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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/26(木) 23:35:02 ID:3nR4lush0
最高の英雄っしょ








2: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/26(木) 23:55:44 ID:9d5zg0uzO
実際は謎な部分が多いですよね

3: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/27(金) 14:44:57 ID:QqkfSyI30
まあ、昔過ぎて、太公望に限らず、あの時代の人物のことはよく分からない場合が多いけどね。
姓は姜、氏は呂、だそうだけど、この頃って姓と氏が明確に区別されていたんだね。

6: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/27(金) 23:37:10 ID:H2sHR1sh0
>>3
>姓は姜、氏は呂
これも有名な話だけど
斉国呂産の地に封じられたから呂尚と呼ばれる(商於に封じられたから商オウみたいに)って説もなんかの本で読んだ記憶がある

7: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/28(土) 00:10:34 ID:KENND1UvO
姓と氏の区別は秦の統一以降だんだんと曖昧になっていったらしい
ちなみに姜や姫など「女」を含む字は元々姓であるらしい

8: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/28(土) 11:07:29 ID:BavDBui30
普通に「太公望」でぐぐっても、釣りのサイトが真っ先にヒットしてくるあたり、この人のイメージは、やっぱり釣りなんだな。

13: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/28(土) 23:27:45 ID:19gYF4/C0
この時代って仏教あった?

16: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/29(日) 10:44:02 ID:26deI4230
太公望の時代には、まだ仏教は誕生していないよ。

22: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/05(日) 00:05:21 ID:dchBrfQrO
>>13-15
ていうかこの時代バラモン教やウパニシャッド哲学すら生まれてないよ

23: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/06(月) 14:54:54 ID:1fYhM/hGO
哲学は無くとも姫昌が千里眼を持ち散萓生が亀の甲羅や稲を焼いた炭で占いをしてたらしいからなんらか独自の原始的な信仰はあったんじゃない。ただ立て床式住居の城だった可能性も

19: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/01(水) 16:38:57 ID:WzEdqou40
実際、どういう民族の人だったんだろうね。

25: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/14(火) 10:51:09 ID:4cGC0m8W0
実像はどんな人だったんだろうね。
宮城谷とか読んでると殷に生贄にされる事が多かったきょう族の有力者みたいな感じだったけど、ここまで古いと実像はわからんよね。
33: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/29(水) 03:36:46 ID:aI8p1hphO
しかし、ここで語られている様々な英雄が皆、呂尚だけは一致して英雄だと思っていただろうね。
史記には「後世、兵法及び周の権謀術数に言及するものは、皆、太公望を始祖とし、謀略の中心人物とみなした」とある。
誰か「黄河の覇王-太公望のナゾ」とか読んだ人いません?
武吉とか知ってる人いないかな?

20: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/03(金) 12:29:13 ID:fAfpe4fL0
太公が望んだ軍師って聞いたんですが、太公って誰?

21: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/03(金) 23:31:27 ID:rDJaeMND0
古公亶父のこと

26: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/14(火) 20:55:30 ID:roob6Dzh0
太公が望んだから太公望ねえ
結構安直につけられた名前なんだな

32: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/25(土) 21:02:28 ID:9qDtxrCs0
針は縫い針だと聞いたのですが。
餌も付けず、水にも入れてないと。

34: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/30(木) 19:22:50 ID:sgQz0yS20
>>32
文王「何を釣っておいでですか?」
太公望「年月を釣っているのですよ」

という話もあったなぁ。


35: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/04(月) 13:31:42 ID:dC0XunPP0
ちなみにこの頃は、釣った魚をどんなふうに料理していたんだろうか?

36: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/05(火) 21:42:45 ID:rnG4/WcxO
焼くか煮るでしょ多分。それより、行軍時の兵糧のほうが気にならないかな?
豆とかが主だったのではと思うのだけど

38: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/10(日) 00:11:27 ID:azvjKTOkO
武王の嫁さん王姜と親戚なんだっけ?
あれは宮城谷の創作かな

39: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/10(日) 04:42:47 ID:aD/h+Kwl0
ちゃんと史記の注釈に邑姜は斉太公の娘って書いてある

40: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/10(日) 23:48:40 ID:v1qdtGQGO
史記と竹書紀年でもかなり違いがあるからね…。
あの時代は何を信じてよいものか…。

42: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/13(水) 08:20:17 ID:/XoYcA96O
竹書紀年も原本散逸して宋以降の「収集編纂」だしなぁ。
口の悪い学者は「ありゃ捏造w」なんて平気で言うし。
史記は史記でああだしね。
やっぱ金石文が定石かな?

43: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/15(金) 23:43:01 ID:3TnlxDLSO
それによると太公望はいくつくらいで死んだと考えられる?

45: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/24(水) 22:05:46 ID:76fDizxj0
「六韜三略」読むべし。読みやすくなっていた。
90歳以上と考えられる。
横山光輝 「殷周伝説22巻」コミックは解りやすく、はいりやすく面白い。
小説よりも面白かったな。

46: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/25(木) 10:52:15 ID:gjHj8FjB0
こいつと張良って、名声の高さの割りにいま一つ何をしたか良く分からないんだが。

59: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/01(木) 19:24:17 ID:oOucwRIF0
太公望は川で釣ってたらしが、針は付いていなかったとか。
彼は「王」を釣ったですよね。
どんな献策をしたかは「六韜、三略」を読むとわかるよ。
検索すると出てくるので読むと大変勉強になりますよ。
現代にも通用する考え方かも。

88: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/16(火) 21:29:56 ID:PF4aren40
結局この人は実在したのかな?金文に出てくるんだろうか?
武王とかは金文にも登場してたはずだが。

姜は羌なんだろうかなとも思う。すると、殷に生贄狩りの対象とされていた人達だ。
殷に生贄として支配されていた人達の反撃が殷周革命の真相なんではなかろうか。
この時代には謎が多い。殷と周は別の民族だったのか?

91: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/20(土) 03:37:30 ID:/Dsk0LAr0
太公望呂尚の名は、金文ではこれといったものは知らないが、西周代の作とされる「詩経・大雅・大明篇」に、牧野の戦いで武王を補佐する「師尚父」の名で出てくるから、伐殷に功のあった将軍としてそういう人物がいたことはまあ事実と考えてよさそう。
それが斉に封ぜられたとか、経歴とかもろもろのおもしろい話が、出てくるのはみんな「史記・斉太公世家」から。司馬遷が何を見てそれを書いたかは知らない。

呂尚の娘で、武王の妃+成王の母である王姜(邑姜)なら、やたら金文に出てきて大活躍してるんだけどね。でも金文でも「呂尚の娘」と書いてあるわけじゃないけど。

101: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/02(日) 00:00:05 ID:cOKgWnbL0
太公望って羌の出身だったって事は、今で言うチベット人だったって事?

103: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/03/03(火) 09:29:01 ID:LdV/+gRg0
>>101
チベット系だけど今のチベット人とは別物じゃないか?
羌族は中原あたりにいたらしい。

104: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/03/29(日) 03:29:58 ID:rUOIv7970
太公望は羌族っていうより、チベット系や今の羌族の同祖と呼ばれている古羌族っていった方がいいかもなあ。
あの後東の羌族の国は滅ぼされるし、チベット系でも遺伝子的に東と西で別れたようだし。
ただY染色体を調べてみると、日本人と古羌族の同祖と呼ばれるチベット系や彝族は同じ系統が見つかるんだよね。
そこにロマンを感じる。

105: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/04/28(火) 22:12:41 ID:iBx+vs29O
姜斉の二代目の名前の漢字がわからない、姜尚の次の姜キュウのキュウは表しにくい漢字なのかね

107: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/08/26(木) 11:41:29 ID:zmqqmcIq0
>>105
姜伋・・・確かに環境依存の文字・・

108: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/08/26(木) 15:33:04 ID:yZAqndtb0
周王朝の創始に大きく関わった太公望。
偉人として扱われる事がおおいが、中国に春秋戦国時代を招いた奸物と捉えることもできる。
殷のチュウ王って、そんなに悪い人ではないと思う。
大儀が無く天下を取った、周の武王と斉の太公望。

その結果、下克上の乱世へと移って行くのである。

114: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/11(火) 06:07:25.19 ID:n2eyi7hX0
>>108
史実通りかどうかはともかく、その時代は多かれ少なかれ元から荒れていたんだと思うよ。

122: 名無しさん@お腹いっぱい。 2014/04/22(火) 03:23:32.80 ID:Z6rsdqT60
意味がわからん
春秋戦国時代に移っていくのは武王と太公望が殷を倒してから200年以上後の事なのに武王と太公望のせいにされても困るだろ

123: 名無しさん@お腹いっぱい。 2014/04/22(火) 20:45:31.15 ID:uvmJS+vD0
なんかちょっとよく分からん逆説を唱えてみたかったんだろう。

もっとも受王を逆に再評価してる奴はいる。
いわゆる史書で悪く言われてるだけで、実は何も悪くなかった、というような。
もちろんでっちあげはあるんだろうけど、正しいともいえない。

そもそも史記は受王を頭脳明晰で怪力を持ってたとプラス面も書いてるんだよ。
そしてそういう英邁な暴君が、臣下の意見を聞かない、やたら戦争をする、反対者を殺す、というのはよくあることで、そんな失策の中で周に攻められ国を滅ぼした、というのは別におかしくない。

124: 名無しさん@お腹いっぱい。 2014/04/23(水) 00:38:09.02 ID:5/8PNamv0
宮城谷の作品だと受王は頭の良い改革者って書かれ方だったな
だけど、改革が性急すぎたのと、傲慢な性格と、敵である太公望達も天才だったから滅んだみたいな感じだった

120: 名無しさん@お腹いっぱい。 2014/04/16(水) 05:07:17.98 ID:5Z0rU2ir0
史記読むと周が勢力拡大できたのは太公望の働きが大きいと書いてるけど具体的に何したかは書いてないんだよなあ
そこが知りたいのに

121: 名無しさん@お腹いっぱい。 2014/04/16(水) 20:00:46.18 ID:pjHlSRmF0
そこは誰も知らないんだよ。何しろ「太公望」という名称自体、文王の父が大公でその人が待ち望んだ人物という意味だとか、呂尚自身の位が大公だったとか、諸説有って本当の事は誰も知らない。

127: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/01/07(火) 00:10:14.79 ID:8d2Wequo0
太公望は桓公の時代辺りで斉の箔付けの為に虚像が作り上げられたという説があるらしいんだが
詳しい人いない?

128: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/01/30(木) 20:26:34.31 ID:mjFkpB9M0
斉はそうこうが二人いるし架空かもしれない

129: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/02/21(金) 21:39:14.61 ID:UxYmIMmk0
丁公に王へんを付けていて王扱いしていたとか
王丁
王公
って刻んだらしい

131: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/04/12(日) 00:43:11.93 ID:ktoCNZHs0
初期は十干諡号だし殷末甲骨文にも斉って出てくるから、太公望はやっぱり後付けなんだろうね

引用元: ・太公望!!!!!!!!!