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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/10(金) 14:48:31 ID:rqIoJvzsO
大久保卿について語ろう








3: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/12(日) 08:33:08 ID:VNBB3Cyt0
大久保は西郷さんの人柄をよく知っていたはずだ。
西郷さんが命を賭けて最後の大仕事をしようとしてるんだから、行かせてやるのが人情というものではないか。長年死生を共にした盟友を切り捨て、平然と郷里へ兵を向ける。人間のすることじゃない。
権力を手に入れるとそこまで変節しちゃうものなのか。
権力の魔力は恐ろしいね。

5: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/12(日) 21:08:25 ID:uCLPqMelO
>>3
命懸けならなにをしても許されるなんて考えは子供より始末がわるか!

7: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/13(月) 06:01:30 ID:GeD1/3on0
>>5
自分を慕う若者たちに惜しげもなく命をくれてやった西郷さんはリッパ。
大久保はただの権力亡者。鹿児島では大久保をよく言う者はおらん。

8: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/13(月) 12:52:38 ID:Qf25urSTO
>>7
こういう私学校の能無し共みたいな奴が一番西郷を理解することができず、その挙げ句西郷を殺した

9: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/14(火) 00:20:40 ID:Fq+OcA/p0
西郷はやや厭世的で、すぐに帰郷してしまうところがよくわからん。
あくまで薩摩を土台にして日本を変えようとしていたのか、もともと無欲な人なのか。
大久保は朝廷を握っていたから、その権威を利用してかつての藩主にも図々しく命令できた。
明治になって西郷との立ち位置がはっきりと違ってしまったように思う。
西郷も外遊していたら(しそうにないが)、二人の運命は変わっていたかもしれない。

10: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/14(火) 00:30:14 ID:jd3J+hWh0

西郷が厭世的である理由として

・本人の性格・気質の面
・禅や老荘を好む資質
・自己教育の所産
・江戸中後期の朱子・陽明学的武士教育の影響

など、如何でしょう。

12: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/14(火) 09:27:04 ID:Z6ZR8duL0
大久保のために命を投げ出す者がいただろうか?
西郷さんはやっぱり偉かった。大久保とは人徳が違う。

13: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/14(火) 10:59:18 ID:1cPS5fXv0
西南戦争は、西郷さんが私学校の連中の為に命を投げ出したのでは。
連中が西郷さんの為に命を投げ出してはいないと思う。

大久保公は、日本の富国殖産の為に自己を犠牲にしました。

34: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/28(火) 20:32:21 ID:clz+YP1FO
うろ覚えだけど、台湾出兵の件で清と交渉するときに「何かあったら責任は自分が全て負う」って言ったんだっけ?何かの論文に書いてた。
凄い責任感だよな、俺には無理だわ。

35: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/28(火) 20:42:38 ID:Y/VYBOrV0
>>34
清沢洌の『外政家としての大久保利通』だったと思う。
中公文庫だけど今は絶版かと。
ただこの本は太平洋戦争直前に書かれていて当時の無責任な政治家を批判する為に大久保利通という”歴史上の人物”をモチーフにしたという背景がある。

事実に基づいて書かれているけれどそれに対する評価は当時の政治家への皮肉という意味合いが強くて大久保利通の評伝として読むと違和感があった。

36: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/29(水) 12:05:18 ID:j8IThUwvO
征韓論の時は遺書を書いてたらしいな
当時の政治家は文字通り命懸けだもんな、すごいわ

しかし台湾出兵の時の西郷弟の「何かあったら腹を切る」というのに対し、「お前の命なんていくつあろうが国民には関係ないんだよ」という木戸の反論もわかる
どんなに政治家が腹括ろうが国や国民に利するものでなければ意味ない

まあ結局清との交渉で賠償金ゲットして琉球の帰属にも目途をつけた大久保最強だけど

41: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/14(木) 12:32:44 ID:XjUaMlQu0
大久保は大政奉還をどう考えていたんだろう?
小松らが大政奉還の実現のために奔走したり、倒幕の密勅を作成したり矛盾するような動きを薩摩藩はとってるわけだけど。

42: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/14(木) 12:45:31 ID:AOlmBJgP0
「矛盾」といっているのは中村彰彦ら、根拠もなく坂本龍馬佐幕派説を言い立てている人たちだけで、
実際のところ、研究者でこの二本立てを矛盾と考えている人は少数です。
坂本龍馬の発言も武力討幕推進が圧倒的で、一部に武力を使わないかもしれないとも受け取れるものがある程度です。

大政奉還とは、幕府が政権の地位を失う討幕の好機でしかありません。
討幕派にとって有利な事象でしょう。
「大政奉還で討幕派に肩透かしを食らわせたのだ」という主張には根拠が見えません。

43: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/14(木) 13:17:56 ID:XjUaMlQu0
>>42
大政奉還は大久保らにとって倒幕の布石だったんだね。
確かに、でないと小松や大久保らが大政奉還を目指す理由が意味分からんもんね。

ということは大政奉還は、慶喜にとっては倒幕を実行に移される直前の延命策であって「英断」とか褒められたものでもなく、相当苦しい状況にあったということか。

44: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/15(金) 18:15:25 ID:ZqaNFRCeO
慶喜には慶喜の目算があっただろうけど別に大久保らにとっても困る事じゃない

45: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/15(金) 18:49:26 ID:hY7q33760
むしろ、「江戸の幕府組織を破壊して新政府を作る」ということについては、徳川慶喜と薩長及び土佐で意見が一致していた。主導権をどちらがとるのかで争っただけ。
しかし、幕府を改組すればよいと思っていた江戸在住の幕府首脳や会津桑名にとっては、大政奉還は許しがたいことだった。

48: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/16(土) 15:49:51 ID:yMcdYvCB0
関係ないけど、大久保さんが堀次郎と長州藩の周布政之助・来島又兵衛らと宴会した際、周布と堀が寺田屋事件の一件で険悪な雰囲気になった際、一喝してその場をおさめた後、畳をはがして指一本で頭に畳をのせて、場の雰囲気を和ませようとした逸話を想像すると笑える。

あの冷静沈着、無口でものすごい威厳と言われた大久保さんが畳芸w

50: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/16(土) 21:03:46 ID:sMiHIAPoO
空気は読めるが笑いのセンスはなしっとφ(..)

51: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/16(土) 23:41:05 ID:j9Vt3A7QO
政治家として大偉人の大久保さんだが
何より男前で、西洋人並の風格ですな

52: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/16(土) 23:45:26 ID:zNL0vEuI0
風格は西郷の方があったろう
そういう記録が多い
西郷はよほど雄偉な相貌してたんじゃなかとか

53: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/17(日) 00:39:36 ID:ezDame0WO
維新期のリーダーって皆風格あるように言われてるよな
武市や久坂は180越えで美形だったと言うし、異説はあれど坂本も大男
大久保や木戸は風貌に関しても外人からの評価が高いけど、西郷ってどうなの?
黒真珠のような瞳云々はサトウ評だっけ

69: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/23(土) 14:53:20 ID:UMan4dw+0
テンプレ無いみたいだから、叩き台みたいなの作ってみた。
----------------
・幼少時。父が疑獄(お由羅崩れ)に連座。極貧の生活を送る。西郷は幼馴馴染み。
・親友の西郷が斉彬に抜擢され、藩中枢の空気を嗅ぐことになる。誠忠組に参加。
・斉彬死去。藩に大反動が起り、西郷が島送りになるなか、手練手管(囲碁)を持って、久光に近づき、斉彬流の公武合体を吹き込む。公武合体にまい進。
・不屈の頑張りで、公武合体、雄藩連合を一応やり遂げるが、慶喜の策謀ですぐに行き詰る。
・勝海舟→西郷の示唆で、大久保も倒幕の意思を固め、岩倉と組んで、倒幕に向けて、あらゆる策謀をやり倒して、明治維新(暗殺などという卑怯な事だけはやらなかった、そうです)
・維新後、太政官、大蔵卿、内務卿を歴任して、今に至る霞ヶ関官庁の原型を作る。
・以下、大久保が主導した事。(廃藩置県などは全員野球でやった)

・遷都
・殖産興業
・佐賀の乱鎮圧
・台湾征討の後始末。北京にて清国と直談判して、賠償金を得る。
・西南の役鎮圧。

-------------
大久保さんがやった事、一つ取っても、とてつもない難事業だと思う。
そもそも下級武士が反論を操って、しかも公武合体、雄藩連合まで漕ぎ着けるなんて。
俺に任せろといって、本当に賠償までとった清国との交渉(相当強引だったみたいだが)
要するに、日本の歴史には稀な本物の大政治家だと思う。

70: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/23(土) 15:02:13 ID:UMan4dw+0
ただ、大久保に暗い面があるのは事実のようですね。
・寺田屋事件の後始末の、田中親子の惨殺に関与?維新後これを指摘した人物を左遷。(そもそも寺田や事件にどう関わったかはっきりしない)
・どういうわけか、2度目の西郷の島流しからの帰還運動に自らタッチせず、他人にやらせた。

74: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/25(月) 08:52:54 ID:spJ+rYZQ0
>>70
>寺田屋事件の後始末の、田中親子の惨殺に関与?維新後これを指摘した人物を左遷。

詳細希望。この話、司馬の小説でしか見たことないんだけど。

76: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/25(月) 14:32:33 ID:KY8M+x3tO
>>74
田中親子の件は決定的な証拠はないけどこの時期の前後は精忠組にとって有利になる行動をとってないのと大久保ならやりかねんって事で決めつけられてる匂いが…

78: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/27(水) 17:13:04 ID:vi+WQBZa0
>>70
>どういうわけか、2度目の西郷の島流しからの帰還運動に自らタッチせず、他人にやらせた。

大久保は、もし西郷と久光がまた喧嘩になったら、次は命はないと考えていたんじゃないかな。
西郷の帰還後、西郷と久光の面会で、思いのほか西郷がおとなしかったんで大久保は相当安堵してる。
「此節は一体議論もおとなしく少も懸念これなく安心仕り候」(新納嘉藤次宛手紙)

71: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/23(土) 18:28:32 ID:O7QsVHlrO
江藤の件も暗いよね
乱の首謀者(巻き込まれただけだけど)が、逃亡したから極刑になること自体はおかしくないけど、三条は内務卿(当時は木戸)の指示を仰ぐように言ったのに、それをスルーして急いで裁判を行ったのは何故か

「明治六年政変」の毛利が主張してる私怨説wは有り得ないと思うが、薩摩士族や西郷、板垣への牽制だけが理由だったのかなあ

75: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/25(月) 14:07:41 ID:6Hgd03In0
>>71
三条、岩倉、木戸、その他多数の参議が江藤の命を助けようと躍起になってたの知ってたから、江藤を東京に連れてくるようにという勅使と何が何でも会わなかったという話だったと思うが。

ま、近代以降の日本で一二を争うほど優れた政治家だろうけど、あの時代で言う事とやる事が真逆のことをやっちゃったのは、それだけで十分に暗殺される理由にはなるだろうなぁ。

77: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/27(水) 00:16:53 ID:H31H2WOC0
余り言われないけど、寺田屋事件の頃までの、久光の第一の側近は堀次郎(伊地知貞馨)なんだよね。寺田屋事件後にある事情で、藩政の第一線からひいちゃうんだが。

その後、大久保は八面六臂の活躍をするわけだから、藩士から特別恨みを買っていたって事は無いんじゃないかな。
寺田屋事件に関しては、道義的な連帯責任はあるという程度で直接タッチしていないのかもね。

98: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/11(木) 17:02:03 ID:3R+jS5IM0
大久保と木戸って欧化主義に対してどう思っていたんだろう?
井上馨と同じ立場で、日本の伝統や文化は破壊しても構わないと思っていたのかな。

99: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/11(木) 18:39:37 ID:zuWBxSWM0
欧化って言っても政治や経済のシステムでの導入と文化や生活面での影響は違うからな。
少なくとも行政制度や通貨管理・産業育成に関して欧米と同質かそれに対応できるものが必要だと考えていたのは間違いないだろう。
生活や文化に関しては好みの問題もあるし、欧化推進のキャンペーン主導の立場でもあった立場の人だから本当は反対でもそれを公言する訳にはいかんわな。

つまり>>98の質問に答えうるのはお亡くなりになったご本人のみということだ。

100: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/11(木) 19:06:13 ID:HXtJpDEm0
>>98
少なくとも、明治維新で日本文化が破壊されたということは無かったんじゃないか?
西洋文化を導入しても、日本的に昇華して取り込んでたし。

せいぜい、留守政府が変更した時間の単位くらいだろうけど、遅かれ早かれ変わっただろうし、文化破壊というほどのモノではない。

959: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/09/16(日) 01:05:39.69 ID:vf7u3qwJ0
>>98
洋行中に木戸と伊藤が仲違いしたのに、急進的に欧米化を望む伊藤に対し、「それでは日本が日本でなくなるではないか!」って木戸がブチ切れたからだって話があるね
そんな伊藤の逃げ場が大久保だったから、少なくとも表立っては反対姿勢示さなかったんだろうな内心はどうあれ

104: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/13(土) 00:31:21 ID:B1S5No760
大久保は内心、近代化のためなら日本文化は捨てたほうがいい、ぐらい思ってたかもな。

薩摩はものの考え方は保守的でも、物質的にはあんまりこだわらない所だし、大久保の場合、薩摩的な鎖国根性を嫌悪していただろうし。

108: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/13(土) 10:20:09 ID:eyxoHCTU0
大久保の屋敷は、表玄関と来客部分が西洋建築で豪華…
ですが一歩奥に入り、生活空間を見ると質素そのものの日本的建築。
岩崎弥太郎が建てた屋敷も、東京に残っているけど、これとまったく同じで、表は西洋風豪邸だが、裏に回れば日本庭園。

何故かと言われれば、当時の日本は不平等条約改正が至上命題だったけど、その条件が「日本が西洋的文明国になったら」でした。

外国人がよくやってくる表玄関たる東京には鹿鳴館があるが、一歩奥に入って地方に目をやれば……
そういう事だよ。

109: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/13(土) 13:30:21 ID:ZXYNwG7t0
大久保は現実主義者だが、慎重論者でもあったから、保守的洋化論に近いのかな。
事例ごとの解決は模索したが、行政組織のような現実的な処理以外に、西洋か非西洋かといった観念論には囚われていなかったと思う。

王政復古の直前くらいの西郷と大久保では、大久保の読みが西郷を上回ってると感じる。
見通しについて、かなり大胆な表現を使ってるよね。

110: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/13(土) 19:41:21 ID:pZ2PkgqK0
だって西郷は島流しにあってたじゃん。
その間は小松・大久保が藩の要務取り仕切ってるし幕臣との折衝もほとんどこの二人。
誠忠組のほとんどは藩の端役にしか就けなかった中で万両単位の金まで動かせるようになった大久保。
そりゃもめる

111: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/20(土) 17:15:39 ID:vHVygtU20
>>110
同感だがやはり大久保も小松にバックアップしてもらっていたのは事実
小松が亡くなった年の暮れに小松の墓参りに行った大久保はこんなに早く小松が早死するとは思わなかったと吉井友実と五代友厚との3人で嘆いている
後ろ盾だった小松が亡くなってから大久保は西郷と対立するようになる

112: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/21(日) 00:53:10 ID:WmXLHfXWO
暗殺された日の朝は3才の娘が泣きやまなかったので馬車に乗せて玄関前の馬回しを一回りして泣きやんだのを見てから家を出たそうだ
20日の朝日新聞夕刊に書いてありました

113: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/21(日) 01:05:56 ID:3ieEg5oY0
意外と家庭では人間味があるんだよな。意外と。

116: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/26(金) 18:39:04 ID:WCN4H4DEO
権力を持たないと理想を実現できません
徳川を徹底的に排除した大久保は賢い

118: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/26(金) 19:28:35 ID:C561JEEKO
>>116
確かに明治初めの方はかなり嫌って廃除しようとしてたけど、洋行後は使える人材は徳川だろうがなんだろうが出身関係なく登用してるよ
むしろ廃除されたのは江藤や西郷

119: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/26(金) 21:36:38 ID:LFS1RIVY0
政治家タイプの人間を排除する傾向が強まったとも言える。
旧幕臣で大久保に重用されたのは官僚タイプに限定されている。

120: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/26(金) 22:43:56 ID:jlI0TmRC0
まぁ、良くも悪くも、今の官僚至上主義的政治体制の基礎を築いた人だわな。

121: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/26(金) 23:42:44 ID:WCN4H4DEO
龍馬の考え
「徳川幕府を武力征伐したら日本の武力は内戦によりさらに弱まり、そのスキに外国に攻め込まれる
だから和睦による権力譲渡が必然」
しかし大久保は武力征伐を初めは考えてた
うーん・・・大久保は賢いとは言えないかも

122: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/26(金) 23:50:23 ID:7ZKtBKsM0
それ、小説内での作家の「こう坂本龍馬は言ったことにしよう」発言。

実際の坂本龍馬の発言は、
「大政奉還が徳川慶喜に受け容れられなかったら、海援隊を率いて徳川慶喜を討ち自らも死ぬ」、というもの。
討幕派そのものですよ。

123: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/27(土) 00:18:26 ID:odrw7miBO
なるほど
しかし和睦を先とした考えの元での考えだから
坂本思想=まず和睦 だめなら武力征伐やむなし

大久保思想=武力征伐

に変わりないでしょ

124: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/27(土) 00:28:45 ID:45hOeWZa0
大政奉還を和睦姿勢の表れと捉えるのが間違いの元で、討幕派にとっては大政奉還は、幕府を日本国政府の座から引き摺り下ろす策でしかないわけで、薩摩も徳川慶喜の大政奉還発言が出ると、土佐と共に慎重姿勢のあった朝廷を懸命に説得し、受諾にこぎつけています。

坂本龍馬にとっての大政奉還も、同じであったと思いますが。

129: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/27(土) 17:10:28 ID:odrw7miBO
結果和睦だろ
徳川首とられたか?

144: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/26(日) 20:32:55 ID:e5QkbrkfO
後世の人間から見たら偉大な政治家だとは思うが、当時を生きた士族や平民からしたら小○と似たようなもんだろうなあ
なんせ殺されたぐらいだし

145: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/27(月) 01:55:23 ID:8OkNbIoQ0
士族からは特権を次々と奪った推進者であり、また多くの士族が望んでいた征韓論を押さえ込んだ張本人として恨まれるのはわかるが、国民から嫌われてたというのはなんの情報?
大久保が清朝に談判に行って決着をみて帰国した時は凱旋将軍の帰国のような大歓迎ムードだったみたいらしいし、大久保の意見で地租の軽減も行われたよね。
地租改正などの一連の改革に対しての庶民の怨嗟は大久保個人というより明治政府そのものに対してだろ。
暗殺について言えば、大久保を暗殺した島田一郎らは大久保のみではなく斬奸状に切るべき存在として伊藤博文、木戸孝允、岩倉具視、大隈重信、黒田清隆、川路利良の名を挙げている。

146: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/27(月) 02:15:52 ID:V4Jmas1hO
地租軽減は大久保だってしたくなかったけど士族の武装放棄が続く状況で大規模一揆の誘発までさせたくないからしただけ。

維新後の徳政を待ち望む社会、身分社会から非身分社会への移行、金流出によるインフレ、維新政府分裂による政権不信、税制の未整備と片寄る資本投入による貧富格差。
茫漠たる不安と不満が充満する中で致し方なしにやったというのは日記や書簡からも明らか。

不満を解す一手としては正しいけど酒税やらタバコ税など片寄った物品課税を副産物として発生させた。その後の戦費調達などを含め徴税や財政のやりくりに関しては悪影響を残した。

地租軽減に至る判断を良かったか?悪かった?を評価するのはとても難しいところだ。

147: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/27(月) 02:39:43 ID:8OkNbIoQ0
大久保個人は一介の政治家であって、宗教家や博愛主義者でもなんでもないんだから政治判断に基づいて地租軽減を行ったというのは当然。
効果・実態はどうであれ、大久保の建白は国民にとって悪くは見えなかったんではないかな。

155: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/30(木) 14:52:04 ID:aR61GqNF0
大久保は榎本や大鳥らは助命して自分に逆らって対立した江藤を抹殺した
江藤の抹殺したことだけはどの政治家も批判していた
ちなみに榎本はかなり優秀な政治家だと思う。

158: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/01/07(金) 09:00:31 ID:JRKh9x7V0
>>155
大久保は黒田や西郷が助命を言い立てたから仕方なく榎本を助けたが、本心はかなりおもしろくなかったらしいことが日記から読み取れる。
しばらくは、榎本に敬称つけてなかったもんな。
同じ日に書いてる他の人物には「○○氏」とちゃんと氏をつけてるのに、榎本だけは「榎本」。明らかに故意すぎてワロタw

160: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/01/07(金) 21:08:02 ID:+3kPFQom0
>>158
それは知らなかったなあ。
なにが気に食わなかったんだろうか。

大久保と対立した要人たち
榎本武揚
大村益次郎
江藤新平

なんか共通点ってある?

162: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/01/07(金) 23:22:11 ID:JLvWFXm+0
>>160
他に対立した中で大物は慶喜と西郷か。渋沢や福澤も嫌ってる感じ
共通点はKYっぽいのと我を通す性格?
でも調整型の木戸もすごい嫌ってるから一概にまとめられないか

170: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/01/09(日) 18:16:18 ID:mZHXuMzv0
大久保を評価しさまざまなことも容認した岩倉だが
江藤の処罰だけは激怒した

大久保が対立した政治家
西郷隆盛
大久保は小松と久光との間を周旋したのに後々のことが… 薩長閥をまとめきれず
木戸孝允
大久保と対立したけど政界から遠ざかったのは木戸は病弱なのが要因
江藤新平
大久保が恐れた政治家
榎本武揚
ロシアとの交渉が締結すると和解
陸奥宗光
薩長閥が支配する政権に激怒

勝海舟と大久保一翁のふたりは日本のことも考えて幕府は負けを選んだと思っていた
次第に大久保と合わなくなり政府に対して距離を置くようになる

171: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/01/09(日) 18:54:10 ID:KzYJLeUg0
>>170
まぁ、江藤の場合は、江藤が里帰りし始めた翌日から討伐軍の編成をし始めて、反乱起こす前に討伐軍を向かわせて、反乱を起こさせるために佐賀士族を散々挑発して、江藤を東京へ連れてこいという勅使を無視し続け、形だけの裁判で処刑して、さらに刑に規定のなかった晒し首にしたというムチャクチャをやったからなぁ。

だから、江藤を好きな奴が大久保を嫌いだという気持ちは理解できる。

173: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/01/10(月) 14:08:48 ID:alozVMq+0
なんか木戸が誰か宛ての手紙で書いてたよね。
「大久保は普通に話をすれば解決できるようなことをわざわざ裏から工作してかえってややこしくするから困る」みたいな。

175: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/01/11(火) 00:46:59 ID:Gmmfom3x0
意外に木戸も大久保に毒殺されてたりしてなw
なんで、大久保の手を握りしめながら死んだのか、二人の関係を考えても不自然だ。

178: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/01/12(水) 08:37:50 ID:duGOP72h0
>>175
木戸って版籍奉還とか征韓論とか肝心なところで病気だったり事故で怪我してたりするが、もし大久保が仕組んでたんだとしたら怖ぇー

184: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/01/14(金) 21:50:38 ID:8cHZ1REn0
大久保って薩摩人の中では独特だよね。なんか爽やかじゃない感じ。
桐野のほうが魅力的に思えるもん。

引用元: ・大久保利通 其の六