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1: 人間七七四年 2008/07/27(日) 08:15:28 ID:iHxv/qq6
数々の合戦で武功を立てた黒田長政 
だが武断派・武功派と言われるわりには父譲りの謀略もお手の物
それでも幼時はあの織田信長から命を狙われたエキサイティングな経験もあり
そしていつの間にか豊臣派から徳川派へ転身する読みの鋭さ
でも親父さんにはいつまでも子ども扱いされるちょっぴり無邪気なところも
しかし結局50万石以上をゲットしたのは名将の証
そんな愛すべき黒田長政を語っていくスレ
兜の角、でかすぎない?









361: 人間七七四年 2010/01/28(木) 13:20:49 ID:eXU7/8BH
細川忠興の書状見たら長政とか黒田家について悪口書きまくっててワロタw
忠興→長政に関する言葉はよく聞くけど長政→忠興はないの?

362: 人間七七四年 2010/01/28(木) 19:14:29 ID:5cwGUUlt
黒田家文書買うだけ買って全部読み切れてないけど、それらしいのは見たことないなあ。
どこかには残ってるかもしれないけど、どっちにしても細川とは頻度からして違うんじゃないか。
まあ細川みたいに細かい内容の書状が大量に残ってる方が珍しいし。
当時から無視してたわけじゃないだろうけど。

367: 人間七七四年 2010/01/29(金) 19:29:07 ID:0M21OBP4
>>362
もしかしたら秀吉から貰った書状を半兵衛が官兵衛の目の前で燃やしてしまった経験から、官兵衛&長政は重要度の低い書状は破棄する様にしていたのかもな
368: 人間七七四年 2010/01/28(木) 
>>367
黒田騒動のどさくさに処分したんでないか?
それにしても、長政の子らは揃って悲惨やね兄弟喧嘩やらお家騒動やら発狂した旦那に斬殺やら
369: 人間七七四年 2010/01/29(金) 22:23:45 ID:RVvHOFDa
>>368
あれだけあって黒田家が存続したのが奇跡だなw

371: 人間七七四年 2010/01/29(金) 23:37:39 ID:0M21OBP4
>>369
>あれだけあって黒田家が存続したのが奇跡だなw

これも憶測だが長政は関ヶ原の合戦前に西軍の調略等で東軍勝利に貢献した様に関ヶ原の後は黒田家存続の為の政治工作を行い続け、あちらこちらに根回ししていたのかも知れん
そうでなけりゃ忠之みたいな出来の悪い二代目に幕府が52万石の存続許すとは思えん

372: 人間七七四年 2010/01/30(土) 00:08:39 ID:45OIWUmX
黒田家が取りつぶしに合わなかったのは加藤さんちの忠広くんのおかげじゃね?
1632年に加藤家改易になってから、そのあとにどの家入れるかそうとう苦慮したみたいだし、そこに細川さん突っ込んだから、黒田家の後釜になるような家もないし、西国大名は島津毛利の押さえみたいな立場も強いから、あんまり大藩組み替えるのも大変なのではないかと

もちろん長政が必死で幕府に媚びたおかげもあるだろうけど

379: 人間七七四年 2010/02/27(土) 07:19:40 ID:6h8a+cnx
子どものころから官兵衛が好きで好きでしかたなかったんだけど、最近は長政のちょっとグレたきかんきな二代目、という味わいが好きだ。
長政かわいいよ長政。

380: 人間七七四年 2010/02/27(土) 14:54:55 ID:IswdsnmS
グレてきかんきなのはむしろ忠之じゃね

382: 人間七七四年 2010/03/04(木) 21:43:05 ID:nraPm6Yn
>>380
あれはちょっとおかしい
3代目がやばいとその家は危ないというがよく持ちこたえたよ黒田家

381: 人間七七四年 2010/02/28(日) 01:04:07 ID:YrRd+CxW
むしろ物分かりの良すぎる優等生な二代目、の部類じゃね?
親父に「お前の生き方は手堅すぎてつまらん」的なことを言われるほどに
まあ、あんな父親を持ったら、堅実に生きたくなるわな
そして堅実な父親を見て、息子が弾けてしまったのか
長政みたいに弾ける機会(戦場)がなかったのが悪かったのか

382: 人間七七四年 2010/03/04(木) 21:43:05 ID:nraPm6Yn
>>381
長政はまだいわゆる戦国の真ん中を青年期で生きてきたし戦歴も決して悪くはないからおとなしい優等生でもないようには思える
とにかく親父がひねりすぎた人格だから

384: 人間七七四年 2010/03/05(金) 23:17:07 ID:fo4GrDiC
長政を良く知らない頃は、又兵衛について何もそこまでしなくてもと思いあまり好きじゃなかったが、今は長政の方が好きになっている不思議

何か放っておけない気にさせられる…

386: 人間七七四年 2010/03/05(金) 23:58:26 ID:lYOUvnMn
又兵衛の言動を知ると長政の行為も納得出来るものがある

387: 人間七七四年 2010/03/06(土) 00:01:43 ID:t/GeMoFA
でも黒田武士ってみんなあんな感じの印象がある
ぶっちゃけ、又兵衛よりも太兵衛のがひどいと思う

逸話を置いとくと、又兵衛って出奔するまで特に長政に疎まれたりしてないんだよな
むしろ、信頼してた又兵衛が突然出奔して仮想的の細川さんちに行ったから、長政としては裏切られた気持ちになってブチ切れたんじゃないの?

388: 人間七七四年 2010/03/06(土) 15:26:35 ID:zbhBvpFZ
実話・逸話がよく分からない戦国の話だからなあ

391: 人間七七四年 2010/03/07(日) 22:36:05 ID:gjMhGE4X
菊池寛の「栗山大膳」なる伝記?を読んだら、大坂の陣の後にベテラン大名が東山(だったかな?)に集まって打ち上げ会みたいなことをやっている時に、藤堂高虎の言葉にごろ寝をしていた長政がキレて口論になった(その時大膳は部屋の外で殿の加勢をしようと臨戦態勢になっていた)みたいな話があったんだけど、これって菊池寛の創作なのかな?それとも出典あるのかな?

藤堂と喧嘩したことよりも、喧嘩の原因が「俺はお前らなんかよりも武功あるもんね!馬鹿にすんな!」だったことよりも、それまでごろ寝していたという部分が気になってしまったんだけどw

394: 人間七七四年 2010/03/08(月) 00:52:31 ID:9lBjimNH
>>391
他のところで見たことないから創作なんじゃない

393: 人間七七四年 2010/03/07(日) 23:58:57 ID:DpoVhBSg
長政は座敷に伏せる癖があった・・・という逸話を見たことがある。

395: 人間七七四年 2010/03/08(月) 13:03:23 ID:LbniEaFK
その件なら福本日南の栗山大膳にもある。
どの本だったか忘れたが出典まで書いてある本もあったんだよなあ。
福田千鶴の新撰御家騒動でも海音寺潮五郎の列藩騒動禄でもないみたいだしなんだったか。

396: 人間七七四年 2010/03/08(月) 13:25:11 ID:zNnUFt3z
だとしたら、黒田家側の資料じゃなくて、大膳に関する資料なのかな
まさか藤堂の資料にあるとも思えんし
しかし、初老の大大名がゴロゴロしながら反省会ってどんな集まりだw

397: 395 2010/03/09(火) 22:54:07 ID:DSjopn3i
栗山大膳関連かと思って見当違いなとこ探してた
出典は黒田年譜巻之十四だ
幕藩体制の新研究って本に引用されて載ってたんだった
「枕を高うして酒宴」「各人は枕を投げだして」とあるんだが、当時の人はもしかして枕持ち込んでごろごろしながら酒を飲んでいたのかね?

しかし長政の切れるところはいつもながらわからんな…
大坂落城後に、藤堂高虎が「今度の戦は特別変わった事はなかった」って言ったらしい。
ものの本によると、これは「楽勝でしたw」という武功自慢ともとれるらしい。
だからってそこでなんで

「俺の武功馬鹿にしてんのか、今回は上からの命令で活躍できなかっただけなんだよ!自分はちょっと働いたからって、俺に聞こえる所で変わった事なかったとか言いすぎだろ!なんとか言ってみろよ!」

って怒るんだよ。
「俺が思う存分戦えてたら、目を驚かすような大活躍を見せてやれたんだよ畜生」ってことか。
だからって刃物まで持ち出して言う事なのか。
なんかずれてんだよな…もしかしてこいつ酒乱じゃねーの。

398: 人間七七四年 2010/03/09(火) 23:14:15 ID:DSjopn3i
だめだやっぱり意味わからん。教えてエロイ人

藤堂「されバ、いつれも聞給へ、此度の一戦に付てもつらつら武勇の事を考ふるに、世間にさして
勝れてかはりたる事もなきものなり」
(これを長政は「皆さんあまり目覚ましい御活躍はされませんでしたねwwwww」と解釈したのか)

「①これ佐渡殿、②我らは幼少の時より秀吉公に従ふて、中国・西国所々の戦場にて自身手を砕き、力を尽し、殊に朝鮮に在陣する事前後七年、いつも江南人と出合、身命を捨て相戦ひ、忠勇を秀吉公に尽し、関ケ原にても又戦勇をあらハす事、各しり給へる所なれハ今くわしくいふに及はす、③如此にしてさへ我武功を尽すに足れりとおもハす、④此度大坂にて手をふさがさる事ハ、公方の御下知ゆへなれハ力及ハす、⑤然るに貴殿、今度の戦に手を合せしとて、此長政か聞く所にて世間に替りたる事なしとハ何事そ、是はなハだ過言也、いまたいふことあらハいはれよ」
(①てめえ藤堂
②(延々と自慢話)
③俺はもっとできる子
④今回できなかったのは秀忠のせい
⑤自慢か死ね
⑥文句あるならやってやんぞコラ)

…でおk?
この後周囲が止めたのと、高虎が反駁しなかったせいで場はおさまったそうだ。
スルーって大事だな。

411: 人間七七四年 2010/03/14(日) 03:46:02 ID:zDqCbpdJ
>>398
もう50近い、いい年したおっさんが言ったかと思うとなんだかなw
まあそんな長政が好きだ。

425: 人間七七四年 2010/03/26(金) 00:15:31 ID:hWOV42Rw
>>398
本当にどうでもいいことなんだけど、大坂の陣の頃には藤堂さんは和泉守だよね
長政は酔ってたから、昔のくせで「佐渡」と呼んでたのかな

399: 人間七七四年 2010/03/10(水) 00:00:04 ID:tHvxhahQ
酔っ払っている人間の言動を真に受けていいのか迷うな
長政だから素面でもこういうこと言いそうだしw

401: 人間七七四年 2010/03/10(水) 13:12:22 ID:T5oDn4si
活躍できなかったことへの幕府への言い訳とかではないんだな、秀忠のせいにしてるなら・・・
同格の人間との競争心がとてもつよかったのかな
上下とは円満だったり寛容なのに他の諸侯とはギスギスした逸話が多いよね

403: 人間七七四年 2010/03/10(水) 18:53:39 ID:nZyQY+pT
藤堂高虎は隣国の細川忠興と仲良かったそうだから
その点でも反りが合わなかったんだろうな

406: 人間七七四年 2010/03/12(金) 23:27:30 ID:+OqLWNyH
>>403
藤堂の天敵の地味加藤さんとは仲がいいイメージがある
と思ったら、地味加藤さんのバカ息子の嫁と長政の後妻が姉妹だね

405: 人間七七四年 2010/03/12(金) 23:09:55 ID:+OqLWNyH
長政のキレどころはわかりやすいと思う

410: 人間七七四年 2010/03/13(土) 01:02:54 ID:ms21nn16
>>405
武功を疑われたと思ったら速効切れるのはわかるんだけど、なんか「それ相手はそういう意図じゃなくね?」ってとこで深読みして勝手に切れてる気がする

412: 人間七七四年 2010/03/14(日) 10:10:18 ID:8iV1vwF+
長政もあんな絵を描かせるくらいに十数年ぶりの大戦に張り切ってたのに(又兵衛のこともあるし)殆ど出番なしで不貞腐れて飲んでたんじゃないの?
藤堂は外様のくせに先鋒で暴れまくったからうらやましかったんだろう

419: 人間七七四年 2010/03/18(木) 23:38:24 ID:szcPMhGI
なんで黒田家は家族みんな宗教バラバラなんだろう?
長政が臨済宗で、息子は真言宗で、嫁が浄土宗で、親父は……キリスト教だよね?

420: 人間七七四年 2010/03/19(金) 00:50:15 ID:x44AW29m
官兵衛もキリスト教棄教後は臨済宗
つーか、長政は官兵衛がキリスト教に入信したから長政も入信したし、官兵衛がキリスト教棄教したから長政もそれに従って棄教した
あれでも長政は親には結構従順なところがあるからね

しかし当時の戦国武将は禅宗の影響で曹洞宗や臨済宗が多いな

421: 人間七七四年 2010/03/19(金) 01:27:28 ID:/HO4OA+V
官兵衛は実は棄教してなかったという説もあるね
長政はあっさり棄教してそうだけど

429: 人間七七四年 2010/04/14(水) 03:34:30 ID:G8KKEmZR
>>420 >>421
まあ、キリシタンの偽棄教は全然、普通の話しで多くの武将がやってる。
黒田の親父も息子も表向きはともかく本当に棄教してるかは本人にしかわからん。

430: 人間七七四年 2010/04/14(水) 03:39:01 ID:G8KKEmZR
あと「したたかで現実的な黒田親子だからキリシタン入信に熱意はなかったろう」
という考え方もあくまで現代人としての発想にすぎない。
彼らなりに策謀や戦や殺害行為に罪の意識があり、なんらかの救いを求めていたのかもしれないしな。

431: 人間七七四年 2010/04/15(木) 17:47:19 ID:OQf4HjbQ
孝高も長政も、キリスト教に対してもえらい理性的だなと感じる事はあるけど、それと信仰は別だよね。
孝高は確か、キリスト教式で葬式出したって記録が残ってるんじゃなかったっけ?
そもそも表向きにでも棄教してたんだろうか。
少なくともフロイスの記録によると秀吉時代の禁教令下では、孝高は秀吉に面と向かって棄教を断ったようだし、長政も自分はキリスト教徒だと公言してたらしいが。
一般に、既にこの頃から親子そろって棄教してたみたいな扱いをされることが多い気がするけど、どうなんだろ。

432: 人間七七四年 2010/04/15(木) 22:35:48 ID:XrCeyaAc
ガラシャの葬式もキリスト教形式じゃなかったっけ。
禁制とはいっても当時はまだ緩かったんだろうね。

433: 人間七七四年 2010/04/16(金) 19:10:04 ID:DhBqHFJt
ひょっとすると黒田親子が秀吉から離れたのはキリシタン信仰を反対されたせいかもな。
とはいえ家康も負けず劣らずキリシタン反対なんだが、その時点ではよくわかってなかったんだろうね。
そして、秀吉が熱心に禁じた筈のキリシタンの将士が関が原で西軍として奮戦したり、大阪の陣の頃は豊臣領だけが全国で唯一キリシタンが大手をふって歩ける土地だったり、なんかこの辺のキリシタンに対する対応が虚虚実実すぎて皮肉すぎるんだよね。

434: 人間七七四年 2010/04/17(土) 03:06:34 ID:jAQqKvi+
まぁ当時の大部分は仏教の宗派代え程度な認識だったんじゃないかな

435: 人間七七四年 2010/04/20(火) 13:08:58 ID:gE+QWWAj
如水、又兵衛関連のエピソードのせいでどうも小者っぽく感じてしまう。

437: 人間七七四年 2010/04/21(水) 17:36:19 ID:+UIRTXjW
性格が小物っぽいのにやったことは大物なとこがおもしろくていい派

438: 人間七七四年 2010/04/22(木) 01:28:39 ID:bBc9ylEd
孝高→長政という順でなければ、黒田家は生き残ってなかったろうね

442: 人間七七四年 2010/05/22(土) 21:05:12 ID:KN0KUpoT
面白みのなさもまた長政の魅力。
父も息子も変に突出してるんだから、長政くらい堅実でなければ家が続かん。

449: 人間七七四年 2010/05/27(木) 20:22:13 ID:Np6hg1Uz
周りが濃すぎるだけで同世代では結構濃いキャラクターなのにな

498: 人間七七四年 2011/02/02(水) 22:30:28 ID:5G9bvvi+
長政ってなんで大坂の陣で江戸に留め置き?
別に積極的な豊臣派じゃないよな?
豊臣に高く自分を売る為にいきなり裏切って、豊臣方に付くとでも思われたのか?

500: 人間七七四年 2011/02/06(日) 10:36:58 ID:sAthUin9
>>498
①大身の突撃大名とかぶっちゃけいても邪魔
②市松のおもり役
③積極的な豊臣派でもないが、実は積極的な徳川派でもなかったから

501: 人間七七四年 2011/02/09(水) 01:43:20 ID:lJOQV4oZ
秀吉が孝高を使いながらも地味に敬遠してたのと同じで、家康は長政を使いながらも地味に敬遠したんじゃない
長政が武力一辺倒の武将なら大坂に呼んだかもしれんけど、実はそうではなかったのが奇しくも関が原で判明してしまったわけで

502: 人間七七四年 2011/02/09(水) 02:07:45 ID:g9GrCuGQ
関ヶ原で十分な恩賞与えてるからこれ以上はあかんちゅううこっちゃないかね

503: 人間七七四年 2011/02/09(水) 19:14:11 ID:PPxZACrR
本人は報奨無くても出たかったのに、家康が押しとどめたってことなんじゃない?
あの時代になったらさすがに与えられる土地は豊臣直轄領だけ?
それもどれぐらいになってたんだろうか

504: 人間七七四年 2011/02/09(水) 20:41:16 ID:MwmdjJ/x
西国大名は基本的に危険者リストに入ってるってことだろ。
所詮は家康視点からだと黒田長政もうまく利用したやつらに過ぎない。
特に家康が信頼してるヤツは東堂高虎みたいに大坂城より東に転封してるんじゃないかな。

506: 人間七七四年 2011/02/10(木) 10:55:15 ID:IEowBefk
結局、黒田は大大名になっているからなあ。
身内を嫁に出しているし黒田騒動のときも改易なしだったし。

508: 人間七七四年 2011/02/10(木) 18:59:29 ID:3atYNK1M
まあ、江戸にいる大名がすべて反徳川的に考えられていたわけではないだろうね
だって、本当に危険人物ばかり集めていたとしたらそれはそれで危険

引用元: ・黒田長政だ!