1: 世界@名無史さん 2009/09/13(日) 09:57:37 0
世界の歴史を動かしたのは大人だけじゃないよネ
若年にもかかわらず世界史にその小さな足跡を遺した少年少女たちのものがたり








3: 世界@名無史さん 2009/09/13(日) 10:17:44 0
少年十字軍の先頭に立っていた少年  とか?

7: 世界@名無史さん 2009/09/13(日) 10:52:38 0
ジャンヌダルク

17: 世界@名無史さん 2009/09/13(日) 19:54:32 0
改めて考えるとジャンヌ・ダルクはすごい。
神様のおつげを聞いたからって、一介の百姓娘が王太子に会いに行くとは。
そして諸侯の先頭に立って敵軍を追い払い、太子を王に即位させる。
百年戦争は終結に向かい、彼女はヨーロッパの歴史を変えてしまった。
これがフィクションなら、そんなトンデモ設定ありえねーと誰もが言うだろう。

20: 世界@名無史さん 2009/09/13(日) 20:38:02 0
>>17
だから王太子の異母妹だったという説も、けっこう信憑性があるんだよね。
しかも妹だったからこそ、王は平気で国家と王朝の存続のためになんのためらいもなく使い捨てにすることができた、という展開もあるね。

これは、佐藤賢一の本に出てきた説じゃなかったかな。

22: 世界@名無史さん 2009/09/13(日) 22:01:30 O
中・近世では上流階層の未婚の娘が戦場に出ることは考えられん
王侯貴族の女が戦場で司令官を務めるときも、領主夫人もしくは未亡人の資格で出る

下層階級の女で生活のために男になりすまして兵隊になるのはたまにあるから、ジャンヌは農婦だな

23: 世界@名無史さん 2009/09/13(日) 22:10:57 0
現代に神託を受けたジャンヌが現れてアメリカ大統領に会いに行ったらSPに取り押さえられて強制収用されて終わりか

24: 世界@名無史さん 2009/09/13(日) 22:52:52 0
>>23
共和党の大統領候補に推された、ぱっとしない風貌のリンカーンって弁護士に、「おひげ生やした方がいいんじゃない?」と助言したグレースっていう女の子がいたけど、あれはもしかすると歴史を動かす神のお告げだったかも。
200px-Lincoln_Bedell_statue


グレース・グリーンウッド・ベデル・ビリングス(1848年11月4日 - 1936年11月2日)は、アメリカ人女性。11歳の時にエイブラハム・リンカーンにあごひげを生やした方がいいという手紙を出したことで有名。

大統領選挙目前の1860年10月15日、ニューヨーク州ウェストフィールドに住んでいた彼女はリンカーンに存在感を示すためにあごひげを生やしたほうがいいといった手紙を送った。
リンカーンは10月19日に手紙に対する返事を送ったが約束はされなかった。しかし1ヶ月後彼は豊かなひげを伸ばし翌年イリノイ州からワシントンD.C.に戻る途中、彼女の住むウェストフィールドに立ち寄り彼女と出会い彼女はキスを受けた。


27: 豚松 ◆4FfyOtW0fiF5 2009/09/14(月) 07:48:58 O
ジャンヌ・ダルクが王侯貴族の娘、な~んてありえない。
理由は既にレスしている人がいるから書かないが。

まだ中世だ。「神のお告げ」を聞く者がよく出たんだよ。
それを我われ現代人は笑うし、実際それが本当に神のお告げだったとは信じがたいが、古代~中世はそれがあった。迷信に満ち溢れていたから、そう思い込むわけ。
もし神仏のお告げが実際にあるとしても我われ現代人の大半には聞こえないし、それらしき言葉を聴いたとしても、自分の思考や聴力が鈍っているとしか思わない。
要は時代が違えば物事の受け止め方もまるで違うってこと。
(後の)王様がジャンヌを見捨てたのもごく自然なこと。
まして、ジャンヌは対英強硬派の一員だったから、王様や妥協派としては疎ましくなってきたわけ。

よく近現代になって人情がなくなった云々いう人がいるが、昔は昔で過酷だったから我われより太い神経と冷たい血を持っていたし、人命に繊細ではなかった。ましてや戦争の最中なら尚更。

ちなみに、少なくとも最初の頃のジャンヌはいざ戦に出ると怖くてたまらなかったし、戦術も武芸もなかったから、「こんな小娘が参加してるのだから!」と男たちを奮い立たせる役割。

28: 世界@名無史さん 2009/09/14(月) 08:08:39 O
肉体と近接武器で戦う中世なら士気が戦闘力そのものの一つだから、士気を高める役割はすごい重要な気はするけどね。
なんかジャンヌって単なる蛮勇のイメージ。

29: 豚松 ◆4FfyOtW0fiF5 2009/09/14(月) 08:35:37 O
>>28
士気やそれを高める役割って近代戦よりも重要だったろうね。

「乙女」って言葉から俺たちがイメージするのとは違って、心身ともに屈強で蛮勇な女の子だったかもだったかもね。時代も野蛮だったし。後に描かれた絵画と違って容貌も(ry
あと、話が前後するけど、ジャンヌの「神の御告げを受け」話もジャンヌと同じように無知と迷信に満ちていた兵士たちの士気を高める重要な要素だったかもしれない。
それが王太子をはじめ王族や聖職者からも喧伝されていただろうから尚更に。
俺は理由を知らないけれど長い間半ば忘れられていて、ナポレオン一世が政治戦略のためにジャンヌ・ダルクを盛んに宣伝し初めてから、再評価が始まった、と聞いたことがあるけど本当なのかな?

14: 世界@名無史さん 2009/09/13(日) 13:10:45 O
カール十二世


軍人としては十分だ。
200px-Karl_XII_1697


カール12世(1682年6月17日(グレゴリオ暦6月27日) - 1718年11月30日(グレゴリオ暦12月11日))は、プファルツ王朝のスウェーデン国王(在位:1697年 - 1718年)。バルト帝国に君臨し、ロシアのツァーリ・ピョートル1世の好敵手として知られる。

1700年に大北方戦争が開始されると、その若さに乗じようとした近隣諸国を出し抜き、国外に進出して各地を転戦し、北方同盟を結成したザクセン選帝侯・ポーランド・リトアニア共和国、デンマーク=ノルウェー、及びロシアの連合を打ち破った。


15: 世界@名無史さん 2009/09/13(日) 14:19:18 0
18歳でロシア軍に大勝したってすごいねカール12世。

18: 世界@名無史さん 2009/09/13(日) 20:35:15 0
康熙帝は三藩の乱のときまだ少年じゃなかったか?
前線には出なかったが、北京から立派に作戦を指揮した。

25: 世界@名無史さん 2009/09/13(日) 23:15:32 0
世界史を動かした程じゃないけど、サファヴィー朝のイスマイールは12歳でシャーに即位してからカリスマを発揮し大活躍した。

34: 世界@名無史さん 2009/09/14(月) 13:01:18 O
思いつくのは…

・セイラム事件の少女たち

・ベルナデット・スビルー

・ジェンナーの種痘の臨床実験体の少年

・サグントゥムの嬰児
・ジョゼフ・バラ

ところでフィリップ・アリエスに触れないのはなんで?

35: 豚松 ◆4FfyOtW0fiF5 2009/09/14(月) 14:29:07 O
>>34
俺はほんの少し読みかじった程度なんだけど<(_ _)>、フィリップ・アリエスが言うには、中世には子供という概念がなく、単に「小さな人」という扱いで、5歳?までは頭数にも入れられていなかった。
7歳になれは徒弟修業に出されて、下っ端とはいえ「小さい人として」大人の仲間入りし、容赦されない代わりに酒も異性間交友も許されていた、と主張していたと思う。百科辞典で見て、驚いて読んでみた。
近代初期になるまでは子供服もなかった、はたまた大人は他人の子供(孤児?)を投げ殺して遊んでいたとか。
どこまで真偽かは解らないし、俺の記憶も知識も怪しいけれど、衝撃を受けた。近現代人の俺からすると恐ろしい。

47: 世界@名無史さん 2009/09/16(水) 00:05:13 0
>>35
文化程度が未熟だとこどもを単なる「小さい人」とみるってよく思われてるけど(それでよく中世欧州の例が出される)、個人的にそれって文化の熟成度の問題じゃなくてゲルマン特有の文化なんじゃないかって思う
現に、それより昔同じ土地に住んでたローマ人たちは子供は保護すべきものだって考えてたわけだし
現在も欧州の幼稚園に行くと、とてもしつけが厳しくて、子供が規律を乱すと保育士は容赦なく怒鳴るらしいし、在欧の人が子供を現地の幼稚園に通わせると、日本人としてとても居た堪れなくなって結局日本人向けの保育園に入れることになるともよく聞く。

51: 豚松 ◆4FfyOtW0fiF5 2009/09/16(水) 01:01:02 O
>>47
なるほど。
「古代にはあった子供を保護したり教育を施すという概念」の古代というのは古代ローマのことなのですね。
ゲルマニアや(特にローマによる征服前の)ガリアにそんな概念があったとは思っていませんでしたけど、(もちろん近代ほどではなくても)古代ローマにならばあったように思えます。あと、欧州では幼児への体罰が酷いとはよく聞きます。これは文化の違いですから善し悪しを決めることは出来ませんし、もちろん怒らないのは問題ですが、いくら何でもチビ助にそんな酷い体罰をしなくても・・・
と私などは思ってしまいます。

39: 世界@名無史さん 2009/09/15(火) 02:16:07 0
先進八カ国連合軍が平和維持軍として北京に進駐した20世紀初頭に、彼らから自国を守ろうとして立ち上がった徒手空拳戦闘チーム・義和団の平均年齢は14~16歳。

処女の少女だけのチーム「紅灯照」などは有名。

少年少女らは欧米軍の銃砲弾の前に若い命を散らした。
紅灯照はリーダーが逮捕されたとの一報で集団自決して果てた。

日本軍はそのまま駐留し続けて日中戦争の元になった。
またこの時の戦いを評価されて日英同盟が結ばれた。

中国側は、阿片戦争での国軍の失敗、民衆蜂起の義和団の敗戦を経て、袁世凱が台頭した。

41: 世界@名無史さん 2009/09/15(火) 03:37:35 0
今でも、語り継がれる、救国の女英雄

義和団の少女チーム「紅灯照」のリーダー、処女戦士を率いる娼婦上がりの美人お姉様、黄蓮聖母こと林黒児(20代で戦死?)とかも女傑。


no title

42: 豚松 ◆4FfyOtW0fiF5 2009/09/15(火) 06:50:55 O
>>39,>>41
義和団ってそんなに平均年齢が低かったんだ!
ベンパツ頭の青壮年(20代~40代初頭)の集団かと思っていた。
集団自決か。悲惨だなぁ・・・
生きていたら酷い目に遭っただろうけど。

43: 世界@名無史さん 2009/09/15(火) 10:02:11 O
毛沢山の紅衛兵みたいなものか?

44: 世界@名無史さん 2009/09/15(火) 16:35:57 0
会津城が落ちたと思って自決して果てた白虎隊の中華少女版みたいなものだ。

ベトナム戦争末期にサイゴン陥落を知った南ベトナム少年兵学校の生徒たちも集団自決したね。

チャウシェスク大統領への反乱が起きたとき、孤児上がりの少年兵たちが独裁者大統領夫婦を守ろうとして全員戦死してるね。

彼らの親を殺して孤児にし、「私たちがお前の親代わり」と絶対に裏切らない親衛隊を作ったチャウシェスクは卑劣だった。

48: 豚松 ◆4FfyOtW0fiF5 2009/09/16(水) 00:24:09 O
>>44
当時「孤児ばかりを集めて作った孤児(みなしご)部隊」と報道されていましたが、彼らが全員戦死したとも、はたまた彼らの両親はチャウシェスク政権に殺されたとかとは翌年も報道されてなかったものですから驚きです。

53: 世界@名無史さん 2009/09/16(水) 17:56:54 O
李世民と平陽公主は?

55: 世界@名無史さん 2009/09/17(木) 17:21:22 0
ハドリアヌスの寵童だったアンティノーも外せないな。
何せ神格化されている。

57: 世界@名無史さん 2009/09/18(金) 07:28:51 0
ケビン・カーターの「ハゲワシと少女」で写真を取られた子供
25


58: 世界@名無史さん 2009/09/20(日) 22:31:59 0
あの女の子どうしてるのかな

59: 世界@名無史さん 2009/10/10(土) 19:41:33 0
近くで母親が国連の援助食糧を受け取っていたというから、当面は大丈夫だったんだろう。
あの写真でアフリカへの寄付金がずいぶん集まったそうだから、自殺したカメラマンも、たぶん天国に行けたと思うね。

60: 世界@名無史さん 2009/11/08(日) 20:32:28 0
ベトちゃんドクちゃんもけっこう日本の世論を動かしたんじゃないかな

62: 世界@名無史さん 2009/11/08(日) 22:18:38 0
康煕帝、ピョートル大帝
共に同時代人で、皇帝であっても少年では何も動かせないと親政前は悪友等とチャンバラごっこに明け暮れて馬鹿を装っていたのが素晴らしい。

63: 世界@名無史さん 2009/11/08(日) 22:21:49 0
エカテリーナ・ダーシュコワ夫人は19歳で、エカチェリーナ2世即位時のクーデターで活躍。
200px-Dashkova


エカテリーナ・ロマノヴナ・ダーシュコワ公爵夫人(1744年3月17日(グレゴリオ暦3月28日) - 1810年1月4日(グレゴリオ暦1月16日))は、ロシア帝国の貴族。ロシア皇帝エカテリーナ2世の最も親しい友人であり、ロシアにおける主要な啓蒙主義者の一人。ロシア科学アカデミー院長、ロシア・アカデミー総裁として、エカテリーナ2世統治下のロシアにおいて文化・教育・科学政策を主導した。

女帝の登極に大きな役割を果たしたダーシュコワ夫人は、女帝から2000ルーブルの年金と農民600名を下賜される。当時、ダーシュコワはシュヴァロフ伯爵をして、「19歳の女性が我が国の政府を変えた」と絶賛させるに至った。

67: 小便小僧 2009/11/09(月) 18:52:47 O

ベルギー国王暗殺の爆弾の火をオシッコ掛けて消した小便小僧は偉大だね。


69: 世界@名無史さん 2009/11/14(土) 22:58:34 0
少年と言うか未成年だけど、ガヴリロ・プリンツィプ
山口二矢の名前も出てくるけど、まあ歴史を動かすとなると、暗殺が有力な行為として上がってくるのでは

72: 世界@名無史さん 2009/11/19(木) 22:14:27 0
>>69
原敬総理を刺殺した中岡艮一も未成年だったな。
しかし年少の者が起こした暗殺事件は、背景が不透明なことが多い。
暗殺犯の当人は自分の意思で殺したと思っていても、
実は単なるロボットに過ぎなかったりして。

74: 世界@名無史さん 2009/11/20(金) 00:54:17 0
カエサル暗殺時、オクタビアヌスは未成年だったはず
事件後、単身元老院にむかい、自分の支持を訴えた

でも日本史だと10代半ばで城落としたとかチラホラ見るし取り立てて早熟なわけでもないのかな

75: 世界@名無史さん 2009/11/20(金) 03:38:51 O
オクタビアヌスは確か18だな。
副官アグリッハ゜は少し上だ。

76: 世界@名無史さん 2009/11/20(金) 17:15:40 0
邪馬台国を再統一したといわれてる壱与
どう歴史が動いたのかはまだわかってないが

77: 世界@名無史さん 2009/11/27(金) 08:21:08 0
>台与
どうせなら美少女って書いてくれればいいのに
中国の史書も気が利かないなあ

78: 世界@名無史さん 2009/11/27(金) 09:55:38 O
幼女であることは確定している。
そして育ちがよい、高貴な身分。

さらにみなが担ぐ神輿なら美しさもあったと推定するんだ!

82: 世界@名無史さん 2009/12/07(月) 12:19:25 O
小早川秀秋

関ヶ原当時未成年。

スゲー

84: 世界@名無史さん 2009/12/09(水) 21:56:53 0
>>82
元服済みだから未成年とは言えないんじゃ
立派な成人

85: 世界@名無史さん 2009/12/19(土) 22:28:18 0
吉川元春の初陣は10歳だったが、元服前ってのは当時としても異例。
子供なのに店長じゃなくて子供なのに敵陣突入。

91: 世界@名無史さん 2010/01/16(土) 15:13:30 0
直接歴史は動かしてないが、1800年、第一執政時代のナポレオンの爆殺未遂事件で火薬の樽を積んだ馬車の手綱を担ったのは、名も無く事情も知らない15才の少女だった。もちろん身体は木っ端微塵。
ナポレオンにとって小娘1人の死は、どうという事では無いが、その後の歯止めの効かなさを助けているのは疑う余地なし。

92: 世界@名無史さん 2010/01/16(土) 17:06:07 0
>>91
王党派も惨いことするな、とその事件の詳細を知った時に思った。
カトリック信仰からは、たとえ王家の為でもこれはれっきとした殺人だよな。

94: 世界@名無史さん 2010/01/16(土) 21:42:34 0
>>91
その暗殺が成功していれば、ロシア遠征とかで何十万のフランス人やロシア人が無駄に死なずに済んだのに

106: 世界@名無史さん 2010/04/11(日) 00:24:30 0
前のほうで出ていたガヴリロ・プリンツィプだけど、彼がオーストリア皇太子夫妻を殺さなければ、第一次世界大戦は起きなかっただろうか。
だとすれば一青年が歴史に物凄い影響力を行使したことになるが・・・

115: 世界@名無史さん 2010/07/12(月) 21:19:13 0
>>106
> 前のほうで出ていたガヴリロ・プリンツィプだけど、彼がオーストリア皇太子夫妻を殺さなければ、第一次世界大戦は起きなかっただろうか。
> だとすれば一青年が歴史に物凄い影響力を行使したことになるが・・・

フェルディナント大公の親戚や友人が、欧州の王族に多数いて、同情を呼び、調停がうまく働かなかったからな。
あの銃弾がなければ、別のきっかけで世界大戦になったかどうか。

109: 世界@名無史さん 2010/05/06(木) 19:39:28 0
中国は五胡十六国時代のはじめ、匈奴を破った荀灌という13歳の女の子がいたな
荀彧の子孫だからあるいは美少女やも
荀灌(カン) - 荀崧の末娘。315年、襄城郡太守であった父の荀崧が叛将杜曾に城を包囲された時、わずか13歳で救援の使者となることを志願した。
数十名の兵とともに反乱軍の包囲を突破し、その追撃も退け、父のかつての部下達へ危機を知らせ、援軍により反乱軍を撤退させた。



112: 世界@名無史さん 2010/05/21(金) 18:39:29 0
匈奴征伐といえば有名なのが霍去病。
18歳で騎馬部隊を率い、匈奴を連戦連破し北方に追い払った。
北方騎馬民族はティーンエイジャーに弱いという傾向が見て取れる。

引用元: ・歴史を動かした少年少女