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1: 無名武将@お腹せっぷく 2008/07/21(月) 23:06:03
曹操レベルの人物なんて世界史上腐るほどいる
中国史上でも大したこと無い








5: 無名武将@お腹せっぷく 2008/07/22(火) 00:00:56
・創業に名を残した統一国家名君
始皇帝、劉邦、劉秀、李世民、趙匡胤、チンギスハーン、朱元璋

・守成に名を残した統一国家名君
漢武帝(劉徹)、武照タン、愛新覚羅玄ヨウ

・中国文化の祖、偉大な思想家
孔子、老子、荘子、墨子、孟子

・恒久に語り継がれる民族を超えた大英雄
関羽、岳飛、文天祥、楊業


とりあえず様々なカテゴリーの偉人、英雄を大雑把に並べてみたけど曹操はこの中のどれにも入らないんだよね。
世界史代表に出すには惜しくも中国予選決勝で敗れてるというイメージがする。
しかし、さすがにあれほどの人物が世界史腐るほどはいるはずはない。

7: 無名武将@お腹せっぷく 2008/07/22(火) 00:31:47
>>5
何やらせてもそれなりに優秀で詩人で孫子も注釈しちゃう
秀才万能っぷりがすごいんじゃないか

でも天才ではない

26: 無名武将@お腹せっぷく 2008/07/22(火) 23:58:23
まあとりあえず文化面での功績は凄いわな。
詩聖をこの世に生み出したんだから。

30: 無名武将@お腹せっぷく 2008/07/23(水) 21:55:32
曹操の功績は詩人として腕だけでなくてむしろ詩の社会的地位を押し上げた事にあるんじゃ?

31: 無名武将@お腹せっぷく 2008/07/23(水) 22:00:02
前漢代も結構高い地位にあったよ、詩(賦)は
(ふ)とは、古代中国の韻文における文体の一つ。唐の詩や宋の詞などと並び、漢帝国を代表する文芸である。戦国時代に端を発し、形を変えながら遅くは清に至るまで存続した。

漢詩が歌謡から生まれたのと考えられるのに対し、賦はもとより朗誦されたものと考えられている。文体の性格としては漢詩と散文の中間に位置する。
賦は元来国ぼめの性質を持つとされ、都城の賛美に使われたほか、あらゆる場所・物・感情を網羅的に表現する手段として用いられた。
漢代の賦は抒情的要素が少なく、事物を網羅的に描写する。時代が下ると抒情的な性格も強まっていき、また駢儷文や近体詩などの影響を受けるようになる。


32: 無名武将@お腹せっぷく 2008/07/23(水) 22:03:56
建安文学によって詩が文学、芸術作品の域まで高められた、ってなんかで読んだ気がする。
っていうか前漢代の詩なんて宴会とかでちょこちょこっと詠まれたくらいのモンだろ。
形だって曹操の頃のとまるで違うし。

33: 無名武将@お腹せっぷく 2008/07/23(水) 22:06:17
すげえ司馬相如とか宮廷の音楽否定しやがった・・・!

曹操の功績は、以降の貴族文化の礎を築いたことだよ
民を犠牲にしてのことだけどね
司馬 相如(しば しょうじょ、紀元前179年 - 紀元前117年)は、中国の前漢の頃の文章家である。字は長卿(ちょうけい)。もとの名は犬子(けんし)と言った。蜀郡成都県の人。
賦の名人として知られ、武帝に仕え、その才能を高く評価された。また妻である美貌の卓文君との恋愛も有名である。

34: 無名武将@お腹せっぷく 2008/07/23(水) 22:07:22
むしろ曹操の頃あたりに漢詩の大まかな形が決まってきた気がするな
三曹と七子の文体が後のスタンダートになった感じだ

36: 無名武将@お腹せっぷく 2008/07/23(水) 22:10:06
曹操の詩文についての功績を否定するわけじゃないけどな
韻文の文化はずっと続いてて、その一部分なんだよ、三曹は

37: 無名武将@お腹せっぷく 2008/07/23(水) 22:14:59
そりゃ詩そのものは曹操以前からあったからな
でもここで言われてるのはそういう基本的な型のことじゃないだろう

なんだろうな、俺の印象だから上手くいえないんだけど、それまで思い思いに詠んで楽しむだけだったのが、文章として観賞して美しさを意識したりって要素が入ってきたような感じなんだよな

38: 無名武将@お腹せっぷく 2008/07/23(水) 22:19:55
うーん…
後々まで続く詩の社会的認識だったり文体だったり詩のありようが、曹操の頃の詩活動で基礎が出来た、ってことじゃんね-の?

40: 無名武将@お腹せっぷく 2008/07/23(水) 22:31:19
感情の起伏の激しい詩人気質を押さえ込んで政治家やってたところが、実はものすごく儒教的

みたいなことを宮城谷先生が言ってた

43: 無名武将@お腹せっぷく 2008/07/23(水) 22:38:35
>>40
曹操自身は儒学を否定してたんだろうか?本人も儒学者なのになあ

若い頃は礼法をいやがったって言うし、わざわざ求賢令なんて布告にするくらいだからあんまり形式バリすぎるのはキライだったのかも知れないけどな

49: 無名武将@お腹せっぷく 2008/07/23(水) 23:31:39
>>43
これまた宮城谷先生の意見で申し訳ないんだけど、曹操は多種多彩な人材集めるためにも儒教を捨てられず、かえって劉備の方が儒教的なものから逃れてるって書いてたな
結構納得した

50: 無名武将@お腹せっぷく 2008/07/23(水) 23:56:17
>>49
曹操はどちらかといえば儒教寄り。
例の漫画によって、何故か儒教嫌いが強調させてから妙な誤解を生むことになってしまった。

51: 無名武将@お腹せっぷく 2008/07/24(木) 14:18:28
曹操も求賢令の中で「平時は徳行を重視するが」って言ってるし、儒教的価値観を尊重してるよね

53: 無名武将@お腹せっぷく 2008/07/24(木) 15:01:15
「平時は徳行を重視するが」って建前って言うか常識として当たり前のことで、無理に儒教と結びつける内容じゃなくね?

54: 無名武将@お腹せっぷく 2008/07/24(木) 15:19:14
儒教的価値観が嫌いって言うよりは、儒教先行で判断してしまう気風が嫌いだったのかもしれない

いまの学歴みたいだな

58: 無名武将@お腹せっぷく 2008/07/24(木) 17:55:33
酒の醸造法

59: 無名武将@お腹せっぷく 2008/07/24(木) 18:52:16
地酒の一つ二つ開発した程度で・・・

75: 無名武将@お腹せっぷく 2008/07/25(金) 13:42:16
>>59
当時の酒はろくに発酵すらさせていないような原始的なものだが、そこにいきなり日本酒の原型が誕生するんだから凄い話。

60: 無名武将@お腹せっぷく 2008/07/24(木) 19:06:46
詩の功績って間接的に紙の大復興に繋がってるよな

64: 無名武将@お腹せっぷく 2008/07/24(木) 22:17:51
>>60
洛陽の紙価が上がる、だっけ?
言葉になってるよね

65: 無名武将@お腹せっぷく 2008/07/24(木) 22:19:44
>>64
詩のお陰で紙が普及した、は流石に無いわ

66: 無名武将@お腹せっぷく 2008/07/24(木) 22:47:27
>>65
晋の左思が「三都の賦」を作ったとき、張華がこれを大いに称賛した。
人々は争ってその詩を書写したため、紙が大量に必要とされ、洛陽の紙の値段が高騰した。

67: 無名武将@お腹せっぷく 2008/07/24(木) 22:55:51
>>66
いや、だから詩賦が紙普及の要因ってのは言いすぎだっての
三国時代には詔にも紙が使われ始めてるから、詩とは別に紙は普及してたんだって
むしろ、普及してきてたからみんな紙に写したんだよ
因果関係が逆だ

68: 60 2008/07/24(木) 23:03:58
まあどっちにしろ紙の復興そのものは曹操の功績ではないよね

でも紙の普及にはかなり影響したんじゃないかなあと

69: 無名武将@お腹せっぷく 2008/07/24(木) 23:18:14
三国時代は政府間で使われる資料などでは紙が使われ始めてたらしいけど、まだまだ紙は高価なもので民間ではあまり普及してなかったらしい

根拠はなんなのか知らないけど、紙が民間で普及し始めたのは東晋の桓温の頃とかいう話を聞いたことある

71: 無名武将@お腹せっぷく 2008/07/25(金) 07:42:23
当時は読むものが少ないから、曹操や曹植の詩も蜀や呉に伝わって読まれてたんだよね
曹丕は典論を孫権にプレゼントしてるし、曹操も注釈孫子をみんなに送ってたのかもしれない

139: 無名武将@お腹せっぷく 2008/08/01(金) 04:30:16
所謂英雄って呼ばれてる人は結構人非人的な所があるからなあ・・・。
そういう意味じゃ曹操は結構人間味があっていいと思う。
英雄に成り切れなかった人間って位置づけが正しいのかもな。

151: 無名武将@お腹せっぷく 2008/08/02(土) 17:15:02
赤壁や漢中などの重要な局面で負けてるのはかなりのマイナスになるよね。

154: 無名武将@お腹せっぷく 2008/08/02(土) 18:02:18
赤壁の大敗は確かに痛手だけどあれって慣れない水上戦でしかも魏の陣中は疫病が流行ってしまい、とてもじゃないが勝てる見込みが高いとは言えない戦だったから仕方が無いのでは?

漢中での戦いも呉と同盟を組んでいた蜀が全面的に漢中に主力を集められたのと違い、魏は呉が合肥を執拗に狙っていたのと関羽が樊城を常に睨み付けていた為に兵を集中することが出来なかった。
それに曹操が漢中に着いた頃には夏侯淵が討たれたために戦況はほぼ決していたから曹操が関与する余地は無かった。

このような状態の中ではどんな人物でも戦況を跳ね返す事なんて無理なのでは?

156: 無名武将@お腹せっぷく 2008/08/02(土) 18:28:26
赤壁の大敗は、負けた理由じゃなくて、負けた事による影響が重要なんだから
疫病や慣れない水上戦は言い訳にしかならないと思うけど

162: 無名武将@お腹せっぷく 2008/08/02(土) 18:39:28
大部分の人がどう言う種類かは知らんけど、最近の三国志に影響受けた人は、むしろ「三国志の英雄で凄い、だから中国史においてもとても凄い」だと思う。

163: 無名武将@お腹せっぷく 2008/08/02(土) 18:46:12
曹操は凄い。国力の発展のさせかたが凄い。これでいいか?

167: 無名武将@お腹せっぷく 2008/08/02(土) 19:12:14
>>163
三国みな対等とするんなら魏だけ発展の仕方が桁違いだからな。
ただ河北以北の発展は袁紹の影響も大きいからむしろそいつに勝った戦争の強さのがピックアップポイントだろうな。

168: 無名武将@お腹せっぷく 2008/08/02(土) 19:34:41
曹操の凄さは

十倍の兵力差がある相手に壊滅的被害を与え勝利した
有力勢力ではなくただの群雄にすぎなかったが連戦連勝で勢力を拡大した
戦で大敗を喫しても勢力が揺らぐ事無く態勢を整えられる
兵糧確保のために誰よりも早く屯田制度を行い兵糧を欠かすことが無くなる
たとえどんな人物でも才能さえあれば用いる革命的な人材登用
兵書孫子を注釈し現在でも残る十三篇に編纂した
現在の日本でも用いられている酒造法を発明した
詩仙・詩聖といわれた人物たちにも影響を与えるほどの詩の才能

これだけ政治家・軍事家・文学者として多方面で才能を示した人が居たら教えてください
腐るほどいるって言うんだからすぐに名前が出るでしょう

169: 無名武将@お腹せっぷく 2008/08/02(土) 20:05:45
気になった所がいくつかあったので。
他の部分はおっしゃる通りだと思いまふ。

> 十倍の兵力差がある相手に壊滅的被害を与え勝利した

ヒ水の戦いの謝安等、寡兵で大軍を撃つ例は史上に多くあるかと。


> 有力勢力ではなくただの群雄にすぎなかったが連戦連勝で勢力を拡大した

公卿になれる家柄ですし、初期は袁紹閥に属して行動してたので十分有力です。張繍をはじめとして、敗北や引き分けは結構あるので連戦連勝ではないですよ。


> 兵糧確保のために誰よりも早く屯田制度を行い兵糧を欠かすことが無くなる

屯田制はかなりの搾取構造なので、食糧と兵力は確保できますけど、士気の面での影響が大きく、曹魏が呉蜀をなかなか倒せない要因ともなりました。そのため、西晋の時代に廃止されてます。


> 詩仙・詩聖といわれた人物たちにも影響を与えるほどの詩の才能

具体的にはどのように影響を与えたとお考えですか。
曹操の詩に関しては、つっこんだ議論を見たことがないのでぜひ。

173: 無名武将@お腹せっぷく 2008/08/02(土) 21:55:15
>>169
一番最後の文化面の話だけど、乱世において文人の保護を行い、あれだけ活発な文学活動を生み出したってのは、かなり特筆されることなのでは?

当時、他の文化圏でああいう動きがあったかどうかは不勉強でよく知らんけれども。

171: 無名武将@お腹せっぷく 2008/08/02(土) 21:30:35
兵力差についてはたしかに史上では多く見受けられます
ですが凡将にはそういった逆転勝利というのはそうそう出来るものではないので多く例があろうと凄い事には変わりないのでは?

確かに家柄もよく袁紹が東郡太守に任命しましたが国力で見れば、袁紹・孫策・袁術のような有力勢力から見れば足元にも及ばず有力とは程遠い戦力差であった
その状態から青州黄巾軍・陶謙・呂布・袁術・袁紹と打ち破ってきた
張繍を相手に敗戦をしたが最終的には曹操に降ってる
細かい戦の勝敗では負けてる事もあるがどこで勝敗を付けるかで見方が変わるものなのでは?
少なくとも私はその勢力との決着が着くまで勝敗は決まるものではないと思ってます

屯田制度は確かに士気に関わりマイナス面もあるが今までの農民から略奪のような方法で兵糧を確保していた他の勢力に比べればしっかりと兵糧を確保でき、有力勢力ではなかった曹操軍が勢力を拡大出来た大きな要因になってる事には違いはありません

詩に関しては曹操の詩は漢代の歌謡である楽符の形式をで作られ三十余編あります
今なお曹操の詩は親しまれ特に「短歌行」などが有名です
曹操は行軍中や決戦の前でも詩文を作る文人の顔を持ち、また建安文学をうちたてた功績者であり、気骨ある建安体の詩風を生み出した1人でもある
李白という人物は後に詩仙と呼ばれ、その詩風は建安体を元にした詩です
今でも親しまれる詩文を生み出しただけでも十分に凄いと思うんですが


つまり私が言いたいのは一つ一つ取り上げれば曹操よりも偉業を成し遂げた人物も居ると思いますが、総合的にここまでやり遂げた人物が腐るほど居るか疑問って事です

174: 無名武将@お腹せっぷく 2008/08/02(土) 22:05:05
>>171
> 詩に関しては曹操の詩は漢代の歌謡である楽符の形式をで作られ三十余編あります
> 今なお曹操の詩は親しまれ特に「短歌行」などが有名です
> 曹操は行軍中や決戦の前でも詩文を作る文人の顔を持ち、また建安文学をうちたてた功績者であり、気骨ある建安体の詩風を生み出した1人でもある
> 李白という人物は後に詩仙と呼ばれ、その詩風は建安体を元にした詩です
> 今でも親しまれる詩文を生み出しただけでも十分に凄いと思うんですが

こういった解説はよく聞かれるのですが、さらに具体的な例が欲しいのです。
李白を例に挙げられましたが、では、李白のどの詩に曹操の影響が見られるのか?
という事を述べて欲しいという事です。
曹操をはじめとする建安文学の功績は偉大ですが、漢詩は常に進化を続け、唐代の大隆盛に至った事実も考慮すべきです。
謝霊運など、漢詩におけるその他の改革者を無視して曹操からいきなり李白に結びつけるのはいささか強引と思われます。

177: 無名武将@お腹せっぷく 2008/08/02(土) 22:29:57
強引かどうかなんてその人の考え方の違いなんだしなんとも言えないね
それと李白の詩のどこが曹操の影響を受けたとかではなく、李白が作る詩文自体が曹操たちが生み出した建安体が元となってるという事なので、有名な人の例えで李白の名を出したまでで別に無視なんてしていない
それとも例えで出すにもその経緯をいちいち述べなくてはいけないのかな?

まぁ簡単に言えばエジソンが最初に白熱電球という明かりの元を作ったのと同じようなもの
その後の発展も重要だけどやっぱり最初に何をしたかがもっと重要なのではないんですか?

172: 無名武将@お腹せっぷく 2008/08/02(土) 21:36:27
屯田に関しては、デメリットもあるんだろうけど時の状況に置いて食料を確保出来ると言うメリットの方が大きいと思うぞ
兵の士気に影響がどれほどのもんか分からんし

175: 2008/08/02(土) 22:16:55
やっぱり赤壁の大敗した後でも劉&孫の連合軍と戦えたんだから凄いよ。劉備なんか大敗の後白帝で死んだしね笑

189: 無名武将@お腹せっぷく 2008/08/03(日) 00:20:11
そもそも他の時代の英雄との比較ってどうやるんだ?
時代背景も情勢も全然違うのに比較しようがないと思うんだが

191: 無名武将@お腹せっぷく 2008/08/03(日) 00:49:19
後世で評価されるって難しいことだよな。
それを考えるとやっぱり凄いのは関(ry

193: 無名武将@お腹せっぷく 2008/08/03(日) 01:34:47
曹操の後世評価ってかなり微妙じゃない?
本来は偉大な人物のはずが三国志演義で明らかな悪役に仕立て上げられ不当な評価を長年受け続けたんだからね

でも今は評価が変わっているし十分に英雄と言える人物だと思うんだけどなぁ・・・
それに一時代の史書に認められるだけでも十分に凄いことだと思うのは俺だけ?
正直俺はここまで後世に残るほどの偉業を成し遂げる自身なんて無いんだが

194: 無名武将@お腹せっぷく 2008/08/03(日) 01:51:53
三国志演義成立前の評価も、王敦が曹操の詩を好んでたとか石勒が曹操を貶した位しか話が出てこないので、むしろ演義のおかげでスターダムになれたと言えるかもよ。

195: 無名武将@お腹せっぷく 2008/08/03(日) 01:54:59
陸機&陸雲兄弟が曹操マニアな往復書簡を残してるよ
「魏王の持ち物みっけたので兄上のために貰っておきました」とか

引用元: ・曹操のどこが凄いのか分からん