41vnPQUu0aL


1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/26(月) 22:55:19 ID:F73GKVU8
岩城、相馬をはじめに。

白河結城、二階堂、猪苗代、二本松畠山、芦名……。
こいつらについて語ってみませんか?


あと久保に萌えるのもOK。

関連記事
【1】福島の戦国大名について








173: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/16(土) 01:44:12 ID:adfGkMy6
相馬、岩城の石高は、どれくらいあったの?

174: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/16(土) 06:56:43 ID:yMNzdA8T
相馬6万石
岩城11万5千石

177: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/17(日) 13:50:02 ID:4HNsk3Vq
>>174
この前小高に行って来たんだが、

『ROKUMANGOKU』

という名前のパチンコ屋があってワロタ

179: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/18(月) 03:30:43 ID:hSvLOauB
岩城のほうが大国だな。

180: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/19(火) 16:19:53 ID:k+nTYl91
だが相馬の方が戦が強い、イメージがある

181: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/20(水) 04:21:44 ID:zVry0tAc
相馬って騎馬隊のイメージあるけど。
領地が相"馬"ってのとお祭りがあるだけじゃん。
騎馬隊で戦果あげた話なんて聞いたことないぞ。

182: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/20(水) 05:11:06 ID:LvfeKkhx
その騎馬隊で伊達家は、苦戦したらしいよ

183: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/20(水) 19:06:11 ID:riE+3Oj4
相馬家の強さは殿様自ら魚燐の陣の先頭で突っ込んで行く。家臣も必死です。

184: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/20(水) 19:08:52 ID:riE+3Oj4
相馬家の伝統行事。「相馬野馬追い」大藩伊達に対する軍事訓練

185: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/24(日) 00:18:39 ID:6ymVk7QI
相馬の親父は伊達家に降伏しようぜって息子に言ってたらしいな。

186: 相馬足軽 2006/09/24(日) 07:20:40 ID:Pz0weUgV
↑それって伊達が摺上原の戦いで芦名を滅ぼしてからでた発言なのかなぁ

191: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/25(月) 14:56:24 ID:GOAOrCQA
相馬も最後の藩主は悲惨だな
不名誉な事例として有名になって…

192: 相馬足軽 2006/09/25(月) 17:01:05 ID:wzyHPzO3
どんな事件だったの?

193: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/25(月) 19:45:07 ID:GOAOrCQA
>>192
相馬中村藩十三代当主相馬誠胤は明治10年頃急に精神に異常をきたして、突然腹を切ろうとしたり侍女を殴打したり夜中に徘徊しだしたりした為、弟の相馬順胤や家令の志賀直道らは宮内省に許可をとり自宅牢に監禁した
それを不審に思った旧藩士錦織剛清は相馬宗家の財産の横領を狙った志賀達の不当な監禁であると裁判を起こした
当時の医学では精神鑑定は難しく医師によって結果が分かれ混乱したが、そんな中で誠胤が血を吐いて急死する
今度は証拠隠滅の為の毒殺であると錦織は相馬家を訴えたが検死の結果で病死と判明した為錦織は敗訴した
しかしそれでも錦織は認めず誠胤の遺骸を掘り起こし解剖させた
だが結局毒物は検出されず錦織は相馬家から逆に訴えられて誣告罪として有罪判決を受けた
この事件はマスコミでも大々的に報じられ話題をよんだ
そしてこの事件の騒ぎが元で日本初の精神病に関する法律が制定された

197: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/26(火) 10:49:36 ID:O4DFIuKX
>>193
水戸黄門風に言えばこれも「また、伊達家の陰謀じゃな」で片付けたりしてw

200: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/26(火) 20:21:20 ID:WbvYGh/H
>>197
この頃の伊達は相馬より悲惨な状態だったし陰謀どころじゃないw

195: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/25(月) 21:12:08 ID:GOAOrCQA
ちなみに訴えられた志賀直道は「暗夜行路」などで有名な志賀直哉の祖父です

198: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/26(火) 16:32:08 ID:bD8CEIxL
関ケ原の戦いの時、相馬家は確か中立でしたっけ?

200: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/26(火) 20:21:20 ID:WbvYGh/H
>>198
関ヶ原では佐竹と一緒で中立的立場をとった為改易された

199: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/26(火) 20:08:49 ID:sFqe4XwU
でも上杉の城落としたりしてた

201: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/27(水) 10:27:42 ID:9KCmox+C
田村って最終的にどうなったの?

202: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/27(水) 13:50:53 ID:kWczlQis
実質奥州仕置で滅亡したと見ていいかも>田村
後に伊達家から分地されて支藩(一関藩)として名跡は継承された
血統的には政宗と愛姫の孫

204: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/27(水) 17:40:20 ID:9KCmox+C
>>202
へ~。ありがとうございました。なら田村氏は最終的には一関だったのですね。

206: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/28(木) 12:58:54 ID:OTiIVN91
田村本家は真田幸村の七女と片倉の姓を与えられて片倉家家臣になったよ

205: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/28(木) 05:40:10 ID:hJ7+AhGY
岩城って・・最終的にどうなったんでしょう

208: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/28(木) 16:27:13 ID:+QVYtvgO
>>205
佐竹から入った貞隆の子孫は、出羽亀田藩二万石
常隆の子政隆の子孫は、伊達家に仕え、一門の岩谷堂伊達家として存続

223: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/29(金) 21:21:28 ID:Kg9Lmqig
白河について、教えてください

228: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/30(土) 02:04:38 ID:K7zCx+NZ
>>223
白河結城氏は一時期、奥州一の威勢を誇ったが庶流の小峰氏との内乱で衰退
仕舞いには小峰氏に乗っとられて嫡流は会津や那須へと追放された
だがそれもつかの間で佐竹義重の侵攻で全領域を失い当主の白河義親らは皆佐竹の捕虜となる
だが白河氏は滅ぼされずに義重の子の義広を白河義親の養子とする事で領地を返された
その後、養子にした義広も蘆名家に入嗣する事になり白河領は完全に義親へ返却される
蘆名が伊達政宗に滅ぼされると義親は伊達に服属したが小田原に参陣しなかった為、奥州仕置で改易され白河結城氏は滅亡した
嫡流は佐竹氏に仕え、庶流は伊達氏や水戸徳川氏などに仕えた

229: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/30(土) 05:47:02 ID:w/tHdPDa
5、6年くらい前に現白河結城家当主(25代目)が白河市に中世の文書を寄贈したってニュースがあったっけ

266: 相馬足軽 2006/11/25(土) 17:17:03 ID:BXG1pZFv
相馬藩は一度も国替えがなく明治維新まで600年も続いた相馬中村藩そんな小国が好きです。

273: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/09(土) 11:23:05 ID:TZHnY0OE
>>266
戦国期は結構強いんだけどね
小国のイメージは自分はない

267: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/26(日) 00:30:24 ID:MRJE3k4m
でもね一度改易されてるよ
関ヶ原不参加で

268: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/26(日) 10:49:36 ID:Br/mgAPl
陸の孤島に国替えしてくれた源頼朝に感謝

269: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/26(日) 13:12:59 ID:7Xc7fx74
ついでに!伊達政宗公にも感謝しなければなぁ

344: 人間七七四年 2007/06/18(月) 23:59:43 ID:wUY3ufNk
>>269
伊達政宗は改易の危機に瀕した相馬家の維持のための口添えなんぞしていない。
むしろ相馬氏の改易により旧相馬領は自分の知行に入ると踏んでニヤニヤしていた。
ところがアテが外れてしまったわけだなーこれが。
「奇特なことに相馬義胤に返還されてしまい、これは後々用心しないといけないな」
と家臣の茂庭綱元に愚痴ってる。
新井白石のデタラメが広まっただけw

相馬氏は相馬氏自身の力で改易の危機を乗り切ったのだ。

…と某千葉氏サイトの受け売りをしてみるw

275: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/11(月) 21:58:04 ID:PMObcveR
相馬で思い出したけど、久保姫誘拐事件の発端って

・白河に元々嫁がせようとしていた岩城が伊達の要請を蹴った
・相馬の仲介で伊達に嫁がせる予定だった岩城が土壇場で白河に変更した

の二つがあるんだが、どっちが本当なんだ?
久保姫(くぼひめ、大永元年(1521年) - 文禄3年6月9日(1594年7月26日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。伊達晴宗の正室。岩城重隆の長女。

奥州一の美少女と評判だったといわれ、その嫁ぎ先をめぐって父・重隆は伊達氏や相馬氏と対立し、軍事的な争いにまで発展した。その結果、天文10年(1541年)頃に伊達晴宗の正室となった。その際に晴宗と久保姫の子を岩城氏の養子に迎えることが約束されたという。晴宗との仲は良く、六男五女に恵まれた。

276: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/12(火) 00:15:12 ID:P03H/NsD
伊達の要請で相馬が岩城との婚姻を仲介したが白河との婚姻が決定したから断った
どちらの話しが早かったかは分からない
ただ、岩城に決定権があるわけだからどっちの話しに決めても文句は言えないかと

277: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/12(火) 21:14:04 ID:LqPaoLFS
久保姫の一件はそこらのドラマよりドラマチックで良いわぁ

278: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/12(火) 23:24:56 ID:YC26GwQT
政略結婚の利点が全くなるなるな。
そんなに美人だったのか。

281: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/25(月) 12:13:31 ID:Hpfp0lLn
>>278
確かに婚姻関係が原因で険悪になっては支離滅裂だな

289: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/27(水) 15:24:13 ID:cH0e1f4Y
久保姫の件って実際は婚姻の仲介してた相馬と岩城が揉めたってことじゃなかったかな

306: 人間七七四年 2007/03/23(金) 12:03:20 ID:fEgSnudy
地元の領主について調べたら
秀吉の前で失言して所領没収された男・新国貞通OTL

307: 人間七七四年 2007/03/23(金) 15:44:07 ID:0IL4fbGM
そのひと誰?

308: 人間七七四年 2007/03/23(金) 17:27:09 ID:fEgSnudy
長沼城主
奥州仕置の時、秀吉に武者ぶりを気に入られて直参にしてやるといわれたんだけど、(背炙山から見える範囲全部やると言われたとも)浮かれて訛り丸出しで歌って踊ったら逆に不興を買って逆に所領没収されたお茶目な爺様

412: 人間七七四年 2008/08/09(土) 19:46:16 ID:RITzBiic
戦国時代のニート・杉妻(伊達)直宗。
伊達晴宗&久保姫の末子。
この人の活躍っていうのを全く聞いた事がない。
また、「杉妻」というのは福島市のことで、ここは両親の隠居していた場所。
また直宗には子孫がいない。つまり、いいとしして嫁ももらわず、また養子にも行かず、業績もなくパパやママのスネをかじっていたということになる。
 兄たちはそれぞれ名門を継ぎ、あるものは伊達を継いだ次兄・輝宗やその子政宗を助け、またあるものは強敵として立ちふさがった。
姉たちも、敵に嫁ぎ悲劇のヒロインとなったり、伊達成実を産んだりして活躍したのに、直宗はいったいなにをしたのかわからない・・・・。

413: 人間七七四年 2008/08/11(月) 15:49:33 ID:gWDsQ4Pa
>>412
杉目直宗じゃなくて?
30弱で死んだみたいだから、事績が伝わってないのも仕方ない

414: 人間七七四年 2008/08/15(金) 15:42:48 ID:WIB5gufT
県庁のあるあたり杉妻だな
なんだか複雑な気持ちになる情報だ

415: 人間七七四年 2008/08/16(土) 22:49:28 ID:iMsd8pne
伊達晴宗・久保姫夫妻の子供たちって女のほうが強い気がする。
長男・岩城親隆・・・恐妻家(弟と似ている)
次男・伊達輝宗・・・恐妻家
三男・留守政景・・・実は兄弟でいちばんまともな真面目な人
四男・石川昭光・・・どたんばでねーちゃん裏切ってその城手に入れた腹黒い奴
五男・国分盛重・・・バカ
六男・伊達直宗・・・ニート

長女・阿南姫(二階堂夫人)・・滅びた二階堂に拘り、甥と弟に攻められたあわれな女城主。兄弟姉妹で一番プライドが高い。
次女・(伊達実元夫人)・・・子供たちの中でも最大級の功労者。成実を産んでくれたから。
三女・(小梁川夫人)・・純然たる家来に嫁いだので、詳細不明
四女・彦姫(芦名盛興、のち盛隆夫人)・・敵に嫁がされ、夫が死ぬとこんどは婿をとらされた。最初の夫ははとこ、あとの夫は甥。
しかし本人は伊達家の人間で、政宗が芦名を滅ぼすはずがないと防備を固めようと献策した穴澤俊光の意見を退ける。(桧原戦記にそうあった) 
実際には彼女の病死を待ってからの芦名討伐。
五女・(佐竹義重夫人)・・実は伊達家のスパイで、人取り橋の戦いの時、本国が攻められたというニセ情報を流して佐竹を退却させたのは彼女だという説がある。
佐竹義宣・芦名義広の母。息子より甥が可愛いかったらしい。
こうしてみると長女以外の女子は,敵に嫁いでさえ伊達家のために尽力、また長女はもし男だったら、輝宗や親隆以上の活躍をしただろうと思われる女丈夫。
それに比べ男子は、政景を除きぱっとしない。

416: 人間七七四年 2008/08/16(土) 22:52:46 ID:Z3QErP2i
輝宗をもう少し評価してあげてもいいと思うんだ

417: 人間七七四年 2008/08/17(日) 07:22:51 ID:SjF5jiWG
輝宗の偉大なところは、自分の能力の限界を悟っていたところ、また息子や家来たちの力を正しく評価して自分の果たしえなかったことを実現させたことにある。
政宗、小十郎、成実、遠藤基信らを見出して活躍させた。(鬼庭綱元は、べつに見出さなくとも自然に重用されたと思う)
つまり自分は恐妻家で戦下手でも、息子や家来たちならきっとできる、と信じていてそれを実行したこと。
強い部将ではなかったがよき父よき主君であった。
佐竹義重夫人は、ほかにも上遠野という武士が政宗を捕らえた時、義重にばれないうちに逃がしたことがあるらしい。
もし彼女がいなければ、伊達は滅亡するか、佐竹の傘下になってしまったかもしれない。鬼義重の本当の敵はかみさんだった。

418: 人間七七四年 2008/08/17(日) 08:11:56 ID:boHru2e/
>>417
後半kwsk
聞いたこともないんだが

421: 人間七七四年 2008/08/23(土) 07:03:52 ID:3vMr4kFl
>>417
http://books.google.co.jp/books?id=71GY0Df2kxEC
この本にそれらしき記述があった

422: 人間七七四年 2008/08/23(土) 10:33:56 ID:/u8mBvC8
>>421
政宗が佐竹に捕えられたなんて、見たことも聞いたこともない
もしそれが事実であるなら、絶対に有名な逸話となっていただろうし、そもそも伊達の当主が敵に捕まって生きて帰れるはずもない
何がソースかと思ったらPHP文庫…

423: 人間七七四年 2008/08/23(土) 16:22:41 ID:CrebJ2XB
その本には政宗を捕らえた記述はないよ
違う本でないか。

424: 人間七七四年 2008/08/24(日) 08:48:21 ID:6SvSrilN
その本は、奥方が里見の攻撃を受けたと通報したことが書いてある。
捉えたのは別の本。

425: 人間七七四年 2008/08/24(日) 13:23:45 ID:EYjcxX0U
だから捕らえたって記述は何が出典なんだよ?
小説の作り話とかその類なんだろ?

426: 人間七七四年 2008/08/25(月) 18:37:17 ID:1DIYaksH
上遠野某(佐竹家臣)が政宗を捕らえたというのを調べたら、福島民報新聞社刊「武者たちの舞台」下巻188ページにあった。
逃がしたのは、東(佐竹)義久で、一説によると政宗の叔母である義重夫人懇願によると書いてあった。
上遠野某はもしかすると佐竹ではなく岩城家臣かもしれない(元来その苗字は岩城家臣のものだから)

427: 人間七七四年 2008/08/25(月) 19:06:30 ID:d1ymtVHa
>福島民報新聞社刊「武者たちの舞台」

民話じゃね

428: 人間七七四年 2008/08/25(月) 20:29:34 ID:vmPiHxL9
たしか人取橋の謎の撤退の理由にそんな話をどこかで読んだな。

引用元: ・福島の戦国大名について

福島県の歴史 (県史)
福島県の歴史 (県史)
posted with amazlet at 16.11.22
丸井 佳寿子 伊藤 喜良 吉村 仁作 工藤 雅樹
山川出版社
売り上げランキング: 703,792