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1: 日本@名無史さん 2016/10/23(日) 12:29:00.59
鏡は宇佐八幡神の神託と称し皇位を望んだが失敗し、770年、下野薬師寺に追放された。

当時、宇佐八幡宮というのは、そんなに権威があったの?








2: 日本@名無史さん 2016/10/23(日) 14:13:44.23
2礼4拍手1礼の神社は2つしかなき
1つは大国主を祭る出雲大社
もう1つが比売大神(卑弥呼)を祭る宇佐神宮

4拍手は死を表す(4=シ=死)
どちらも大和朝廷が滅ぼした王の鎮魂の社だ

12: 日本@名無史さん 2016/11/09(水) 13:23:47.86
>>2
それは、キリスト教等を参考に新たに国家浸透を強権を以て推し進めた明治以降の祭式。

歴史的に神道は「四」(し=×。ヨ=〇)を単位とするのが基本。
拝礼作法も拍手もしかり。

両断再拝=四拝。
拍手は四を区切りに八拍を長拍手と言う。

四拍、二拍などは短手(みじかて)。(略式なと)
長拍手を四段拍つ、32拍を極度とする。
これは古式より天皇の即位の大典に於いて皇太子以下が新天皇に奉る最高儀礼だった

3: 日本@名無史さん 2016/10/23(日) 15:00:36.60
朝廷へ取り入っていた

4: 日本@名無史さん 2016/10/23(日) 17:08:38.18
そうだね。
宇佐八幡宮は743年の東大寺造営の際に宮司等が託宣を携えて上京し、造営を支援したことから中央との結びつきを強めたそうだ。
そして伊勢神宮を凌ぐ程の皇室の宗廟として崇拝の対象となり繁栄した信仰を集めた。

朝廷へ影響は大きかったのだろう。

6: 日本@名無史さん 2016/10/27(木) 15:16:01.63
事件の割に坊主の処分が温い気がするんだけどな
まぁ下野に行ってそう間をおくことなく死んだからアレだったのかもしれないけど
2年だっけか

7: 日本@名無史さん 2016/10/31(月) 09:36:28.25
坊主が野心を抱いたというより女帝が入れ揚げたからじゃね

8: 日本@名無史さん 2016/10/31(月) 10:03:54.10
藤原との政争に負けただけでしょ、別に事件があったわけでもなし

15: 日本@名無史さん 2016/11/19(土) 17:48:57.73
伊勢に行かずに宇佐に行った和気、、
当時の伊勢はものの数ではなかったのか、、天皇はもともと九州ルーツだったからか、

16: 日本@名無史さん 2016/11/19(土) 20:58:06.58
そもそもが宇佐八幡宮の神託で始まった話だからそれを確認しに行った。
伊勢に行ってもしょうがない。

17: 日本@名無史さん 2016/11/19(土) 21:27:08.42
宇佐八幡宮の神託には極めて高い権威があったってことだな。

18: 日本@名無史さん 2016/11/19(土) 23:17:06.89
宇佐八幡宮の祭神は比売大神と応神天皇と神功皇后だから皇祖でもあるし、>>4にもあるように大仏建立の時も神託があって聖武朝や孝謙朝で厚く敬われていた。

19: 日本@名無史さん 2016/11/20(日) 12:30:08.92
伊勢はただの伊勢湾漁師の守り神だったんだろ、、もとは、、?

21: 日本@名無史さん 2016/11/20(日) 15:54:57.66
おそらく天皇家の一族は九州から出たのだろうな。

25: 日本@名無史さん 2016/11/20(日) 21:50:17.84
>>21
宇佐神宮が神功皇后と応神天皇を祭るのは、神功皇后が三韓征伐で九州に来た時に応神天皇が生まれた縁なので天皇家が九州から出たからということではない。

28: 日本@名無史さん 2016/11/20(日) 23:06:05.57
>>25
そもそも神武天皇からして、九州から大和に入ったのだが?
間違いなく天皇家は、うちのご先祖様は九州から出てきたとの意識は持っていたと思うぞ。

29: 日本@名無史さん 2016/11/21(月) 00:39:36.07
>>28
その神話も元来伝わっていたものなのか、後世に作られたものなのか?
九州征伐を正当化するために作ったとも考えられる。
九州から出たにしては熊襲とか筑紫の君とか反対勢力が多いし。

33: 日本@名無史さん 2016/11/21(月) 12:29:05.83
>>29
いや、やっぱり天皇家は九州から出てきたとの意識はあったと思うぞ。
ただ日本書紀が作られてからは、うちが本家、本元だと威張りだしただけで、それ以前特に筑紫の君岩井の乱の頃は、九州に本家があってウチは分家だとの意識は残っていた可能性はかなりあると思う。
実際筑紫の君岩井は、「昔は俺お前の仲だったのに」と叫んでいたのだろう?

42: 日本@名無史さん 2016/12/11(日) 08:58:10.19
>>29
時代認識が無茶苦茶だな。筑紫君磐井と争ったのは継体の時だろ。
それ以前からもずっと君がいたとしても、ずっと九州と畿内が親分子分もしくは盟友関係と限られるのか?実際倭国と日本国の使者が互いに正当性を主張して相争うなんて記事が中国の史書に書かれているのに。
熊襲は、卑弥呼の時代からの強敵で、もしかすると呉と結んでいたかも知れない。だから征服後は奈良の番兵として紐につながれて犬のような扱いをされたのである。余程長期にわたり煮え湯を飲まされてきたのだろう。

宇佐神宮に行ったが、参道の入り口に「皇族下乗」とわざわざ大書してあった。これは実に面白い注意書きで、皇族でも下乗しろという上から目線なのである。出雲と宇佐が別格と言うが、かつて八百万の神=全国の国主が集った初期弥生の中心出雲となぜ並び称されているのか誠に不審である。
天皇家が仏教に宗旨替えするにあたって、皇族にとっても禁足地である伊勢にお伺いを立てに行ったのはわかるが、何故宇佐の神官がそんなに重要なのか。既に時代は関東までを有する統一王家であるのに、何故たかが神託ひとつで大騒ぎするのか。

それはつまり、元々の仏教の聖地が宇佐と国東であり、仏教導入期から神仏混淆していたからに他ならない。当然国家仏教として、である。豊の国は即ち九州王家の宗教的中心地であった。磨崖仏の古さと多さ、そのエリアの呼称が「熊野」であることなども傍証となる。
九州王家の傍流たる畿内王家にとって、正統性の面から、完全に統一日本になった奈良時代でもまだ恐れ敬う本家だったと言うことだろう。
卑弥呼=アマテラスが奈良から次第に遠ざけられ、国東半島と類似する東の端まで追いやられて禁足地として封じられたのも、後ろめたいという事である。天皇で伊勢に行ったのは何も知らない明治天皇以外には二人だけなのである。

43: 日本@名無史さん 2016/12/11(日) 14:48:35.03
天武持統明治大正昭和今上、いまでは6人伊勢入りしてるね

44: 日本@名無史さん 2016/12/11(日) 16:18:44.47
天皇家に祟ると言われる伊勢に行ったことがあるのは全員天皇家の血筋じゃないという噂がある人なのが面白いな

45: 日本@名無史さん 2016/12/11(日) 21:18:36.53
天武はともかく持統は天智の娘じゃん。

46: 日本@名無史さん 2016/12/11(日) 22:38:10.63
聖武も伊勢に行ってるし、天皇家ということなら多くの皇女が伊勢に行ってる。

48: 日本@名無史さん 2016/12/11(日) 23:34:46.78
折角伊勢まで行っても拝殿の横っちょから塀越しに覗くだけなんだよね

でも皇族も同じだって聞いて二度びっくり

49: 日本@名無史さん 2016/12/12(月) 11:38:46.66
天武持統がアレンジした伊勢なんだから、天智天皇系が主流の天皇はほとんど参らないのは当然。もともと伊勢湾の漁師の守り神

54: 日本@名無史さん 2016/12/12(月) 20:39:20.31
ついでに参ってた伊勢、天皇家はあくまでも宇佐よ宇佐
西から来た天皇家に東海地方なんぞ眼中になし

55: 日本@名無史さん 2016/12/12(月) 21:48:21.83
宇佐こそ誰も参っていないのでは…

56: 日本@名無史さん 2016/12/12(月) 22:27:16.65
そうなんだよね、、天皇の旅行自体、難しかったのかね?

58: 日本@名無史さん 2016/12/13(火) 06:43:00.60
行く気がありゃあ、行くだろうよ
妊婦さんさえ船に乗っけて九州へ行ったりしたんだもの
行ってないってことは、行くほどのことはねえって思ってたんだろう

59: 日本@名無史さん 2016/12/13(火) 20:54:55.40
三韓征伐に相当するような、倭が半島に進出していた痕跡はあるけど、神功皇后の話自体は神話でしかない。

22: 日本@名無史さん 2016/11/20(日) 18:53:09.10
宇佐から下った神託だから宇佐に確認しに行ったとしても天照が定めた神勅を変更する権威が宇佐にあると認識されてたって事だからな

25: 日本@名無史さん 2016/11/20(日) 21:50:17.84
>>22
違う。そもそもは太宰府から宇佐神宮の神託の件で孝謙天皇の側近の和気広虫を調査に寄越せと言ってきて、広虫が行きたくないと言うから代わりに弟の清麻呂に行かせることになった。この時点では「天照が定めた神勅を変更する権威が宇佐にあると認識されてた」って事にはならない。
清麻呂が現地に行くと神官(巫女)に神が降りて「皇統を乱すな」というお告げなので、そのように報告した。

26: 日本@名無史さん 2016/11/20(日) 22:46:50.75
>>25
だけど確認してもし確かに「道鏡に譲位せよ」という神託ならそれに従うって事でしょ?
どっちであれ最初から従うつもりないなら確認の必要ないんだから

23: 日本@名無史さん 2016/11/20(日) 19:09:24.90
卑弥呼墓は宇佐ということでよいか、

25: 日本@名無史さん 2016/11/20(日) 21:50:17.84
>>23
確か高木彬光はそういう説だったな。

27: 日本@名無史さん 2016/11/20(日) 22:50:37.45
最初は坊主に皇位を譲れのご託宣で、次には否定のご託宣って、とんだマッチポンプじゃないの

29: 日本@名無史さん 2016/11/21(月) 00:39:36.07
>>27
先の託宣は偽物ですって訳だが、経緯がいろいろと不自然なので記録に残されなかった
裏事情があると考えられている。

31: 日本@名無史さん 2016/11/21(月) 08:19:45.66
孝謙天皇の頃はまだ皇位は男系でないといけないなんて考え方はなかったんだ
日本書紀では皇位が男系で継承して来たことになってるけど、これは日本書紀の創作だな。

32: 日本@名無史さん 2016/11/21(月) 12:21:16.09
だとしても道鏡には関係ないぞ
女帝と結婚する事もあり得ないしな

36: 日本@名無史さん 2016/11/23(水) 00:36:17.67
道鏡は真面目だったんだと思うぞ。当然称徳天皇と肉体関係はなかったと思うぞ。
本人は天皇の位を望んでいなかったのに、称徳が勝手に言い出して困惑していたのではと思うのだ。
あの時代の貴族は平然と人を殺すからな、もし天皇の位を望んでいて、そういった陰謀をしていたなら、間違いなく処刑していたと思う。

38: 日本@名無史さん 2016/11/23(水) 18:22:33.08
道鏡のバックには物部氏が付いており豪族による一種のクーデター未遂。道鏡が処分が軽いのもそのせい。
物部氏のルーツは北部九州にあり北辰を祭っていた、宇佐八幡宮の地主神も北辰。物部氏と宇佐八幡はとても近い関係にある。
さらに天皇家と物部氏も近い関係にある。

39: 日本@名無史さん 2016/11/23(水) 18:44:23.92
道鏡の出の弓削氏は物部氏の一族だろ
弓削神社は九州など西日本各地に在るが、弓削氏の勢力が広がっていたんだろうな。

63: 日本@名無史さん 2016/12/16(金) 07:06:25.35
>>39
八尾には今も弓削神社が二つ残ってる。
道鏡は、没落久しい物部の本拠地で久々に登場した秀才で、天智系圧力に悩まされた孝謙天皇が物部をバックにしようとブレインに利用したんだよ。
遷都してより八尾と連携を図れるようにも画策した。
ただのエロ坊主と貶められたのは聖徳太子信仰や蘇我悪党説と同じ勝者の捏造。

引用元: ・宇佐八幡宮神託事件

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