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1: 人間七七四年 2007/10/24(水) 16:54:52 ID:MFIYktZl
河尻秀隆、塙(原田)直政、武藤舜秀ら武将から、長谷川秀一、松井友閑、福富秀勝、矢部家定ら吏僚まで。
平手や林など有名所でも個人スレが無い連中もまとめてどうぞ。








3: 人間七七四年 2007/10/24(水) 17:04:14 ID:oC4yn/49
島田秀満と原長頼と徳山秀現について教えて

5: 人間七七四年 2007/10/24(水) 17:10:45 ID:oKk/FIlI
>>3
島田秀満は偏諱からして、信秀時代からの老臣かな?
徳山は、徳山則秀が正しい名前らしい。

7: 人間七七四年 2007/10/25(木) 21:46:07 ID:kMyMPPLg
>>1
林秀貞は未だに「林通勝」(松永家臣)と混同されるから、マイナーと言えばマイナー。

42: 人間七七四年 2008/01/31(木) 02:00:01 ID:oH5Zwxko
林秀貞には世継ぎはいなかったの?

87: 人間七七四年 2008/07/07(月) 16:48:05 ID:8//uefHO
>>42
林光時。「槍林」の異名を持った勇者だったが、長島一向一揆との戦いで戦死。

8: 人間七七四年 2007/10/28(日) 02:18:05 ID:i4/pKDKs
楠木正虎も、このスレの範疇かな?
楠木 正虎(くすのき まさとら 永正17年(1520年) - 文禄5年1月11日(1596年2月9日))は、戦国時代から安土桃山時代の武将、世尊寺流の書道家。足利義輝、松永久秀、織田信長、豊臣秀吉に仕えた。
『尊卑分脈』所収『橘氏系図』によれば楠木正成の孫楠木正秀の子という河内大饗氏の大饗正盛の子孫大饗隆成の子。織田家、豊臣家の右筆(書記官)を担当した。

楠木正成の子孫と称し、朝廷に正成の朝敵の赦免を嘆願した。これには松永久秀の取り成しもあったとされる。永禄2年(1559年)11月20日には正親町天皇の勅免を受けて、晴れて楠木氏を公言できるようになった(『旧讃岐高松藩士楠氏家蔵文書』)。

天正3年(1575年)には式部卿法印に叙せられ、松井友閑らとともに佐久間信盛の監督官の立場に任じられる。天正9年(1581年)2月の京都御馬揃えでは坊主衆の一員としての参加が確認できる(信長公記)。


56: 人間七七四年 2008/05/22(木) 23:54:21 ID:giLgkyJ5
楠木正虎は長諳と名乗ってて織田家に仕えてから朝廷に祖先と謳う楠木正成の赦免を願い出て許されてから正虎に改名したりと何かと有名だと思うけど。

57: 56 2008/05/23(金) 00:57:57 ID:uoGcjAsa
しかも記念すべき太閤立志伝1にも楠木正虎で浪人として堂々登場w

58: 人間七七四年 2008/05/23(金) 03:17:43 ID:bGeZ8ZLV
>>57
結構使える文官だった記憶があるな
いつも城持ちになったら勧誘しに行ってた

11: 人間七七四年 2007/10/30(火) 18:59:54 ID:Ye8y3qMa
和泉一国を与えられた、蜂屋頼隆はマイナーかな?

13: 人間七七四年 2007/10/30(火) 19:17:52 ID:Ftt44FJl
蜂屋って最後どうなったんだっけ
知らん間に歴史から消えてるイメージがある

14: 人間七七四年 2007/10/30(火) 19:22:55 ID:tWxQi8TA
>>13
本能寺後秀吉に臣従→病死→無嗣断絶

おれは最後より和泉任されるまでの間何やってたのかが気になる
出世頭だったのがぷっつり出てこなくなって急に復活する印象がある

15: 人間七七四年 2007/10/30(火) 20:29:48 ID:Ftt44FJl
あー子供がいなかったのか
織田系は多いな

16: 人間七七四年 2007/10/30(火) 20:55:28 ID:Ye8y3qMa
蜂屋だがwikiを見ると、最後は越前敦賀に所領をもらって亡くなってる模様。
同じ頃に信長に仕えたと言われる金森長近とは随分差がついた。

17: 人間七七四年 2007/11/10(土) 10:33:33 ID:nztJiJ7n
>>16
どちらも五万石程度だから同じくらいじゃない?

18: 人間七七四年 2007/11/10(土) 11:19:57 ID:DsoM5sDr
コロクはマイナー?好きなんだけど

19: 人間七七四年 2007/11/10(土) 16:19:13 ID:PTjp7gkq
小六は秀吉繋がりで有名じゃないか?

21: 人間七七四年 2007/11/11(日) 21:17:03 ID:YhVBkBtB
信長のブレーンなのに信長の野望にいつまでも出れない武井夕庵。
織田家でも上席なのにあまりにあんまりだろ。

武井 夕庵(たけい せきあん)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武士。織田信長の右筆・吏僚。茶人でもある。

当初は美濃国守護・土岐氏、次いで美濃斎藤氏の道三、義龍、龍興の3代にわたって右筆として近侍する。永禄10年(1567年)より、斎藤氏を滅ぼした織田信長に仕えて右筆及び側近官僚(吏僚)となり、客の取次や京都の行政官の一員として活動した。また検視、重要時の奉行や使者も務めた。

毛利氏への添状の発給を羽柴秀吉と共に担当し、毛利側の小早川隆景、吉川元春らとの交渉にあたるなど外交面でも活躍した。

天正10年(1582年)の本能寺の変後、10月28日に吉田兼見を訪問している。天正13年(1585年)1月23日、訪問した山科言経を歓待したという記録が『言経卿記』で確認できるが、後の消息は不明である。織田政権の吏僚は知行を持たずに信長に近侍する形で活動していたため、信長の死で力を失い、かつ高齢でもあったことから、表舞台から消えていったとみられる。


22: 人間七七四年 2007/11/11(日) 23:02:46 ID:A9/vADHr
夕庵は出てきてもいいよなあ。
斎藤家三代に側近として仕え、さらに織田信長にも側近として重用された。

87: 人間七七四年 2008/07/07(月) 16:48:05 ID:8//uefHO
>>21>>22
俗書も含めると、夕庵には逸話が多いね。
比叡山焼き討ちを諫言、茶器政治を諫言、馬揃えでは山姥に扮して参加とか。
平手のじいみたいな存在じゃないかな。

23: 人間七七四年 2007/11/12(月) 00:25:22 ID:T8HGTrIq
立志伝では馬鹿殿の家老のようなグラで出てるから安心しろ

24: 人間七七四年 2007/11/16(金) 17:25:40 ID:/DKyPbmQ
河尻は半分謀殺くさいよね。
徳川の家臣の感情考えたら普通に考えて名指しでぶち殺したいよなコイツ。
石川あたりが扇動の責任者だろうけど。

25: 人間七七四年 2007/11/17(土) 20:33:16 ID:9Xp1zl7q
>>24
河尻と徳川って、何か揉めてたの?

26: 奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6 2007/11/17(土) 21:46:55 ID:3uFUzKZ9
甲斐の小領主の本領安堵問題。

27: 人間七七四年 2007/11/17(土) 23:04:32 ID:uoxcxGYb
徳川の使者殺した時点で半分詰んでたな、河尻は。

33: 人間七七四年 2007/11/27(火) 12:44:31 ID:A9M780cI
河尻の息子、秀長は甲斐で死んでないね。本領に残ってたのかな?

>>27
「凶事があったから、さっさと美濃に帰れ」と煽られたら、斬りたくもなるかw

31: 人間七七四年 2007/11/23(金) 13:36:07 ID:Geobr/tL
桶狭間で名を売って、その後側近として仕え、本能寺の変で主君の嫡子と殉じる
毛利新助の人生って、不思議なものを感じる。

45: 人間七七四年 2008/02/02(土) 23:02:14 ID:eUIg8eh3
>>31
同じく桶狭間で名を上げた服部小兵太も大名になるものの、秀次付になってしまったがために最後をまっとうできなかったんだよな


48: 人間七七四年 2008/03/02(日) 04:38:42 ID:gyM9mSpl
本能寺以降、織田家から豊臣家のマイナーな武将になった奴って誰がいる?

52: 人間七七四年 2008/03/13(木) 14:10:02 ID:fcMMf9zX
>>48
矢部家定じゃね。
本能寺までは信長側近ナンバー1として天下の仕置に辣腕を振るってたのに、秀吉政権になってからは前政権の大物としてハブにされて、物笑いのタネにされるほど落魄した。

49: 人間七七四年 2008/03/09(日) 19:09:16 ID:n+Hwh+qH
毛利秀頼
長谷川秀一
岡本宗憲
溝口秀勝

50: 人間七七四年 2008/03/12(水) 23:24:18 ID:lVPNVqKq
>>49
長谷川秀一とか、本能寺の変がなければって代表格かな。

51: 人間七七四年 2008/03/13(木) 01:57:18 ID:5yz6m7Pd
溝口は信長も秀吉も丹羽家臣から直臣に抜擢してるから結構できる人だったんだろうな
二回目は丹羽の力を削ぎたい秀吉の政治的判断が大きかったろうけど

53: 人間七七四年 2008/03/17(月) 18:53:53 ID:Q0D34ahi
長谷川や堀が重用されているところを見ると、矢部は自分の意思であの立場に甘んじた気がする
三人とも信長時代から秀吉と懇意にしていた様子だし
というか信長側近はほとんど秀吉とも仲良くしている

61: 人間七七四年 2008/05/25(日) 19:13:14 ID:A9sjy/eV
塙も軍団長格になるかならないかの昇進街道からひとつ躓いてその後戦死と悲運な武将だな。

63: 人間七七四年 2008/05/26(月) 00:56:09 ID:8ElNusHt
>>61
躓いてたっけ?昇進街道中に戦死じゃなくて?

65: 人間七七四年 2008/05/26(月) 23:52:57 ID:E2NcO2BO
>>63
今宮口の戦で大損害を蒙って攻撃部署を変えられた。
戦死したときは後陣に配置されていた。

66: 人間七七四年 2008/05/27(火) 00:52:35 ID:OeWbcPMJ
>>65
後陣に置かれて功を焦ったかな?

68: 人間七七四年 2008/06/14(土) 23:04:33 ID:QEVJPpqZ
万見重元の名が挙がらないなんてあんまりだ

71: 人間七七四年 2008/06/15(日) 14:41:49 ID:SNN2/Ynv
織田信治も忘れないで下さい

73: 人間七七四年 2008/06/16(月) 22:44:48 ID:djhSQQJR
佐久間信盛ってメジャーだけど現代での扱われ方はマイナーだよな。
なんか柴田が織田家の家老筆頭で佐久間はザコでした、みたいな扱われ方が多い。
あと、原田と坂井と中川なんて上洛した頃は織田家でトップクラスの武将だったけど、現在ではほとんどいなかったことにさえされてるのが多い気がする。

75: 人間七七四年 2008/06/17(火) 01:01:34 ID:GNdCW9bF
>>73
そういうのって、戦国時代を舞台にしたTVゲームやドラマの影響では?

74: 人間七七四年 2008/06/16(月) 23:36:29 ID:dS1oDFon
林なんかも影薄いわな

76: 人間七七四年 2008/06/17(火) 01:15:35 ID:WJx76FWx
私的な物言いで申し訳ないが織田の双璧は佐久間と柴田ですね。
湖南に配置されて以降、二人ともきっちり役目をこなしています。
信長の代表的な合戦には双方、またはどちらかが従軍しています。
天正三年の柴田勝家の越前転封まで二人は織田軍の主力。

元亀元年から天正三年までの織田家部将の活躍に光を当てて欲しいものです。

78: 人間七七四年 2008/06/17(火) 13:49:58 ID:5SE/Nec2
ドラマはともかく
織田信長が主役のゲームでならそこそこ強い場合もあるよ
>佐久間、林

92: 人間七七四年 2008/07/08(火) 16:15:34 ID:pnB6AJ3l
武藤舜秀ってどうよ?
「歴史読本 織田信長家臣団 裸のデータファイル」では信長の軍師的存在ってすげー高評価されているんだが、いまいち事績が明らかではない。
少なくともゲームの類ではレアキャラだなあ。

武藤 舜秀(むとう きよひで、生年未詳 - 天正7年7月3日(1579年7月26日))は戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。織田信長の家臣として仕えた。尾張馬寄城主。尾張国出身といわれるが、信長に臣従するまでの経緯は、はっきりしたことが分かっていない。

1574年(天正2年)、越前国守護代である桂田長俊が越前一向一揆によって殺害されると、一向一揆に備えるため、舜秀は羽柴秀吉・丹羽長秀らとともに、敦賀郡へ出陣した。一向一揆軍が勢いに乗って、木ノ芽峠を越えて南下しないための措置だった。一段落すると、不破光治とともに敦賀郡にとどまって、郡の行政にたずさわる。

1574年9月16日、光治とともに、敦賀郡西福寺に土地を寄進した文書が残っている。
(『西福寺文書』)1575年(天正3年)3月、舜秀は朝倉家旧臣・堀江景忠を敦賀に迎え、その降伏を信長に仲介している。
(『朝倉記』)6月、越前国衆・建部周光への宛行状に副状を発給している。8月、信長は越前の一向一揆討伐へ取りかかる。8月6日信長入国のため、舜秀は立石惣中に清掃を命じている。
(『立石区有文書』)敦賀に着陣した信長は、舜秀の敦賀城(花城山城)に逗留した。舜秀は敦賀郡より越前へ侵攻し、越前一向一揆の殲滅に貢献した。その後、秀吉・明智光秀・稲葉良通・細川藤孝・万見重元・簗田広正とともに加賀に攻め入って、能美郡・江沼郡の南二郡を平定している。

柴田勝家を長とした軍団には組み込まれず、舜秀は独立した遊撃軍団の長として、各地を転戦する。主に1577年(天正5年)紀州征伐、手取川の戦い、1578年(天正6年)神吉城攻め、有岡城攻め(有岡城の戦い)等に参戦している。

1579年(天正7年)7月3日、有岡城攻めの最中、付城・古屋野城にて急死する。舜秀の死を聞いて、信長はその死を惜しんだと言われている。


93: 人間七七四年 2008/07/08(火) 17:46:49 ID:KYDHlyUS
>>92
蜂屋頼隆の前に敦賀を任されてた人だね。
出自とかは全然分からないけどw

94: 奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2008/07/09(水) 22:22:14 ID:vj3WJkQd
武藤舜秀は若狭あたりで遊撃勢力を握ってるイメージがあるよなあ。
少なくとも北陸柴田組でも山陰明智組でもない。

95: 人間七七四年 2008/07/10(木) 00:01:12 ID:7b/gEiWs
>>94
そうだよ、谷口流にいえば、武藤は「遊撃軍指揮官」になる。
出自も尾張説・越前説・若狭説があって、はっきりしない武将。

97: 人間七七四年 2008/07/18(金) 03:12:07 ID:4SZxZkO5
武藤が軍師的存在だったなんてイメージは一体どこから?

98: 人間七七四年 2008/07/18(金) 12:09:13 ID:KzaGCBJB
「干戈の事あるとき、信長は先ず舜秀に議していた」という『武家事紀』の記事。

99: 人間七七四年 2008/07/19(土) 21:49:59 ID:YycRsMIJ
>>98
山鹿素行の著で、1673年成立か。
信長の時代から100年後だから、少々割引いて考える必要があるかも。

100: 人間七七四年 2008/07/21(月) 00:13:18 ID:Hrg8EgvL
ただ、所領の小ささに比べて、地位はやたらと高かったんだよな

101: 人間七七四年 2008/08/09(土) 17:24:04 ID:21m/pCwi
武藤は野戦よりも攻城戦や篭城戦を得意としていた印象がある。

行政手腕もあったのではないか。

124: 人間七七四年 2008/10/06(月) 01:07:44 ID:5b2pCWWI
織田信張なんかもマイナーなうちかな?
織田姓だけど信長の近親でもないし、根来攻めの後は表舞台に出てこない

織田一門だと津田盛月なんてのもいるな
豊臣政権では3万5千石も領していたのに超マイナー
織田 信張(おだ のぶはる)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。清洲三奉行のうちの一つ織田藤左衛門家の系統。藤左衛門家は三奉行として織田信秀とは同格であったが当主の早世が続いたため早くから信秀、信長に仕えた。

近江国浅井攻め・比叡山焼き討ちなどに従軍。その後天正5年(1577年)紀州の雑賀攻めなど、主に紀伊方面を担当。和泉国佐野砦を任されていたが、その後岸和田城へ移り和泉半国を領し、信長直轄軍の一員として働いた。

天正10年(1582年)に雑賀衆の土橋重治を破るが、同年の本能寺の変直後に紀伊国人らが蜂起すると、蜂屋頼隆と鎮圧に努めた。その後尾張の居城である小田井城に戻り、織田信雄に知行1100貫で仕えた。

天正15年(1587年)に佐々成政が肥後国の検地に失敗し切腹を命じられた際には、豊臣秀吉より八代城を与えるとの命があったが、信張はこれを固辞した。

文禄3年(1594年)、近江の大津で没する。享年68。



津田 盛月(つだ もりつき/せいげつ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名・茶人。織田氏の一族である。『織田系図』では、父は織田刑部大輔で中川重政の弟、織田信長の叔父・織田信次の孫とされるが、年代的に疑問という見解もある。早くから信長に仕え、信長の尾張国統一に協力した。

天文21年(1552年)、信長と織田信友が争った萱津の戦いでは、坂井五郎を討ち、弘治2年(1556年)の信長と織田信行(信勝)の争った稲生の戦いでは、柴田勝家配下の鎌田勘之丞を討ったと伝わる。これらの功績により黒母衣衆の一員となった。ところが、兄の重政と長光寺城主の柴田勝家との領地が入り組んでいたために両家の間で抗争が起き、盛月が勝家の代官を斬ったため、兄と共に改易となった上で追放された。後に羽柴秀吉に召されて姫路に至り、「外峯四郎左衛門」と名を改めて仕えた。以後、秀吉の下で備中攻めなどで戦功を挙げた。

天正15年(1587年)の九州平定にも参加し、秀吉から所領を与えられて3万5千石の大名となった。
文禄2年(1593年)に伏見にて死去した。享年58。

125: 人間七七四年 2008/10/06(月) 10:27:23 ID:k0AuDWP3
>豊臣政権では3万5千石も領していた

どういう理由で優遇されていたんだろう。

旧主家である織田家関係者とのパイプ役だったんだろうか。

126: 人間七七四年 2008/10/06(月) 23:35:57 ID:6PNF34g9
柴田勝家と諍い起こして兄の中川重政と一緒に追放されてるから、パイプ役というには微妙なような
小牧・長久手、九州征伐で軍功をあげて3万5千石まで加増されたらしいが・・・

しかしこの津田親子、揃って事件を起こしてるな
津田盛月→領地をめぐって同じ織田家の柴田勝家の代官を斬り、追放
津田信任→洛外千人斬りの犯人として逮捕、身分剥奪
津田信成→祇園で茶屋の女に酔って狼藉、改易

127: 人間七七四年 2008/10/07(火) 03:15:53 ID:z2Ima8Jz
津田信任→洛外千人斬りの犯人として逮捕、身分剥奪

これは当時としても凄いよな。

128: 人間七七四年 2008/10/08(水) 12:20:07 ID:OgTp1cZf
まさに一騎当千
戦国無双に出演決定だな

129: 人間七七四年 2008/10/08(水) 17:25:37 ID:s7gfjHrm
祖父と言われる津田信次も家臣が秀孝を誤射してるし呪われた家系だな

引用元: ・織田家のマイナーな武将を語るスレ