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1: 世界@名無史さん 03/06/29 14:54
決して脇役でもなく、辺境の蛮族でもなく、単なる軍事的要素でもなかった、匈奴、鮮卑をはじめとする遊牧民たちにスポットをあててみましょう。








337: 世界@名無史さん 2006/09/15(金) 12:34:24 0
遊牧民が勢力拡大するのって

降雨量増大 → 草原拡大 → 家畜数が増大 → 遊牧民が増大 → 家畜の餌確保 → 版図拡大

って順番でいいの?

338: 世界@名無史さん 2006/09/17(日) 03:29:24 0
逆じゃねえのかな
寒波・干ばつで家畜大量死→食糧難→対農耕民掠奪激化→そのまま居着く

五胡時代&ゲルマン大移動が期せずして東西で起きたのは
当時の寒冷化が原因という説もあるし。

340: 世界@名無史さん 2006/09/17(日) 12:39:38 0
>>337-338
チンギスの時代はどっちだろう?
どちらかというと気候に恵まれたほうだろうか。

341: 世界@名無史さん 2006/09/18(月) 16:13:50 0
>>340
チンギスの時代に限らないけど、遊牧民たちは遊牧民たちで戦争してたんだね。
文献があまりなくて分からないけど。

345: 世界@名無史さん 2006/10/17(火) 09:30:09 0
後漢の頃に鮮卑の気候が悪化し困窮していると聞いて漢は北方へ出兵し弱っている鮮卑を徹底的にたたいたという記録があったような。
「溺れている犬は叩け」そのもののやり口で、遊牧民が悪天候で弱ると漢民族はすかさず攻撃を加えて遊牧民を叩いている。
漢民族の間では「馬肥える」というのが憂鬱な表現であるように、天候に恵まれ馬を充実させ力をつけた遊牧民が攻めてくるパターンだが、フン族のようにヨーロッパでは悪天候で困窮した遊牧民が襲ってくるパターンだった。
飢えて弱っている遊牧民にやられてしまうヨーロッパ諸民族が異常に弱い。


347: 世界@名無史さん 2006/11/08(水) 20:30:51 0
中国北方の遊牧民が南の漢民族を攻撃するという状況は遊牧民が統一され強大な勢力を築いているか、(匈奴・モンゴル)漢民族が分裂して弱体化しているかのいずれかで、(五胡十六国)漢民族が富み、遊牧民が飢えている状況では遊牧民側が漢民族政権に帰順し、経済的援助を請うという事態は見られるが、飢えた遊牧民が富める漢民族を攻撃して勝利するなどというのは到底不可能だった。

348: 世界@名無史さん 2006/11/09(木) 01:35:12 0
明は富んでいたがモンゴルの襲撃に悩まされているぞ

349: 世界@名無史さん 2006/11/09(木) 22:30:58 0
明は富んでいたものの、襲撃していた時点のモンゴルも飢えていないし、馬資源が充実し、アルタン・ハンという英主を頂いて勢いが盛んであった。
モンゴルは武力にものを言わせ、有利な取引協定を明側に認めさせている。
明はモンゴルだけでなく満州族の勃興にも気を配らなくてはならない状況だった。

350: 世界@名無史さん 2006/11/10(金) 01:44:21 0
なるほど。
しかし遊牧民が飢えていた時代っていつですか?

353: 世界@名無史さん 2006/11/15(水) 22:53:57 0
>>350
五胡十六国時代も寒波や飢えで南下したのが契機だったような。

354: 世界@名無史さん 2006/11/16(木) 19:19:53 0
>>353
晋王朝の司馬一族が皇帝の位を争う為にそれぞれ己の陣営に北方遊牧民をひき入れて継承戦争を始めたのが五胡十六国時代の幕開け。

363: 世界@名無史さん 2007/01/12(金) 04:22:37 0
>>354
遊牧民も弱体化していたであろうが、中原も三国・八王でそれ以上に弱体化していたことが、五胡の侵入を促したという構図だろうね。

351: 世界@名無史さん 2006/11/11(土) 00:19:47 0
前漢の宣帝の時代は匈奴は旱魃に見まわれていた。
一方で漢は宣帝の治世で富み、匈奴の多くは漢に帰順し援助を乞うている。

358: 世界@名無史さん 2006/12/27(水) 02:06:17 0
農耕民が土地を耕すと草原が後退するっていうな

359: 世界@名無史さん 2007/01/01(月) 19:28:48 0
草原地帯を耕しても地肌が薄く下が岩盤となっており、却って砂漠化してしまう。

360: 世界@名無史さん 2007/01/06(土) 18:26:36 0
>>358-359
漢人は、遊牧民族への報復として草原を耕地にしたそうな。
一年、二年程度は収穫ができるが、以降は砂漠化。
漢人は作物を得る一方、遊牧民に欠かせない牧草を奪う、というわけ。

361: 世界@名無史さん 2007/01/10(水) 13:15:32 0
楊海英氏がそれについて書いてたけど、別に故意の報復としてなされたとはいってなかったと思う。

370: 世界@名無史さん 2007/05/02(水) 14:54:55 0
匈奴の遺跡からペルシアやギリシャの品が出たらしいね
交易は凄かったのか

372: 世界@名無史さん 2007/05/04(金) 21:25:39 0
>>370
パジリクなど紀元前の現アルタイ共和国の古墳(クルガン)からも小アジアや南ロシアの遊牧民古墳と良く似た製品が出土する。
絹とか中国からと見られる製品も出土する。

後の4世紀末~6世紀の新羅においてもローマングラスとか出る。
当時の新羅は中国とは没交渉に近い。高句麗の西は柔然、6世紀半ば以降は突厥なのでそこを経由したと考えられる。

草原の交易は長く盛んに行われていたようだ。

375: 世界@名無史さん 2007/05/05(土) 19:25:04 0
スキタイの墳墓から東方から流入してきたと見られる玉が発掘されたりしている。

378: 世界@名無史さん 2007/07/17(火) 12:39:36 0
遊牧民は中国に異国の文化を伝えたり戦争したりと難しい関係だね

379: 世界@名無史さん 2007/07/19(木) 03:24:40 0
メルカトル図で見るから遠く感じるけれども、球体で見れば高緯度地帯を通る距離は短い。
モンゴル高原から、支那もヨーロッパもそんなに遠くは無いよ。

386: 世界@名無史さん 2007/08/28(火) 20:49:05 0
匈奴はやっぱりフン族なの?
ディズニーアニメの「ムーラン」でも、「フン族が攻めて来た!」と言っている。

387: 世界@名無史さん 2007/08/28(火) 21:02:44 0
中国で西匈奴の音信が消えてから、ヨーロッパにフン族が現われるまで100年も空白期間があるんだぞ。
それから考えても単純に匈奴=フンであるわけがないだろ。

388: 世界@名無史さん 2007/08/28(火) 22:31:15 0
あれだけの距離を定着しながら進むんだから、100年くらいたつだろうよ。

389: 世界@名無史さん 2007/08/29(水) 00:27:11 0
>>388
定着って意味解ってるか?定着するって事は、もう移動しなくて良いって事だ。
だいたいモンゴル平原の西も、多くの騎馬民族でびっしり埋まっていたんだぞ。
それらは西匈奴について、直接にも間接的にも記録を残していない。(騎馬民族自体に文字がなくても、それらの騎馬民族に対峙していた、インドやペルシアなど文字を持った文明圏が、新しく強大な勢力が現われればそれについて記録を残すものだが、そんなものもない)

匈奴は西走して、他の騎馬民族に吸収され同化していった、と考える方が自然。
フンは東からはるばる移動してきたのではなく、元々カスピ海周辺に居た多種多様な騎馬民族が、アッティラの強力なリーダーシップで大統合したものでしょう。

392: 世界@名無史さん 2007/08/29(水) 18:19:11 0
突厥はTurkを漢字表記(音写)したものと考えられ、テュルク系の遊牧民族と考えられている。
6世紀中頃に勢力を増し、遊牧民族集団の鉄勒を支配下におさめた。
鉄勒はTurkを漢字表記(音写)したものと考えられ、テュルク系の遊牧民族と考えられている。

同じなんかいな?別もんなんかいな?

393: 世界@名無史さん 2007/09/03(月) 21:51:15 0
民族レベル(言語レベル)では同じ仲間に入るが、部族・氏族レベルでは別勢力、ということでしょ。

394: 世界@名無史さん 2007/09/04(火) 05:31:29 0
契丹は今でも雲南省に15万人ほどいるんだってな

419: 世界@名無史さん 2007/09/28(金) 23:45:09 0
>>394
元軍の末裔。
蒙古族あつかい。

契丹は民族としては居ない。

395: 世界@名無史さん 2007/09/11(火) 11:29:55 0
新疆のウイグルは、10世紀頃の回鶻とは断絶がある。
14世紀に金帳帝国やチムール帝国に飲み込まれて同化・消滅。
漠然と回教徒のトルコ人という意識はあっても、ウイグル人とかいう帰属意識はないところに、中国が無理やり呼称をつけた。
契丹はどうなのかな?

396: 世界@名無史さん 2007/09/11(火) 16:28:10 0
自称以外の民族呼称なんてたいがい権力者がつけたもんだと思うのだが、

397: 世界@名無史さん 2007/09/11(火) 21:04:33 0
遼の契丹人と、雲南の契丹人と、集団・言語・文化としての継続性はあるの?

398: 世界@名無史さん 2007/09/11(火) 23:17:54 0
>>397
墓から契丹族でモンゴル帝国の時代に移住したことを書いてある物が見つかったそうだ
「図説 中国文明史(8) 草原の文明」の最初らへんに書かれてる

418: 世界@名無史さん 2007/09/28(金) 23:09:43 0
遊牧民の中国辺境への寇略は文化。そうやって生きてきたという伝統文化。

客観的にこれを認識できないと、遊牧民=悪になるよね簡単に。
でも寇略された人々にとってはふざけた話で、客観的に見ようとする我々現代人も被害を受けた人たちへ感情移入しちゃうからどうしても遊牧民=蛮族という概念から離れられない。

420: 世界@名無史さん 2007/09/29(土) 00:17:59 0
漢族にしてみれば、近代の日本人も匈奴、鮮卑みたいなもんだろうな。
シナ事変も後世、海の遊牧民の雄大な遠征だった、と讃えられてたりしてw

423: 世界@名無史さん 2007/09/29(土) 20:50:19 0
>>420
宮崎市定は日中戦争も、彼の評価する満州人の入関と類推し、中華文明に貢献するもののようにいっていた。
日本が中国征服に成功したら「第二の満州人」として、逆に日本列島も漢語が話されていたはず。
日本風の漢語だろうが。

425: 世界@名無史さん 2007/09/29(土) 20:54:11 0
>>420
蒋介石側は「倭寇」といっていた。

451: 世界@名無史さん 2007/11/03(土) 02:21:50 0
遊牧民が中原に征服王朝を立てて漢民族を支配するでしょ。
で、そのあと「皇帝になった一族」以外の遊牧民たちは何になるの?
貴族?軍人?また長城の外に戻って遊牧生活?

452: 世界@名無史さん 2007/11/03(土) 19:55:36 0
北魏では上流階級が貴族化、中流程度は世襲軍人化した。
特に洛陽遷都以降は北方の中央貴族となった層と北方の軍事拠点に残された層にえらい差が出てきた。
結局北方に残留した軍人が反乱を起こして北魏は滅亡した。

460: 世界@名無史さん 2008/03/20(木) 19:04:00 0
異民族が漢人の傭兵になって異民族が華北に増える
異民族が反乱を起こす
そして争ううちに異民族が漢人になる
この繰り返しなんだろうな

467: 世界@名無史さん 2008/06/13(金) 01:44:57 0
もう遊牧民国家って無理なのかなぁ
ある程度の版図を維持し定住型都市ではなく、かつその中で季節ごとに首都も都市も首都機能も移転する草原の流浪国家
世界に一つぐらいそういう国があってもいいなぁ
ここ50年ぐらいでどの国も同じような形態になっちまってまたく魅力がなくなっている
もっと個性を!!

490: 世界@名無史さん 2008/11/21(金) 21:51:31 0
元王朝は、支那支配のために中原王朝風の帝号だの国号だの使い始めた時点で漢人王朝なのか?

491: 世界@名無史さん 2008/11/22(土) 14:06:09 0
中華のシステムを取り入れたのは支配の手段。
元の支配者はモンゴル人であり続けたから、元はモンゴル人王朝。

漢人ってのは、民族のアイデンティティーを捨てて最大公約数に埋没した者のこと。

494: 世界@名無史さん 2008/11/23(日) 13:54:00 0
元=モンゴル
清=満洲
その他=漢族
でFA?

496: 世界@名無史さん 2008/11/26(水) 00:48:55 0
>>494
……とりあえず五胡十六国とその他大勢扱いの国名・始祖・存続年・民族あげときますね

前涼 張軌 301年 - 376年 漢族
前趙 劉淵 304年 - 329年 匈奴
成漢 李特 304年 - 347年 巴賨
後趙 石勒 319年 - 351年 羯
前燕 慕容皝 337年 - 370年 鮮卑
前秦 苻健 351年 - 394年 氐
後燕 慕容垂 384年 - 409年 鮮卑
後秦 姚萇 384年 - 417年 羌
西秦 乞伏国仁 385年 - 431年 鮮卑
後涼 呂光 389年 - 403年 氐
南涼 禿髪烏孤 397年 - 414年 鮮卑
北涼 沮渠蒙遜 397年 - 439年 盧水胡
南燕 慕容徳 400年 - 410年 鮮卑
西涼 李暠 400年 - 421年 漢族
夏 赫連勃勃 407年 - 431年 匈奴
北燕 馮跋 409年 - 436年 漢族

<五胡十六国以外の国>

仇池 楊茂捜 296年 - 506年 氐
代 拓跋猗盧 315年 - 376年 鮮卑
冉魏 冉閔 350年 - 352年 漢族
西燕 慕容泓 384年 - 394年 鮮卑
翟魏 翟遼 388年 - 392年 丁零
後蜀 譙縦 405年 - 413年 漢族
宇文部 宇文莫圭 302年 - 344年 鮮卑
段部 段日陸眷 310年 - 357年 鮮卑

503: 世界@名無史さん 2008/11/30(日) 02:34:51 0
漢民族って概念が出来たのは1900年くらいだからね~
匈奴~モンゴルまでの、北方民族をそもそも中国史で語るのがおかしいんであって・・・
万里の長城以下だけだろ、中国史に入れるのは。

504: 世界@名無史さん 2008/11/30(日) 11:00:21 0
>>503
かといって、モンゴルならともかく、それ以前の北方民族に関しては漢文史料以外が殆どないから、どうしても中国史の視点になってしまいがちだよなぁ。

匈奴なんて絶望的だし。

509: 世界@名無史さん 2008/12/06(土) 00:52:59 0
ロシアは遊牧国家の後継といえるのかな?

510: 世界@名無史さん 2008/12/06(土) 02:43:54 0
単純な遊牧国家の後継ではなく、遊牧的(つかモンゴル的?)的要素も取り込んだ国家じゃね?
杉様史観と言われるかもしれないが、それなりの影響を受けたのは事実でしょうし

511: 世界@名無史さん 2008/12/06(土) 02:56:28 0
遊牧民は近代には対応できなかった
ロシアは遊牧民じゃないけどその性質は遊牧民の後継だろう
軍事はいまだに脅威であり西洋諸国は警戒してるしね

518: 世界@名無史さん 2008/12/11(木) 04:11:46 O
人口比で圧倒的な漢民族が何度も周りのモンゴル人とかに征服された理由って何?
その度に興漢思想が巻き起こって異民族狩りが起きてるから民族的団結心が無い訳では無いんだよな

523: 世界@名無史さん 2008/12/11(木) 22:14:37 0
>>518
遊牧民はほぼ全員を高機動性の戦闘員に使える。
農民を戦闘員にするのはかなり手間。馬の調達も訓練も大変。

引用元: ・中国史における遊牧民の歴史



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