1: 世界@名無史さん 2020/09/19(土) 12:14:23.09 0
1.鉄仮面
鉄仮面(てっかめん、仏: le masque de fer、英: the man in the iron mask、17世紀中頃? - 1703年11月19日)
または仮面の男(かめんのおとこ)は、フランスのバスティーユ牢獄に収監されていた「ベールで顔を覆った囚人」
その正体については諸説諸々。これをモチーフに作られた伝説や作品も流布した。

2.サンジェルマン伯爵
スペイン王妃マリー=アンヌ・ド・ヌブール と貴族メルガル伯爵 の私生児といわれている。
その人生を通じて享受していた経済的な安泰や高度の教育・教養はこの出自によるものが大きいと考えられる。
教養についていえば、同時代人には、化学に限らず様々な分野の知識が豊富で、巧みな音楽家であり、優れた画才を示したことが評価されている。
しかし彼の前半生は不明な点がきわめて多く、その正体が明確になるのはフランス社交界で活躍する1758年以降、彼が67歳になってからである。しかしこの年齢が正しいのかどうかも不明で、社交界で活躍していた時期の彼は40代以前にしか見えなかったという。

3.ヒトラー逃亡説
ヒトラーの死の謎は、スターリンの死去した1953年以降も伏せられたままだったが、驚くことに、スターリン自身、ヒトラーの自殺をほとんど信じていなかったようだ。なぜなら彼は、ドイツ降伏直後の5月26日にモスクワを訪れたアメリカのトルーマン大統領の特使ハリー・L・ホプキンズに対し、ヒトラーは生きており、側近のマルチン・ボルマンと一緒にどこかに隠れているのではないかとの見解を示している。
ハリー・L・ホプキンズが「ヒトラーはUボートで逃走したのではないか」と質問すると、スターリンは「それはスイスの黙認により遂行された」と答えたという。スターリンは、ポツダム会談でも繰り返し一貫してヒトラー逃亡説を語って関係者たちを困惑させていたという。








3: 世界@名無史さん 2020/09/20(日) 06:46:18.23 0
ルイ17世の行方
ロアノーク植民地失踪
海の民
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ルイ17世
(1785年3月27日 - 1795年6月8日)は、フランス国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの次男。

8月10日事件以後、国王一家と共にタンプル塔に幽閉されていたが、父ルイ16世の処刑により、王党派は名目上のフランス国王(在位:1793年1月21日 – 1795年6月8日)に即位したものと見なした。しかし解放されることなく2年後に病死した。

生存説とその否定

生存中から「タンプル塔にいるのは重病の別の子供であり、ルイ17世は逃亡している」と噂が流れており、実際にタンプル塔で勤務する者もヴェルサイユ時代、もしくはテュイルリー宮殿時代の彼を知るものは皆無であり、独房で幽閉されている姿を見た者もごくわずかである。死去の際にルイ17世の世話をしていたローラン、ゴマン、ペルタン医師も同様である。そのため「ルイ17世は逃亡しており、亡くなった少年は別人なのではないか」という噂が立った。

2000年4月、マリー・アントワネットの遺髪と、ルイ17世のものと思われる心臓のDNA鑑定がなされた。しかし、心臓の損傷が激しいため、鑑定にはかなりの時間を要することとなった(マリー・アントワネットの兄弟姉妹やいとこ、現在のハプスブルク=ロートリンゲン家の人物との比較でDNA鑑定は行われた)。
その結果は「心臓はルイ17世のものに間違いない」というもので、2004年6月にようやくルイ17世のものと判定され、フランス王家の墓地があるサン=ドニ大聖堂に心臓が埋葬された。

13: 世界@名無史さん 2020/11/11(水) 23:16:19.31 0
>>3
ロアノーク植民地消失の謎、ついに発見?
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/110900649/

16: 世界@名無史さん 2020/11/16(月) 20:03:23.27 0
>>13
この種の記事でありがちではあるが
謎はやはり残るのだなあ・・・

4: 世界@名無史さん 2020/09/21(月) 23:57:40.78 0
ケネディ暗殺犯
911テロの真犯人

甲骨文字の祖形(絵文字段階の象形文字とか)が未だに見つからないこと
始皇帝陵の内部

北匈奴とフン族の関連
インダス文字の解読

7: 世界@名無史さん 2020/09/26(土) 20:00:54.33 0
線文字A解読して

9: 世界@名無史さん 2020/09/26(土) 23:21:01.81 0
マチュピチュの建設理由

14: 世界@名無史さん 2020/11/11(水) 23:56:46.88 0
>>9
神殿でしょ

10: 世界@名無史さん 2020/09/27(日) 07:17:05.22 0
パタゴニアの巨人
複数の証言がある
cyiobhi


パタゴン
は、南アメリカ南端にいたとされる伝説の巨人族で、16世紀の探検家マゼランによって名付けられた人々である。
パタゴンあるいはパタゴニアの巨人は、16世紀から18世紀、まだパタゴニアの陸や海の様子が良く知られていない時代に最初に訪れたヨーロッパ人探検家たちによってヨーロッパに伝えられた伝説の巨人族である。

彼らの身長は少なくとも普通の人間の2倍はあるとされ、いくつかの伝聞ではその身長は12-15フィート(3.7-4.6メートル)とも、あるいはそれ以上とも伝えられたとされている。18世紀末に否定されるまで、今から見ると現実にはありえそうも無いこの巨人達についての伝説がヨーロッパでは250年もの間にわたって語り継がれていた。

巨人伝説の終焉

パタゴニアへの渡航がごく限られた冒険者たちの時代16世紀から17世紀、パタゴニアは巨人の国だとの認識がもたれていたが、18世紀に入ると航海技術も向上しパタゴニアへの渡航は冒険者だけの物で無くなり、パタゴニアに関する報告は増えていった。
1740年にパタゴニアに派遣されたイエズス会宣教師トマス・フォークナーはパタゴニアに長期滞在の上で1774年に自伝を発行し、そのなかでパタゴニアの人々は確かに大柄ではあり、フォークナーの知っているパタゴニアの族長の1人の身長は2.1メートルを超えていたとも残しているが、巨人というほどではなかったと証言している。

1773年のジョン・バイロンのパタゴニア人は背は高いが巨人と言うほどではないとの報告を加え、18世紀後半1770年代に続けて発行されたパタゴニアあるいはパタゴン人についての諸報告はいずれもパタゴンが当時のヨーロッパ人よりは背は高いものの巨人というほどではないことを証言し、これらの報告によってヨーロッパ人に伝わるパタゴニアの巨人伝説は終わりを告げるのであった。


11: 世界@名無史さん 2020/09/27(日) 20:28:13.96 0
趙匡胤、即位前の「謎の一夜」。
陳橋の変は、960年に後周領内の陳橋(河南省封丘県)で起こったクーデターである。これによって後周が滅び宋が建国された。

959年、五代随一の名君とされる後周の柴栄(世宗)が急死し、当時7歳の皇太子柴宗訓が帝位に即いた(恭帝)。しかし軍部を中心に、幼少の皇帝を主君に仰ぐことへの不安の声がじわじわと上がり出し、一部からは成年の有力な皇帝を擁立すべしとの声が出始めていた。

翌960年、北方の大国・遼の軍勢が大挙して押し寄せてきたとの知らせを受けた後周の朝廷は、殿前都点検・趙匡胤を国防の総帥に任じ、遼軍への対処を委ねた。趙匡胤が陳橋に入り、習慣であった深酒をして深夜に熟睡をしている時に事変が起こった。

かねてより幼君を主君に仰ぐことに不安を抱いていた軍人たちが、趙匡胤の弟・趙匡義を仲間に引き入れた上で、首都の開封に戻って恭帝に代わり皇帝になるよう趙匡胤に求めたのである。かくして、趙匡胤は部下の用意した黄袍(黄色い衣)を身に纏った。黄袍は皇帝の着る衣服であった。将兵に皇帝として、開封に戻ることを伝え、略奪等の蛮行を禁じた。翌朝、開封に入ると、恭帝からの禅譲を受け、正式に皇帝となった。これが北宋の太祖である(趙匡義はのちに第2代皇帝・太宗となった)。

しかし、この事変は一説に仕組まれたものであるとも言われていて、李卓吾は「黄袍はどこで売っていたのか?」と指摘している。皇帝専用の衣服が市販されているわけがなく、事前にこのクーデターで使用する為に特注するほかはないからである。事実、この時に遼が軍を動かしたという実態はなく、黄袍もあらかじめ用意されたものであった。


20: 世界@名無史さん 2020/11/20(金) 17:00:12.00 0
>>11
「謎の一夜」というならむしろ弟の趙光義では?
千載不決の議(せんざいふけつのぎ)は、北宋の太祖趙匡胤の死と、その死後の弟の太宗趙光義による帝位継承をめぐる一連の疑惑のことである。載は千載一遇の熟語における用法と同様、年と同義で、「千年を経ても結論が出ない議論」という意味である。

開宝9年10月20日(976年11月14日)の夜、太祖が急死し、弟の趙光義が帝位に即いた。これが宋の太宗である。しかし、その即位は当初から疑問視されていた。
太祖には、立太子されてはいないものの、すでに成人した男子が何人もおり、太宗の即位は彼らを差し置いてのものであった。さらには、既に人事不省となっていた太祖の寝室に、当時晋王であった太宗が見舞いに駆けつけるなり、太祖の死が公表されたことから、太宗が兄の太祖を殺害した上で即位したのではないかとの疑惑が持たれたのである。

さらに、皇帝の崩御によって改元する場合は崩御の翌年から元号を改める踰年改元にすべきところを、太宗の即位と同時に太平興国と改元したことも、太祖に対する礼を失するものとして疑惑を深めている。このことから、太宗による太祖殺害の疑惑は、宋一代ばかりか、実際に1000年たった今日でも結論が出ないまま取り沙汰されている。


12: 世界@名無史さん 2020/10/16(金) 23:08:59.44 0
情報がないのでおおむね教科書ではスルーされているが存在する
ウル第二王朝

15: 世界@名無史さん 2020/11/12(木) 16:51:15.89 0
ヴォイニッチ手稿
グアンチェ族の到来時期と民族系統(古代ローマ人はカナリアに来た時人間に遭遇しなかったというし、ベルベル系というのも状況証拠)
井真成の日本名
沙也可の正体
井 真成(せい しんせい/い まなり /い の まなり) 文武天皇3年(699年) - 天平6年/開元22年(734年))は、唐代の日本人の留学生または官吏。日本名は不明。中国の古都・西安で墓誌が発見された。

墓誌には、日本人留学生の井真成が、開元22年(西暦734年)正月■(朔~十,廿のいずれか)日に死去したので、「尚衣奉御」の官職を追贈されたなどと記されている。これは考古学的に、中国で発見された最初の日本人の墓誌であり、他国も含めた唐国への留学生の墓誌の唯一の発見例である。現存の石刻資料のなかで日本の国号を「日本」と記述した最古の例である。



沙也可(さやか、1571年? - 1642年または1643年)は、文禄・慶長の役の際、加藤清正の配下として朝鮮に渡ったが、投降して朝鮮軍に加わり、火縄銃の技術を伝えて日本軍と戦ったとされる武将。現代朝鮮語発音ではサヤガとなる。朝鮮では金忠善の名で知られ、字は善之、慕夏堂と号したという。韓国においては英雄扱いされているが、その活躍の実態は不明な点も多い。


18: 世界@名無史さん 2020/11/18(水) 01:23:37.10 0
「メルッハ」

メソポタミアの文献に登場する地名
インダス川流域か?

19: 世界@名無史さん 2020/11/18(水) 14:19:55.31 0
ミケーネ文明衰退の謎

28: 世界@名無史さん 2020/12/24(木) 19:03:57.62 0
林彪事件、飛行機墜落は事故?

29: 世界@名無史さん 2021/02/01(月) 18:58:34.63 0
「ディアトロフ峠事件」原因は雪崩で決着か?
ディアトロフ峠事件とは、1959年2月2日の夜、当時のソ連領ウラル山脈北部で雪山登山をしていた男女9人が不可解な死を遂げたことで知られる事件である。

当時の調査では、一行は摂氏マイナス30度の極寒の中、テントを内側から引き裂いて裸足で外に飛び出した(矛盾脱衣)とされた。遺体には争った形跡はなかったが、2体に頭蓋骨骨折が見られ、別の2体は肋骨を損傷、1体は舌を失っていた。さらに何人かの犠牲者の衣服から、高い線量の放射性物質が検出された。事件は人里から隔絶した山奥で発生し生還者も存在しないため、いまだに全容が解明されず、不明な点が残されている。

当時のソ連の捜査当局は「抗いがたい自然の力」によって9人が死に至ったとし、事件後3年間にわたって、スキー客や探検家などが事件の発生した地域へ立ち入ることを禁じた。

ソ連を引き継いだロシア連邦の最高検察庁は2020年7月13日、雪崩が原因との見解を示した。

30: 世界@名無史さん 2021/02/05(金) 06:20:07.42 0
>>29
単なる雪崩では放射能の説明がつかない。
小型の戦術核を実験したのでは。

31: 世界@名無史さん 2021/02/13(土) 21:03:59.86 0
オーストラリア大陸に最初に着いたヨーロッパ人航海者はオランダ人のウィレム・ヤンスゾーンで1606年の出来事じゃる。

しかし、ところが、下記のサイトなどには
「最初にオーストラリア大陸に接触したヨーロッパ人はポルトガル人で、1520年代に大陸東部を探検したとされる」
と書かれている。なぜにゃ。
http://www.travelvision.co.jp/schoolaustralia/learn/history-culture/history/australia.php

32: 世界@名無史さん 2021/02/17(水) 06:56:57.57 0
>>31
マゼランのことか?

35: 世界@名無史さん 2021/03/03(水) 03:15:21.14 0
>>31
1520年代ならマゼラン隊しかない

マゼラン隊はマゼラン海峡を通過しただけでフエゴ島の大きさを知らないしドレーク海峡を知らないホーン岬も知らない
南大陸と思っていた

マゼラン海峡で南米大陸から分かたれたフエゴ島は、南半球に広がる仮説上の「未知の南方大陸」の一部とみなされた。フエゴ島、オーストラリア、南極大陸を包括した架空の大南極大陸は、Terra Australiaと呼ばれていた

フエゴ島発見=南大陸発見=オーストラリア大陸発見

このへんがごっちゃになっているんでしょう

34: 世界@名無史さん 2021/03/03(水) 02:42:42.64 0
ナスカの絵文字

37: 世界@名無史さん 2021/03/19(金) 17:10:12.03 0
インドネシアの9月30日事件

スハルトの陰謀説

40: 世界@名無史さん 2021/04/27(火) 14:14:47.26 0
天皇の子孫
日本国内の古墳の本当の埋葬者

42: 世界@名無史さん 2021/04/27(火) 18:29:16.89 0
中国と台湾と沖縄
近年でこそ中国の武装漁船が沖縄に頻繁に来て、台湾には軍事的威嚇をしてるが、漢族の台湾や沖縄への進出は距離の割に驚く程最近で文化的に孤立感が強すぎる
インドネシアとニューギニアとオーストラリアとニュージーランドにしても交易はゼロではないがやはり同様の感じが強い

引用元: ・★世界史で未だに未解明な謎★