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1: 世界@名無史さん 2015/05/29(金) 20:47:40.68 O
世界をその美貌で惑わせた、絶世の美女達について語ろう。








2: 世界@名無史さん 2015/05/30(土) 01:06:02.71 0

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↑その美貌で世の男どもを虜にしたベルベル人少女

3: 世界@名無史さん 2015/05/30(土) 01:22:38.10 0
クレオパトラ、楊貴妃、ゼノビア辺りかな

4: 世界@名無史さん 2015/05/30(土) 05:41:59.05 O
南米の、伝説の大統領夫人エヴィータ。
その美貌を惜しまれ、遺体には防腐処置が施され、今も地下に安置されているとか。
イギリスの9日間女王、17歳で処刑されたジェーン・グレイ、フランスの美少女ジャンヌ・ダルク。
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エバ・ペロン

マリア・エバ・ドゥアルテ・デ・ペロン(Maria Eva Duarte de Peron、1919年5月7日 - 1952年7月26日)は、アルゼンチンの女優、政治家。フアン・ペロン大統領と結婚し、ファーストレディとなった後は政治にも介入するようになった。親しみを込めて呼ばれる通称としてエビータ(Evita) と呼ばれる。現在でもアルゼンチン国内では人気が高い。

1952年に33歳で子宮癌によって死去、ブエノス・アイレスで行われた葬儀には数十万の市民が参列した。また、エバ・ペロンの墓の建立のために寄付金が集められたが、台座のみが作られただけであった。その後遺体はエンバーミング処理を施されて展示された。


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ジェーン・グレイ

ジェーン・グレイ(1537年10月12日? - 1554年2月12日)は、16世紀中頃のイングランドの女王(在位1553年7月10日- 19日)。異名に九日間の女王(ここのかかんのじょおう、Nine-Day Queen)がある。

数奇な縁でイングランド史上初の女王として即位したが、在位わずか9日間でメアリー1世により廃位され、その7か月後に大逆罪で斬首刑に処された。


49: 世界@名無史さん 2015/11/12(木) 02:13:24.12 0
>>5
実際は13日間女王だし、美人だったという証言もない。
夫の方は実際に会った人が「美しい、麗しい」と書き残している美男。政敵からは「美しさしか取り柄がない」とか言われるほど。

7: 世界@名無史さん 2015/05/31(日) 06:04:37.43 O
日本なら額田王とか常盤御前
世界ならマリリン・モンローや、マリー・アントワネットとか。

8: 世界@名無史さん 2015/05/31(日) 11:35:26.05 0
>>7
マリアテレジアの方が美人。
てか、マジで美人
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9: 世界@名無史さん 2015/05/31(日) 17:14:12.74 0
自画像が正しいなら
エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン
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エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン

エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン(1755年4月16日 - 1842年3月30日)は、フランス画家。18世紀で最も有名な女流画家であった。

ヴィジェ=ルブランは18世紀の最も重要な女性芸術家だと考えられている。彼女は660の肖像画と200の風景画を残した。優雅な自画像もよく知られる。個人コレクションに加え、彼女の作品はロンドンのナショナルギャラリーのような欧米の主要な美術館で見ることが出来る。

画家としては名声を博したが、夫は賭博好きであり、一人娘も長じてから素行が悪かったなど、家庭的には恵まれなかった。



10: 世界@名無史さん 2015/06/01(月) 17:53:24.93 0
no title


クロエ・ド・メロード
フランスのバレリーナ

14: 世界@名無史さん 2015/06/03(水) 12:44:36.04 0
中国では、よく美女が国を傾けた、ってことにされる
妹喜(夏)、妲己(殷)、褒ジ(西周)、西施(呉)、楊貴妃(唐)、陳円円(明)
などが傾国の美女とされるが、彼女たちが本当に国を傾けたかは疑問
まあ、楊貴妃は、一族の楊国忠や自分にとりいった安禄山を出世させてもらい、結果的に安禄山の乱を招いて、間接的に国を傾けてるけど、他は本当に国を傾けたのかあやしい
つーか、本当にそんな人物が存在したかさえあやしい(最初の3人はおそらく架空の人物だろう)、存在したとしても、エピソードの多くはただの伝説だろう

15: 世界@名無史さん 2015/06/03(水) 13:01:55.74 0
驪姫も傾国って言っていいよな
夏姫は怖い
驪姫

驪姫(りき、? - 紀元前651年)は晋の献公の寵姫。

献公との間に生まれた自分の息子の奚斉を太子として立てようとして献公を操り、驪姫以外との女性の間に生まれた申生ら他の公子達を策略を使い次々と抹殺していった。この際、のちに晋を継ぐ重耳と夷吾の兄弟が晋から逃亡することになった。

これは驪姫の乱と呼ばれ、政治的混乱を引き起こし、このため晋の国力は一時期大いに低下した。献公が没して一ヵ月後、献公の部下の里克が反乱を起こし、驪姫は奚斉や驪姫の妹一族共々殺害された。


16: 世界@名無史さん 2015/06/03(水) 13:50:56.39 0
ストリッパーから東ローマの皇妃に成り上がったテオドラ
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テオドラ


テオドラ(500年頃?-548年6月28日)は東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌス1世(在位:527年-565年)の皇后。貧しい踊り子から皇后にまでのし上がり、夫を助けて国政に関与した。

527年にユスティニアヌスが叔父の跡を次いで皇帝に即位すると、テオドラは皇后となった。貧しい身分からたくましく生き抜いて来た女傑テオドラは、たびたび夫の助言者として国政に関与した。後世の歴史家には彼女を「女帝」と呼ぶ者さえいた。


18: 世界@名無史さん 2015/06/04(木) 00:36:32.52 0
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↑ニコライ2世の三女、マリー・ニコラエヴナ
いとこのマウントバッテンが1920年代に結婚してる身にも関わらず彼女の写真を自室に飾ってると発言してたとか

19: 世界@名無史さん 2015/06/05(金) 18:30:13.33 O
やはり、女は美人でないと表舞台に立てないのか。
まあ、男でも、見た目は重要だが…。
史上最も世界を騒がせた美女は、やはりトロイア戦争の原因となった絶世の美女ヘレネだろうな。
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ヘレネーは、ギリシア神話に登場する女性である。元来はスパルタで信仰された樹木崇拝に関わる女神だったと考えられている。

表向きはスパルタ王テュンダレオースと王妃レーダーの娘であるが、実父はゼウスであり、実母はネメシスともされる。兄にディオスクーロイ(カストールとポリュデウケース)兄弟、姉にクリュタイムネーストラーがいる。
メネラーオスの妻となったが、イーリオス(トロイア)の王子パリスにさらわれ、トロイア戦争の原因となった。

21: 世界@名無史さん 2015/06/06(土) 11:11:44.36 0
>>19
秦良玉は美貌で表舞台に立ったわけではないぞ
秦良玉

秦良玉(しん りょうぎょく、1574年 - 1648年)は中国・明の軍人。

少数民族の出身ながら漢民族のために戦った。彼女の軍はトネリコでできた槍を持っていたため、白杆兵と呼びおそれられた。武力だけでなく、教養にも優れ詩文を良くしたという。なお、秦良玉は正史に列伝を持っている唯一の女性武将でもある。

22: 世界@名無史さん 2015/06/06(土) 16:01:09.71 O
身分の高い女は美人が多いんだよ。
オヤジが美人を嫁にするから、生まれて来るのは美男美女。
日本の政治家も、二世三世は美形が多い。

24: 世界@名無史さん 2015/06/08(月) 20:25:29.26 O
イギリスの作家、ブロンテ姉妹は結構美人揃いだと思う…
作家だし、容姿はあまり関係ないが。
画家のマリー・ローランサン、ココ・シャネルもかなりの美人。
芸術系で成功する人は美人が多い。パトロンがすぐ現れるからかも。
アメリカの画家のオキーフも美人だったな。

25: 世界@名無史さん 2015/06/09(火) 20:10:23.72 0
>>24
フランケンシュタインのシェリー夫人も綺麗。
詩人のシェリーの不倫愛人で、スイスまで逃避行中に考えた科学的ホラー。

ブロンテの方は厳格な家庭に育って男なく姉妹で暮らしたはず。

26: 世界@名無史さん 2015/06/10(水) 08:01:52.68 0
>>25
弟だか兄貴だかいたと思うけど

27: 世界@名無史さん 2015/06/10(水) 18:11:41.70 O
4人兄妹。長女と次女の間に長男。
長女だけ結婚した。
次女のエミリは生涯独身、三女のアンは早逝。
肖像画を見る限りでは、まあ確かに3人とも、まあまあ美人かな。
長男も結構イケメン。 ニートのアル中男だったらしいが。

29: 世界@名無史さん 2015/06/11(木) 22:15:21.15 O
グレース・ケリーとかは公妃にまでなって絶世の美人扱いだったけど、それほど美人とは思わなかったな。
多分、内面的な魅力があったんだろう。
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31: 世界@名無史さん 2015/06/12(金) 22:59:45.27 0
美の基準は人それぞれだからいいけどグレース・ケリーって相当に美形かと

42: 世界@名無史さん 2015/06/28(日) 01:05:01.41 0
写真の残ってる美人なら、美人と言えるかというと、微妙だな
写真をとること自体が珍しかった時代には、写真をとる時には、だからこそ、いつもより気合入れて念入りにメイクしていたかもしれない

51: 世界@名無史さん 2015/11/24(火) 20:32:59.86 0
ウィキペディアによると、マリー・アントワネットはバスト109cm、ウェスト58~59cm。ヒップは不明。
すごい体型ですが、フランスでメートル法が制定されたのはマリー処刑後の1795年なので、これは換算後の数値かもしれません。
ロベスピエールの処刑後にファーストレディになったタリアン夫人ことテレジア・カバリュスは、下のサイトによるとマリー以上のプロポーションだったようです。

http://javasbachelorpad.com/bosom.html

112-41-81・・ちょっと信じがたい数値ですね。
テレジアについては他のサイトを見ても、そんな情報は無いので疑わしい気もしますが、上のサイトも全くの創作ではないと思うし。
詳しい人がいたら教えて下さい。

53: 世界@名無史さん 2015/11/24(火) 22:58:36.46 0
>>51
それこそ骨格変わる程ものすげーキツいコルセットしてたんだろ

54: 世界@名無史さん 2015/11/25(水) 18:21:35.88 0
>>51
英語は不得意だが、スリーサイズの数字がそろい過ぎているのが気になる。
というのは、111.76-40.64-81.28を2.54センチでインチ換算すると、ぴったり44-16-32になるから。
テレジアは小説や漫画の主人公にもなっている有名人だが、そんな話は聞いたことないしな。
断定はしないが、眉唾ものじゃないかと思う。

56: 世界@名無史さん 2015/11/26(木) 20:08:08.86 O
マリー・アントワネットのサイズってどうしてわかるの?ドレスが残ってて推測?それとも仕立て屋がもらしたのか?
あんまり美人のイメージないんだよね。

57: 世界@名無史さん 2015/11/26(木) 21:44:50.51 0
>>56
ウィキペディアによると、「裁縫師エロフ夫人の日誌」がソースのようです。
マリーは美貌ではないが、肌が美しかったらしい。

52: 山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2015/11/24(火) 21:06:56.47 0
李夫人
漢の武帝の后。「傾国」及び「傾城」の語を生んだ。
反魂香の故事でも知られ、後世玄宗の楊貴妃と共に、皇帝が相手の死後も姿を追い求めた美女として有名。しかし、乱などの分かりやすさがないせいか、現在では知名度が低い。

55: 世界@名無史さん 2015/11/25(水) 21:14:46.75 0
陳円円は本人は悪くなく、分捕った劉宗敏に対し激怒しただけ。
その結果、李自成は新国家を樹立できず、満州族の清王朝が明の後継国となったと言われてる。

個人的には武則天だなあ。

58: 世界@名無史さん 2015/11/26(木) 21:50:26.16 0
ロマノフ帝国最後の皇帝の妻のアレクサンドラの姉のエラは美人だったらしい。
ロシアの公爵に嫁いだが、最後には、古い炭鉱に突き落とされて、手榴弾を投げられて虐殺された悲劇の人。しかも即死しなかったぽい。3ヶ月後放置されて遺体が発見されて、腐乱遺体の写真がwikipediaで晒されている。

これ以上に酷い死に方の美女はいる?

61: 山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2015/11/27(金) 21:00:32.10 0
>>58
>これ以上に酷い死に方の美女はいる?
花山院女王

花山天皇の娘。天皇が人妻とその娘に同時に手を出した後、母親の方から生まれた。
どういう訳か複数いた娘の中で一人だけ認知されず、内親王宣下も受けられず、平の女性皇族である「女王」のままであった。
親王宣下を受けられずに挙兵した以仁王もそうであるが、親王・内親王であれば応分の地位と収入が確保されるため、受けられないのは死活問題だった時代である。

やむをえず、女王は人臣に女房として宮仕えをし、人前に顔をさらすことに。そうこうしている内「荒三位」とあだ名された貴公子、藤原道雅に粉をかけられる。
が、女王はこれを拒絶。
しかし、袖にされて黙っている荒三位ではなかった……。
(道雅の父伊周と叔父隆家は花山法皇に矢を射掛けた血の気の多い人物)

旧暦12月6日の夜、宮仕え先で寝ていた女王は賊に襲撃され、屋外に連れ出される。
賊は彼女の衣を剥ぎ取り、氷の浮かぶ大宮川に突き落として去って行った。
なんとか川から這い上がり民家の戸を叩いたものの、不審に思われ開けて貰えず。
翌朝発見されたのは、
『体を野犬に食い荒らされ、首と手脚がバラバラになった女王の遺骸』
であった。長い髪は、血に染まっていたという。

後に、捜査により実行犯が捕縛され、道雅の名前も浮上。
しかし、名門の出であったために罰せられることなく、捜査は打ち切られた。
道雅は五位相当官に左遷された後、血筋の割に出世出来ずに終わっている。

70: 世界@名無史さん 2016/02/22(月) 00:29:28.83 0
コロンブスの探検事業のスポンサーとして船や船員を提供したスペイン女王イサベル一世は、少女時代から美しい髪に青く輝く瞳を持ち、色白で、しかも口数が少なく、すでにカスチリャ王女としての威厳を備えていたという。

成人してからも
「やがて、馬にまたがった女王が登場された。威厳のある美しさ、中肉中背、金髪で色白、青緑の瞳、快活できびきびした動き、整った目鼻立ち、そして暖かみのある堂々たる雰囲気を備えた女王は、時に23歳7ケ月と20日であった」
と戴冠式の時の様子を王室記録官が書きとめている。

72: 世界@名無史さん 2016/02/24(水) 23:55:22.50 0
>>70
イサベルが金髪碧眼なのは西ゴート族の末裔だからとか?

74: 世界@名無史さん 2016/03/08(火) 00:34:33.39 0
>>72
赤っぽい金髪はイングランドのプランタジネット家の影響。

引用元: ・【絶世の】世界史に名を残した美女たち【美貌】 [転載禁止]©2ch.net