1: 人間七七四年 2021/01/21(木) 11:58:22.45 ID:jVTUMlE5
今川家10代当主 今川氏輝

父・氏親の死により14歳で家督を継ぎ、はじめ母の寿桂尼が実験を握っていたが、19歳から本格的に親政を開始、かなり早い段階で検地などを行い、軍事面でも武田信虎の軍勢を北条氏綱と連携し何度も撃退、さらには甲斐に侵攻し、山中湖周辺に定期的に反撃をしている

文化人としても知られていたが、24歳で突如病死

健康であったなら天下を取ることも夢ではなかった
若き天才、今川氏輝について語ろう!






今川 氏輝(いまがわ うじてる)は、戦国時代の駿河の戦国大名。今川氏の第10代当主。

永正10年(1513年)、駿河の守護大名の今川家に第9代当主・今川氏親の嫡男として生まれる。
大永5年(1525年)に元服し、氏輝を名乗る。翌大永6年(1526年)6月23日には父氏親が死去し、家督を継いだ。家督継承時は14歳と若年であったため、母の寿桂尼が後見人として補佐した。

天文2年(1532年)には遠江において検地を行ない、さらに朝廷に献上物を送るなどして、中央との関係強化に務めた。氏親期からの相模国後北条氏との駿相同盟は維持され、天文4年(1535年)には、相模の北条氏綱と連携して甲斐国守護武田信虎と対立する国人勢力を後援して信虎と争い、甲斐国都留郡山中(現在の山梨県南都留郡山中湖村)において信虎勢と戦っている。

天文5年(1536年)には冷泉為和とともに歌会のため小田原へ赴いているが、同年3月17日に死去している、享年24。為和の日記や武田家臣の日記『高白斎記』などに拠れば同日に氏輝の後継的立場にあった弟の彦五郎も死去している。



3: 人間七七四年 2021/01/21(木) 12:29:26.26 ID:TRTX1Jlc
嘘つけ
平山の武田信虎で1万の大軍差し向けるも大敗、今川兵撤退したいけどできなくてダンケルク状態になり、有名な僧侶に和睦以来お願いするも信虎の怒り凄まじく交渉は長期化し、ひたすら低姿勢でなんとか撤退させてもらったとあるぞ

4: 人間七七四年 2021/01/21(木) 12:32:00.37 ID:TRTX1Jlc
よっぽど信虎が怖かったのか北条と敵対するのわかってたのに武田と同盟結んで
案の定、北条と交戦状態になる

5: 人間七七四年 2021/01/21(木) 12:35:44.61 ID:TRTX1Jlc
ちなみに武田領に北条は攻め混んでるが信虎軍も武蔵になんども侵略して破壊しまくり
西武蔵手にいれてるので
>>1の書き方は公平じゃない

8: 人間七七四年 2021/01/21(木) 22:48:47.48 ID:mcY4APx8
信虎を何度も撃退したのに信虎に大敗して帰還もできず屈辱の土下座交渉で兵の撤退見逃してもらって
北条と敵対することわかってたのに武田と同盟結んだのに今川が圧勝???

11: 人間七七四年 2021/01/22(金) 01:04:07.85 ID:sfpfViIy
>>8
んなこたない
氏輝の代には撃退したどころか、山中湖あたりに侵攻したことが分かっている
さらに武田と同盟を結ぶというのは有能
しかもイケメンときている

義元という出来損ないの弟とは大違い

9: 人間七七四年 2021/01/21(木) 23:58:53.52 ID:oC5GO+/K
マイナーなすぐ下の弟の彦五郎
今川 彦五郎(いまがわ ひこごろう)は、戦国時代の人物。今川氏親の子で、今川氏輝の弟。

当主である氏輝と同日に死亡したという異様な出来事が記録に残されているにもかかわらず、不明な点の多い人物である。氏輝・彦五郎兄弟の死は、今川義元・玄広恵探兄弟による今川家を二分した内乱(花倉の乱)へとつながる。

10: 人間七七四年 2021/01/22(金) 00:00:38.23 ID:KvRgKbNu
同じ日に死んだんだっけ?
だから弟説と息子説があるんだよね

14: 人間七七四年 2021/01/22(金) 14:21:41.09 ID:SUa7sCjK
氏輝の通称も彦五郎なんすけど…?

15: 人間七七四年 2021/01/22(金) 17:10:33.49 ID:i5IUFUI0
氏輝は五郎だよ

16: 人間七七四年 2021/01/22(金) 22:17:31.55 ID:sfpfViIy
氏輝は有能だった
少なくとも若くして武田北条と互角に渡り合った
これといった失策もなく、検地を行うなど革新的ですらあった
精力拡大のさなかに病気で死亡
そして弟の権力争いで母の影響で無能な義元が当主に

18: 人間七七四年 2021/01/23(土) 08:06:46.71 ID:AhWnQMTb
義元は戦死だから遡って無能扱いされやすいけど(ドラマや漫画で)、十分有能だろ。
信玄だって、砥石で死んでたら、イキって早死にした甲斐の山猿呼ばわりされたはず。

19: 人間七七四年 2021/01/23(土) 10:25:00.03 ID:6PrW+5k7
氏輝だったら軍勢をあんなにビローンとは広げないはずだからな
余程の慢心だと見ている
こういうミスを氏輝はしていない
35: 人間七七四年 2021/01/29(金) 18:41:25.14 ID:VFOf9Uub
てか義元は武田軍と一戦交えるのが怖くて仕方なかったんだろうな
その点氏輝は毅然として立ち向かった
外交能力もあった

36: 人間七七四年 2021/01/30(土) 04:09:52.58 ID:aPznLp09
>>35
貧乏な山国に手出しして結局叩き出されてるのに?

豊かな東海道で西の隣国(三河)がガタガタだったら、そっち狙うのは当然。

20: 人間七七四年 2021/01/23(土) 12:20:43.55 ID:mp4s1wXJ
義元妾腹説
寿桂尼、玄広恵探推し説

22: 人間七七四年 2021/01/23(土) 13:51:10.45 ID:6PrW+5k7
>>20
それはない
我が子である氏輝の血筋に拘ったから

義元の補佐も行っていることから分かる
しかも義元は殆ど母親に頼りっきりだからな
氏輝兄を見習うべきだった

26: 人間七七四年 2021/01/23(土) 17:52:32.48 ID:6PrW+5k7
氏輝は独立して親政を行った
独立できていない義元との差は結構ついていた
義元は坊主だったからか、どこか腑抜けている
嫡男ゆえに氏輝はしっかり者だった
桶狭間みたいなミスは犯さんよ

27: 人間七七四年 2021/01/23(土) 19:43:53.65 ID:A9p4ixCp
けど三河に食い込めたのは義元の功績だよ
前線での攻略は雪斎がやってたけど

28: 人間七七四年 2021/01/23(土) 21:08:58.39 ID:6PrW+5k7
雪斎死んで一気に統率力なくなったってあるだろ
ほぼ雪斎と母親のおかげよな

それに比べてイケメンの氏輝は若いうちから凄い

29: 人間七七四年 2021/01/23(土) 23:30:36.39 ID:mp4s1wXJ
病弱と言われながらも小田原に歌詠みにいった氏輝が意味わからん
暗殺か?

31: 人間七七四年 2021/01/24(日) 01:04:32.94 ID:ULQCxVaT
>>29
食中毒からの病死だろう
なんせ病弱だから
風流人でかつ猛将で智将なのよ

32: 人間七七四年 2021/01/24(日) 02:55:15.03 ID:x8vM2JmE
食中毒で兄弟同時死亡ってどうなのよ

33: 人間七七四年 2021/01/24(日) 12:27:41.89 ID:ULQCxVaT
小さい子供って当時はすぐ死ぬことが多かったからただの偶然だろう
小田原での工程がかなりきつかっただけ


38: 人間七七四年 2021/04/10(土) 09:06:42.12 ID:0yLUe6tV
氏輝は暗殺の可能性がある。
すぐ下の弟も同じ日に死ぬと、邪魔者の恵探をさくっと滅ぼして自分が手塩にかけた義元を当主に据えた切れ者雪斎。
こいつはめちゃくちゃ怪しい。

39: 人間七七四年 2021/07/10(土) 17:55:41.18 ID:EczzDqPN
そもそも彦五郎って存在したのかね
死亡記事しか、それも他国人の記録にしか出てこないんでしょ
そもそも彦五郎は当主とその嫡子しか名乗れない通称のはずなのに次弟が名乗ってるのもおかしいし
「彦五郎氏輝」一人の死が何らかの要因で他国には誤って「彦五郎」と「氏輝」二人の死と伝わったとかじゃないの
死んだのが氏輝一人だけなら病弱だったみたいだし急死してもそこまで不自然さはないしな

44: 人間七七四年 2021/08/17(火) 21:37:01.48 ID:qn8PipJR
>>39
歴代当主で彦五郎を名乗ったのが確実なのは元々は嫡男じゃなかった範忠ぐらいだから彦五郎が氏輝の息子だと逆におかしいよ

40: 人間七七四年 2021/07/12(月) 12:35:10.26 ID:J4h1s1Lv
>>39
氏輝と最後まで行動を共にした冷泉為和の為和集には「今月十七日氏輝[廿四●止々]死去同彦五郎同日遠行」、高白斎記にも「十七日今川氏輝、同彦五郎同時ニ死ス」と書かれていることから、氏輝とは別に彦五郎という者がいたのは確定しているよ
氏輝との続柄関係についてはいずれも触れていないが、彦五郎は「遠行」となっていることから「死去」と身内同然のように書かれている氏輝に比べて、為和とあまり接点がない感じはするね
氏輝弟説を提唱してる小和田哲男氏は、妙法寺記の記述を根拠としてるけど、そこには「此年四月十日、駿河ノ屋形御兄弟死去被食候」とあるだけで具体的な人物は書かれていないし、仮に氏輝のことであれば3月17日なので月日も間違っていることになるから、完全に鵜呑みにするのは危険だと思う
当時駿河甲斐国境で伝染病が流行していたという記録も残っていることから同日に2人亡くなっても不自然ではないし、俺は氏輝子説が一番しっくり来ると思っている
氏輝が危篤に陥って慌てて元服前の子供に彦五郎を名乗らせたものの相次いで亡くなってしまったって感じじゃないの

43: 人間七七四年 2021/07/23(金) 14:04:42.96 ID:Uou0Gsth
>>40
そう考えると氏輝は特に不健康でもなく疫病に巻き込まれて死んだ訳だから、1560年に氏輝が統治していたら、桶狭間みたいなポカは無かったよな
氏輝は甲斐に定期的に軍を出して侵入するような猛将だし

41: 人間七七四年 2021/07/12(月) 13:04:51.37 ID:ALiothll
いまだに五郎彦五郎使い分けルールがよくわからん

42: 人間七七四年 2021/07/12(月) 13:48:38.24 ID:J4h1s1Lv
>>41
氏輝が五郎なのはおそらく今川氏が遠江守護を兼任していた頃の通称が五郎だったことに因んでいると思うよ
実際、氏親は氏輝が生まれた永正10年を遡ること5年前に遠江守護に任じられてるし意識はしてるでしょ

引用元: ・【10代当主】若き秀才・今川氏輝【義元の兄】