1: 無名武将@お腹せっぷく 2006/01/12(木) 02:37:50
結構好きな奴多いだろ?







217: 無名武将@お腹せっぷく 2006/02/17(金) 23:21:32
石虎ほど不殺生や慈悲って言葉より遠い人物もいない。
石虎は仏教を信奉してて、あれだからな
仏教の有難い教えも石虎には効かなかったっんだろうか?

それとも、もしかして・・・
仏教が無かったらもっと暴走してたのか・・・・
((;゚Д゚)ガクガクブルブル
石 虎(せき こ、295年 - 349年)は、五胡十六国時代の後趙の第3代皇帝。上党郡武郷県(現在の山西省楡社県の北西)出身の羯族であり、後趙の初代皇帝石勒の従子(甥)に当たる。石勒の没後、第2代皇帝石弘を廃して居摂趙天王を自称し、後に大趙天王を称した。晩年には皇帝に即位した。

石虎は軍中において勇幹・策略さにおいて自らに並ぶ者あれば、機を見てすぐさまこれを害した。そのため、この時期に石虎に殺された者は甚だ多かった。また。ひとたび城を降して砦を陥とせば、善人・悪人の区別なく士女を生き埋めにするか斬り殺した。これを逃れた者はわずかであった。
石勒は幾度もこれを責めて改めるよう指導したが、石虎は自若として意に介さなかった。しかしその一方で、兵を率いれば厳格で乱れる事は無く、誰もこれに背く者はおらず、征伐を命じられれば、向かう所敵は無かった。

石虎は王位に即いて以降、遊楽に溺れて政治を廃するようになり、宮殿を始め多くの場所の営繕を行った。非道な法律や重い税金と労働を課し、それを大宮殿を建てたり妾を集めることに費やしたので、民百姓は大いに困窮した。また酒や女に荒耽するようになると、次第に感情の抑制が効かなくなり、些細な事でしばしば激怒し、粛清を連発した。狩猟・微行にも節度がなく、夜明けと共に出て夜になるまで帰って来ない事もあった。


218: 奇矯屋onぷらっと ◆QqQquqqauQ 2006/02/17(金) 23:23:30
そういえばそうだ。
帰依してあの暴走ぶりなんだよなあ。

219: 無名武将@お腹せっぷく 2006/02/17(金) 23:33:27
石虎の伝記は誇張され過ぎな気がする
晋書のことだからあまり信用できない

223: 無名武将@お腹せっぷく 2006/02/18(土) 00:16:46
>>219
晋書は五胡のところは読んだことないけど
資治通鑑でも石虎は暴走しまくりだった。

225: 無名武将@お腹せっぷく 2006/02/18(土) 00:22:15
石虎を打ち破るくらい実力あるのに酒で自爆する劉曜萌え
劉 曜(りゅう よう)は、五胡十六国時代の漢の第5代皇帝、および前趙の初代皇帝。漢の初代皇帝劉淵の族子であり、3代皇帝劉聡の族弟。漢の皇族として、長安を攻め落として西晋を滅ぼした。皇帝に即位すると、靳準の乱を平定して国家を再興し、石勒と華北の覇権を争った。劉淵からは「劉家の千里駒」と呼ばれた。

230: 無名武将@お腹せっぷく 2006/02/18(土) 02:31:14
劉曜は酒よりも羊皇后に溺れたのだよ。きっと・・・
2つの国の皇后だし!
たぶん、美人だ。

231: 無名武将@お腹せっぷく 2006/02/18(土) 08:31:09
劉曜って、朝鮮から還って来てから暫らくの間、人付き合いが嫌で引き籠もってるよな。
俺からすれば、2メートル超の巨躯と白髪赤眼は格好良すぎて羨ましい限りなんだが。
実力抜群だけど、油断と病気と酒で損してるわ。
石虎と石生を続け様に破る所は、まだ耄碌してない証だと思うんだが、酒がなあ、それとも石勒を見誤ったか、何とも言えん。

確か、石虎って劉曜と羊皇后の間の皇女を略奪して、後に皇后にしてたと思うが、兄貴の劉煕との年齢を考慮すると掠略された時の年齢はローティーンだよなあ。
彼女は後趙が瓦解していく様子をどう思ったンだか。

239: 無名武将@お腹せっぷく 2006/02/18(土) 10:55:09
冉閔は呂布とかぶりすぎ
千里の名馬を所有してるとこまで
冉 閔(ぜん びん)は、五胡十六国時代の冉魏の初代天王。石虎の死後、後趙から独立して冉魏を打ち立て、後趙の皇室や羯族を大量に殺した。冉閔は後趙の残党の石祗等と対立し、352年に前燕の慕容恪に捕らわれて殺された。


248: 無名武将@お腹せっぷく 2006/02/18(土) 11:18:49
冉閔は呂布タイプではないと思うんだが。
攻勢よりは防勢、騎兵一本ではなく歩騎共同運用、叛服常無きというよりは、止むに止まれぬ末の独立なわけで、同時代なら関隴の陳安の方が呂布タイプの反骨支離滅裂イケイケ軍人だと思うけどね。

本拠地得るまでの石勒も、「軍事しか取り柄のない野蛮人、盗賊上がり、所詮は粗野な外人傭兵」的な印象しかない呂布タイプの武将と思わされる記述が多い。
まあ、石勒はもっとおぞましい何かだったわけだが。

250: 無名武将@お腹せっぷく 2006/02/18(土) 13:14:29
冉閔の乗ってた馬の名前ってなんだったっけ?

252: 無名武将@お腹せっぷく 2006/02/18(土) 17:28:26
朱龍

253: 無名武将@お腹せっぷく 2006/02/18(土) 18:35:35
朱龍で会ってる
で、矛と槍の二刀流で800の兵を一人で屠った

264: 無名武将@お腹せっぷく 2006/02/21(火) 21:30:26
段韶と斛律光と蘭陵王の北斉最強武将トライアングル

265: 無名武将@お腹せっぷく 2006/02/21(火) 21:39:34
>>264
さらに加えて
陳元康に慕容紹宗に侯景もいたんだから
北斉はまさに良将の人材が雲のようだったのに使いこなす君主がアレだったので惜しい限りだよな

268: 無名武将@お腹せっぷく 2006/02/25(土) 21:02:10
慕容紹宗なぁ
高歓が息子の為にワザと引き立てずに、子の高澄に引き立てさせるように示唆したって
それより侯景宛の手紙にはいっつも裏に点をうってあるんだって教えてやれよw

271: 無名武将@お腹せっぷく 2006/02/27(月) 22:43:24
石ロクって奴隷から身を起こしたんでしょ

272: 無名武将@お腹せっぷく 2006/02/28(火) 19:45:17
石勒は羯部の衆を飢饉で死なせたくない一心で、「みんな奴隷に身を落とそう」という苦渋の決断してるからな。
その上、後年、自分を奴隷狩りした司馬騰のタマ奪ってる執念が凄え。

つーか、他の五胡の首長たちは、石勒に比べたらいいとこのボンボンばかりだからな。
鬼畜と聖者の二面性を併せもつ石勒こそ、五胡の第一人者と言って然るべき。

274: 無名武将@お腹せっぷく 2006/03/01(水) 20:37:21
東晋十六国時代能力格付け

政略
1王導:江南割拠&豪族間調整を短期間でやってのけた手腕
2張軌:端っこなら勢力安定させやすいんじゃねぇ?をリアルに実行して、更には長期安定政権を成立させた実績
3王猛:苻堅の関中統治を大きく推進、華北統一の原動力となった名宰相振り

まあ、他にも桓温の土断とかも好い政策だと思うけど。
この時代、地方の荘園とかがメインだから大規模な産業振興とか無いんだよね。
個人的には、苻堅・呂光の西域進出がデカい国策だと思うが、何つーか途中でコケたからねぇ。

275: 無名武将@お腹せっぷく 2006/03/01(水) 22:21:47
書いてみて、政策と政略は別物じゃねーか、と思った。

軍事部門
戦略
1 王猛:華北併呑の手腕は見事の一言
2 劉聡:洛陽包囲網によって、数的に圧倒的優勢な晋軍を逆に自壊分裂に追い込む。
3 王浚:重装甲騎兵の戦闘力に早い時期から着目し、自軍勢力下に多数の烏丸・鮮卑を編成し、河北を席巻した。

戦術
1 石勒:曹操に例えられる戦歴、坑殺百万人以上
2 慕容恪:寡兵で大軍破るのが、これほど様になる人物もいまい。
3 陶侃:西府の基礎を築いた、と言うか東晋建国最大の軍事的功労者

個人的武勇
1 冉閔:呂布並みの武威、二十万人民族浄化
2 苻生:武力が有り余りすぎ、それ以上に粛正しすぎ。
3 陳安:蛇矛と大刀の二刀流は萌え。

276: 無名武将@お腹せっぷく 2006/03/01(水) 22:36:15
画期的なのは慕容コウの言った「徳さえあれば異民族でも皇帝になるのに何の問題があろうか」だと思う
新たな価値観の形成だよな

277: 無名武将@お腹せっぷく 2006/03/03(金) 20:23:34
いつも思う張賓の過小評価

278: 無名武将@お腹せっぷく 2006/03/03(金) 20:27:05
>>277
それだれ?

279: 無名武将@お腹せっぷく 2006/03/03(金) 22:33:49
>>278
石勒のブレーン。「右侯」と呼ばれて尊重された人。
「勒の基業を成すは、皆賓が勲なり」と張賓伝に書かれてる。
過小評価と言うより史料が少なくて評価しにくい、という感じがする。伝全体に渡ってべた褒めなんだけどね。

戦術では祖逖も捨てがたいと思うけど。
戦国時代でいう斉の領域を、ほとんど援助無しにもぎ取ったし。
劉琨が暗殺されず、元帝が戴淵を贔屓して祖逖を憤死させなければ、石勒の華北制覇はできなかったかもしれない。
祖逖と劉琨のタッグが実現したら、結構展開変わったかもね。

タッグといえば、周訪と陶侃も捨てがたいな。
杜曾の乱を鎮定した周訪、名将として認識されていないのが可哀想だ。
周訪伝にも「中興の名将」と明記されてるのに、影が薄すぎるw

陶侃と周訪は友人でもあって、二人の出世に関する伝奇的なエピソードも晋書には載ってたり。つか、親友の幸運を奪うなよ陶侃w

282: 無名武将@お腹せっぷく 2006/03/03(金) 23:41:58
張賓が襄国を根拠地とするように提言するまでの石勒部隊は飛蝗の群れそのもの、後先考えてない進軍の繰り返しと兵糧欠乏(坑殺の多さはロジスティクスの貧困さの現れ)

その後の関中と関東との対立軸の片一方、河北の業β周辺に根拠を定めた戦略眼は評価されて然るべき
河南や山東、徐州、荊州と比較して、鉄と馬の供給が容易というのは大きい

283: 無名武将@お腹せっぷく 2006/03/04(土) 09:33:06
石勒の張子房だからな>張賓
ただベスト1かと言われるとどうなんだろ?
石勒の時代はまさに群雄割拠・名将綺羅星だからな

284: 無名武将@お腹せっぷく 2006/03/04(土) 12:36:04
この時代、前燕の慕容儁の頃が最強メンバーそろい踏みだと思う、敵も味方も

その中でも、頭ひとつ抜きでてるのが慕容恪かな
稀に見る人格者だしw
纂奪者どもは少しは見習えっつーの
王猛との対決が見たかった

285: 無名武将@お腹せっぷく 2006/03/04(土) 13:31:34
その慕容恪は慕容垂のことを我の才覚に10倍するとかえらく持ち上げてたよな

288: 無名武将@お腹せっぷく 2006/03/04(土) 16:08:09
この時代って胡族君主に漢族の参謀って組み合わせが多いね
石勒と張賓、苻堅と王猛、太武帝と崔浩とか

290: 無名武将@お腹せっぷく 2006/03/04(土) 21:51:33
>>288
漢人が史書を編纂してるんだし、胡族の人間があまり書かれないってのはないんだろうか。

291: 無名武将@お腹せっぷく 2006/03/04(土) 22:16:52
基本史料は晋書なんすか

293: 無名武将@お腹せっぷく 2006/03/05(日) 00:18:29
>>291
宋書や魏書、北史も使えるかと。特に魏書の列伝前半部は、本人ないしその父祖が十六国に仕えたことを記してあるので、すごく重宝できる。
たとえば鄧淵(魏書巻二十四)の祖父は、前秦で王猛と前燕征服の大功を立てた車騎将軍の鄧羌。
「こいつの子孫がこんなところで活躍してるのか!」と新鮮な驚きが見つかりますよ。
他には晋書の斠カク注を使ったり、太平御覧で十六国春秋・鄴ギョウ中記を調べたり、伝奇的な話を採録した太平広記を読むのもよいかと。
六朝関係なら、建康実録も必要でしょうね。
自分が使ってるのはこの辺。あとは墓誌銘のでかい写真本とか。

295: 無名武将@お腹せっぷく 2006/03/05(日) 06:47:14
「齊民要術」も、農業、流通経済、食生活等を知る上では欠かせない史料かと。
都市国家の崩壊と荘園農業のへ移行期を概略把握できると思う。

突騎や鉄騎て、カタフラクトゥスと似たようなものなのかな?
慕容部や段部は突騎の記述が多いけど、石勒のここぞという時の強行軍は軽騎兵主体なんだが、用兵思想の違いってやっぱりあるンかね?
後趙の最終的後継者である冉閔は、慕容部の鉄騎に敗北してるわけで戦場の実相はどんなものだったんだろうか。

316: 無名武将@お腹せっぷく 2006/03/06(月) 21:36:24
このスレではほとんど名前が挙がることは無いが
王羲之ってこの時代で後世一番有名になった人なんじゃないかな
Lanting_P3rd


王 羲之(おう ぎし、303年 - 361年)は、中国東晋の政治家・書家。王羲之は、書の芸術性を確固たらしめた普遍的存在として書聖と称される。末子の王献之も書を能くし、併せて二王の称をもって伝統派の基礎を形成し、後世の書人に及ぼした影響は絶大なものがある。その書は日本においても奈良時代から手本とされている。


317: 無名武将@お腹せっぷく 2006/03/06(月) 21:38:28
あの書はやばい
魂を抜かれる書だ

320: 無名武将@お腹せっぷく 2006/03/06(月) 21:49:40
おまえらは絶対
王羲之なんかより
侯景とか冉閔とかのが大好きだろうからなwwwww

321: 無名武将@お腹せっぷく 2006/03/06(月) 21:49:56
孫楚は?

322: 無名武将@お腹せっぷく 2006/03/06(月) 21:52:09
孫楚知らん
何者?

323: 無名武将@お腹せっぷく 2006/03/06(月) 21:54:54
漱石のネタ元

孫資の子孫で孫盛の父という、三国志ファン必見の人でもある

324: 無名武将@お腹せっぷく 2006/03/06(月) 21:56:12
石で漱ぎ流れに枕する人か
でも何かやったのか?

325: 無名武将@お腹せっぷく 2006/03/06(月) 21:58:31
慕容垂ヲタの俺はどうすればいい?

327: 無名武将@お腹せっぷく 2006/03/06(月) 22:02:19
>>325
慕容垂が主人公の歴史小説を書いて直木賞を取れ

あとは後燕を中心にした歴史ゲームのシナリオを作ってゲーム会社に売り込むとか

329: 無名武将@お腹せっぷく 2006/03/06(月) 23:05:38
桓温好きなやつって少数派かな?
桓 温(かん おん、永嘉6年(312年) - 寧康元年7月14日(373年8月18日))は、東晋の政治家・軍人。後漢の儒学者桓栄、三国時代の魏の政治家桓範の後裔であるという。東晋の将軍として、成漢を滅ぼし、洛陽を奪還するなどの大功を挙げた。

336: 無名武将@お腹せっぷく 2006/03/07(火) 23:20:19
桓温は劉裕のお手本であり反面教師だから、桓温がいなかったら、宋は成立しなかったんじゃないの?
外戚・権門が司馬氏にまとわりつく政体がしばらく続いて、間違っても寒門が玉座に登るような事態は起こらなかったはず。

実行力、決断力を論じるなら、劉裕に勝とも劣らない。
しかし、貴族にしては開き直りすぎた。
豪胆さと驕慢さが、偉業を為さしめる原動力であったと同時に桓温自身の蹉跌を運命づける要因になってしまっていたわけだ。

軍事的才能でいったら、東晋歴代トップは譲るが、2番手3番手には確実に入るよなあ。

337: 無名武将@お腹せっぷく 2006/03/08(水) 11:31:11
桓温は東晋政権に執着するより、長安・洛陽を攻略して華北で独立をしたほうが良くない?


343: 無名武将@お腹せっぷく 2006/03/08(水) 21:16:54
桓温が簒奪してたらしてたで、「すぐ死亡→後継者争い勃発」のパターンになってたような気もする。そして苻堅が天下統一…。

東晋の最大の失敗は元帝~明帝期に中央集権化できなかったことのように思えるんだけど。
具体的には皇帝固有の軍事力を持てなかった点が。
庾亮がクーデターを起こさなければ、あるいは…。

しかし庾亮の政治力の源泉はどこにあったんだろう。
調整能力では王導に劣り、指揮能力では陶侃・蘇駿に及ばず、外戚としては虞胤の下風に立たされ…。
まさか、文章では伝わらない人間的魅力に富んでたとか?

339: 無名武将@お腹せっぷく 2006/03/08(水) 18:38:18
結局桓温ってこれからって時に死んじゃったのが駄目なんじゃね

347: 無名武将@お腹せっぷく 2006/03/08(水) 23:46:55
個人的に軍事能力に関しては謝玄よりかは桓温の方が上だと思う
慕容垂とかに敗れたりはしてるけど、蜀の成漢を滅ぼしたり洛陽を奪回したことは東晋の中でも屈指の戦功だと思う

351: 無名武将@お腹せっぷく 2006/03/09(木) 21:58:02
西府を掌握していた桓温
北府叩き上げの劉裕

でも一番スゴいのは、確固たる地盤持たずにしかも建康政府からのバックアップ殆どなしで、むしろ積極的に足を引っ張る門閥貴族たちを背後に抱えながら、河南回復に孤軍奮闘してた祖逖じゃないかな?

乱世になれば、自分の才覚で好きなだけ出世できると狂喜した逸話が、この時代の寒門たちの精神を表している

引用元: ・【あえて】両晋十六国の武将を語るスレ【三戦板で】