:11 ID:u2fkYFsd0
協調路線だと、劉備と孫夫人の子供が跡継ぎになって連合帝国みたくなる可能性はあるかな?
劉家の子供だけど、劉備が先に死ぬ以上、明らかに後見人は孫権になるだろうし、なんか妥協できそうな気がするんだけど、無理か?

298: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/03/28(土) 01:52:12 ID:adz3lRbR0
曹操打破後の政権がドロドロしそうだな・・・・・
とりあえず、劉備は皇帝に祭り上げられるとして、孫権も丞相くらいの地位にはなるはずだし。

299: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/03/28(土) 19:55:51 ID:1oCic/VD0
その場合

劉協⇒曹ヒ
劉備⇒劉禅⇒孫権

で南北朝なりそうだな

300: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/03/28(土) 23:21:02 ID:j/QheVK/0
魏は、幽、冀(き)、青、徐、豫(よ)州など9州を
呉は、揚、荊、交州を
蜀は、益州のみをそれぞれ(ほぼ)領有してました。
それらから、計算される国力は魏:呉:蜀=79:15:6程度(概算です)だったのです。

北海道から九州までが魏
四国が呉
沖縄が蜀
こんな感じ?

302: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/03/29(日) 01:16:35 ID:bA9NZtcn0
呉は昔の九州かな
大宰府もあるけど未開の地も含む感じ

303: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/03/29(日) 08:41:39 ID:olyfkKJS0
西晋は戸籍人口が1600万。魏、呉、蜀がそれぞれ400万チョイ、230万、100万弱だから倍増していることになる。

これは屯田民などの私民が公民になったりしたから、と言うのが多いでしょうか。屯田民などは魏傘下が圧倒的に多いでしょうから、そう言う意味では魏が抱えていた潜在人口はかなり多かった、と言うことでしょうか。

増加分800万の内8割ぐらいを魏、残り2を呉蜀で分けたとすると比率では魏:呉:蜀=10:3:1ぐらいか。300さんの言う国力比ともおよそあってるでしょうか。

どっちにしても魏の攻撃を防ぐことはできたとしても魏を攻め滅ぼすと言うのは至難の技ですね。

304: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/03/29(日) 10:09:43 ID:bA9NZtcn0
>>303
屯田は魏だけがやってたわけじゃないし、そんなに関係ないんじゃないかなぁ
呉蜀は未開の部分が多いから、戸籍に入ってない人々が多かったんだろう。呉だと山越とかね
伸び率は魏より呉蜀のほうが断然高かったと思う
特に、ほぼ未開の地から六朝時代を築くに至った呉の開発は急速だったはず

307: 303 2009/03/31(火) 02:20:15 ID:EuJSbqmg0
>>304
ただ、呉はあくまでも豪族の寄り合いみたいなところがあったので、魏の屯田程大規模なものは行なわれてはいない。潜在的には北方に帰ることができたら帰りたいってのもあったでしょうし。何より曹操ほど貪欲に人を移住させたと言う記述が見当たらない。呉は人狩りをしようとして失敗してる状態。

本格的に人が南方に流入するのは東晋に入ってからでしょうから、この時代はまだまだ北方の方に人が集まっていたと見ていいのではないかな。

まぁ、魏にしても北方に異民族、東方に公孫淵、高句麗などがある関係からそちら方面にも兵を回さないといけなかったろうし、合肥方面、荊州方面、関中方面、と兵を分けていたら、たとえ80万ぐらい動員できても足りない、となっていたのではないかな。

そういう意味で第一次北伐時、明帝がわざわざおびきよせるまでもなく向こうからやってきてくれた、と言うのは負け惜しみでもなんでもなく、魏としては足りない兵を必要なところに集中運用させるためにはもぐらたたきのように、相手がでてきたとこを叩けばいい、そのため出て来易い様に一時的に空白地帯を作る、と言う戦略があったのかもですね。

まあ、妄想w

308: 304 2009/03/31(火) 13:18:07 ID:yEW2FTwQ0
呉が豪族の寄り合いだったのは初期の頃の話で孫権が帝位に就く頃には寄り合いと呼べるような体制ではない
明記されているヒ陵以外にも呉には大規模な屯田地帯があった
勿論だからと言って屯田の規模が魏以上なんて言わないが、呉の場合書かれていない部分が相当ある

> 潜在的には北方に帰ることができたら帰りたいってのもあったでしょうし。

すまんが、もしそうだったら何だと言うのかよくわからん
呉の人狩りは長い目で見たら成功している
すぐに人口に反映するものではないだろうが人狩りの成功や人々の南下があった結果、黄巾の乱の頃に未開の地だった呉の人口が280年には230万人程度まで増えたということなのだろう

309: 303 2009/03/31(火) 21:06:31 ID:pM4FLs9v0
>>308
北方に帰りたい、と言うのは何かきっかけがあればそちらに人が流れる、と言うことです。名士連中でも曹操に呼ばれたりしたのをきっかけにそのまま現地に残っている人も多い。

東晋時代になって中原を回復したい、と言うのも一つはそう言う意識の表れではないでしょうか。だからこそ蜀にあれだけ肩入れするような方向になる。
中華の人にとってはどれだけ華南が発展しようとも、中原こそが世界の中心、と言うことだと思うのです。

306: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/03/30(月) 23:48:38 ID:QvSpVrRQ0
確かに人口や領地から算段した勢力比だけ見れば、魏は圧倒的に強大。
だが、それだけで雌雄が決するだろうか。
軍事的観点も含めて見れば、呉蜀同盟が魏に勝つ戦略もあるはず。
事実、関羽の北進だけで魏は大きく揺れた訳だし。

310: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/04/01(水) 23:26:08 ID:WMfavKit0
>>1
>赤壁の戦いの後、荊州の領有権を巡って争うこともなく、劉備と孫権が手を組んだとして、曹操を倒すことは可能だったか?
>仮に可能ならば、どのような戦略が必要だったのか?

不可能。
呉・蜀が手を結んで魏にあたったとしても、先に曹操の寿命が尽きる。

曹操の寿命が尽きる以前(220)に決着をつけ為には、
1.劉備が劉表を頼ってすぐごろに荊州を乗っ取って、孫呉と同盟を結ぶ
2.劉璋から蜀を奪い、漢中の民(五斗米道の信者)がいるうちに漢中を支配する
3.馬超が乱を起こす前に協力体制を引き、長安を取る

くらいしないと間に合わん。

まぁようは、反三国志を全速力の駆け足で実施するっきゃないってとこだなw

313: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/05/27(水) 14:18:42 ID:DRsuyRTK0
赤壁で呉が大損害を被っていれば・・・
蜀陣営が力を蓄える時間があったかもしれん

353: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/02/24(月) 02:51:22.12 ID:DPEV1rqs0
>>313
馬超と孫権が曹操相手してる間に劉備が勢力拡大した訳だからこのどちらかでも弱体化するIFは劉備が勢力拡大出来ないか滅亡END

323: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/07/18(月) 16:50:31.64 ID:RF1C0mO60
赤壁勝利→孫権は周喩と赤壁の対曹操戦の大半を合肥へ派遣、
→関羽か張飛か趙雲が曹操と他の重臣をぶった切る
→劉備がケイ州の大半を手に入れる、孫権が合肥で勝利
→涼州の馬超が赤壁の敗戦の直後、長安を奪取、
→曹操の死により国中大混乱、曹ヒが後継ぐ、多分
→孫権が寿春、汝南、下ヒに侵攻、劉備は北ケイ州に侵攻、
→馬超が洛陽、弘農、孟津に侵攻

後は曹ヒフルボッコ、とりあえず曹操ぶった切って、孫権がケイ州捨てれば勝てそうです。
赤壁の戦いで曹操と他の参謀がかなりやられるんで、曹ヒがどこまで頑張れるか、魏の兵の大半は赤壁でやられて戦力は低下
河北は仕方なく曹操の部下になってたものが多いので士気はほぼゼロ
曹操の精鋭は焼けたし

結論:曹操を切って孫権が魏を攻めて、馬超が長安を奪取、劉備が曹操残党を狩る
演技か正史か知らんがこんな感じや

324: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/07/24(日) 13:51:22.65 ID:OWYSjC71O
そもそも赤壁で曹操斬れてれば曹操政権は自壊したんじゃないかね。
それが難しい訳ではあるが。

魏諷の乱や吉本の乱を乗りきれたのはやはり曹操という建国者のカリスマあってこそだと思う。
乱を潰しきる前に継承があると、曹丕の器量や才能の有無そのものとは無関係に空気が変わってしまいそう。

325: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/07/24(日) 19:44:45.72 ID:eZ+2ixhO0
そもそも赤壁で曹操が死んでいれば、
劉備一派が荊州に地歩を築くことはできないんじゃあるまいか。
普通に呉軍がどんどん進撃して各地を占領し、直接統治できるはず。
孫権にとって劉備を対曹操用の盾として使う必要性がないので劉備一派を太らせることもなく、呉の客分となるか、危険視されて殺されるかも。

326: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/07/27(水) 16:43:19.04 ID:32kfQOBU0
>>325
マンパワー不足で無理

327: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/31(月) 19:38:59.64 ID:k8DMV1YU0
>>326
とはいえ,当時の劉備側と孫権側だけ見れば,明らかに孫権側優位なわけで。
その段階で曹操が戦死し,北方の脅威が除かれたとしたら,孫権側が劉備側に配慮する必要は全くないのでは。

それに,本当に曹操政権が自壊してしまえば,孫権側が徐州、豫州、荊州北部を抑えてしまうのでは。

328: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/14(月) 12:58:08.37 ID:QtSQDDBI0
北方は既に南征可能なとこまで作られてるから曹操死んだら呉が優勢というわけではないだろ
ものすごい国力差というのは個人の生き死にとはそこまで関係がない

同様の歴史IFでは「魏延の長安奇襲実行してたら」があるが、その後数多くの難しい戦いを勝ち抜かないといかんという点で共通の無理がある

329: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/01/01(日) 22:47:53.28 ID:Lp3PpytE0
赤壁時点で曹操が戦死したら曹氏はまず終わりだな。

曹操の持ってる「国力」ってのは、魏公国でさえなく、まだ漢王朝のものだ。
丞相は普通世襲できない。
当時の曹丕には魏王国嗣子のような巨大なバックアップがないから丞相位を強引に要求する力が無い。
非曹操派が一斉に行動を開始するし、曹操派も分裂する。
誰が次に漢帝を推戴するかの内紛が続くし、まだ若い曹丕がこの競争に勝ち残るのは平坦な道じゃない。

劉備と孫権は、まず曹操戦死の混乱に乗じて(曹仁クラスが兵力率いて荊州に長居することなんて無理だから)淮水・漢水の南岸くらいまでは軽く前線を押し上げるだろうし、その後も華南を固めるかなり長い時間を稼げる。
北方の後継者が誰に決まっても、曹操並の戦争能力はもはや回復できない。
曹丕が奇蹟的な踏ん張りでもしない限りは。

330: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/01/01(日) 23:38:52.53 ID:l6GDyxKZ0
赤壁で曹操が死んでも、八王の乱と十六志時代が速く来るだけで、南方の孫権・劉備に中原を統一できるようなチャンスのある段階ではまだないよ

331: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/01/01(日) 23:46:52.55 ID:Lp3PpytE0
だが最有力候補の二雄になるね。
そして、他に二雄の華北進出を阻めそうな軍閥が無い。五胡も含めて。
八王の乱とのもう一つの違いは、朝廷に権力は無くとも権威はまだ生きていること。
統一のチャンスは十分以上にある。

不安要素は勿論、二雄の衝突。
それから特に劉備に統一から安定の時間があるか。

332: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/01/02(月) 04:08:50.90 ID:zyxjhF/h0
まあさらに無秩序に、さらに国が荒廃する状況になることは請け合い
逆にそこまで乱れるからこそ、他勢力に統一の眼が出るわけだが
曹操の存在が一定の秩序をもたらしていた事は間違いない

346: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/09/14(水) 18:30:24.33 ID:v3v160zC0
てか赤壁で曹操死んだら劉備が蜀とる暇あるかな
北目指すのか難しくなる

引用元: ・劉備と孫権が力を合わせて曹操を滅ぼす方法