51W0CwlNswL._SL500_



1: 世界@名無史さん 2008/01/03(木) 22:30:58 0
馬にのって戦ったといってもサラブレットみたいな馬じゃなくて、小さい馬にのって重い鎧をきて直線的な動きしかできなかったらしい。








3: 世界@名無史さん 2008/01/03(木) 22:42:21 0
ローマ軍もスパルタ軍も映画でみるような立派なものじゃないと思う。
映画にでてくる馬ってサラブレットじゃん。古代ローマ軍がのってた馬って小さい馬だろ。
モンゴル軍ですら、サラブレットみたいな馬じゃなくて小さい馬にのってたし。

4: 世界@名無史さん 2008/01/03(木) 23:03:39 0
>>3
サラブレッドは早く走れるだけで非常にもろい。
大型で頑丈のように見えるがすぐに怪我する。

指摘するように昔の軍馬は小さい。
体格はポニー並だが、頑丈なので重いものを持たせてもへこたれない。

11: 世界@名無史さん 2008/01/04(金) 19:05:04 0
昔の戦争は基本は兵の数が多いほうが勝つ

12: 世界@名無史さん 2008/01/04(金) 20:02:22 O
>>11
今でも基本はそうだろ

16: 世界@名無史さん 2008/01/05(土) 00:54:52 0
>>12
今は兵隊の数より兵器が優れてるほうが圧倒的に有利
さらに経済力が物を言う時代

50: 世界@名無史さん 2008/05/30(金) 17:57:54 0
>>16
昔の方が経済力がものを言ったんじゃないの?
どの世界でも人件費が一番高いだろ。それに昔は攻撃も守りも人力に頼った部分が多いし、ますます人件費が高くついたはず。

51: 世界@名無史さん 2008/05/30(金) 19:12:21 0
>>50
中世近世の傭兵全盛期ならそうともいえるかもしれませんが、それ以外(特に古代)では餓えた蛮族が富裕だけど軟弱化した文明国を打ち破るという例がたくさんありますね
それに反して現代では軍事技術の高度化で資金力のある方が絶対的に強いです。
現に米国は肥満率高いけど世界最強の軍隊をもってますしね

13: 世界@名無史さん 2008/01/04(金) 20:38:09 O
ところで馬に蹄鉄打って無い頃は馬は戦ではあまり使いものにならなかったのかな?
日本なんて馬に蹄鉄使い始めたのなんて幕末の頃にヨーロッパの文化が入って来てかららしいが。

14: 世界@名無史さん 2008/01/04(金) 23:37:58 0
>>13
基本的に蹄鉄をうつのは定住民(騎乗の士は一般の兵士より格上)の軍馬で、騎馬遊牧民は大量にいる馬にいちいち蹄鉄をつけるはずもなく(そんな鉄があったら鏃にする)そのまま乗っていた。
騎射戦術には問題なかったが、石の多い場所だと蹄が割れて大変だったようである。

17: 世界@名無史さん 2008/01/05(土) 09:39:33 0
パルティア騎兵
http://www.iranchamber.com/history/parthians/parthian_army.php
parthian_cataphracts



重装騎兵は若干ましな体格の馬に乗っているようにも見えますが、古代イランの軍馬ってどういう系統の馬でしょうね?

18: 世界@名無史さん 2008/01/05(土) 21:19:40 0
軍馬は大きいか小さいかより、丈夫か、長く動けるか、重いものを持たせても大丈夫かが問われる
サラブレッドは大きいが早く走れるだけで軍馬には使えない

20: 世界@名無史さん 2008/01/06(日) 01:33:48 0
武士が乗っていた馬がポニーのようだという話も、現在、頭の中で想像するポニーよりも大きかったようですよ。

25: 山野野衾 ◆CXSSL1llHI 2008/01/07(月) 21:53:48 0
>>20
>現在、頭の中で想像するポニーよりも大きかったようですよ。

ポニーの定義が肩の高さ147cm未満で、中世日本の軍馬が体高130~145cmであったのに、それより大きかったとはこれいかに。
体格は動物園で見る「ポニー」よりたくましかったようですが。
ただ、中世前期なら騎射に乗り回していたものの、後期には下馬戦闘が普及しますから、一日に長距離を移動できることが重視されたようです。
馬に乗ったまま戦った例もあるものの、偶発的な戦闘であったらしい。
勢いよく疾走出来る馬よりは、長く歩ける馬ということ。

移動時には牛馬に草鞋を履かせていましたが、これも戦場に到着すると脱がせていたということです。牛馬用の草鞋の使用は14~20世紀。蹄鉄は享保年間に物好きが試していますが、普及したのは明治以降。
徒歩の随伴者を想定しない独立した「騎兵」という兵科が成立し,ガラス窓を破るような役割を求められるようになったのもこれ以降でしょう。
それ以前は騎馬の「士」に、徒歩の「卒」が同行していた。
もっとも、シーボルトなどは日本の山道を移動するには草鞋の方が優れていると書いていますが。

23: KG ◆XK9DTM1U/. 2008/01/07(月) 19:27:58 0
既出かもしれませんが、古代における最も基本的な戦闘隊形は、3つに分割されていました。

①重装歩兵(heavy infantry)、②騎兵(cavalry)、③軽装歩兵(light infantry)です。
この内、軽装歩兵は、弓や投石器や投槍といった飛び道具で武装していました。

これらの戦闘部隊は、ジャンケンゲームの「グー、チョキ、パー」に例えられるのだそうです。

①重装歩兵部隊は、長槍でもって、騎兵や戦車部隊に立ち向かうことができました。
②騎兵部隊は、味方の重装歩兵を、敵の軽装歩兵による側面攻撃から守ることができました。
③軽装歩兵部隊は、味方の重装歩兵に守られていれば、騎兵に立ち向かうことができました。

とはいえ、軽装歩兵は、騎兵の機動力が落ちる起伏のある地形で、本領を発揮したのだそうです。
そのような地形では、軽装歩兵部隊は、敵の重装歩兵にやりたい放題だったそうで。

このジャンケンゲームに負けたのが、ペロポネソス戦争でのアテネ軍でした。
トゥキディデスによれば、アテネの重装歩兵部隊は、山地の戦闘で、投石器を駆使する地元の軽装歩兵に殺戮されました。

27: 世界@名無史さん 2008/01/08(火) 09:06:28 0
>>23
古代の重装歩兵って要するに長槍の密集陣っしょ?
スペインのテルシオみたいに投射兵器と組み合わせればウマーのような気もするが
この頃は弓矢とかの威力が低かったのかな

28: KG ◆XK9DTM1U/. 2008/01/08(火) 18:16:39 0
>>27
>古代の重装歩兵って要するに長槍の密集陣っしょ?

そうです、いわゆる「ファランクス」ってやつです。
映画「アレクサンダー」では分かり易く描かれていて、ガウガメラ戦のシーンでは、パルメニオンが、マケドニア軍左翼の重装歩兵の指揮官になっています。
そして、右翼に行ってしまったアレクサンドロスの騎兵部隊に、援護の要請をしきりに出しています。
というのも、>>23の②に書いたように、重装歩兵部隊は、騎兵部隊の援護がないと、背・側面が丸裸になってしまうからです。

重装歩兵(ファランクス)は、正面攻撃には強く、劇中にも描かれていたように、騎兵や鎌付戦車をも撃退することができますが、側面や背面攻撃にははなはだ弱く、そこを騎兵や戦車部隊に襲われると、密集が“ほぐれ”、無力化されてしまうのです。
鎌付戦車の“側面”車輪に鎌がついているのはそのためで、重装歩兵の密集の側面を“けずり落とす”効果があったと思われます。
ですから、騎兵隊は、敵の騎兵隊による、自軍の重装部隊への側面攻撃からの防衛こそが、最大の任務でもありました。
それで、騎兵は、敵の騎兵隊が自陣に到達する前に、敵の騎兵隊を叩かねばなりませんでした。
その結果として、騎兵vs騎兵の騎馬戦が引き起こされました。

これに対して、スリングショットや、弓、投槍で武装していたのが、③軽装歩兵部隊です。
この部隊の役目は、機動性の低い密集部隊の歩兵を狙い撃ち(スナイピング)し、密集陣形に“間”と“破れ”を作ることです。
そして、できた隙間に、騎兵や、準重装備の歩兵が飛び込み、密集陣営を内部からズタズタにします。
あるドキュメンタリー番組の再現では、投石兵や投槍兵が、味方の密集陣形の隙間から飛び出てきて、敵兵(騎兵も含む)を狙い撃ちし、すぐにまた陣形に引っ込んでいました


41: 世界@名無史さん 2008/03/01(土) 01:56:16 0
誰か鎌戦車について語ってください。

42: 世界@名無史さん 2008/03/01(土) 19:58:18 0
ダ・ヴィンチのアイデアメモにある鎌戦車はスゴイ。
この戦車の前に立った敵兵士は上半身と下半身が生き別れ。
0644f44e74cb8ab5a903dc2a843969c8

43: 世界@名無史さん 2008/03/03(月) 07:05:50 0
>>42
それは未来兵器すぎ。スレの趣旨からすると、フツーに二輪馬車の車軸に鎌をつけたやつじゃない?
兵器として実用的なのかは疑問だけど、たしか映画『ベン・ハー』の戦車競争に出てたかな。

44: 世界@名無史さん 2008/03/09(日) 17:12:11 0
歩兵の目からみると、鎌戦車と歩戦協同はしたくないっす
古代の鎌戦車って実際にはどんな運用されたんだろ
オールタンク・ドクトリン?
敵の方陣の横を削る攪乱専門部隊?

46: 世界@名無史さん 2008/03/15(土) 21:56:33 0
>>44
古代の戦争における鎌戦車の役割としては敵軍の前列を崩すと同時に後続の歩兵が突撃しやすいように隙をつくるものだと思います。
でもマケドニアのファランクスには正面から挑んでも串刺しになるだけですが。

47: 世界@名無史さん 2008/05/20(火) 02:59:24 0
>>46
ファランクスの長槍で馬や馬上の兵を殺したところでそこまでに加速された鎌戦車の突撃衝力はなくならないんじゃないの?
アレクサンドロスは鎌戦車が突撃しはじめたら方向転換できないことを利用して、オトリの軽歩兵に突撃させてかわしたんじゃないの?

鎌戦車の天敵はファランクスというよりは騎兵だし。

60: 世界@名無史さん 2008/08/19(火) 02:24:40 0
ペロポネソス戦争で過激な好戦的行動を取ったのは商売人と結び付いた中産階級。
所謂デマゴゴスの多くがこれだった。
逆に富裕な貴族の家系では戦争回避の努力が行われた。
ニキアスが戦争に消極的だったのがその典型。

ペリクレス曰く「戦争になったからには支配者として生き残るか、さもなくば滅びるかだ」。

68: 世界@名無史さん 2008/09/10(水) 20:35:56 0
ペロポネソス戦争で戦死したアテナイ人よりクリティアスの独裁政権に粛清された人間の方が多かったってんだから、如何に実戦では戦死者が少ないかって話だよな。

マラトンやグラニコスの戦いでの勝った側の戦死者の異常な少なさを見ても負ける側はまず士気が崩壊して潰走するのが普通だったんだろな。

70: 世界@名無史さん 2008/10/08(水) 20:51:53 0
現代の戦争は機械化されているが、古代の戦争とは、まさに人と人の殺し合いだったのだよ。
残酷さがダイレクトに伝わるという点においては、決してショボくはないんだぜ。

79: 世界@名無史さん 2009/03/09(月) 12:51:47 O
兵器の効率性からいって直接戦闘では死ににくいよな。

81: 世界@名無史さん 2009/03/09(月) 17:50:11 0
死亡率人口比でいえば小さな社会の戦争の方がよっぽどシビアだよ
現代は非戦闘員が死ぬ確率はそんなに高くない

97: 世界@名無史さん 2009/03/14(土) 07:54:01 0
古代ペルシャやローマでは、数万の兵は軽く動かせた。多少頑張れば十万を越える兵も動かせた。
数から行くと現代に劣らない。
そこへ行くと中世は、多くてもせいぜい数千人単位、数から行くとショボイのは中世。

100: 世界@名無史さん 2009/03/15(日) 01:09:35 0
>>97
古代には強力な中央集権国家が多かったけど、中世にはそれが崩壊して小規模な共同体が乱立したから当然動員力も落ちるんだが。
そういう時期を経験してるかどうかで現代の国家の体質さえ左右されてるからなー。

98: 世界@名無史さん 2009/03/14(土) 08:36:07 0
庶民、一般兵から武人、武士、貴族へと主役が移る→飛び道具は卑怯なので禁止等、多分に儀礼的な戦争になる

封建領主が戦争する時代になるとどうもどこでもこんなことが起きるようです

110: 世界@名無史さん 2009/03/15(日) 07:53:22 0
よく中世の戦は数百人対数百人なんて話を聞くけど、それは騎士などの数えてもらえる人間だけで、実際に戦場に赴いた人間を数えると万に迫るなんて可能性はある?
それとも額面どおり下っ端を含むと捉えちゃっていいのかな?

112: 世界@名無史さん 2009/03/16(月) 05:41:23 0
>>110
万はないな。
中世じゃないけどルネッサンス期の有名な「アンギアリの戦い」では戦死者は馬に踏み潰された一名だけとか極端な話が伝わってたり。
基本的に西欧中世は封建貴族の拠出した兵員だけで戦うので余り大規模になりようがない。

113: 世界@名無史さん 2009/03/16(月) 07:28:57 0
それは傭兵同士の戦争だったからで小規模云々とは話が全然違う
当時の傭兵は派手に戦っておきながら損害を限りなくゼロに抑えて丸儲けする手口が横行してたから、戦死負傷者ゼロの芸術的戦争がそこかしこで起こってた

115: 世界@名無史さん 2009/03/16(月) 18:21:02 0
ていうかイタリアが特殊
イタリア戦争でフランス軍とハプスブルクのドイツ・スペイン軍がイタリアで衝突したが、人をガチでバカスカ殺すからイタリア人は衝撃受けたって話だからな
イタリア以外のヨーロッパは普通に戦争してたよ

117: 世界@名無史さん 2009/03/17(火) 04:00:37 0
16世紀(かな)のイタリアの文筆家が書いた文章で「戦争は千人より百人で行われるのが望ましい。そうすれば個人の勲功がより明確になるから」とかいうのがあったらしい。
これがシャルル8世のイタリア侵攻後に書かれたものだってのがビックリ。

124: 世界@名無史さん 2009/03/17(火) 16:08:46 0
誰もが眠っていた暗黒の中世ヨーロッパでちゃんと起きていたのはポーランドだけ

125: 世界@名無史さん 2009/03/17(火) 16:15:56 0
イタリアでもヴェネツィアなんかは真面目に戦争してたような

128: 世界@名無史さん 2009/03/17(火) 18:26:14 0
>>124-125
両方とも貴族による民主的な議会制度があったから
ヨーロッパで中世後期にこういう制度を持っていたのはこの2カ国だけ

132: 世界@名無史さん 2009/03/18(水) 11:15:17 0
ヴェネチアなんかは海上封鎖してトルコを経済恐慌に陥れたんだからすごいよあんな小国なのに

138: 世界@名無史さん 2009/03/20(金) 13:48:09 0
イタリア人が自分で戦争しないのは、西欧では圧倒的に金があったから
交易金融加工生産文化芸術、生産性で完全に群を抜いていた
比較的豊かなフランスと比較してさえ、1人あたりのGDPに10倍も開きがあったほど

で、イタリア人を兵隊にするんじゃあまりにもコストが高いから外国の出稼ぎ傭兵を雇って戦わせようとなったわけ
そりゃ月給5万円で戦争してくれる人間がいたら喜んで雇う
おかげで13~15世紀あたりまでのイタリアは年がら年中戦争しても資金が尽きない戦国状態になった

148: 世界@名無史さん 2009/04/05(日) 07:08:58 0
>>138
その考え方は半分正しい

例えばフィレンツェでは13世紀末まで市民皆兵制を採用しており、周囲の貴族から都市を守るために市民たちが自ら軍を組織してまじめに戦争に参加していた
しかし都市の経済成長が著しくなると貧富の差も増大して富裕層による国政寡占状態が生じ、戦争がいつしか富裕商人の利権確保の道具でしかなくなっていった
その結果下層の市民は富裕市民に対して不満を持ち始め、兵役を忌避するようになる。富裕市民は自らの経済活動に忙しく、戦場になどいく暇がない
そこでフィレンツェは兵役免除税を設定して、その金で外国から流れてきた傭兵を雇うことになった。 ・・・と、俺の手元にある本にはそう書かれてる

つまり、イタリア都市国家が傭兵を雇った理由としてイタリア人の所得が高かったからだ云々というのは少し的を外した見方ではないのかと言いたい
もっと単純に、都市の支配者たる富裕市民に対して忠実で都合のいい人間が市内に存在しなかったので外部の傭兵集団を雇っただけというのが正解では?

ただし、イタリア人を兵隊に使うと金がかかるというのは間違っていない
15世紀になると都市が雇う傭兵のほとんどがイタリア人となりスフォルツァやカルマニョーラなど国の重職に任ぜられるほどの活躍を見せる傭兵隊長が多数現れた
雇い主側も傭兵団の寝返りを危惧して土地や多くの報酬で繋ぎとめようとした。15世紀半ばの兵一騎の値段は13世紀末に比べて十倍以上値上がりしたらしい

149: 世界@名無史さん 2009/04/05(日) 12:15:29 0
古代ローマが国防をローマ市民による軍団兵から傭兵へとシフトしていった過程はどういうものだったんだろうか。
そのフィレンツェの例との比較として。

156: 世界@名無史さん 2009/04/06(月) 19:53:48 0
>>149
ローマ市民による軍団兵から傭兵へとシフトしていった過程って、・・・それはローマの始めから終わりまでの軍制史そのものだ。フィレンツェや他の中世国家とはかなり状況が違う。

ローマの場合、共和制の頃は兵役=市民の義務、というかむしろ権利に近いもので一定以上の資産を持つローマ市民だけが自ら装備を調達して軍に参加し、将来出世の足がかりになった。
しかし、遠隔地での戦争が主となると兵役期間が伸びて兵士の生活に支障が出てくるようになる。
おまけに貨幣経済の浸透で没落市民が出始め、兵役の資格を満たす市民の数が減り、軍人が不足していった。
そこでマリウスが軍制改革して資産の少ない貧民にも資格を与え、国が装備を支給、給料も支払い、退役後は土地支給、の条件で志願兵を集めるようになった。
これが後に同盟市戦争やら門閥派と民衆派の争いを招き、ローマを1世紀に渡って内紛状態に陥らせる火種となるのだが長いので省略

なんやかんやあってローマ軍は志願兵制の常備軍を置くようになる。
兵に志願できるのはローマ市民権を持つ者のみで、軍団長などの指揮官クラスには元老院出身者や貴族が優先的に就ける仕組みになっていた。
その後帝政に移行しアウグストゥス帝は政治的な障害にならないよう軍団を属州防衛に専念させ、イタリア半島には親衛隊のみ駐留を許可した。
だが、拡大する帝国の広大な属州を治めるには軍団のローマ人兵士だけでは足りなくなってきた。
そこで各軍団は属州の現地人に軍籍に入ればローマ市民権を与えるという条件を出し、現地出身の援助兵をなんとか掻き集めようとした。
最終的にはこの方法もカラカラ帝による全自由民にローマ市民権を与えるという政策のせいで成り立たなくなってしまう。

反乱が相次ぎ、経済的にも危機に陥っていた帝国は仕方なく夷狄の民であるゲルマン人を傭兵として雇うようになった。
安い報酬で大量に徴用できる彼らは便利な存在で、権力者にとっては四六時中簒奪を企むローマ人よりかは信用のおける存在になっていた。
軍では大量に雇用されたゲルマン人傭兵が幅を利かせるようになり、ついに近衛連隊司令官を勤めたオドアケルに皇帝は廃位に追い込まれてしまったと。

150: 世界@名無史さん 2009/04/05(日) 13:56:12 0
職業軍人の行きつく果てというか、市民や皇帝、政府と軍事部門が完全に乖離隔絶した結果、「戦争は他人任せ」がすっかり定着した

しかし、取り巻く要素は少しずつ違っても傭兵依存体質への進展プロセスはほとんどどこもいっしょだな
平和が続けば国防を他人事と考えるようになるのは仕方ないことなのか

151: 世界@名無史さん 2009/04/05(日) 17:35:23 0
ジェノヴァ傭兵とかはどうなるんだ?
百年戦争からコンスタンチノープル攻防戦にまで参加しているが

152: 世界@名無史さん 2009/04/05(日) 18:34:46 0
そもそもその時代の海上戦力というのが極めて希少なわけで、その中でもジェノヴァ艦は(1隻あたりなら)地中海最強と謳われる質で、自ら外国の戦場に絶賛売り出してたのよ

153: 世界@名無史さん 2009/04/05(日) 18:38:01 0
ああ、ちなみにジェノヴァの船は基本個人所有であり、船は商船と軍船を兼ねる時代だから、船を保有するジェノヴァ商人は実質いつでも傭兵艦長に転身できるということになる
ちなみに傭兵よりは海賊のほうが儲かったみたいだけど

引用元: ・古代の戦争って現代から見るとショボイんだろ??