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1: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/11(水) 21:30:18 ID:Qa1PhptU
好き?








609: 人間七七四年 2008/02/03(日) 00:23:58 ID:XiUudwQh
ガラシャが洗礼受けさせたのは興秋 OR 忠利?
これは忠興には内緒で小倉行ってからも知らなかったこと?

610: 人間七七四年 2008/02/28(木) 06:19:25 ID:n29tvl6o
忠利は、幼児洗礼を受けジョアンという洗礼名を持っています。
結果的には興秋も受けてるようですが、洗礼名は不明です…。

忠興は、ガラシャの死後、キリスト教の洗礼を受けた生母である麝香の方(沼田氏)の信仰を黙認しています。
もしかしたら、小倉時代も息子たちが幼児洗礼を受けていたことを黙認していたのではないでしょうか?
幼児洗礼は、親が受けさせるもので、自らの意志での洗礼とは違うので改宗は可能です。
忠利は、後に仏教に帰依しています。

611: 人間七七四年 2008/03/01(土) 01:29:16 ID:LEk4cK7s
>>610
鼻を削いだ話ばかりが有名になってる印象はあるが、後年忠興はガラシャの信仰を認めているからね。
そのセンは十分ありえると思うけど

612: 人間七七四年 2008/03/01(土) 19:31:16 ID:FeDRfDms
1603年のイエズス会年報によると、長と多羅について
「母(ガラシャ)が生きている間に密かに洗礼を授け、今まで父(忠興)が屋敷を出ることを許さないので神父と話したことはないが、信者である侍女を介して神父と連絡や相談しており、その父は彼女達が信者であることを承知しているが、知らないふりをしている。」
とある

613: 人間七七四年 2008/03/05(水) 23:36:45 ID:7rDeU2b6
結局、娘たちもガラシャ同様、外出禁止状態にしてたわけだ。

618: 人間七七四年 2008/06/14(土) 09:14:23 ID:prgIkjF+
ずっと忠興がガラシャを隠してたのって、秀吉みたいに他人の嫁に手を出すヤツが普通にゴロゴロしてたから?

619: 人間七七四年 2008/06/14(土) 17:18:17 ID:Kx5iihOo
つか秀吉本人に手を出されるのを恐れて、じゃなかったな(ソースは失念)

617: 人間七七四年 2008/05/18(日) 18:28:56 ID:E8BQj1Rd
「なびくなよ~」と「なびくまじ」の歌って、「醒睡笑」にそのまんまの歌が載ってるトコみるとやはり伝承のたぐいか。

なびくなよ 我が姫垣の 女郎花 男山より 風は吹くとも

なびくまじ 我がませ垣の 女郎花 男山より 風は吹くとも


626: 人間七七四年 2008/06/20(金) 13:41:05 ID:TOpdF/Z1
>>617
『なびくなよ~』ではガラシャは女郎花(おみなえし)に例えられてたな。
女郎てwww
忠興との夜の生活を妄想しかけたよ。

629: 人間七七四年 2008/06/24(火) 22:49:17 ID:E93JgY+H
>>626 
子ども5人もいるんだから相性はよかったんだろうね
ところでガラシャは右近と実際会ったことあるんだろうか?

630: 人間七七四年 2008/06/30(月) 11:46:24 ID:njz8smjF
さて、どうだろうね合わせてないんじゃない?
細川幽斎という本でちらりと読んだけど、忠興という人は、珠子に雄猫が近づくことすら嫌がるくらい嫉妬深い性格だったようで、珠子を自分以外の男に見せないために、部屋にいる位置から立つ位置、襖のあける位置まで徹底して決めていたらしいよ。

621: 人間七七四年 2008/06/18(水) 02:41:52 ID:kkoRRsJt
全然関係無いけど興秋は生きてたの?
つーか細川家って隠し事多くね?
細川 興秋(ほそかわ おきあき)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。細川忠興の次男。

慶長10年(1605年)、それまで徳川氏の江戸人質を勤めていた弟忠利が嫡子となることが決まり、その身代わりとして、人質となるために江戸に向かう途中で細川家から出奔、京都建仁寺に入って剃髪してしまった。その後は京で独自の領地を持っていた祖父の幽斎を頼って暮らした。

慶長19年(1614年)からの大坂の陣で豊臣氏に味方し大坂城に入城、道明寺の戦い、天王寺・岡山の戦いなど奮戦し評判になったが、豊臣方は敗北したため戦場を離脱し、細川家家老松井氏の菩提寺、伏見の稲荷山東林院(現在場所は不明)に匿われる。忠興は助命を許さず、6月6日、東林院で切腹した。

622: 人間七七四年 2008/06/19(木) 19:48:22 ID:uP7HTtoA
>>621
実は生き延びて天草地方に逃れて代々庄屋をやってたとかで系図や墓が残ってるそうな。護煕パパの護貞氏が調査したそうだが、結局よくわからなかったとか・・・。
ただ忠興は忠利よりも興秋のこと気に入ってたみたいで秘蔵の名刀与えてたり死なせた時もかなり落ち込んでたみたいだから、遺児を引き取って育ててた可能性はあるかもね。

624: 人間七七四年 2008/06/19(木) 23:17:28 ID:d7uXOhWy
細川家の場合、
・逆賊明智の本妻・側室(小侍従ってたしか三斎のお手つきの払い下げのはず)が棟梁の血に食い込んでる。
・しかも清原マリア→お玉経由で、トップに近いところがキリシタンに転ぶとか、豊臣→徳川の意向によっては、難癖つけられて一家が滅びる危険を随分色々抱えてたから、あんまり細かいもん残せなかったとかなんとか。

625: 人間七七四年 2008/06/20(金) 06:12:35 ID:D2nXfhYx
>>624
ガラシャの姪も側室になってて(烏丸家嫁いだ)お万産んでる。
しかもその娘が光尚の正室になってるし・・

628: 人間七七四年 2008/06/22(日) 07:37:53 ID:bTpKTOBh
>>624>>625
忠興、明智の女好きだね。美人系の美濃明智氏が好みのタイプか?

640: 人間七七四年 2008/08/27(水) 21:02:30 ID:MDMSw1JK
玉が入信した理由は、逆臣の娘としての苦しみや忠利の病弱よりも何よりもやっぱ忠興との夫婦生活破綻が原因なわけ?

642: 人間七七四年 2008/08/27(水) 21:20:30 ID:MDMSw1JK
四女の万と五男の立孝だけはかわいがってたみたいだが、ガラシャの子どもたちには冷たいよね。

643: 人間七七四年 2008/08/27(水) 22:58:07 ID:CktSc7oA
>>642
忠利については、かなり口うるさく書状にあれやこれや書きまくっているが、忠利が危篤になったときの書状は、やはりこの人も人の親だなあと思うが。
いかに戦国武将とはいえ、子供には一定の親心をもっているもんだと思うが。
まあ、それをこえたところでの処断を下すときもあるんだけどね

648: 人間七七四年 2008/09/12(金) 12:03:03 ID:mH4Bd87F
ガラシャって25歳で子供は産み終えてる?
愛されてたのかどうなのか よくわかんないよね
知りたいなとは思う
万は側室が産んだみたいだし・・ガラシャがまだ生きてる時に生まれてるみたいだし

744: 人間七七四年 2009/07/23(木) 23:00:45 ID:tAL/B6IO
>>648
多羅を身籠った時が、伴天連追放令出した年だから、忠興のDQNなふるまい(侍女の耳削ぎとか)に嫌悪感が増し、忠興と同衾するの拒否するようになったからでないの?
それで忠興が妾を蓄え始めて側室5人になったのでは?
確か「離婚したい」と言い出したのもその時期だし・・・。

651: 人間七七四年 2008/09/12(金) 21:33:10 ID:Ys5BWJq6
現在でも、2人目が生まれずに不妊治療してる女性がいるのと同じで、いつ頃からか妊娠しにくい体になった、という事情もありうる。

652: 人間七七四年 2008/09/12(金) 23:12:20 ID:mH4Bd87F
やっぱり精神的に辛いものがものがあって子供ができにくくなったのかな

653: 人間七七四年 2008/09/13(土) 05:36:48 ID:RRly5gVT
当時って「27でお褥すべり」じゃなかったっけ?

654: 人間七七四年 2008/09/13(土) 10:14:02 ID:A17mzJIA
おしとねすべりって 江戸時代じゃなかった?
この頃もあったのかなぁ

忠興のお父さんは側室がいなかったらしくて、お母さんは40過ぎても忠興の弟だか妹を産んでると何かで見たよ

655: 人間七七四年 2008/09/13(土) 11:17:55 ID:NX33ZP9z
おしとねすべりは江戸時代になってからの習慣ですね(しかも高級武家限定)

659: 人間七七四年 2008/09/14(日) 09:56:29 ID:V5/N0gys
光秀も奥方が生きてる間は側室おかなかったみたいだし幽斎夫婦もそうだから、自分が三土野で泣いてる時に側室作って楽しんでたっていうのはショックだっただろうね

669: 人間七七四年 2008/09/14(日) 20:53:17 ID:WYY6ZUH/
>>659
明智家からついてきた小侍従って光秀の側室の子じゃなかったっけ?
それからお藤が側室になったのは本能寺以前から。

670: 人間七七四年 2008/09/14(日) 21:24:06 ID:Zupeg4cu
>>669
小侍従の子孫の家伝では、光秀が側室に産ませた子、ということになってます。
よく似てるので、忠興の側室も勤めたり、秀吉に呼び出された際に代わりに行ったりとかしてたから、血のつながりあるんじゃないかと。

671: 人間七七四年 2008/09/14(日) 23:19:21 ID:V5/N0gys
>669さん
そうだったんですか 前の奥さんの子って思ってました
お藤の子の生まれた年をみると結婚する前からかもしれないというのを見た事があったけど やっぱり・・・
小説みたいに愛されて愛されて・・っていうのとはちがうんですかね
なんか寂しいけど

673: 人間七七四年 2008/09/19(金) 04:29:07 ID:OhuNCoFY
>>671
熊本にある松本家の墓所には光秀五女と書いてあるらしい

674: 人間七七四年 2008/09/20(土) 01:44:51 ID:Ft5zMPo/
>>673
よくそこまで知ってますなあ……。
確かにそう伝わってます。
ガラシャからの書状も多く残っていたので、やっぱり(腹違いの)姉妹だったのではないかと思いますが、今となっては確かなことはなんとも。

685: 人間七七四年 2009/01/04(日) 00:40:15 ID:ujGpVxU/
幽斎は、珠のこと「一入最愛の嫁」と気に入ってたそうだが、随分意味深な言葉だね。

686: 人間七七四年 2009/01/05(月) 09:51:26 ID:Yi7374Wo
そのわりには 関ヶ原の時助けようともしなかったね
キリシタンやっててその頃にはウザく感じてたのかな

687: 人間七七四年 2009/01/05(月) 16:16:44 ID:9mxzZfPm
本能寺の時は若くて綺麗だったしね(実年齢19)

688: 人間七七四年 2009/01/05(月) 20:46:15 ID:DpZvdvb8
光秀の娘だから知性もあったんじゃない?
生活は貧しくとも、教養人の家庭で育ってるから、文化人の舅から評価される何かがあったんだと思う。

690: 人間七七四年 2009/01/06(火) 00:42:50 ID:CTpbWpSs
>>68
「この忠興の室は容貌麗しく、歌を詠み琴の腕前も優れていた。舅の藤孝は同じ風雅の道を好むものとしてこの嫁に愛情を寄せていた」
とあるよ。

698: 人間七七四年 2009/01/25(日) 20:03:22 ID:l7CSKPHY
>>690
変のあった後も斬らなかった事が証明してるよな
後の事を考えるなら、確実に斬る場面なのに

691: 人間七七四年 2009/01/06(火) 01:53:24 ID:/l4yQDO6
藤孝と忠興が仲悪くなるわけだ・・・

692: 人間七七四年 2009/01/08(木) 00:02:30 ID:OCo53Mh1
時々、幽斎は珠に「源氏物語」とかの講義してたらしいが・・・

695: 人間七七四年 2009/01/11(日) 11:33:22 ID:FwDAlKBr
忠興は幽斎とは不仲で若い頃は和歌とか風流事は馬鹿にしてたから二人がそんな風にしてるのは不愉快だっただろうしね。

引用元: ・細川ガラシャ