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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/16(木) 23:50:18 ID:Sjx15uCr0
劉備の息子達のネタならなんでも・・・
孫もOK!

5: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/17(金) 00:06:17 ID:SrOmvqvq0
オレ、昨日、チラシを捨てたら、落ちましたよって、親切な人が拾ってくれたんだよ
まさか、捨てたと言えないから、礼を言ったけど

劉備はそんな心境だったのか

6: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/17(金) 00:06:53 ID:Qhi3lh660
まあ、基本的には子供に冷たい父親だからね。
劉封も別の意味で処分されたと聞くし・・・

・・・とレスしてみる。

7: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/17(金) 00:07:37 ID:w7XPfArC0
劉邦も子供を捨てようとしてなかったっけ?
劉備って劉邦を真似るように意識していたのかな?

8: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/17(金) 00:09:54 ID:Qhi3lh660
多分、劉邦の遺伝子と思われ・・・

9: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/17(金) 00:23:10 ID:QztdyMPq0
んじゃ光武帝はどうなるのよ?と
劉備は確実に劉邦を意識してたんだろう
曹操が光武帝を意識してたようにね

208: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/12(火) 09:32:50 ID:b74erQtu0
劉封を処断しなければ・・・・

212: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/23(土) 00:58:54 ID:K3biwmSG0
劉封の処刑は計画通りだろ。
養子を取ってから実子が生まれたんでやっかいになったんだよ。

216: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/25(月) 11:27:15 ID:CMLy03cq0
>>212
実子がいるのに養子を取ったんだろ

221: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/26(火) 21:58:21 ID:P2eNqHqZ0
>>216
それ演技の脚色だから。
実際は劉禅誕生の207年より前の髀肉の嘆をかこってた時に劉備に跡継ぎがいないんで養子を迎えたというのが有力な説。
ちなみに当時の劉備は40を過ぎてた。

214: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/23(土) 19:24:27 ID:i2XLxcto0
劉封の子、劉林視点の三国志も見てみたいな。

215: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/24(日) 00:00:16 ID:K8VS7CkJ0
劉林は生き残れたのか

217: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/25(月) 19:34:05 ID:t+rJk4710
>>215
蜀滅亡後に河東に移されてるよ。

218: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/26(火) 10:40:10 ID:SCLUq7dH0
蜀滅亡まで生きてたのか 

219: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/26(火) 11:54:59 ID:XeHZN7k/0
劉備の場合何でか一族郎党が少なかったから、養子とってでも増やしたかったってとこかと
近世以降みたく概念的な忠義が今一つ信用できない時代のことだし、やっぱり血縁がいちばん信用できたわけで、赤の他人では重要な役目を任せることが難しかったんじゃないでしょうか

曹操なんざ曹一族に加えて夏侯一族がいたし、孫一族は地元豪族みたいなもんだからそうした血族に不足無かったけど、劉備の場合兄弟とか従兄弟がほとんどいないか、出てこない

224: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/30(土) 23:53:26 ID:6j9Zt43F0
劉備と呉夫人の間に子供が出来てたら面白かったのにな
ひょっとしたら、歴史が変わってた可能性もあるだろ

225: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/02(月) 12:03:55 ID:oAiqBYUh0
劉備と呉夫人(呉懿の妹)との間に生まれたのが劉永、劉理じゃなかったか?
それとも>224の言う呉夫人って孫権の妹の方?

227: 224 2007/07/02(月) 19:29:10 ID:jGOdj6vb0
>>225
孫権の妹の方
弓腰姫とか言われてた人

226: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/02(月) 12:14:49 ID:MGLLn9BvO
>>225
理、永の母は不明
呉氏ではないよ

232: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/22(日) 15:05:56 ID:3aSmKNjS0
劉禅って家臣のいう事にNOと言えない人だよね。

唯一、自ら決断した事である後宮拡大も、董允が゙反対したらすぐ諦めてるし。

233: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/23(月) 13:08:33 ID:2lz1pqhx0
>>232
諸葛亮が病没した時のこと。
李邈は喪に服している劉禅に対して上表し祝賀を述べた。
曰く、「軍権を握り強大な権勢をふるう家臣の存在は国家の害悪であり、今、諸葛亮が死んだことは国家にとって幸いである」と。
劉禅は立腹し李邈を獄に下して処刑した。

一見、黄皓らの言に乗って姜維を降格するようなことをしなかった件などから、劉禅は家臣に対して厳しい態度は取らなかったように思えるが実はそうでもない。
もっとも姜維の件は下手に刺激すればどうするかわからんという恐れもあったのかもしれないけどね。
それはともかく、劉禅には上で上げたような面もあるし、若い頃はそれなりに皇帝の気概を持っていたと言っていいと思うよ。
ただ後年は……

234: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/23(月) 15:25:22 ID:p5QVwxI40
>>233
諸葛亮が蒋エンに「陛下は善悪の判断が出来ない。君が良く補佐するように」という文面の手紙を出してるからなぁ。
蒋エンならずとも、董允、費イの入れ知恵なんじゃないかと思ってしまう。

235: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/23(月) 22:10:12 ID:2lz1pqhx0
>>234
諸葛亮没後も政治の中枢を担ったのは諸葛亮系列の人材だしなあ。
そういう面もないとは言い切れないね。

諸葛亮直系と言っていい董允が死に費禕や姜維は外地に。
そういった中でお傍に仕えるのは諸葛亮系列ではあるものの諸葛亮直系とは言いがたい劉禅お気に入りの陳祗。
そしてその陳祗は黄皓と意を通じて劉禅を甘やかす。
人の好さはあるもののダメさが目立ってくる劉禅……

236: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/24(火) 03:16:26 ID:iin73k4r0
>>235
人を疑い自らの意思を貫く心が決定的に欠けてたんじゃないかと思うんだよね。

・李平(李厳)の謀略による上表を信用して、諸葛亮を召還。
後に諸葛亮が連名で李平を弾劾すると、言われるがままに今度は李平を追放。

→容疑者にされた諸葛亮が少し調べると、李平の裏工作は明らかとなった。
また、一度聞き入れた上奏とは正反対の上奏を何の臆面も無く受け入れている。
どうも劉禅は上奏には真実が書いてあると思い込んでいるのではなかろうか。と思える
しかも、上奏の結果を信用する事で何が起こるかを理解していない。
その上、この事で学ぶことなく、後年は黄皓に騙されている。

・性欲が強く後宮を作ろうとしたが、董允に反対されると即座に諦めた。

→部下に反対されるとNOと言えない。更に、その場では流した事を後になって恨む事がある

・黄皓に、かつて信頼した董允の悪口を吹き込まれると、信用してしまう。

 →黄皓によって被害者意識を刺激されると、董允の事を恨み、董允の禁止していた事を行うようになる

・陳祗に忠候の諡号を贈る。

→陳祗は能力や働きぶりはどうあれ、後主には阿諛追従し諫言したことは無い。

・陳祗、黄皓らが言うままに姜維を召還しようとしている

→まるで成長していない。

238: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/14(火) 17:28:52 ID:YHvL858O0
>>233
まぁ初期は本物の名君なのに治世長いと(ryって例も結構あるし
そこそこの気概がある程度だとどうしてもね。

長い治世を上手くやるために必要な厳しく自己を律する才能はどう見てもない人だし。

239: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/21(火) 06:12:46 ID:8oMSJP980
白糸のごとき…と陳寿も語っているとおり、自我を強く持っていたとは思えない人だよね。

240: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/10(月) 23:36:50 ID:xwpLA6BG0
仮に劉備が天下を統一していた場合、太平の世を無難に治めたんだろうか劉禅

241: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/11(火) 01:48:33 ID:TqI4HdEd0
部下の能力に因るとしか言えんかと。
腹黒いのが部下にいたらあっさりと権限奪われて次代で簒奪されそうw

242: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/11(火) 02:38:07 ID:/cXO3aRP0
のわりには41年、反乱もなくみだらに処刑もせず、無難に収めていたわけで
まあ、実権がほとんどなかったような気がするけどね

244: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/11(火) 20:12:27 ID:7PzFyVfS0
慣例を無視して劉諶が継げばいい
劉 諶

劉 諶(りゅう しん/りゅうじん、? - 263年)は、三国時代の蜀(蜀漢)の皇族。後主劉禅の五男。

263年、魏が蜀漢に侵攻してきた際、成都の廟堂にて劉禅が光録大夫譙周の発言を受け入れて降伏しようとすると、劉諶は徹底抗戦を主張して反対したが容れられず、宮中からしめ出されてしまった。祖父の昭烈皇帝(劉備)の廟前で、己の首を刎ねて自害した。


245: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/12(水) 02:08:31 ID:GSA+vDtR0
劉諶はあくまでほかのボンクラと比較してマシなだけであってたいした事はないと思う
国の滅亡に憂いてj指圧しただけだし

249: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/11(日) 21:55:05 ID:qzyhEHBX0
それにしても、どうして劉備の一族は、劉備に仕えなかったのだろう。
中国では、一族の出世頭に、一族がまるまるついていくのが普通なのに。
よほど一族内部での評判が悪かったのかなあ。

250: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/11(日) 23:14:13 ID:iNSMP9s10
義勇軍時代に軒並み討ち死にとか?

学問のために金を出す叔父さんとかいたみたいなのにな。

251: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/12(月) 15:18:20 ID:i+n5W31F0
何代か前の祖先がひねくれもので一族を離れて田舎暮らし
だから親戚なんて母方ぐらいしか付き合いがなかったとか
(援助してくれる叔父は母方)

253: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/13(火) 11:30:32 ID:J3+/4SVw0
援助した叔父は父方じゃろ。劉姓だし。
妻に「分家した相手にそこまでせんでええのに」とか言われてるしな。

256: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/21(水) 21:41:09 ID:A3P7LDnK0
劉備って確か娘が捕虜として魏に囚われたんだよな?
その後の娘二人どうなったんだ?
調べても全然出てこない…(;´Д`A ```

258: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/22(木) 16:57:27 ID:MnhbWCBr0
捕虜になった女性は、大抵その戦で功を遂げた人物に与えられますな。

262: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/30(金) 04:54:19 ID:+G0uwaoa0
そういえば張飛って夏侯氏の娘を山で攫って妻にしたんだったけw
その子供の姉妹が劉禅の皇后になったみたいだし、乱世の女性は紆余曲折あるなあ

昔、SWEET三国志で、ターミネータな張飛が変な印象だったけど、後宮に居る時間が長そうな劉禅が妹まで皇后に立てるとは、結構張飛は美男だったのか?

263: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/30(金) 21:16:47 ID:ccBEJOZ20
>>262
夏侯淵の姪っ子が美人だった可能性のが高いような

264: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/30(金) 23:04:10 ID:zNimt7vH0
夏候氏の娘って…一応敵側の血縁者じゃんか。
あの時代、見目さえよけりゃ奥さんに身分や出生は関係なかったってこと?

265: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/30(金) 23:12:14 ID:VsCu4dcb0
>>264
夏侯氏や曹氏の地元は豫州だから、支配者である豫州牧劉備の腹心と縁組してても別に不思議じゃない
見た目じゃなく、地元の有力者と支配者の腹心ということで縁組したんだよ

劉禅と張飛の娘も、娘が美形だったからではなく、劉備と腹心張飛の子供同士ということでのある意味政略結婚
見た目は特に考慮されなかったと思われる

269: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/05(水) 14:55:49 ID:j3DWuSPD0
一人なら判るが、姉妹そろって輿入れの理由は?

270: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/05(水) 21:52:06 ID:f41ZJXLN0
>>269
張氏からしたら、次の世代でも権勢を維持するにはなんといっても皇后や皇太子を自分の家から出したいところだ
娘が二人いるなら二人とも後宮に入れたほうがその可能性が高まるじゃないか

286: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/07(木) 22:52:40 ID:1sSZa17OO
・コウメイが活躍できたのは劉禅がコウメイを信頼していたから
・キョウイは正史だと頼りになる人物ではなかった
・降伏後の戯れ事もその時の立場を考えれば優れた対応であった
・魏に潜伏して内部から反乱しようとしていた説

ここらへんの評価から考えると、案外劉禅って愚帝じゃなかったと思うんだがどうだろうか

289: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/07(木) 23:40:12 ID:AkxeuWua0
そういえば、晋王朝では蜀出身者は軽視され冷遇されていたという話を読んだが、能天気な劉禅を諌めた郤正の逸話もそこへいきつく流れのものなんだろうな。
その後の侮辱的なエピソードも、信じるとすればそういう形で公然と笑いものにしていたのだろう。
劉禅がどこまで危機感を覚えていたか・計算していたかは解らないが。
しかし、信じるとすれば、郤正は司馬昭らに与していたことになってしまうのだが…。

304: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/06/26(金) 20:58:44 ID:BXeCC64c0
能動的に悪事をした訳では無いのに、酷い評価だよな劉禅。

309: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/09/21(月) 19:23:49 ID:RdWO9aCM0
>>304
お目付け役の董允が生きてる間は悪いこと出来なかっただけ
董允死んだら黄皓重用して政治は黄皓の言いなり
その上自分は遊覧ばっかりして宮中の女や楽団増やしまくって遊んでるんだから無能でしょ

310: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/10/20(火) 12:07:43 ID:FG55wtv50
降伏後、旧臣に恨まれても政治的野心を持たなかったというのはよほど立場を弁えているか天然かのどちらかでなければ出来ないこと。

半端に野心や責任感を持ち合わせた凡人なら旧臣の傍迷惑な忠義や蜀残党を滅ぼしたい政権側の罠に乗っちゃって、政治活動を始めて九族皆殺しの粛清されちゃうところ。

311: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/12/11(金) 13:50:31 ID:MNvSLAhf0
蜀書記述少ないもんな
劉禅の上にも兄弟いっぱいいたと思うけど全然載ってない
○○がいたけどこれこれで死んだぐらいあっていいと思うんだけど

312: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/01/30(土) 16:01:52 ID:KLLaglvD0
なお、『晋書』「李密伝」で元蜀の臣下でもある李密は、名臣を信じて成功し、奸臣を信じて失敗した事を例に出し、劉禅を「斉の桓公に次ぐ」と述べている。

これに従えば、劉禅の配下が管仲に及ばなかったか魏に管仲以上の人物がいたか蜀も魏も管仲以下のレベルで争って蜀が力負けしたかのどれかかね

諸葛亮時代は前者、姜維北伐は後者ってとこか

313: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/02/17(水) 20:27:13 ID:paFTsDmN0
>>312
それって斉の桓公を過小評価しすぎだと思う
確かに晩年はいただけないが、自分を殺そうとした管仲を許し、その男に改革を任す度量、自身で軍を率いて諸国の軍を破って行った軍事力、そのどれもが劉禅には無いものばかりだ
劉禅は桓公の足元にも及ばないだろう
自身は遊びほおけてたが名宰相晏嬰のおかげで国を保つことができた斉の景公と同等ぐらいが劉禅の評価としては妥当じゃないだろうか
晏嬰の死後、田氏を重用して国を乗っ取られるもとをつくったあたりも黄皓を重用して国を滅ぼした劉禅と似ている

314: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/02/18(木) 00:28:11 ID:urXwrEox0
黄皓の重用より姜維を放置して亡国した印象

317: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/02/21(日) 00:07:01 ID:xzl/Pvk/O
もし劉封が生きていて劉禅の変わりに君子になっていたら?

318: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/02/26(金) 17:52:08 ID:gYwp0vIa0
>>317
まず十中八九内乱が起きる。

【劉封派】
・劉備の遺命なら忠実に守る派
・劉封の経験や実力を買っている派

【劉禅派】
・「劉」の血縁こそ大義派
・幼く経験の無い劉禅の方が扱い易い、取り入り易い派

その争いに勝ったとしても、諸葛亮の派閥の中でどれだけ発言力を維持できるか。
維持できたとして、諸葛亮より良い結果が出せたかは微妙なところだろう。

諸葛亮死後に、姜維の北伐病を押しとどめつつ費イの暗殺を防ぎ、宦官の悪政をバンバン裁き、すり減った国力の回復すると同時に、最悪の外交状態を修正というスーパーアクロバッティックを成し遂げたらもっと蜀は長持ちしただろうけど。
 
劉協にもっと優秀な兄がいて、そっちが帝になってたら漢(魏)が三国を統一できたか?
っていうのとあんまり変わらないと思う。

319: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/02/27(土) 14:46:24 ID:SbgPbSUg0
>>318
劉封の年齢だと姜維北伐前に死んでるんじゃないの?
それに劉封が継いでも孔明は宰相だったろうし、北伐が親征になるくらいじゃない?

327: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/01(月) 17:25:35 ID:uIlwrc9s0
リュウゼンって、本当に劉備の子ですか?
豊臣父子のような嫌疑をあまり聞かないけど、不自然だよね。
劉備、奥さんいっぱいいるのに50くらいで第一子なんて。

329: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/02(火) 00:06:53 ID:1NfIwI/v0
>>327
小沛で高順に城落とされた時に妻子が捕まったという記述がある。
あと長坂の戦いでの逃亡中に娘が曹操軍に捕まっている。

333: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/20(土) 22:48:54 ID:hnX+OKZz0
>>327
劉禅は正室甘夫人が初めて生んだ子なので第一嫡子扱い

337: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/01/23(日) 00:23:03 ID:S6E3Aawe0
>>327
甘皇后伝に、「劉備はたびたび正室を失った」と書いてあるから、放浪している中で子供も何人か死んでるんだろう

何度も妻子が敵につかまってるし

334: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/28(日) 06:59:11 ID:SLgFAmXRO
劉備のDNAはあまり優秀じゃなかったのかな…

339: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/07/26(火) 15:36:14.25 ID:hQaXA8i30
>>334
成都という環境も悪すぎた
首都と前線とじゃ、あまりにも意識の差が違いすぎる

335: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/01(水) 22:06:20 ID:TFAdOcTi0
劉備の近い血縁を見るに劉備のほうがのんびりした一族のなかでは突然変異だったというべき
ただし劉一族は人からは好かれるようだ

336: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/03(金) 10:00:37 ID:IdWj4gxz0
劉永、劉理、劉諶は優秀

340: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/26(月) 20:39:46.18 ID:OBRA74Ev0
劉諶は自害するくらいなら魏軍相手に討ち死にするべきだった
さもなければ親父と一緒に降伏するか

341: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/27(火) 22:57:29.77 ID:WnoTeFxEO
兵をひきいた経験や実戦経験ないなら無理じゃねたとえ自分がしたくても、経験あったかどうかは無知な俺にはわからんが

343: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/05/06(月) 14:00:37.54 ID:awfLU04/0
昔からよく劉禅は叩かれるけど凡君の器はあったと思う
西晋の恵帝の方がよほど暗君

344: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/05/07(火) 00:12:39.19 ID:AauRmX6H0
蜀は劉備のカリスマ性と孔明の辣腕でなんとか保ってた国で、これを魏相手に保持するのは二代目としたらあまりに条件が悪い。
しかし、親らの遺産を食いつぶした形になったとはいえ、40年も国を保持し、しかも国を荒れさせることなく魏に降伏し、天寿を全うしたんだから、有能じゃないにしても無能でもない。
君主として中くらいのレベルを下回ることはないレベルだろ。

345: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/05/07(火) 10:13:32.59 ID:8ezoNE74O
まぁ北宋や明の安定期みたいな状況での在位なら、名君ならずともマッタリした凡君で済んだろうが、如何せん理由はどうあれ、亡国の君になってしまったからどうしても悪く言われてしまうわな。
まして後世の演義人気で更に評価は悪くなる。武侯祠の塑像すら存在を許され無いって辺りは流石に酷い気はするけど。

346: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/05/10(金) 01:24:44.07 ID:LV5dD3QY0
劉禅が優秀だとは思わないが、歴代中国皇帝の大量の有害な君主どもみてたら諸葛亮存命中は特に問題起こらなかっただけでもマシな方だと思う。

少なくとも霊廟を作るたびに人民にぶち壊されるほどひどかったとは思わん。

347: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/05/10(金) 11:18:14.63 ID:16p5exf5O
明らかに武侯祠の劉禅の塑像の破壊は明代に入って特に度々されだし、しまいには官吏までが破壊の許しを与えた事例があるので演義の影響が顕著でないかと思う。
ほぼ同時期に定軍山の諸葛亮の墓の治定(明代までに既に墓の正確な位置は分からなくなっていた)が風水師を呼んでなされ、明の地方官吏がそこに墓碑を誌しているので、これらの現象も演義の普及が民間まで及び、諸葛亮人気が高まったのが影響していると考えられる。
後に清代に入ってまた別の箇所に諸葛亮の墓があるとされたので、現在定軍山には二カ所諸葛亮の墓碑が存在する。

348: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/06/17(月) 20:36:13.04 ID:zX4eNZX60
蜀の劉禅や陳の陳叔宝は暗君と言われているけど、乱世において無事に天寿を全うしたという意味では勝ち組なのかもな。
つか劉禅は敢えて司馬昭の前で暗愚の振りをしているように思える。
逆に伏見城で家康に会った秀頼は「こいつは優秀だ」と思われてしまったがゆえに・・・

349: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/06/18(火) 12:38:53.24 ID:GRDGA+q7O
そうなると劉禅は生まれながらの皇子やら安定期の王朝の皇族程ではないが、比較的優遇された生活だったのに結構世故に長けた所があったんだな。
勿論、本人はそこまでの認識や知恵は無くても郤正辺りの入れ知恵で端から打ち合わせ通りの芝居をしただったかも知れないが。

351: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/11/23(土) 23:46:47.30 ID:YNxAV32p0
劉禅は戦国のファンタジスタと同じ扱いをされてるな

357: 名無しさん@お腹いっぱい。 2014/05/01(木) 15:09:33.06 ID:h78YQycm0
中国だと蜀漢は伝説で、後世の中央を追われた知識人、権力者の希望だからなぁ
時代を経るほど、それを「潰した」劉禅は嫌われる

即座には潰されないタイミングで建国した劉備は流石だけど、最初からカウントダウン状態でもあったのにw

358: 名無しさん@お腹いっぱい。 2014/05/01(木) 15:34:35.49 ID:1f0RgYoh0
劉禅は名君でも良君でもないけど暗君・昏君というほどでもない
けれど、なぜか中国史上最悪の昏君扱いされてるんだよなあ

酷いのになると、精神障害患ってたんだなんて訳の分からない叩きが平気でまかり通っていたりする

359: 名無しさん@お腹いっぱい。 2014/05/02(金) 06:30:45.32 ID:D4BamGPGO
だよな、むしろ劉禅から百年経たないのちの時代の南北朝のヒャッハーな皇帝や明中期にかけての皇帝に較べたら、劉禅は大人しい位。
ヒャッハーは暴君だから劉禅とはベクトル違うかもしれないが、明の暗君オンパレードの歴史を見れば
「もしかしたら劉禅よりダメだコイツ…何とかしなくちゃ」な気分になる事請け合い。

362: 名無しさん@お腹いっぱい。 2014/05/02(金) 20:55:27.27 ID:H7DXgWhf0
>>359
劉禅何気にすごくね?
平時ならまだしも乱世において曲がりなりにも在位40年だぞ
万暦帝などとは訳が違う

369: 名無しさん@お腹いっぱい。 2014/05/13(火) 00:16:07.70 ID:xi+TWa0x0
>>362
それに対する感想は天嶮の国って凄いんだなぁと

370: 名無しさん@お腹いっぱい。 2014/05/13(火) 01:03:44.59 ID:gx+9/QFI0
>>362
ぶっちゃけ諸葛亮と、諸葛亮が残した後継者の二人のおかげだよなあと思う

361: 名無しさん@お腹いっぱい。 2014/05/02(金) 16:10:36.76 ID:3VfAdWk10
劉禅はまかり間違っても名君・良君に分類はできないんだよな
晩年に黄皓の専横を許したのは否定できんし、そもそも主体的に国政を導いた訳でもないし
でも、暗君と呼べるほど何かをやらかした訳でもないし

正直、蜀漢の幕を引かなければここまで悪し様に言われなかったと思う
そう考えると、運が悪かった、というのが劉禅の評価に相応しいのかもしれん

365: 名無しさん@お腹いっぱい。 2014/05/02(金) 22:58:01.28 ID:8IyklWR20
魏が司馬氏による内乱でゴタゴタしてなかったら、蜀はもっと早く滅ぼされてただろうしねぇ。
でも劉禅って加点材料もほぼ無いけど減点材料もそんなに無いよな。黄皓問題はむしろ姜維がアカン。

395: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/10/04(木) 04:08:50.20 ID:nBjy4MZt0
魏が滅亡するところも見てるんだよな
あの時代で70歳近く生きてたんだっけ
すげぇ

;">引用元: ・【劉封】劉備の息子達【劉禅・劉永】