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1: 世界@名無史さん 03/02/25 21:46
中世~現代までにかけてのオランダの歴史に関して語りましょう。








388: 世界@名無史さん 2006/01/11(水) 09:38:22 0
17世紀ごろのオランダで起きた出来事として、以下の単語に相応しいと思われるものを選んでください。

・結婚
・混乱
・陰謀
・台風
・ストライキ
・火災
・黄金時代
・権力闘争
・湾岸封鎖
・高潮

391: 世界@名無史さん 2006/01/11(水) 10:41:44 0
>>388
権力闘争は厳格派(カルヴァン主義の信奉者たち)と、寛容派(意見書派、エラスムスの寛容思想の流れを引く人文主義者の流れ)の闘争のことじゃないかな。
ドルドレヒトの宗教会議(1618年)で厳格派の勝利が確定すると。マウリッツはホラント州知事のオルデンバルネフェルトを処刑。

389: 世界@名無史さん 2006/01/11(水) 09:40:03 0
黄金時代はたぶん東インド会社の設立だと思うんだが、他がいまいちわからん。

390: 世界@名無史さん 2006/01/11(水) 10:29:57 0
チューリップバブルとか

392: 世界@名無史さん 2006/01/11(水) 10:51:38 0
混乱…第三次英蘭戦争で、ホラント州主席ヨハン・デ・ウィットが民衆に虐殺されたこと?
結婚…総督ウィレム3世(イギリス国王としてはウィリアム3世)と、ジェームズ2世の娘メアリとの結婚かな?

393: 世界@名無史さん 2006/01/11(水) 11:08:54 0
湾岸封鎖…英蘭戦争で、オランダの沿岸が封鎖されて貿易が打撃を受けたこと。
火災…第二次英蘭戦争中、ロンドンの大火が起きた。
台風…第三次英蘭戦争で、イギリスはションベルク将軍率いる約1万の部隊を編成してゼーラントに進行する作戦をたてたが、暴風雨に阻まれて北海を渡ることができなかった。

395: 世界@名無史さん 2006/01/22(日) 07:49:42 0
一時はすっごい勢いもあって儲けてたオランダだけど、そのあとナポレオンに攻められたりして、ぐだぐだになったじゃん?そのへんのことって、幕府は知らなかったのかな。
教えて詳しい人!

396: 世界@名無史さん 2006/01/26(木) 21:08:51 0
>>395
オランダ側はそのことを隠していたから。

397: 世界@名無史さん 2006/01/26(木) 21:13:14 0
地球上でオランダに残された土地が長崎だけだなんて言えやしない。

398: 世界@名無史さん 2006/01/27(金) 18:29:49 0
福沢諭吉が、出島のオランダ人について
「(本国はナポレオンに占領されたが)出島にはわがオランダの旗が翩翻とひるがえっている。よって、オランダはいまだ滅びず」
と言って威張っていたと記しているので、蘭学者などオランダ語が分かる日本人は知っていた模様。
>>396-397が言うように幕府にはひた隠しにしてたかもわからん。

449: 世界@名無史さん 2006/05/03(水) 21:49:24 0
オランダ人は台湾、インドネシアを植民地にしたのに、なぜ日本を植民地にしなかった?

456: 世界@名無史さん 2006/05/20(土) 21:14:06 0
1581年から1630年までの半世紀で欧亜間を往来した船舶数は407隻。
(内訳はポルトガル123隻、オランダ201隻、イギリス75隻、フランス4隻、デンマーク4隻。)
1604~1636年の朱印船の数が350隻であり、これと比較しても欧州からの来航は決して多いとはいえない。
1621~1848年に江戸時代の日本に来航したオランダ船は715隻だが、大半はバタビアから来航したもの。
蒸気船が発明されていなかった時代に東アジアまで渡航する事は困難。

457: 世界@名無史さん 2006/05/20(土) 21:15:48 0
オランダは鄭成功以前に日本人によって台湾を奪取されている。
(浜田事件)
台湾に拠点を移した理由も明から追い出されて仕方なくだしな。

492: 世界@名無史さん 2006/09/14(木) 11:28:32 0
ロイ・ポーター『啓蒙主義』(岩波新書)

オランダの思想家は、他の国の人びとが啓蒙主義の諸問題を体験する以前に、それを解決してしまった…専制支配からの自由、宗教上の多元主義と寛容、経済的繁栄、(相対的に)平和的な外交政策がそれだ。亡命知識人にとっては天国であり、科学が発展し、優良な出版社もあった。こうして、オランダ共和国は、進歩の羨ましい処方箋のようにみえたのである。
とはいえ、眩いばかりの17世紀オランダの生き方を賞賛する声はかすかにしか聞こえず、しかも妬ましげなものであった。フランスやプロイセンやロシアは、オランダの政治モデルを模倣できる、あるいは模倣すべきだ、と真剣に考えたフィロゾーフなどひとりもいまかった。
貴族出身のフィロゾーフは、一般にユダヤ人をそうみたようにオランダ人も金に汚い、けちな商人と蔑視した。

(中略)

ヨーロッパ大陸の知識人は、オランダの奇跡に対しては複雑な感情を抱いたとしても、ことイギリスについてはほとんど疑いをさしはさまなかった。
「イギリス熱」が大陸を席巻する。火をつけたのは、ヴォルテールの『哲学書簡』(1733年)である。イギリスの政治的な自由、宗教上の寛容、経済の成功、文化の近代性、科学の栄光、なかでもニュートンについて熱く燃えた書である。

↑欧州の知識人の、オランダとイギリスに対する態度の違いはどこからきていたんですかね?

494: 世界@名無史さん 2006/09/16(土) 12:51:41 0
国の成り立ちっていうか、やっぱ新興の歴史のない国、はっきりいって成り上がりって感じじゃないの。
商人くさいところとか、やっぱりヨーロッパの知識階級的には軽蔑の目で見るとこがあるんじゃないかなあ。

495: 世界@名無史さん 2006/09/17(日) 15:05:45 0
イギリスもナポレオンからは「商人の国」と呼ばれた。

496: 世界@名無史さん 2006/09/17(日) 19:04:41 0
イギリスだって16世紀には三流国家。
ようするに新興国はバカにされるってことだ、ナポレオンには言われたくないだろうけどなw

497: 世界@名無史さん 2006/09/17(日) 23:57:57 0
http://home.att.ne.jp/blue/holland/kennedy1.html
西ヨーロッパでは(イタリアを例外として)60年代のオランダほど大きな文化的な変化を経験した国はない。50年代末まで外国人は総じて、オランダを前時代の伝統と慣習に浸った、古風で「時代遅れ」の社会だと見なしていた。
アメリカ人社会学者のロナルド・イングルハート Ronald Inglehart は60年代初頭のライデンにいた頃を振り返って、オランダが合衆国にくらべて『非常に伝統的』だったと述べた。
ハインリッヒ・ハイネが口にしたとされる格言(時にボルテールの作と見なされることもある)に『世界の終末がやってきたら、私はオランダに行くことにしよう。あそこは何でも50年遅れだから』という台詞があって、当時ひょうきん者が好んで引用した。

501: 世界@名無史さん 2006/10/22(日) 05:21:06 0
第二次世界大戦がたった5日で終わった国。
国民も気が付いたら何故か降伏していた状況にはさぞビックリしただろう。
自分の国がそこまで弱いとは普通思わないジャン。かつては欧州列強国だったワケだし

502: 世界@名無史さん 2006/10/22(日) 05:35:41 0
>>501
んなこといったら一次大戦だって…。

503: 世界@名無史さん 2006/10/24(火) 03:34:07 0
一次大戦では中立でしょ

506: 世界@名無史さん 2006/11/01(水) 02:36:49 0
スペインと違ってナチスはオランダに善政を敷いたから反発は少なかった。

523: 世界@名無史さん 2007/03/23(金) 02:32:05 0
WW2
ナチスに対して全く無警戒(どちらかというと親独)で猫の額程の小さい領土でしかも低地平野
装備はWW1以前の物で五日って結構頑張った方だよ

領土の広いポーランドはドイツを警戒しながらも一週間、ベルギーデンマークなんて一日じゃないか
ドイツの戦車も何度か止めている。
怒ったヒトラーがアムステルダム空爆で焦土にしてようやく戦争を終わらせたじゃん

524: 世界@名無史さん 2007/03/23(金) 03:31:49 0
恐怖爆撃は「ロッテルダム」だぞ
まー内容は正しい
オランダとドイツは歴史的に仲がいい。
何度も抗戦した経緯のある英仏よりはよほど

前の大戦ではオランダは中立だったが、ドイツに好意的な中立
ヴィルヘルム二世が亡命先にオランダを選んだ事からもわかる
オランダは城一個、ヴィルヘルムに与えて匿っている
シーボルトやカントなど著名なドイツ人がオランダに居住していたし両国は密接だよな

当時のオランダ人はナチスドイツを危険視しておらず今回も中立でいけると思ったんだろうな
近代戦において孤立した小国の軍隊なんて役に立たないことはWW1で証明済み
あの地形で五日もつってのはむしろ驚異的な部類だと思う

あと、イギリスとフランスが「三日もたせてくれれば援軍よこす」といっときながら、結局援軍送らなかったのもオランダが降伏に傾いた理由だろうな

ドイツは回線当時からオランダと戦うのは嫌だっという世論だったのでオランダのナチ統治は過酷な物ではなかった。またオランダ人もナチのユダヤ人狩りに協力的だった
アンネがここで捕まった事は言うに及ばす。

525: 世界@名無史さん 2007/03/23(金) 03:44:39 0
ABCD包囲網もDはいらんと思うんだよな
オランダは包囲網に参加してないし、石油取引する用意もあったみたいだし
むしろ日本に好意的な部分もあったんだが…
いつの間にか開戦されててオランダ人もびっくりしただろうな

色んな意味で世界大戦で踏んだり蹴ったりだったよこの国も

528: 世界@名無史さん 2007/04/08(日) 01:33:38 O
ねぇオランダが反日なのって日本に負けたから?

543: 世界@名無史さん 2007/04/08(日) 21:30:57 0
>>528
負けたっていうより、戦争のせいで植民地なくなったからムキーヽ(`Д´)ノってことじゃないの

529: 世界@名無史さん 2007/04/08(日) 01:44:25 0
日本に対して友好的な態度をとっていたのになぜか宣戦されて植民地追い出されればどこの国でも半日になるんじゃないかな

530: 世界@名無史さん 2007/04/08(日) 02:09:33 O
>>529
本当に友好的だったのか?大体インドネシアに賠償したのか?
一応謝罪はしてたみたいだが

533: 世界@名無史さん 2007/04/08(日) 02:30:22 0
>>530
日蘭会商の経緯とかみりゃ、日本と揉めたくなかったのは明らか。
ま、日本が宣戦布告したときには、すでに本国はナチス占領下だがな。

で、対日関係とインドネシアへの賠償は全然別問題。

565: 世界@名無史さん 2007/07/10(火) 05:48:12 0
宣戦布告に関してはオランダの方から行われてるよ
亡命政府だけど

蘭印の政府は米英が圧力かけなきゃ物資輸出してただろうな
日本との交渉での最終的な回答も、概ね日本の要求に応えていたし
日本の交渉責任者は満額回答じゃないことにキレて帰っちゃったけど

566: 世界@名無史さん 2007/07/10(火) 05:49:37 0
まぁ南米諸国やトルコの参戦も米英の圧力によるもので、こういう小国を意のままに操れる力があるのが大国の大国たるところだな

588: 世界@名無史さん 2007/10/15(月) 12:37:10 0
カレル・ヴァン・ウォルフレンやイアン・ブルマのせいで、オランダ人にはあまりいい印象がないな。

589: 世界@名無史さん 2007/10/16(火) 23:14:23 0
スペインから独立した後のオランダでは、厳格なカルヴァン主義を信奉する大多数の民衆と、エラスムスの寛容思想の流れをひく人文主義者たちとの対立が激しくなっていった。
(この対立はまた民衆の圧倒的な支持を受けた軍総司令官のオランニェ公マウリッツとアムステルダムをはじめとする大都市の富裕市民層との対立でもあった)

ドルドレヒトの宗教会議で厳格派の勝利が確定すると、上層市民と知識人の頑強な抵抗に手を焼いてきたマウリッツは強権を発揮して、寛容派(意見書派)の指導者だったホラント州主席オルデンバルネフェルトを処刑する。
『海洋自由論』『戦争と平和の法』を著した「国際法の父」グロティウスも寛容派の代表的論客だったが、脱出に成功して間一髪死を免れた。

642: 世界@名無史さん 2007/12/31(月) 13:26:33 O
いろいろオランダを悪く言ってるようだが幕末の頃は随分と世話になったようだぞ
当時は商売についても国家関係についてもオランダはかなり紳士的な振る舞いだったらしい
あの頃はまだ力のある国だったからかもしれんけどね

引用元: ・オランダの歴史