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1: 日本@名無史さん 2012/04/02(月) 21:17:30.63
なんで平家政権は早く滅びてしまったんでしょうか?








4: 日本@名無史さん 2012/04/03(火) 00:55:16.18
鎌倉幕府の例から見る限り、京都から本拠地を移した方がよさそう。

5: 日本@名無史さん 2012/04/03(火) 03:08:42.94
都の生活に慣れきってる平家には難しいな

7: 日本@名無史さん 2012/04/03(火) 06:24:31.92
平家の栄華は、外祖父になったことによる。
つまり、摂関家に成り代わっただけだから、そもそも長続きするものじゃなかった。
でも、滅ぶようなものでもなかった。
富士川と倶利伽羅の敗戦が痛かった。

10: 日本@名無史さん 2012/04/03(火) 10:50:35.65
安土あたりに拠点を築くべきだったな。
東海からくる鎌倉軍と北陸からくる木曾軍に対抗するため。
比叡山の寝返りで平家は瓦解して京都の防衛もできなかったのだから、比叡山より東側に防衛拠点が必要だった。

22: 日本@名無史さん 2012/04/04(水) 23:55:34.71
>>10
そういう所は確かにある。
てか京都にせよ福原京にせよ、極めて守りにくい場所にあるな。

24: 日本@名無史さん 2012/04/05(木) 00:19:58.72
>>22
都は基本的に土塁も石垣もなく防御施設が全くない
そういう意味では初めて武家政権が置かれた鎌倉も同じで、鎌倉幕府も結構あっけなく滅ぼされている

25: 日本@名無史さん 2012/04/05(木) 04:48:19.00
そういう所に都を置くってどうなんだろうな。
京都も動乱に巻き込まれてばかりだし。

26: 日本@名無史さん 2012/04/05(木) 04:50:54.05
確かに鎌倉も大軍で守るとかしにくい土地か。

39: 日本@名無史さん 2012/04/06(金) 00:10:46.08
本拠地の位置は関係ないだろう。
平家一門以外に平家を支える有力な一族がいなかったからだろう。
例え、後継者が暗愚でもそれなりに支える家臣がいたらなんとかなるだろうけど、平家にはそれを支える一族がいなかった。

40: 日本@名無史さん 2012/04/06(金) 00:52:44.41
>>39
源氏の義朝のように勢力扶植に熱心じゃ無かったよね。

42: 日本@名無史さん 2012/04/06(金) 09:41:01.10
平治期に頼朝の首を切っても平家は滅んでいただろう。
武家の棟梁として諸国の源氏にも恩典を保証していればよかった。
源平で左右の近衛中将を取り、日本を東西に分けて住み分ける。

48: 日本@名無史さん 2012/04/06(金) 19:55:27.53
存続するだけなら九州の在地勢力の離反がなかったら筑紫遷都決行で十分に可能

50: 日本@名無史さん 2012/04/06(金) 22:45:01.02
朝廷と一体化して生きるルートと地方国家を目指すルート。

51: 日本@名無史さん 2012/04/07(土) 02:25:14.63
>>50
その二つとも、平氏は失敗しているよね。

53: 日本@名無史さん 2012/04/07(土) 10:01:45.33
平家の象徴が宗盛
弱すぎて無理

宗盛ハ水練ヲスル者ニテ、ウキアガリウキアガリシテ、イカント思フ心ツキニケリ。
サテイケドリニセラレヌ。
(『愚管抄』)

54: 日本@名無史さん 2012/04/07(土) 11:13:34.70
いや、象徴は二位の尼とか安徳天皇だろ。
武の象徴は知盛で。
つまりもっと安徳を前に押し出して行動すべき。

57: 日本@名無史さん 2012/04/08(日) 23:10:53.18
>>54
つうか、安徳天皇が西下した時点で都においては治天の君後白河法皇の院宣によって後鳥羽天皇が即位、年号も変えてしまった。
朝廷や源氏はすでに安徳天皇は天皇ではなく先帝という認識。
平氏だけが天皇だと言って前面に押し出してもあまり意味はないという事実。

58: 日本@名無史さん 2012/04/09(月) 22:40:31.65

都から落ちるにしても、法王を連れて行かないと全く意味がないと清盛も言っていたように、日経小説にも書いてあったような。

まあ、先帝でも幼帝でも、前に出すのと後ろで隠したままなのとでは、士気に雲泥の差は出ると思うけどね。

67: 日本@名無史さん 2012/04/13(金) 18:47:08.15
>>58
安徳天皇を戦の最前線に連れ出して射殺されでもしたら元も子もないと思うが

68: 日本@名無史さん 2012/04/14(土) 00:33:54.10
重盛が長生きしていたら数代くらいは平氏政権続いてたじゃね

70: 日本@名無史さん 2012/04/16(月) 12:12:18.80
>>68
重盛って宗盛叩きの反動でいい人っぽく平家物語に描かれてあるけどそれほど有能ではなかったんじゃね?
平家の中でも浮いていて清盛も扱いに困っていたし

71: 日本@名無史さん 2012/04/16(月) 22:49:26.23
>>70
愚管抄を始め同時代の史料での評価高いし、実際十八で保元の乱。二十一で平治の乱を経験し、あの後白河院と清盛の間に立ち、何とか死ぬまでは院と平家の関係を一応は保ったわけで、優秀ではあったろう。
一門内での孤立も同母弟の基盛の早世に義兄の成親がアレだし本人の非とは言い難い。
見方によっては父清盛よりキツイ人生だと思う。
まぁ、平家政権の維持は清盛より長生きしても無理とは思うが、小松家を後世に残す事は可能なんじゃね?

74: 日本@名無史さん 2012/04/18(水) 10:26:21.98
>>71
清盛に至っては同母兄弟がはじめから存在せず継母有。
それでも一門をまとめ上げた。

同母弟が早世したから重盛が孤立したのは仕方がないというのは違う。
平家一門次期棟梁の地位を忘れ、平家よりも妻の兄藤原成親を採ったのは重盛本人。
むしろ、重盛自身が平家を捨て、異母弟宗盛に平家一門を投げた原因を作ったような感じだ。
重盛には何一つ非がなかったというのは判官びいきすぎるな。

75: 日本@名無史さん 2012/04/18(水) 15:58:17.62
重盛はあの悪名高い殿下乗合事件で常軌を逸した陰湿な仕返しをしたしね

82: 日本@名無史さん 2012/04/18(水) 17:32:09.57
頼朝からも厚遇された清盛の異母弟平頼盛すら息子は公卿になれず家は消滅したからな
小松家が残ったかどうかなんて希望的観測でしかない

99: 日本@名無史さん 2012/04/20(金) 00:16:46.16
平家の弱点は地方の豪族を味方に引き入れられなかったこと
清盛の子供を大量に地方に出向させればよかったんだ

100: 日本@名無史さん 2012/04/20(金) 08:39:06.13
>>99
清盛は息子たちに地方の知行国を与えてるけどな
ただし息子たちは実際には赴任せず現地の在官国人に任せきりだった
源頼朝も守護地頭は配したが自分の息子は鎌倉に置いて地方にやっていない
あまり関係ないかも

111: 日本@名無史さん 2012/04/22(日) 00:56:23.34
後白河法皇が源氏と平氏による連立政権を模索してたことがあるって本当なの?
例えば東国を源氏が支配して西国は平氏が支配するとか・・・

115: 日本@名無史さん 2012/04/23(月) 10:17:02.52
>>111
後白河法皇は朝廷権力維持のために平氏と源氏の共倒れを願っていたのであって
平氏と源氏を両方存続させようなんて思ってなかったと思うよ

118: 日本@名無史さん 2012/05/12(土) 22:44:46.16
①平治の乱後、頼朝、義経らを皆殺し
②鹿ケ谷の陰謀露見後、後白河を流罪に

119: 日本@名無史さん 2012/05/13(日) 01:31:25.95
後白河を流罪になんてしたら後醍醐みたいになるかもしれず、法皇を幽閉して院政を停止してからおかしくなってきたので、多少のことはがまんしてあくまでも法皇をたてる

120: 日本@名無史さん 2012/05/19(土) 06:59:40.13
勝者だったはずの源頼朝の系統が絶えてしまったことを見ると、平家が一定の勢力を保って存続するのは無理だったような気がする。

源氏・平家ともに軍事貴族は武家棟梁として一定の役割を果たした後、淘汰されて消滅する運命にあったのではないか。

122: 日本@名無史さん 2012/05/19(土) 23:05:23.32
>>120
頼朝は元々関東武士団に担がれただけの御輿だったが、平家は一族だけでも力を持っていたから鎌倉幕府とは全く違う形になったんじゃないか

124: 日本@名無史さん 2012/05/21(月) 18:39:06.45
>>122
頼朝は北条氏と婚姻、嫡子頼家は比企氏と婚姻するなど源氏は関東武士団と姻戚関係を持ったからこそ幕府が開けた。
それに比べて平氏の姻戚は公家ばかり。
正直、幕府を開けたかどうかも分からない。

126: 日本@名無史さん 2012/05/22(火) 18:05:43.29
地方の平氏勢力が弱すぎたのが原因だろ。

127: 日本@名無史さん 2012/05/22(火) 18:11:20.21
軍事力では源氏に負ける運命にあったから、一族もろともに琉球まで落ち延びてそこに王国を作ればよかった。

131: 日本@名無史さん 2012/05/23(水) 01:56:56.36
>>127
だめだめ、源氏の八郎ちゃんが先客でいらっしゃいますんで。

128: 日本@名無史さん 2012/05/23(水) 00:36:45.14
頼朝など、悪源太義平以外の義朝の息子をことごとく生かした清盛が甘すぎ。
皆殺しにして、あと坂東平氏を同族として厚遇して手なずければ、少なくともあんなすぐに滅ぶようなことはなかったろう。

133: 日本@名無史さん 2012/05/24(木) 22:44:53.23
>>128
そうだろうな。
坂東平氏を厚遇していれば、頼朝公が石橋山で負けて房総に逃げたとき、常胤は助けるどころか生け捕りにして首を京におくっただろうね。

130: 日本@名無史さん 2012/05/23(水) 01:44:38.49
やっぱ各地方に探題となる平家一門を据えるべきだったんだが、まだそんな時代じゃないか

150: 日本@名無史さん 2012/07/02(月) 20:25:49.24
>>130
これはそう思う。
平家がやったのは既存の軍制のトップに自らが立っていくというやり方で、独自の軍制を築けなかった点は確かに弱点として大きい。

けど「独自」のものを築くって言うのは、その必要性があって初めて具体的に検討されていくものだからねえ。
清盛にとってそうさせる程の切迫感は存在しなかったとも言えるんでないかな。

152: 日本@名無史さん 2012/07/02(月) 23:35:18.50
>>150
国司は置いてたんだけどね
あちこちの国司を平家一門で押さえていた
ただし平氏一門は都で政治に当たり地方へ赴任しなかった
(いわゆる遙任国司で地方には代官を派遣)
この代官たちが平氏に逆らったもんだから太刀打ちできなくなった
鎌倉幕府でいえば諸国に赴任させた守護地頭が言うこと聞かなくなったみたいなもんか

134: 日本@名無史さん 2012/05/25(金) 16:37:04.53
平家は、源氏に対する牽制のために一部の公家勢力に祭り上げられた連中だから、元々武士層の支持基盤は弱かった。
平家は、公家勢力あっての平家である事を忘れ、太政大臣になったり、一族で官職を占めてしまったりと、自らの寄って立つところを自分で切り崩してしまった。

平家は、公家になり切らず、武士と公家の二面性を保ちながら、朝廷で二番手ぐらいのポジションにいたら、もっと繁栄が長続きしていたと思う。

135: 日本@名無史さん 2012/05/25(金) 19:30:27.80
>>134
清盛は朝廷のトップじゃなくて4番手だったじゃん
後白河法皇ー高倉天皇ー関白近衛基実ー太政大臣平清盛

136: 日本@名無史さん 2012/05/26(土) 16:45:31.19
>>135
武力を加味した実力では、清盛は法王や公家たちを完全に凌駕していた。
そうでなければ、朝廷の美味しい官職を平家一門で独占は出来ないだろう。

平家は、傀儡の天皇家と摂関家の間ぐらいのポジションで、おとなしく悪さをしていた方が良かった。
後代の武家政権は、名目的には天皇家を上に立てて、摂関家を家来同然にするぐらいの力関係の時に一番安定していた。

137: 日本@名無史さん 2012/05/26(土) 18:25:22.69
>>136
清盛は若年の高倉天皇と関白近衛基実をいずれも娘婿とし、義父という立場で大いに婿たちに口出しをした
武力だけで凌駕していたわけでもない
高倉天皇と近衛基実がいずれも早世した後には源氏決起という事態を招いたわけだし

173: 日本@名無史さん 2012/07/18(水) 16:20:43.41
>平家を長続きさせるためにはどうすればよかったの?

源義朝の遺児を全員斬首
奥州藤原氏を滅ぼして陸奥を平家の知行国にする

175: 日本@名無史さん 2012/07/19(木) 18:42:41.73
>>173
史実の清盛が温厚で穏やかな性格の持ち主だったというのはそういう処分などにも表れてるんだろうね
それに対して頼朝は清々しい程に陰鬱で残忍な性格してるけど
結局、善人には政治はやれないって事なのかもね
とはいえ頼朝も権力の確立に成功したとは言い難いものがあるけど

177: 日本@名無史さん 2012/07/20(金) 21:48:48.20
>>175
頼朝らの助命から清盛は子供には甘かったとはいえると思うが
清盛=温厚で穏やかな性格
頼朝=陰鬱で残忍
というのも言い過ぎかとは思うが
清盛は敵をそれなりに残忍に処刑したりもしてるしね
頼朝が処刑したのは少なくとも武家男子だけだったが、清盛は武家だけでなく公家も処刑しているから

178: 日本@名無史さん 2012/07/20(金) 21:59:57.35
自分らのような子供を助けてしまったのが、平家滅亡の原因と考えた頼朝は、清盛の轍は踏むまいと考えたわけだろうな。

195: 日本@名無史さん 2012/07/26(木) 11:03:23.56
平家一門が遙任国司として都で遊んで暮らしていたのが最大の原因では。
貴族が在庁官人を制御できずに武士の台頭を招いたのと全く同じ構図。

目代を派遣するだけでは不十分で、実際に赴任するなり在地の豪族と血縁を結ぶなり、もっと地力を固めるべきだった。

国司になるだけで満足してたから、源平合戦ではろくに兵力を動員できないどころか簡単に裏切りを受けてかつての栄華もどこへやらの壊滅状態。

実際に大宰府に赴任した頼盛が生き残り、家盛の娘を押し込めておいた原田種直が最後の最後まで平家に味方して戦ったのが運命的。

196: 日本@名無史さん 2012/07/26(木) 19:31:09.25
>>195
源頼朝は一門はほぼ鎌倉在住で地方へ赴任させていないんだがそれでも統治に成功してるよね?

198: 日本@名無史さん 2012/07/27(金) 04:57:55.98
>>196
よく分からんが平家と違って敵対勢力なで斬りにしたから?

199: 日本@名無史さん 2012/07/27(金) 07:35:13.33
東国の武士たちが平家滅亡に際して西国に領地を貰って下向したからな
ちょっとした民族大移動があった

208: 日本@名無史さん 2012/08/01(水) 06:38:57.19
都落ち後の総崩れをなんとか食い止めて東西勢力分割で膠着状態を長引かせることはできなかったのか

209: 日本@名無史さん 2012/08/03(金) 23:25:48.30
倶利伽羅峠の合戦で大敗して、多くの将兵を失ったのが痛かった。
美濃源氏と連携して、美濃を防衛線にして、木曽勢を深追いしないで、京都の防衛を第一にするのがよかった。

210: 日本@名無史さん 2012/08/03(金) 23:31:09.11
>>209
歴史上、京都を守りきって勝利した事例ってあったっけ?

211: 日本@名無史さん 2012/08/04(土) 07:45:52.02
>>210
鳥羽伏見

212: 日本@名無史さん 2012/08/04(土) 13:32:12.01
まあ大半は京都守備してる奴らが負けてるけど。

216: 日本@名無史さん 2012/08/07(火) 01:40:19.61
まあ おごらないことよね

引用元: ・平家を長続きさせるためにはどうすればよかったの?