51NmOF0Gt4L._SL500_







812: 世界@名無史さん 2018/09/10(月) 13:49:19.03 0
アウグストゥスも病弱なのに前線指揮しまくったのは凄い
普通は後方の安全地帯に閉じこもっていそうなもんだが

820: 世界@名無史さん 2018/09/11(火) 00:01:57.58 O
>>812
彼はそれで立身できるような身分ではなかった
弱かろうがカエサルの正統な息子として振る舞い軍を手放さないことしか地位を確立する道がなかった
その涙ぐましい奮闘とティベリウスの軍事手腕で常備軍の体制が確立した後から皇帝が軍事的に素人でも給料さえちゃんと払えば軍は働くようになった
同時に無茶ぶりしてくる皇帝を始末するのも軍の特権みたいになっちゃったけど

818: 世界@名無史さん 2018/09/10(月) 18:03:05.78 0
1、2世紀の戦時における実際の部隊戦術指揮は、基本的にPrimus pilusなど百人隊長の上級層が担い手。
軍団長がド素人でも、彼らの意見をちゃんと聞き、彼らが上申する作戦を素直に承認していれば大抵は勝てる。だから1、2世紀は軍団長クラスの大半がド素人でも、ローマ軍そのものは戦争にめっぽう強かった。
ただし「軍をどこに向かわせどう戦わせるか」の戦略級決定権は軍団長以上にあり、軍団レベルの運用においてはPrimus pilus達はあくまで上申や意見する立場でしかない。
だから素人司令官がその権限を振りかざしたり、Primus pilus達の話を上手く汲み取れなかった時はローマ軍の強さを発揮させることができず大敗する。
そして逆に戦術運用にもある程度習熟している者なら、Primus pilus達の上申を的確に汲み取ることができ、戦略級の采配を駆使してローマ軍の強さをさらに引き出せる。

872: 世界@名無史さん 2018/09/13(木) 02:24:51.77 0
>>818の視点で考えるとこの時期は指揮階層の分業が明確で、システムそのものは共和政期や軍人皇帝期よりも合理的だな
ただし戦略級指揮官としても大多数が素人だったという人材面の問題を抱えてるけど

873: 世界@名無史さん 2018/09/13(木) 02:29:23.43 0
軍事面にそんなに詳しいわけじゃないがあのキケロですら小凱旋式に相当する軍事的功績を挙げてるところをみると共和政末期時点で大分分業は進んでたんじゃないか?

874: 世界@名無史さん 2018/09/13(木) 02:37:08.22 0
共和制末期は戦術レベルまで仕切れる伝統の英雄的武将と将官が素人でもお任せでやってくれる熟練の職業軍人層が並存していたグラデーション期だな

875: 世界@名無史さん 2018/09/13(木) 03:06:54.26 0
タキトゥスの「アグリコラ」読むかぎりだとアグリコラのように貪欲に軍事知識を学ぼうとする者は
1世紀当時の元老院階層の子弟としては変り種だったらしいのが興味深い
帝政移行してからの元老院階層の軍務に対する平均的認識はやはりだいぶ変わっていったんだろうな

876: 世界@名無史さん 2018/09/13(木) 03:34:51.90 0
かといって職業軍人層がある環境で力のある軍事指導者がガンガン輩出されると、それこそ共和政末期や軍人皇帝期のように政治が不安定になるから一長一短。

877: 世界@名無史さん 2018/09/13(木) 08:41:26.01 0
1、2世紀の有力軍事リーダーは例外的に少数しか現れないのにそれでも2回内戦あったから、これが共和政末期なみに多く出現してたら大変なことになってただろうな

878: 世界@名無史さん 2018/09/13(木) 09:41:10.89 0
マリウス、スッラ、ポンペイウス、カエサル
共和政後期~末期の軍事指導者
内乱に関係してるけどこの人たちは一種の安心感がある
ガチの実力者だし
帝政後期にも一人か二人いて欲しかった

880: 世界@名無史さん 2018/09/13(木) 11:06:47.51 0
・共和制後期
職業軍人階層が出現し本格的な分業化がはじまる

・共和制末期
多くの軍事指導者と充実した職業軍人階層による分業が並存

・帝政初期
正式に常備軍化・より組織化され職業軍人階層の質がさらに向上し、貴族の軍事指導者が極めて少数でも問題なくなる
必要性が薄れたことで軍事指導者の育成基盤も大幅に縮小していく
(対抗馬の出現を抑えるためという皇帝側の意図もあり?)

・軍人皇帝期
同時多発的に各地で戦闘が頻発するようになり極めて少数の貴族の軍事指導者では全く足りなくなったため叩き上げが戦略級指揮層まで昇ってくる

ざっくりとした変化はこんな感じかね

881: 世界@名無史さん 2018/09/13(木) 14:08:14.55 0
>>880
>対抗馬の出現を抑えるためという皇帝側の意図もあり?

皇帝というか、アウグストゥスの意図だったかと

・アウグストゥスにより、戦争や内乱のある(=軍隊を置く)地域は皇帝属領(+エジプト)として皇帝が管理するようになる

・属領管理の実務は皇帝に協力的な元老院議員に加え、当初皇帝の奴隷が行っていたが、ティベリウス・スクールを経て、(確か)クラウディウス帝期にエクィテスがその任に当たるようになる

・こうして生まれた「戦争実務に強いエクィテス」の典型例がウェスパシアヌス

・ただし、こうした人々は子飼いの中級指揮官に支えられているので、概ね末端の戦術にまでは通じていない

・例外的に末端戦術に通じている上級指揮官もいたが、現代的に言えばプログラミングの上手な社長みたいなもので本当に例外的

・ただそういう存在は民衆受けが良いので、パフォーマンスや伝説として語られがちではる(もちろん本当にできた可能性もある)

・軍人皇帝期については>>880さんの仰る通り

・付け加えるなら、(確か)セウェルス帝期に兵士を現地で徴募するようになったので、兵士がローマよりも地元に忠誠を誓うようになる(=現地指揮官の強大化)

 ……であるはず
 (自分より詳しい人はこのスレにはいっぱいいるはすなので、間違ってたら教えて)

883: 世界@名無史さん 2018/09/13(木) 21:18:48.42 0
Ancient Jar of Roman Gold Coins Discovered Under Italian Theater

https://gizmodo.com/ancient-jar-of-roman-gold-coins-discovered-under-italia-1828965649

885: 世界@名無史さん 2018/09/14(金) 07:47:24.65 O
>>883
5世紀か
西ローマ滅亡前後の戦乱を避けて財産を隠して逃げて戻って来られなかったか

884: 世界@名無史さん 2018/09/13(木) 23:50:34.52 O
掘れば掘っただけでてくるもんだなぁ
個人的にはアレキサンドリアの海底遺跡は探検してみたい

886: 世界@名無史さん 2018/09/14(金) 08:20:00.40 O
壺一杯の金貨となれば重量も相当。持てる分だけ持ってあとは埋めたか。
5世紀頃ならローマ人も戦乱慣れしてたろうからあちこちに分散して埋めて、どれか取られても他は無事にと策を講じたうちの未回収分か。
埋めた場所がゴート人の駐屯所にされて近寄れなかったとか。

887: 世界@名無史さん 2018/09/15(土) 21:00:54.42 0
戦乱時に金貨って使い物になるんだろうか

888: 世界@名無史さん 2018/09/15(土) 21:17:32.08 0
紙幣と違って紙屑にはならないから。歴史上迫害されてきたユダヤ人はお金を金歯などにして身につけたと言われてる。身一つで逃げても最低限度の財産は残るように。

893: 世界@名無史さん 2018/09/16(日) 09:01:28.57 O
西ローマ終末期にも壺一杯の金貨を埋める金持ちがいたんだな
そういう連中もユスティニアヌスの再征服で絶滅したのかな

894: 世界@名無史さん 2018/09/16(日) 13:38:19.75 0
貧乏になっても国全体みんなで貧乏になるというより、富の寡占化が起こる感じするが
末期には土地持ちになって実質封建貴族みたいになってたかもしれないけど

895: 世界@名無史さん 2018/09/16(日) 14:08:15.68 0
2年前だっけ? 沖縄で古代ローマの金貨が発掘されたのはロマンだよな~
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/63879

903: 世界@名無史さん 2018/09/16(日) 22:46:32.74 0
そういえばローマの重要都市をランクにするとどんな感じになるんだろ?
地中海統一~西ローマ崩壊までの各地の拠点都市ならローマ、アレクサンドリア、ビザンチウム、カルタゴが別格ってイメージがあるんだが

916: 世界@名無史さん 2018/09/17(月) 15:34:50.70 0
>>907
ビザンチウムは遷都以前は大都市ではなかった
パルミラのように交易で大都市に成長していなかった

918: 世界@名無史さん 2018/09/17(月) 15:39:21.59 0
>>903
少なくともビザンティウムよりはニコメディアの方が重要
コンスタンティノープル建設の際、できあがるまで皇帝は自らの居住区としてより近いビザンティウムでなくニコメディアを選んだくらい

926: 世界@名無史さん 2018/09/18(火) 02:34:49.75 0
>>903の問いの答えは
ローマ、アレクサンドリア、アンティオキア、コンスタンティノープル
になるのかねぇ
メディオラヌムとかラヴェンナはどんな位置づけになるのだろう?

904: 世界@名無史さん 2018/09/16(日) 22:55:11.39 0
その中ではアレクサンドリアだけ光り輝いてるな

905: 世界@名無史さん 2018/09/16(日) 23:01:52.58 0
アンティオキアは古代では「別格」であり続けるイメージ

915: 世界@名無史さん 2018/09/17(月) 15:16:24.57 0
>>905
アレクサンドリアはエジプトだけの首都だけどアンティオキアはオリエント帝国の首都だった
ローマ時代もアンティオキアにいたシリア総督がローマ帝国東部の皇帝代理だった

917: 世界@名無史さん 2018/09/17(月) 15:35:45.73 0
>>915
シリア総督は率いる軍勢が大きいという優位はあるが、格はエジプト総督の方が上だぞ

909: 世界@名無史さん 2018/09/17(月) 06:42:15.22 O
やはり東に大都市が多いんだな
西のめぼしい都市ってどこだろう

910: 世界@名無史さん 2018/09/17(月) 07:53:19.26 0
ローマとカルタゴくらいか

935: 世界@名無史さん 2018/09/23(日) 16:01:28.48 O
>>910
ガリアのルグドゥヌムとかヒスパニアのカルタゴノヴァとかは田舎町レベルだったんだろか

920: 世界@名無史さん 2018/09/17(月) 16:12:33.58 0
コンスタンティノープルってビザンティウムを拡張したんだと思ってたわ

921: 世界@名無史さん 2018/09/17(月) 16:27:14.75 0
どちらかというと、コンスタンティノープルという大都市の一部としてビザンティオンが呑み込まれたという感じ

922: 世界@名無史さん 2018/09/17(月) 17:52:03.71 0
ギリシャの都市だと現在の首都のアテネよりもコンスタンティノープルを除外すれば、ウィキペだとテッサロニキの方が中心都市だった時代の方が長かったんだよね。

924: 世界@名無史さん 2018/09/17(月) 21:35:10.37 0
>>922
テッサロニキは大きな町ではあったけどギリシャの中心になったことは無くね?
この意味ではエディルネやミストラスよりも格下。

927: 世界@名無史さん 2018/09/18(火) 02:41:33.33 0
コンスタンティノポリス建都までビザンティオンは小さな田舎町だったというのが不思議や
どうみても超重要な位置やんか

949: 世界@名無史さん 2018/09/27(木) 01:14:19.45 0
>>927
おそらく、ビザンティオンよりニコメディアのほうが使いやすかった。この感覚は、日本人にはわかりやすいと思う。
ビザンティオンは「渡船場」にしかならない。湾奥のニコメディアのほうが使いやすい。
あと、おそらく身近な水の便が悪かったんじゃないかね。水道を引くためには大きな権力が必要。

950: 世界@名無史さん 2018/09/27(木) 11:04:43.96 O
渡河地点に都市ってよくあるよなヨーロッパじゃ
パリースィが有名だがロンディニウムもそうらしい
まあ川と海峡は違うけどね

951: 世界@名無史さん 2018/09/28(金) 04:26:53.69 0
日本も古い小都市って略々々々川沿いじゃん

952: 世界@名無史さん 2018/09/28(金) 05:39:47.10 0
だって陸路より海路のほうが輸送コスト安いし、畑に水撒けるし、井戸水深く掘らなくていいしぃー

954: 世界@名無史さん 2018/09/28(金) 09:30:05.14 0
なぜ後期ローマ帝国の歩兵は装甲をつけなくなったのか

955: 世界@名無史さん 2018/09/28(金) 15:10:05.97 0
マケドニア朝時代のローマ兵
装甲装備してるやん

no title

956: 世界@名無史さん 2018/09/28(金) 15:18:55.98 0
なんでその21世紀の日本人が描いた絵が歴史的根拠になるのか
歩兵の話をしてるのになぜ騎兵が出てくるのか
そもそも後期ローマ帝国(late Roman imperial period)と言えば通常3,4世紀から西ローマ滅亡までだろう

961: 世界@名無史さん 2018/09/28(金) 16:56:02.73 0
1~2世紀のプリンキパトゥス期を帝政初期あるいは前期とし3世紀からのドミナートゥス期からを帝政後期と呼ぶのが一般的だよ
より細分化して間にあたるセウェルス朝・軍人皇帝からディオクレティアヌスに到る時代が中期と呼ばれることもある

「帝政後期」の終点をどこに置くかは諸説・それぞれの研究視点でまちまちで、東西分裂、西ローマ滅亡、ユスティニアヌス朝の終わりなど、軍事視点では「Late Roman army」はだいたいディオクレティアヌスからテマ制へ移行するまでの期間に設定されてる

962: 世界@名無史さん 2018/09/28(金) 18:34:20.39 0
>>961
ビザンツまで入ると軍事視点だとRomano-byzantine だろう。

963: 世界@名無史さん 2018/09/28(金) 19:32:45.59 0
>>962
現にディオクレティアヌス~テマ制以降前の大枠としてLate Roman armyの区分は使われてるし
そもそも様々な区分・名称があって併用されてるからどっちかが間違いとかはない

968: 世界@名無史さん 2018/09/29(土) 15:20:37.80 0
テマ制って
中国史で言うところの節度使みたいなもの?

970: 世界@名無史さん 2018/09/29(土) 19:13:56.21 0
節度使というかそれより以前にあった府兵制に近い

971: 世界@名無史さん 2018/09/29(土) 22:02:02.21 0
始めの頃の府兵制というか中世全開な魏晋南北朝期の部曲制やら屯田制というか
中世西欧封建制や日本の封建制程の独立性持って無いよね

972: 世界@名無史さん 2018/09/29(土) 22:53:25.03 0
衰えてもローマは一応最低限の統治能力は維持できてたからね
地方領主が独立状態にまでなる本格的な封建制にはなってない

引用元: ・【SPQR】 古代ローマを語ろう 38 【ROME】