1: 世界@名無史さん 2010/01/14(木) 18:05:48 0
倒されても倒されても押し寄せる無数の大軍団
損害を被ってもなお投入される海の如き人数の前についに質は精強であっても寡兵は屈するのみ―――
ここはそんな人海戦術の歴史、事例、条件、その他について総合的に語り合いましょうというスレです








3: 世界@名無史さん 2010/01/14(木) 18:19:00 0
人海戦術ではオスマン、ソ連、中国共産党、が有名

4: 世界@名無史さん 2010/01/14(木) 18:25:35 0
フランス革命軍もある意味人海戦術

5: 世界@名無史さん 2010/01/14(木) 18:33:09 0
ペルシア戦争でのペルシア軍500万人ってのが人海戦術の究極じゃないか?

6: 世界@名無史さん 2010/01/14(木) 18:42:45 0
>>5
アケメネス朝ペルシアは確かに古代史上では相当な人海戦術
ただその数は最高でも300万人だったと思う
(これでも誇張しすぎてる気はするがw)
500万人っていうのは映画では?

8: 世界@名無史さん 2010/01/14(木) 18:48:58 0
>>6
マラトンの戦いのペルシア軍は500万。
ソースはヘロドトス。

9: 世界@名無史さん 2010/01/14(木) 18:52:18 0
>>8
マジか…。
マラトンにはそんなに圧倒的な大軍を展開できる地形があるんだろうかw

10: 世界@名無史さん 2010/01/14(木) 18:55:08 0
しかもそれで1万足らずのアテネ軍に負けてるしなw

11: 世界@名無史さん 2010/01/14(木) 18:59:19 0
500万人いるなら迂回や包囲は試みられなかったんだろうか
ギリシャ式重装方陣は横や背後からの攻撃に弱い

13: 世界@名無史さん 2010/01/14(木) 20:10:25 0
人海戦術、というか圧倒的な大軍による戦術の特徴はとにかくアクティブな所だな
迷いや逡巡がなく積極的に兵力を投入していく事で敵の対応力を上回り、結果的に熟慮の末に出された消極的なアプローチよりも低い損害と高い成果を出せる事も結構ある

14: 世界@名無史さん 2010/01/14(木) 20:29:00 0
人海戦術の肝は戦力の集中された運用だよな
ソ連とかは十分な集中を行う為に、もし手が回らない場合は不要な戦線の放棄もドクトリンに含まれていたんだっけか

15: 世界@名無史さん 2010/01/14(木) 20:33:24 0
ただヴェトコンや中国共産党のゲリラ兵みたいに巨大な戦力を徹底して細分化して四方八方でゲリラ戦や破壊活動を行うっていう手もある

26: 世界@名無史さん 2010/01/15(金) 13:20:14 0
毎回思うんだけどさ、人海戦術ができるって、凄まじい指揮統制力じゃないか?
その時点で十分精強な気がするんだけど。

27: 世界@名無史さん 2010/01/15(金) 17:15:52 0
近代以前の軍隊が、一地域に同時に集中出来る軍隊の数の限界は約三万。
それ以上だと兵糧や糞尿処理の面から組織体として維持出来ない。

近代以前の軍隊の「何百万」「何十万」なんてのは、作戦に関わった人間の延べ人数、もしくは与太話のどちらかだろう。

28: 世界@名無史さん 2010/01/15(金) 17:33:21 0
その話って何が根拠?
なんか世界中に存在する戦史を見てもどう見ても三万以上動員してる例はいくらでもある
三万限界なんてヨーロッパの例だけで言われてるような

29: 世界@名無史さん 2010/01/15(金) 17:45:07 0
日本の関ヶ原とか朝鮮出兵とか軍役書状からみても明らかに十万以上の兵が動いてるはず
「世界戦史」著者の有坂氏は前近代では10数万が限界と言ってる
三万が限界っていうのは軍隊組織が未整備だった時代のヨーロッパの話じゃね

30: 世界@名無史さん 2010/01/15(金) 17:54:57 0
ヨーロッパでも十字軍の時は10万以上動いてるし、いくらなんでも3万でパレスチナ・シリア占領は無理だろ

31: 世界@名無史さん 2010/01/15(金) 17:59:28 0
3万が限界ってのは10万限界説と混同してるんじゃないか
それと前近代でも兵力を分散して複数の軍隊に分けて展開すれば10万以上動かせると思うけどね

32: 世界@名無史さん 2010/01/15(金) 18:09:55 0
一正面三万が限界説にかろうじて当てはまりそうなのはヨーロッパでも30年戦争くらいじゃないか
あれのグスタフ・アドルフやヴァレンシュタインand皇帝軍はそれぞれ総兵力では十万以上ありながらも決戦場では三万前後で戦ってる
ただあれは
①当時はまだジャガイモなども普及しておらず、ヨーロッパはどちらかというと農業生産力が低かった事
②戦場が分裂と戦乱によって荒廃したドイツの大地出会った事
③当時はまだヨーロッパの軍隊は未整備な所が多かった(これより少しあとのフランスでルイ14世時代に陸軍の大改革が始まり、それは周辺諸国の模範となった)
などの条件が重なっている事が原因な気がする
実際、戦場全域に展開した総数でいえば新教・旧教ともに10数万を越えているはず

33: 世界@名無史さん 2010/01/15(金) 19:43:02 0
アケメネス朝ペルシアは圧倒的な大軍を用意してるのにマラトンやプラタイアイでギリシャ勢に負け、アレクサンドロスにひしがれまくって滅亡に追いやられたのがラブリー

34: 世界@名無史さん 2010/01/15(金) 19:53:41 0
王の中の王の軍隊は一応ガウガメラではマケドニア軍片翼を壊滅寸前まで追い込んでる
アレクサンドロスが迫ってきた事でペルシア王が逃げちゃったから戦線崩壊したけど、もう少し王が踏みとどまって防戦してたらどうなっていたか

36: 世界@名無史さん 2010/01/16(土) 10:20:37 0
人海戦術といえばオスマン帝国お得意のピストン輸送を忘れてはなるまい
ロードス島のような小島にさえ、あっという間に十数万の大軍が送り込まれて戦場に集結する様は圧巻

37: 世界@名無史さん 2010/01/16(土) 14:36:32 0
大軍に胡坐をかいた戦術と思われがちだけど、実際は積極性と攻撃性がないと強みが生きない戦術だよね、これ

38: 世界@名無史さん 2010/01/16(土) 14:42:55 0
最大限に生かすには攻める時は攻め、退くべき時は一斉に退く、という進退の妙が求められる戦術でもある

41: 世界@名無史さん 2010/01/16(土) 19:12:14 0
アケメネス朝ペルシアには不死軍団がオスマントルコにはイェニチェリがいる
人海戦術を使う軍隊であればこそ、要となる精鋭部隊も必要なんだろうな

43: 世界@名無史さん 2010/01/16(土) 19:22:43 0
>>41
いくら大軍でも常備兵じゃないから崩れやすく脆い。
それをまとめて運用するには必須なんだろうな。
下士官制度が発達すれば精鋭をことさら配置する必要はなくなるんだろうが

45: 世界@名無史さん 2010/01/16(土) 21:36:10 0
ダレイオス三世の評価ってどうなの?
アレクサンドロスとの戦いぶりを見てると戦略的にはしばしばダレイオス三世が出し抜いているようだけど戦場では圧倒的大軍を用意しても全部負けてるよね
これはアレクサンドロスの超人的軍略をたたえるべきなのか

52: 世界@名無史さん 2010/01/16(土) 23:12:55 0
>>45
というか当時のマケドニア軍が強すぎた

46: 世界@名無史さん 2010/01/16(土) 21:47:36 0
ダレイオス三世はイッソスで戦略的にはアレクサンドロスの完全に上を行ったのにな
完全な戦略的勝利を達成した上での圧倒的優位において決戦したら現場でボロ負け…
本人もわけがわからなかったんじゃないだろうか

56: 世界@名無史さん 2010/01/17(日) 03:16:45 0
>>46
アレクサンドロスは、マケドニアやギリシャ、トラキア等バルカン出身の兵だけで、ダレイオス三世らと対戦したのだろうか?
フリギア、リディア、エジプト等占領地の兵も加わって、マケドニア軍もかなりの大軍になっていたのではないだろうか?

57: 世界@名無史さん 2010/01/17(日) 11:47:08 0
どうなんだろうな
確かアレクサンドロスは占領地の抑えにある程度の兵を割いてたような
兵力記述を抜きにしてイッソスやガウガメラの戦闘経過を見ても、アレクサンドロスの動きは歩兵でペルシア軍を抑えてる間に直卒の騎兵で突破するっていうもので、歩兵がペルシア軍の攻撃で毎度壊滅しかかってる所からみても軍勢数ではペルシア軍が勝ってるように見える

48: 世界@名無史さん 2010/01/16(土) 21:57:56 0
自分が用意した圧倒的優位な情勢と大軍を蹴散らして向かってくるアレクサンドロスを見たときのダレイオス三世の心境はまさに「戦略が戦術に覆されてたまるか!」って感じだろうな

61: 世界@名無史さん 2010/01/17(日) 17:07:03 0
>>48
どんな圧倒的優位でも総大将一人死んだり逃げれば覆るんだから、戦術も戦略もくそもないような

63: 世界@名無史さん 2010/01/17(日) 20:59:10 0
>>61
だってダレイオス3世は圧倒的大軍の本陣に坐していたんだぜ
その大軍を蹴散らして少数の騎兵で本陣まで押し寄せてくるアレクサンドロスを見たら、何こいつって思うだろ
戦術も戦略もないというが、アレクサンドロスの戦術(歩兵で引きつけて騎兵で突破する)と後はよくわからない超人的な武勇がアレクサンドロスをダレイオス3世の本陣まで届かせたんだろうよ
戦略で勝っていたダレイオス3世はさぞびっくりしたろうよ

50: 世界@名無史さん 2010/01/16(土) 22:21:28 0
それでも片翼を潰しかけたぞー
ダレイオス三世が逃げたから無駄になったけどなー

55: 世界@名無史さん 2010/01/17(日) 03:07:11 0
しかし500万とは凄すぎる。
一回の戦闘で動員した兵力としては世界記録だろうな。

58: 世界@名無史さん 2010/01/17(日) 13:08:33 0
>>55
甘いな。
1277年3月に元軍がビルマのパガン朝に攻め込んだンガザウンジャンの戦い。
パガン軍は元史の記述によると兵数45万、象800、馬万匹。
対する元軍はビルマ側の記録だと騎兵600万、歩兵2000万。

59: 世界@名無史さん 2010/01/17(日) 13:13:57 0
>>58
糞ワロタwwww

78: 世界@名無史さん 2010/01/21(木) 01:35:11 0
>>58
2000万人ってどうやって数えたらそんなに行くんだろうなw

60: 世界@名無史さん 2010/01/17(日) 13:18:44 0
全軍合わせて2600万ってもはや軍隊じゃなくて民族大移動の域だろうww

79: 世界@名無史さん 2010/01/21(木) 02:33:34 0
フランスだってルイ14世時代でも総人口が2千万いかなかったはずなのにすげーぜモンゴル帝国!

80: 世界@名無史さん 2010/01/21(木) 20:38:51 0
人海戦術というなら中国ってすごいよね
紀元前から数十万とか百万とかの兵力記述が何度もある
誇張入っているにしてもすごい

81: 世界@名無史さん 2010/01/21(木) 20:42:21 0
中国の兵力記述は勝者側の敵の兵力記述を10分の1にすると丁度いいんだっけか?

83: 世界@名無史さん 2010/01/21(木) 23:58:19 0
>>81
長平のことを考えると敗者側も減らさないと

84: 世界@名無史さん 2010/01/22(金) 00:34:58 0
一般的に言ってどの時代どの国の記録でも、敵の兵力や敵に与えた損害は大きく誇張されるよね。
第2次大戦の記録とかでもそうだし。

85: 世界@名無史さん 2010/01/22(金) 01:49:38 0
太平天国の乱とかの犠牲者数はどこまで信じて良いんだろう

86: 世界@名無史さん 2010/01/22(金) 04:38:15 0
>>85
戦場になった農村の人口が激減して民衆の生活が楽になったというから相当減ったんだろう

96: 世界@名無史さん 2010/01/23(土) 16:48:02 0
ムハンマドの戦争は戦争というより地域紛争なんだろうけど、人海戦術、虚勢ハッタリが当たり前の世界史目線でムハンマド関係の本を読むと(世界史的には最上クラスの重要人物なだけに)人員数の少なすぎに拍子抜けする

97: 世界@名無史さん 2010/01/23(土) 18:29:29 0
最大動員で一万人くらいだっけ
でもあれは地域紛争なんだからそれで十分多い気がする
後になればなるほどイスラムの軍は増えていってるから

98: 世界@名無史さん 2010/01/23(土) 22:07:57 0
イスラム教の軍隊っていうとオスマン軍みたいな大軍思い浮かべるけど
イスラム教初期だとむしろ圧倒的なビザンツ帝国軍VS少数精鋭のイスラム軍って感じで萌える

99: 世界@名無史さん 2010/01/23(土) 22:18:50 0
数で質を制したといえば中国史の項羽と劉邦の決戦であるガイカの戦い
100万越えの漢軍が不世出の名将項羽が率いる楚軍10数万をついに撃破
100敗将軍劉邦が最後の勝利を手にした瞬間

100: 世界@名無史さん 2010/01/23(土) 23:09:29 0
その状況でさえ漢軍を一度は突き崩してる項羽の武勇がむしろ凄い
ただ質を数で制した例としてはいいと思う

103: 世界@名無史さん 2010/01/24(日) 09:01:15 0
漢の記録でも一日に60人以上の漢の将を項羽は打ち負かしているからな。
当時の戦闘では将が負けると一般兵も逃げ惑うから、一騎当千の武将には大軍でも苦戦する。
それでも将の武勇で得られるのは戦術的勝利でしかないから、最終的には負けるよな。

104: 世界@名無史さん 2010/01/24(日) 10:15:50 0
項羽が武勇だけで勝利してたと思ってるならそれはさすがに間違いだと思うがw

105: 世界@名無史さん 2010/01/24(日) 11:01:36 0
じゃあ内政はどうだったんだ?
国力でも楚が勝ってたか?
そりゃ無いだろう。

106: 世界@名無史さん 2010/01/24(日) 11:17:54 0
>>104が言いたいのは内政とかじゃなくて項羽は武勇だけではなく
迅速な機動、各個撃破、中央突破という戦術を活かして勝利していった、って事じゃないのか
後世の中国の学者も項羽の戦術はナポレオンに似てるとかいって評価してるし

107: 世界@名無史さん 2010/01/24(日) 12:04:45 0
戦術・戦略面では項羽が圧倒してたけど、政略面がボロボロだったので反乱が続出、その反乱勢力をまとめた漢が最終的には楚を上回ったね。

要は人心に尽くすことこそ重要ってこった。

108: 世界@名無史さん 2010/01/24(日) 12:18:59 0
戦術では楚陣営だけど大局的な戦略では漢じゃないか?
劉邦が負けまくりながらも項羽を抑えて、その間に韓信、ホウエツ、劉カ、英布を項羽のいない各方面に派遣して領土を攻略させ包囲網を形成したのが最終的に漢が楚を圧倒的に上回る兵力を得た原因じゃないか

112: 世界@名無史さん 2010/01/24(日) 18:20:39 0
確かに史記読んでると項羽勝ちまくってるのに領土が全然広がらない印象

117: 世界@名無史さん 2010/01/24(日) 21:42:29 0
日本の例で悪いが太平記もすごい。
千早城に立てこもった千人たらずの楠に対し、幕府方は100万の兵で攻めている。

118: 世界@名無史さん 2010/01/24(日) 22:30:49 0
太平記は明らかに持ち上げたい側の敵の兵力記述が桁一つ間違ってるだろ、ってレベルだしな…
太平記じゃ湊川の合戦も足利軍50万以上、楠・新田軍二万(その内、楠軍は七百)
多々良浜合戦じゃ足利勢三百、菊池勢三万
それそれの大軍側の兵力を十分の一にすると丁度いい気がする

125: 世界@名無史さん 2010/01/25(月) 16:21:00 0
>>117>>118
太平記は所詮軍記物語なわけで、兵力記述を桁一つ増やす程度の演出は当然なんじゃないの
正史とかじゃなく基本エンターテインメントなわけで、突っ込むだけ野暮な気がするが

119: 世界@名無史さん 2010/01/24(日) 22:54:41 0
百万じゃペルシア兵の500万とくらべたらショボいな。

120: 世界@名無史さん 2010/01/24(日) 23:30:16 0
500万なんてモンゴル軍2千6百万と比べたらショボイな

引用元: ・【量で】人海戦術の歴史【質を制す】