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115: 世界@名無史さん 2021/07/04(日) 20:07:02.63 0
すれ違いかもしれませんが
隋唐の時代の朝鮮の城は中国と同じ規模だったんですか?

116: 世界@名無史さん 2021/07/04(日) 20:40:37.51 0
規模を比較しようにも形式が違い過ぎて比較できないでしょ
中国は正方形に都市を城壁で囲んだ形式がほとんどだけど
高句麗、百済、新羅の城は盆地や山頂を城壁でグルっと囲んでいざという時にそこに籠る形式だし

117: 世界@名無史さん 2021/07/04(日) 21:12:17.60 0
>>116
そんな違いがあるんですね
朝鮮の城壁の高さとかわかりますか?
当時の日本は城なんてほぼないですしね

118: 世界@名無史さん 2021/07/04(日) 22:48:56.93 0
城壁の高さは本当にピンからキリだよ
基本的には急峻な斜面は低めで山の鞍部は高くしてるみたいね
これは新羅の三年山城(5世紀初頭に建造)だけど人も一緒に移ってるからよく高さがわかるんじゃない
http://krruins.cho88.com/chungcheongdo/boeun/pg330.html

119: 世界@名無史さん 2021/07/04(日) 23:57:39.42 0
>>118
この高さなら防御力は充分やな
あとは厚さか
破城槌で容易に破壊できる程度の厚さでは役に立たんし

121: 世界@名無史さん 2021/07/05(月) 21:52:26.31 0
高句麗の城と似てますね
隋唐が苦戦するのもわかる気がする

125: 世界@名無史さん 2021/07/11(日) 19:27:43.16 0
唐朝は、北朝歴代および隋の統治経験を継承しただけでなく、古代の全盛期を創出した漢代に倣おうとする傾向が強かったんだよな
唐は北魏の府兵制だけでなく、漢代の兵制をも参考にしながら、前代とは異なる府兵制をつくりあげていった

126: 世界@名無史さん 2021/07/12(月) 02:32:41.81 0
秦漢と隋唐は似てるけど、中国でも同じように語られてるんだろうか

129: 世界@名無史さん 2021/07/12(月) 14:28:54.08 0
唐では編戸(一般戸籍にある人々)の増加に対して土地の供給が追い付かず、玄宗の時代には均田制が事実上崩壊した
とくに耕地面積に対して人口過剰の地域では、支給する耕地を小さくしてもうまくいかなかった

130: 世界@名無史さん 2021/07/13(火) 06:31:52.25 0
前漢も盛唐も土地問題をどうにかしようともがいてる間に王朝が爆発したな
…唐はなんとか生還したけど

131: 世界@名無史さん 2021/07/16(金) 22:17:17.21 0
唐代には、府兵制が募兵制へと変わっていくにつれ、兵制を支える土地制度や税制も、安史の乱後の徳宗時代に見直され、両税法へと変化していった
均田制が土地公有を建前とする制度であったとすれば、両税法は、土地私有拡大と民の流動化を追認し、原籍地ではなく原住地での課税に切り替えたもの

両税法(りょうぜいほう)は、中国において唐中期から明中期まで行われた税制のことである。夏と秋の二回徴税されるのでこの名前がある。均田制・租庸調制に代わって施行された。


132: 世界@名無史さん 2021/07/19(月) 23:59:21.38 0
>>131
変な話だが
唐がガタガタになってようやくチャイナがチャイナっぽくなってくるよな

134: 世界@名無史さん 2021/07/20(火) 14:28:15.38 0
>>132
つまり貴族階級が没落するとチャイナがチャイナらしくなるて考えてんの?

136: 世界@名無史さん 2021/07/20(火) 22:55:09.18 0
一言でいえば農戦って感じの古代(秦漢帝国)感がなくなって、商人的なオーラをまとい始めるわね

137: 世界@名無史さん 2021/07/21(水) 02:56:26.94 0
>>136
秦漢よりは間違いなく発達してる

206: 世界@名無史さん 2021/08/05(木) 09:27:32.28 0
821年の唐蕃会盟は唐と吐蕃が対等の立場で結んだ講和条約。
敦煌文書からウィグルも会盟に加わっていたと考えられてる、三国平等の条約だった。
唯一の帝国として絶対的存在だった唐も落ちぶれた。

212: 世界@名無史さん 2021/08/05(木) 13:04:04.50 0
>>206
唯一の帝国ってのがマユツバ。
唐が回鶻や吐蕃の本領に深く侵攻したことは無いけれど、唐の内乱の鎮圧に回鶻の力を借りたり、吐蕃との戦争で長安を包囲されたりと、唐の本領には回鶻や吐蕃が群を進めたことは何度もある。
支那を支配しているから、比較的に、強国、大国、財力のある国とはみていても、権威のある国、格上の国、特別な国、とはみなしていなかったんじゃないの?

山川の教科書から、Wikipediaから、中央アジアの、アラル海、バルハシ海、トランスオクシアナに至るような広い範囲が唐の領域とされているけれど、これも本当かなあ?
実際には統治なんか及んでなくて、遠交近攻策で、近くの勢力との対抗上、遠方の唐の同盟国になっていた、河西回廊諸都市からして、回鶻と吐蕃の係争地、緩衝独立地帯だっただけの、単に、回鶻でもや吐蕃でもない唐との通商国交があるって程度だっただけではないかい?

213: 世界@名無史さん 2021/08/05(木) 13:41:28.50 0
>>212
実質では唯一の帝国ではないけれど、建前では皇帝とは世界を統べるただ一人のはず。
それが対等の立場での文言を記した外交文書を交わしたことは唐側の弱みの表れではないか?

215: 世界@名無史さん 2021/08/05(木) 14:36:09.34 0
>>213
その200年前に和蕃公主を差し出しているだろ。
和蕃公主

中国史上,周辺の外族を懐柔するため降嫁させられた王族女子。公主はプリンセスの意。
前漢代に烏孫王に遣わされた細君以下,北周から突厥可汗に送られた千金公主(のち隋の大義公主),唐初吐蕃のソンツェン・ガンポに嫁した文成公主等が名高い。


219: 世界@名無史さん 2021/08/05(木) 15:48:47.15 0
>>215
『中国の歴史6 絢爛たる世界帝国 隋唐時代』によれば、和蕃公主に選ばれる女性は結婚する王や可汗の心を掴み、文化や習俗などで相手を感化させる使命があって、そのような役目はぬくぬく育てられた皇帝の娘に負えるものではないそうな。
そこで名目上公主に封じられた皇族の才色兼備の女を送り込む。

文成公主が吐蕃へ嫁ぐと、赤土で顔を塗る習慣を文成公主が嫌ったため、吐蕃全土で禁じられる。
公主降嫁は吐蕃に唐文化が流れ込むきっかけになった。

221: 世界@名無史さん 2021/08/05(木) 19:20:59.87 0
>>219
ヨーロッパでも回教圏でも外国から来たお妃が生国から持ってきた文物を流行させるって割とあるじゃん。
本邦だって京都から公家の娘が大名の正妻になって、田舎夜盗から江戸の武家文化が爆上したじゃん。

208: 世界@名無史さん 2021/08/05(木) 10:23:37.93 0
隋唐とひっくるめることがあるのは、隋と唐の支配層が拓跋人の武川軍閥でしかも王室が閨閥で都も長安・洛陽で、支配層の人員や制度が一貫しているから。
じゃあ、なんで、唐宋八大家みたいな、唐と宋とひとまとめにする発想もあるんだろう?
宋の支配層は沙陀突厥系だし、首府は開封・臨安だし。

隋唐は北方西方に対しても睨みが利いていて遊牧圏に対しては拓跋の可汗を号して盟主格だった。
宋は遊牧圏ににらみをきかすどころか、戦争しては負けて領土を削られ、平時は歳費を毟り取られる属国。

209: 世界@名無史さん 2021/08/05(木) 11:56:30.96 0
唐宋八大家は大昔から使われてきた文化史の区分

でも、内藤湖南がそれに異議を唱えてからは、むしろ「唐宋変革期こそ中国史で最大の断絶」と言われるようになり、考え方が大きく変化した

210: 世界@名無史さん 2021/08/05(木) 12:00:11.78 0
隋唐の前は長い魏晋南北時代の分裂期、宋のあとも五代十国・遼・金は異民族王朝で、漢人の伝統文化が(少なくとも華北では)衰退したから、唐宋は文化的な盛時と位置付けられてきた

211: 世界@名無史さん 2021/08/05(木) 12:15:04.11 0
唐宋八大家の詩、唐詩は優れてるけど、宋詩はクオリティー低いよな。
載ってないものでも投資の方がはるかに良い、学校の授業で漢文かじっただけの高校生にすら差が判るレベルで。

235: 世界@名無史さん 2021/08/06(金) 11:57:06.97 0
>>211
五代十国~宋の文学はやはり詞がいい

218: 世界@名無史さん 2021/08/05(木) 15:02:34.05 0
吐蕃ってあんなに秘境の高山地域に住んでるのに、何で強大な大帝国を形成できたんだろう?

吐蕃(とばん)は、7世紀初めから9世紀中ごろにかけてチベットにあった統一王国。唐国は吐蕃に貢女と朝貢をした。


222: 世界@名無史さん 2021/08/05(木) 19:43:49.13 0
>>218
標高は高くても、地理的配置で見れば、大陸アジアのど真ん中だね
交易路の結節点だから人も財貨も情報も集まってくるし、草原地帯では牧畜、大河川流域では農耕と、食糧確保にも強みがある
また、肉体的負担の面で見るなら、低地側は高地順応がたいへんでも、高地側は相対的に負担が少ない
(他地域の例を挙げれば、ラパスでサッカーしたらブラジル代表すらボリビア代表に負けることがあるし)

237: 世界@名無史さん 2021/08/06(金) 12:09:55.78 0
>>222
大陸の真ん中でも交易路の本道から外れてんじゃん。
チベットの外縁部というか、チベットとモンゴル、チベットとトルキスタンの境の河西回廊が交易路で、7世紀からチベットの首府のラサなんて外れもいいとこだ。
現に、玄奘三蔵が陸路ナーランダへ行くに、チベットなんか通らず、ぐるっとチベットを避けるように、今の国でいうとキルギス、ウズベキスタン、アフガニスタン、パキスタン等を通って、インド北東部へ到達している。
メインの通商路ではないから、どうなっているか通れるか判らんから、あえて避けて確立している通商路を辿った結果だろ。

239: 世界@名無史さん 2021/08/06(金) 14:32:16.78 0
>>237
玄奘がインドに向かったのは629年、当時のチベット高原はティソンツェン(ソンツェンガムポ)による統一国家成立過程にあり、吐蕃から唐への正式な通交が初めてあったのは634年で、玄奘のインド行はそれより前だった
さらに、玄奘の場合、正式な出国が国から認められておらず、パスポートなしの密出国による旅行だったから、どのみち、そのような状況で唐と通交が無い所に入れば、すぐに間者扱いされてしまうことは確実だった
実際その後、玄奘は旅の途上で経由した高昌国の王による援助と文書に基づいてインドに向かうことになる

220: 世界@名無史さん 2021/08/05(木) 17:11:05.29 0
唐代には、おおむね吐蕃は反唐であり、ウイグルは唐の傭兵となって戦うことが多かったな
789年には徳宗の娘、咸安公主がウイグルに降嫁している

224: 世界@名無史さん 2021/08/05(木) 21:51:50.37 0
8世紀までと違って9世紀に入ってからの唐は空気

242: 世界@名無史さん 2021/08/06(金) 22:54:26.97 0
>>224
代宗から僖宗にいたる11人の皇帝は、在位中には正式の皇后を冊立しなかったな
皇后にともなう外戚勢力の出現を排除したいという宦官の意向が強く働いていたらしいが

243: 世界@名無史さん 2021/08/07(土) 00:11:21.39 0
>>242
>皇后にともなう外戚勢力の出現を排除したいという宦官の意向

楊貴妃の一族・楊国忠のせいだろうけど,かわりに宦官の専横が激しくなった?

225: 世界@名無史さん 2021/08/05(木) 21:59:53.61 0
9世紀前半に憲宗が出てきて立て直しが図られたとはいえ、唐というと日本が遣唐使を派遣したり玄宗や楊貴妃が存在した8世紀のインパクトが強い感ある

226: 世界@名無史さん 2021/08/05(木) 22:13:38.79 0
唐の最盛期は玄宗時代と考えられているが、則天時代に引き続き、遊牧民、とくに吐蕃の侵攻に悩まされていた
705年、吐蕃が婚姻を求めてきたので、中宗は太宗時代に文成公主が降嫁して以来二度目、金城公主を降嫁させた
しかし、さして効果はなく、玄宗が即位して間もない714年には、吐蕃が十余万の兵をもって周辺を侵攻した
そのうえ、「敵国の礼」を求めてきた
「敵国の礼」とは臣従関係ではなく対等の国としての対応を求めるという意味である
玄宗は大いに怒ったという

227: 世界@名無史さん 2021/08/05(木) 22:27:06.35 0
吐蕃優しい。
首都包囲までやってるのに、求めるのは「対等の関係」って。
本来なら、吐蕃が君、唐が臣下の、臣従関係を求めるだろうに。

229: 世界@名無史さん 2021/08/06(金) 00:06:58.65 0
720年代後半あたりから、唐は吐蕃と共闘して唐に反抗して戦っていた
ウイグルを、吐蕃と離間させ、ウイグルを唐側にすることに成功した
それから事態は唐に多少有利になってくる
そこで729年、吐蕃は講和を申し込んできた
この後、10年近く、唐と吐蕃の関係はやや平穏だったが、737年ごろ、渤海の大武芸が死んで渤海勢力が一時衰えたころから、吐蕃は再び周辺の侵略を始めた

230: 世界@名無史さん 2021/08/06(金) 07:09:53.65 0
吐蕃は南詔の冊封を受けてるな。
南詔に援軍を送って唐軍を破ってる。
吐蕃、強ええ。
今のチベットから想像つかない。

231: 世界@名無史さん 2021/08/06(金) 07:28:22.68 0
>>230
当時の吐蕃は広範囲に勢力を持っていたから、民族・人種的にも多様だったかもしれない

241: 世界@名無史さん 2021/08/06(金) 19:05:17.34 0
善無為はインドの生まれだが、突厥や吐蕃の領域(北インドの境)を通って716年、長安に至るや、玄宗は彼の到来に大いに喜び、国師とし、西明寺に迎えたという
本格的な中国密教は善無為の時代にはじまるといわれている

246: 世界@名無史さん 2021/08/07(土) 06:10:12.52 0
>>241
玄宗皇帝、外国人が好きなのね。
安禄山とか阿倍仲麻呂とか。
遊牧政権は基本支那人よか外国から来た優秀な人が好きだけれど。

248: 世界@名無史さん 2021/08/07(土) 07:48:42.15 0
玄宗は密教第六祖の不空に深く帰依した
それが粛宗・代宗・徳宗まで続く
唐が不安定になって、密教の呪術にすがりたくなっていたんだろうか?

250: 世界@名無史さん 2021/08/07(土) 08:50:53.49 0
>>248
密教の呪術の効果なく、ますます不安定。
その分、儒学者や道士の廃仏論に勢いが増し、武宗の会昌の廃仏で唐代密教は大打撃。

密教の発展はチベットに移ったな。

251: 世界@名無史さん 2021/08/07(土) 10:14:07.45 0
>>250
中国では、仏教の渡来以前から、支配イデオロギーとしての儒教や、民間信仰としての道教が、社会に根付いていたからな
仏教はそれらの思想・宗教とつねに緊張関係を強いられた

249: 世界@名無史さん 2021/08/07(土) 08:03:48.41 0
日本人が興味があるのはもっぱら盛唐の時代であって、中唐や晩唐にはほとんどの人が興味ないよな
たとえば、徳宗が吐蕃と交わした「清水の盟約」(賀蘭山を境界とする盟約)なんてほとんどの人が知らないんじゃなかろうか

252: 世界@名無史さん 2021/08/07(土) 12:45:17.89 0
>>249
きよみず? しみず?

253: 世界@名無史さん 2021/08/07(土) 14:26:49.54 0
>>252
「せいすい」と読む
徳宗は即位するとすぐに吐蕃に和平を申し込み、翌781年12月、賀蘭山を境界とする盟約をした
盟約は783年1月、清水(秦州)で交わされ、「清水の盟約」と称した
この後、しばらくは吐蕃も反抗しなかった

257: 世界@名無史さん 2021/08/07(土) 16:42:25.61 0
唐は元が異民族という事もあってか国際色豊かだったな

262: 世界@名無史さん 2021/08/07(土) 19:18:05.09 0
>>257
北斉の遺跡から発掘される文物も、西方文化の影響が濃いよ
ラピスラズリと金の指輪、ササン朝の金メッキされた銀製の把手付水瓶などがある

269: 世界@名無史さん 2021/08/20(金) 19:45:22.29 0
唐の租庸調制が、全国一律に適用されたわけではなく、「嶺南」と呼ばれた華南では施行されず、税米を収めるだけだったということはあまり知られていないな
日本の律令制が失敗だったというけど、唐でも完全に機能していたわけではない

303: 世界@名無史さん 2021/08/22(日) 10:35:42.90 0
>>269
均田制がどこまで施行されてたかは諸説ある。
辺境の西域の行政文書を根拠に、こんな僻地でも実施されてたから全土で実施してたに違いないと考える人と、僻地だからこそ実施できたに過ぎないと考える人に分かれる。
自分は前者だな。
真似をした日本の東北地方から九州まで条里制遺構が残ってるわけで、お手本の本家に倣ってるわけで
、本家が部分的実施のみとは思えないから。

まぁ反論は認める。

323: 世界@名無史さん 2021/08/23(月) 11:15:33.55 0
>>269
大抵の国で税制は柔軟運用だよ。
日本の租庸調も、
陸奥国は、租は半分、庸と調は無し、代わりに防人と時々砂金を差し出す。
上総国は、租と庸は無し。調だけ麻布をどっさり納めさせた。
飛騨国は、庸の代わりに木工匠を差し出させた。
みたいなふうに。
米は良いから特産品出せ、壮健な兵員を出せ、細工の得意な人を出せってふうに。

304: 世界@名無史さん 2021/08/22(日) 10:40:32.56 0
唐代の軍制についても、全国におよそ350あった州のうち、折衝府のおかれていた州は90にすぎなかったから、地方によって負担にはなはだしい格差があった

305: 世界@名無史さん 2021/08/22(日) 11:08:05.66 0
兵士の武具や食糧が自弁というのはヒドいす。
国家が支給してください。

306: 世界@名無史さん 2021/08/22(日) 11:35:37.61 0
自弁というのは建前で、現実はそれじゃ兵士が飢え死にしてしまう

308: 世界@名無史さん 2021/08/22(日) 12:50:03.09 0
>>306
だよね。
教科書にそう書いて欲しい。

310: 世界@名無史さん 2021/08/22(日) 12:58:08.28 0
>>308
では実際は?

311: 世界@名無史さん 2021/08/22(日) 13:37:18.94 0
>>310
官給があった。

312: 世界@名無史さん 2021/08/22(日) 13:41:07.65 0
Wikipedia「府兵制」によると、こうだが


唐における府兵制は成人男子(21歳 - 59歳)を対象に3人に1人の割合で徴兵し、折衝府と呼ばれる部署に集められ、1年に1~1回、1ケ月間国都の衛士の勤務 、3年間、防人として辺境の防衛にあたらせた。

・・・遠征軍を編成するときには臨時に募兵が行われる。これは「行軍」と呼ばれ、府兵の諸物資が自前に拠ったのに対してこちらは官給であった。

府兵制は、農耕土着風習の中国人にとってはかなりの重い負担であった。玄宗期には均田制自体が行き詰まり・・・逃げだす者も増加し、兵が思うように集まらなくなる。

・・・そして辺境の兵士たちは府兵制に於ける3年間のような短い期間ではなく、6年あるいはそれ以上の時を辺境で過ごすようになる。
更に737年に辺境の軍鎮に半永住する長征健児制が出来る。これらの兵士たちは全て募兵であり、生活を国家からの支給で賄う職業軍人であった。

ここに至り、唐における兵農分離が完成し、府兵制は完全に消滅した。

313: 世界@名無史さん 2021/08/22(日) 13:49:01.17 0
日本だと、日本史の教科書では
「隋唐から均田制を導入しましたが、やがて地主階級の既得権益が増大して行き詰まり、大土地私有制に移行しました」
というのが最重要事項で、小学生から中学生まで学校の授業で繰り返し、このストーリーを刷り込まれるんだが

中国史では、「均田制の崩壊」が強調されることはあんまりないように思う。
それよりも、「租庸調制が行き詰まり、両税法になりました」という税制の話がクローズアップされるみたい

これは東アジアで同時多発的に起きた状況で、似たような均田制の崩壊は新羅でも起きたと言われているが、こちらは記録が乏しすぎて詳細不明

329: 世界@名無史さん 2021/08/23(月) 19:18:18.45 0
>>313
どこの国でも行き詰まる制度なら、その制度そのものの欠陥ではないの?

330: 世界@名無史さん 2021/08/23(月) 22:45:25.72 0
>>329
唐は、古代の全盛期を創出した漢代にならおうとする傾向が強かった
唐が平時の理想的統治モデルとして参照できるのは漢代しかなかったという理由もあったが
しかしあまりに復古主義的な政策は、いつの時代にもうまくいかない
王莽の新がそのいい例

333: 世界@名無史さん 2021/08/24(火) 04:49:30.60 0
>>329
行き詰まったといっても、200年か300年くらいは、それなりに機能した
最初の100年は、とくに機能した
どこの国でも国家形成に必要だった

引用元: ・隋唐帝国 二