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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/18(水) 20:03:49 ID:3ku5vPfM
北信濃の雄
武田信玄を2回も破った






村上 義清(むらかみ よしきよ)は、戦国時代の武将。北信濃の戦国大名。

信濃埴科郡葛尾城主で、武田晴信(のちの信玄)の侵攻を2度撃退するなどの武勇で知られ、家督相続時には佐久郡・埴科郡・小県郡・水内郡・高井郡など信濃の東部から北部を支配下に収め、村上氏の最盛期に当主となった。




4: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/18(水) 21:28:15 ID:e2ASd+q1
髭ヅラというイメージしかわかないな

8: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/20(金) 01:04:36 ID:QYSOeoLg
晴信の親父と同世代で、戦経験も豊富だから、晴信が負けても仕方がない相手ではある。

9: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/22(日) 21:59:41 ID:wPTo0OGg
武勇は大したものだが謀略面で真田にしてやられたね
でもまあ、上杉家でも一武将として重宝されたし

14: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/13(月) 14:47:03 ID:U/t3HkPL
川中島で武田信繁を討ち取ったのもこの御仁か。

>>9
武田信虎と組んで真田を信濃から追い出した村上に、遅まきながらも意趣返しをしたってことか。

527: 人間七七四年 2009/02/05(木) 23:44:27 ID:3SUo0YAL
根知時代の村上義清。
よく考えれば破格の待遇ではないだろうか。
謙信は義清の力量を十分認めていたのだろう。
武田が北上を中止したのは根知城 村上義清の存在も要因の一つである事は否定できまい。
武田信玄との抗争

天文22年(1553年)、武田氏に通じていた土豪・大須賀久兵衛尉が謀反し、また室賀氏、屋代氏、石川氏など村上方の諸将が武田氏に降伏した。村上義清は4月9日に葛尾城を一時脱出、再度体勢を整え、4月22日には奪還に成功した。武田晴信は深志城(松本城)に後退し、5月11日には甲府に引き上げた。
7月25日に晴信は大軍を率いて甲府を出発した。この時に、光城、上ノ山城、刈谷原城が落とされる。

天文22年(1553年)8月、村上義清は葛尾城を捨て、長尾景虎(上杉謙信)を頼って越後国に落ち延びた。北信濃の独立勢力であった村上氏の没落により、武田氏の勢力が越後長尾氏の本拠春日山城に近い善光寺平にまで及んだ。これにより川中島の戦いに続くこととなった。

村上義清は根知城主となり、嫡男の国清とともに上杉家臣となる。国清は謙信の養子に迎えられて山浦姓を名乗り、上杉家第2位の地位を与えられている。


528: 人間七七四年 2009/02/06(金) 00:38:45 ID:bV0ibDmR
いや、単に北信濃に手を出す口実として必要だったんだろ。

533: 人間七七四年 2009/02/12(木) 04:07:36 ID:dbofyCZr
縁戚だったはずの高梨に比べると待遇が良さ杉な感もある

542: 人間七七四年 2009/02/13(金) 22:59:25 ID:cYoKu2Op
>>533
長尾・村上・高梨・尾崎は縁戚
そして村上氏は北信一の名門

543: 人間七七四年 2009/02/16(月) 02:19:51 ID:Tq1qDXhc
北信一の名門とか言うなよw
似たような系譜はゴロゴロしてるだろ

544: 人間七七四年 2009/02/16(月) 13:56:05 ID:dmF0IrNb
でも実際、勢力はデカいし、南北朝時代でも活躍著しいよな

548: 人間七七四年 2009/02/20(金) 19:58:13 ID:BeOZ1nyx
村上と真田は永遠のライバル

550: 人間七七四年 2009/03/10(火) 15:39:10 ID:ZXdRiKbF
そんなに争ってた?

551: 人間七七四年 2009/03/10(火) 17:41:57 ID:voLNPEjh
風林火山の川中島で村上義清と真田幸隆の戦いは格好良かったな~

553: サイコメトリー 2009/03/12(木) 16:48:59 ID:BmswdzKM
実際に葛尾城の位置から上田城までは車で20分程度なので、至近です。
葛尾城は山の中腹ですが、上田城は現状からみても平地に建てられていた様です。ですが、逆に深井堀をたくさん作った跡が残っており、真田家の老獪さが窺えるポイントも残っています。
地元でも戦闘では村上、知略では真田との話が多く残っていて、両者が主家を別とし何度も争っていた資料や痕跡が今も語られています。
自分の地元は長野県埴科郡坂城町上平ですので、旧村上村です(以前も書きました)

554: 人間七七四年 2009/03/30(月) 15:34:02 ID:xpPgJoT6
村上と真田は至近なんですね。

556: 人間七七四年 2009/04/22(水) 21:10:00 ID:y6jejtVl
村上が葛尾に居た時代に上田城はまだ無かったし、そもそも村上と長年争ったのは海野だし。
村上にとって、真田は海野配下の小豪族に過ぎない。

560: 人間七七四年 2009/06/08(月) 00:23:19 ID:dgoR9w+w
村上義清は圧倒的多数の武田に対して少数精鋭で勝ったんだから尋常ではない強さだな。
土地の利云々とか言われるけど謀略戦を得意とした武田のこと、地形は念入りに調べていたはず。

561: 人間七七四年 2009/06/19(金) 16:12:02 ID:4Qx91cA6
村上義清と真田幸隆の同盟が成立していたら・・・

562: 莫邪 ◆Bakuya.ugA 2009/06/19(金) 22:54:16 ID:3VHEfPf4
そうでなくとも幸隆が長野業正の下に居続けるだけで武田は北信を併呑出来なかっただろう

563: 人間七七四年 2009/06/21(日) 15:52:46 ID:l3A2meyK
村上家の没落がちょっと遅くなるだけで、村上が武田を滅ぼすことはないだろ
川中島の戦いは幻になったと思うが

584: 人間七七四年 2009/10/02(金) 15:23:36 ID:/2Rd4Ptu
義清の兄弟って誰がいるの?

586: 人間七七四年 2009/10/03(土) 16:14:00 ID:LjLxYBlX
>>584
一説では国清の実父とされている弟がいたように思ったけど、名前が出てこないな

587: 人間七七四年 2009/10/09(金) 09:18:06 ID:uk3YKID4
義清の兄弟、従兄弟の確実な子孫っていないの?

588: 人間七七四年 2009/10/19(月) 16:07:26 ID:WUJzUyW2
系図自体がいくつかあるんでしょ。

590: 人間七七四年 2009/10/26(月) 11:17:35 ID:Pn5JQeD4
村上家の石高は最大でどのくらいあったのですか?

591: 人間七七四年 2009/10/26(月) 12:50:13 ID:wTyfz/A4
最大で18万石の6000人動員

592: 人間七七四年 2009/10/30(金) 19:07:14 ID:49VEDA+2
ありがとうございます。結構な大名ですね
諏訪家や小笠原家、木曽家は何万石だったのでしょうか

593: 人間七七四年 2009/10/31(土) 11:37:36 ID:bb5dQY1z
信濃って41万石しかないのにその半分近く収めてた時あったの?
小笠原、諏訪、高遠、木曾いたのに?

619: 人間七七四年 2011/01/02(日) 16:52:44 ID:kyaN9mnw
本家ってどこにあったの?

620: 人間七七四年 2011/01/06(木) 02:02:52 ID:YB97T2Vf
>>619
義清 長野県埴科郡坂城町→新潟県糸魚川市
国清 長野県埴科郡坂城町→新潟県糸魚川市→長野県長野市→福島県白河→京都府
幸清 奥州宮森→福島県白河→静岡県→京都府
義豊 群馬県吾妻郡→埼玉県川越市→東京→長野県長野市
義長 長野県更級郡
義真 長野県更級郡
国康 長野県更級郡
義教 長野県更級郡
泰国 長野県更級郡
義処 北海道松前市
義暁 東京
義信 長野県南佐久郡→東京
621: 人間七七四年 2011/01/06(木) 11:44:02 ID:IaisT0VO
>>620
お主、詳しいな。

歴代当主の所在地から、色々と垣間見られる事情が……。
京都や北海道とかご苦労されたんだろうな。

637: 人間七七四年 2011/05/31(火) 21:38:54.33 ID:nv1YzwKW
のぶやぼ(信長の野望)だと高梨政頼は村上家の家臣になってるけど、実際ただの同盟者でしょ? 

643: 人間七七四年 2011/06/01(水) 13:39:38.61 ID:WV7cPfGh
>>637
同盟はしてたんじゃない
高梨政頼は景虎の従属下にあったわけだし

811: 人間七七四年 2018/11/04(日) 21:34:44.56 ID:S9fk+scs
>>637
髙梨家は謙信の実家長尾氏と姻戚関係。

642: 人間七七四年 2011/06/01(水) 03:00:56.84 ID:phD6JbaZ
信濃高梨氏って本だと村上と和睦した時期の高梨は協力者だった長尾に距離を置かれてなかなか切迫した状況だったそうだ

644: 人間七七四年 2011/06/01(水) 19:10:14.40 ID:r2qBpxT5
高梨は長尾と婚姻関係があったから優遇されてたんでしょ?(景虎の時)

649: 人間七七四年 2011/06/07(火) 01:33:48.06 ID:aGyXGUg2
村上水軍の活動範囲に屋代島。
信濃村上一族に、地名(旧長野県屋代町)と姓どちらが先か解らないけど屋代氏。
信濃村上氏と村上水軍の今云われている関係よりもっと深い関係があったんぢゃないかな。。。
海の国、上総との関わりも深いみたいだし。

村上一族との関係はわからないけど
志賀 安曇 島 島々 安房山(安房 阿波から?)
村上氏の勢力範囲とは違うけど信濃に海にまつわる地名も多いし。。 

。。と いろいろ妄想中。。。 

650: 人間七七四年 2011/06/07(火) 15:42:42.90 ID:JCkLDcfv
同族って事で戦国期も行き来はあったらしいよ

651: 人間七七四年 2011/06/07(火) 21:55:26.93 ID:JSDF5RHB
>>650
そうなんだぁ
ぢゃあ、本庄(越後村上)に封された村上頼勝も義清の孫で。。云々とか、実は伊予村上氏出とかいろいろ謎が多いといわれてるけど、実は母が伊予に嫁いだ義清の娘で。。。とか文献が残ってないだけで 可能性はありそうなのね。。。

685: 人間七七四年 2011/08/22(月) 08:19:22.85 ID:B+m39yIA
義清が葬られたともいわれる日滝寺とは、かつて高井郡?にあり今は現存していないお寺のことですか?
戒名にも日滝寺とあるのですが、どなたかその辺りに詳しい方がいればぜひ教えて下さい。

686: 人間七七四年 2011/08/24(水) 03:41:46.46 ID:3jJP7Ixf
>>685
日瀧寺は義清が永禄12年に造り、根知城中で没した後、そこに葬られた。
日瀧寺はその昔、現、須坂市の明覚山麓にあったらしい。
その後、現存する須坂市大字日滝本郷町の蓮生寺の場所に移って名前と寺名が変わった。
日瀧寺にあった仁王像は、現存する高井郡山ノ内町大字平穏の善応寺に移されたという伝承があるんだって。

蓮生寺の一帯は日滝村だったが、昭和11年に須坂町に合併。
現地に行って調べればいろいろ新発見があると思うよ。

687: 人間七七四年 2011/08/24(水) 07:20:59.83 ID:NOrWEK0D
>>686
永禄12年に造られたということは、その時点ではまだ現須坂市近辺は義清が勢力下に置いていた可能性があるということなのでしょうか?
また、もし敵勢の勢力下であっても葬る際は何も問題はなかったのでしょうか?
質問ばかりでどうも申し訳ありません。

機会があればぜひ現地にも行ってみたいと思います。

689: 人間七七四年 2011/08/31(水) 07:08:03.32 ID:YNHFrFuB
>>687
表だって作らなければ、勢力下に無かった土地にでも作れたと思う。
村上清氏の本だったかに、義清は越後に行ってからも密かに長野に出入りしてたって書いてあった。

709: 人間七七四年 2012/01/03(火) 10:44:03.14 ID:rTIhdhOj
上総村上氏、下総村上氏との関係をご存知の方はおられませんか

710: 人間七七四年 2012/01/03(火) 12:34:35.96 ID:va8fN3aw
>>709
上総村上氏は途中まで信濃村上氏の惣領家だったよ

714: 人間七七四年 2012/01/04(水) 21:59:12.65 ID:SrgtywgG

715: 人間七七四年 2012/01/05(木) 01:57:39.94 ID:6ugMDo45
>>714
上総安房でも武田氏とのいろいろなしがらみがあるみたいだし
いま『史実』と云われてる歴史観だけでは解らない何かがありそうですよね

引用元: ・村上義清



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