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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/07/07(日) 22:15:29.14 ID:kHSxABQt0
国力差があるとされる魏(晋)は何故、呉と蜀を滅ぼすのに時間がかかったのか








4: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/07/08(月) 08:26:25.15 ID:MKRF+24C0
宮城谷ニワカ信者からすると北の方は春秋戦国時代から漢代にかけて資源が枯渇したってのが一番の理由な気がする

7: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/07/08(月) 15:53:44.18 ID:d1/DFYqP0
>>4
蜀と呉の方が資源あるとは言われてるね
特に蜀
魏も資源全く無いわけじゃないんだけど人口多すぎてそれをカバーできるほどじゃ無いんだろうな

8: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/07/08(月) 16:05:01.91 ID:rXfVzs+T0
蜀は銅山あるけど魏は銅不足で貨幣不足が深刻だったもんな

9: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/07/08(月) 16:15:37.99 ID:Z1A2cLxC0
銅の産出地が長江流域に近かったわけだからね
曹魏は江南や四川の資源なしで国家を運営していかないといけなかったから中原王朝としてはとても脆弱に見える

6: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/07/08(月) 13:39:47.31 ID:625b5h8U0
倭なんかを取り込もうとするくらいだもんな
当時は呉の東海上にあると思われてたらしいが

10: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/07/08(月) 16:35:22.73 ID:roT3/GT60
>>6
呉が倭の方角に遠征したという記録はあるが日本列島に到達した物証がまだ見つかっていない。

12: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/07/08(月) 20:39:20.86 ID:09t2jiYr0
>>10
呉の赤烏年間と印された神獣鏡が日本の遺跡から出土した例が幾つかあるって聞いたが

13: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/07/08(月) 20:52:03.50 ID:f0fLjV+d0
>>12
長江文明時代から米作民族が日本に流れてるのは定説なのよな
朱然の墓とかからも日本と繋がりのある出土品が出てる
呉は刑法に厳しい上何故か山越を定期的に吸収しなければいけないほど人手不足だから流民については推して知るべし

230年に台湾と日本に遠征された私掠船団が結局日本に到達できなかった記録から呉が公式に行ったという説には結び付けられない
18: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/07/09(火) 19:25:17.91 ID:emMjTCUY0
>>12
軍隊が遠征に神獣鏡を持っていったとは考えにくい。

19: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/07/09(火) 22:34:54.02 ID:1h+LXwrg0
>>18
孫権が将軍衛温、諸葛直を夷州、亶州に派遣したのが黄龍二年(西暦230年)、赤烏はその後の年号だね
黄龍年間の亶州遠征は呉主伝にある通り失敗に終わったのだろうけど、銅鏡が出土してる以上その後何らかの形で呉と倭国の間で交流が成立したということになると思う
この時期呉は遼東公孫氏を傘下に治めようと画策していたし、倭国が遼東公孫氏と交流を持っていたのでそっち経由で伝播した可能性も考えられるけれど

21: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/07/10(水) 05:06:12.33 ID:3YdkaMT90
製造と伝来の時期にはズレがある

22: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/07/10(水) 10:24:58.68 ID:E5zk4Ho50
>>21
とはいえ元号が正しければ製造が238年だから公孫経由で入手という線は薄いかな
魏晋経由でそんなもん渡すのも変だろうし、何らかの形で呉→倭への渡航はあったのは分かるけど

14: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/07/08(月) 22:47:20.00 ID:TIWNqKiP0
北伐が成し遂げられたのは明と中華民国くらいか

17: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/07/09(火) 10:41:21.46 ID:OitBpEML0
>>14
明:元が中華帝国の維持を諦めた+財政破綻に便乗できたのが勝因、以後も北元が明滅亡まで漢民族を悩ませる

民国:欧米列強に清がボコボコにされた+袁世凱が裏切ったのが勝因、以後もWW2終戦まで満州国が漢民族を悩ませる

その2つを見ても晋、隋、元みたいな完勝がないのよな
やはり単純な戦闘力は南方<北方なのを伺わせる

20: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/07/09(火) 23:21:07.64 ID:s9ZcNatf0
>>14
前漢は?と思ったけど相手の楚も南方の政権だからちょっと違うか
漢VS楚はどっちかっつうと東西の対決で秦VS楚の延長上の戦いなんだよな

23: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/07/11(木) 10:36:09.01 ID:wC8m9r400
三国~南北朝の不思議なとこは、中原が資源のない土地になったにも関わらず、後年のように黄河が氾濫起こさないとこなのよな
普通なら木が希少になるくらい伐採されてたら地盤が緩んで川の浸食、土砂堆積作用が悪化するような気もするんだが

24: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/07/11(木) 12:48:17.34 ID:lPDwEWyh0
黄河の下流とか干上がっていたんじゃないのかね

25: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/07/11(木) 13:02:01.70 ID:oEEhDtYo0
それもきっと地球が寒冷化していたからだろうな

29: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/07/13(土) 13:02:46.45 ID:UoHS9PiCO
対呉(赤壁)
対劉備(漢中)
対関羽(荊州)

を見れば、国力の充実が如何に重要か、ということが分かるな。
まあ、対関羽戦は独力でもどうにもならず呉の力も借りることになったが。

30: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/07/13(土) 16:01:40.94 ID:D8u6VFz10
軍事力の物量では魏が勝り、将帥の質では呉蜀が勝っていたという事実だな。
呉では周瑜、陸遜。蜀では劉備、関羽、張飛。と一部に限られたくらいの話ではあるが。

31: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/07/13(土) 20:33:26.12 ID:OiCHN/fY0
>>30
西暦220~240年って魏武官の日照り時期でもあるのよ
武帝時代の将が老齢になったり文帝の出征で犠牲になったりとかしてる
それを埋め合わせできる質のが長らく出てこなかった
(仲達が武官ナンバーワンになったのはそのため)

このあたりに呉蜀に決着をつけさせなかったのが魏の地力の高さ

32: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/07/13(土) 20:36:48.28 ID:TnTIuH2a0
満寵あたりが司馬懿ポジションにつく可能性はあったのだろうか

33: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/07/13(土) 20:45:55.20 ID:OiCHN/fY0
>>32
マンチョは子孫が司馬昭にぬっころされてたりと、危険視はされてた模様
揚州軍閥も度々司馬の専横に反感持つあたり、長生きしてたら好き勝手はさせなかっただろうな

239: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/07/29(月) 19:49:14.26 ID:QxftYHyZ0
魏で統一チャンス(戦役の違いのみを考慮する場合)

・荊州陥落から赤壁ではなく涼州征伐→漢中→成都確保
・夷陵敗北した蜀へ攻め込む→ジリ貧になった呉を討つ

ここらへんしかないな
興勢役が上手く行っても魏で統一できる気がしない

240: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/07/29(月) 20:14:22.01 ID:95bFNaBn0
>>239
夷陵の後に呉に攻め込まずに劉備が殺されるまで静観するのが一番だと思うぞ

241: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/07/29(月) 21:24:26.07 ID:MMvFT2BZ0
>>240
それやると蜀が丸々、呉のものになる可能性ありそう

242: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/07/29(月) 21:52:02.39 ID:mV1JeZ3u0
>>241
呉が蜀の奥まで踏み込んだら漢中でも呉でも攻めたら面白いと思うぞ

259: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/07/31(水) 13:02:28.48 ID:Q1eATaE20
異民族の力も弱まってたし
喫緊に統一する必要性もなかったんだろうな

317: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/08/03(土) 23:07:18.88 ID:zLmyG0aB0
司馬懿が州大中正を置いたことと八王達が悪い

318: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/08/03(土) 23:59:19.70 ID:VBLYuwxK0
>>317
簒奪まで考えてなかった司馬懿の名士優遇案に、簒奪を狙っていた息子以降が苦しめられるって構図もなかなか皮肉
家柄さえ良ければ贅沢自慢しか能がないような輩がのし上がれるようになったのも州大のせい

320: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/08/04(日) 01:28:30.54 ID:KLuUluOJ0
州大中正の影響は王衍が石勒に命乞いする話がわかりやすいな

322: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/08/04(日) 11:21:20.77 ID:jTZGDMMO0
九品中正制度をあらわす言葉として、上品に寒門なく下品に勢族なし、なんてよく言われるけど琅邪の孫秀や隴西の李含のように寒門出身だけど諸侯王や有力者に取り入って出世してる人間もいるんだよな
寒門出身が正規の昇進ルートから外されてる時点であかんというか、佞臣タイプの人間じゃないとむしろ出世できないのが非常にまずい

331: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/08/10(土) 23:19:42.84 ID:GVQgFTDp0
良質な貨幣を造れてた蜀が三国の経済を支配してた説
あると思います

344: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/08/12(月) 18:37:19.94 ID:I1chN9Z/0
>>331
なんでやねん
諸葛亮が死んで引きこもったんやで蜀は

345: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/08/12(月) 19:24:50.80 ID:byL8hej+0
>>344
いや全然引きこもってないよ
姜維がトップになってから兵出しまくりだし
姜維がトップになる前からもちょくちょく兵出してる

347: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/08/12(月) 20:31:34.54 ID:I1chN9Z/0
>>345
姜維がトップになるまで何年あると思ってんねん

348: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/08/12(月) 20:43:22.74 ID:byL8hej+0
>>347
まず234年に諸葛亮が死んで後を継いだ蒋エンが国力回復のために出兵する事を控えるが238年には小規模だがもう出兵を再開している
蜀漢が引きこもっていたと言える期間はたった4年間しかない

332: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/08/11(日) 05:58:51.35 ID:9PwU1y740
三国志展での出土品見てると孫呉が経済的には一番裕福そう。
ガラス器まであったし

333: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/08/11(日) 08:02:53.40 ID:GIasZrkF0
>>332
海上交易まであったからな
晋が統一した時に一時的に富が溢れたのも呉の贅沢品や交易路を接収できたから

ただし呉は豪族集合体の体制だったから交易も豚に真珠そのものだった
利益を国家に直結させるためのプロセスがないもの

334: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/08/12(月) 03:14:34.15 ID:Wi6uNjiY0
貨幣問題はずーっと解決しないんだよなあ。
ゴミ貨幣ばっかでたまに増産して商業が発展して好景気になるけど、貨幣量が追い付かずに含有量減らして信用消滅、経済混乱で物々交換をずーっとやってる。
貨幣は減らない?けど皆ちょいちょい削って鵝眼銭になる。国がある程度安定して気合入れて増産した時以外ゴミ貨幣ばっかだから経済が回らん

336: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/08/12(月) 08:17:06.19 ID:B7OC1kXr0
>>334
中華の貨幣経済はもっと後世の明とかでもまだ銅不足だからどうでもいいわ
そのくせ銅銭銅鏡を周辺蛮国へ惜しみも無く輸出提供で病気の類
紙幣発行してた元やスマホ決済が普通になった中共がまともに見えて笑えてくる

335: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/08/12(月) 06:14:55.05 ID:i4sMkB9z0
貨幣経済は魏晋南北朝時代のテーマでもあるから

337: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/08/12(月) 08:28:27.10 ID:5u0C+MFo0
絹が意外と優秀な納税手段だったのが中国の悲劇だと思う

338: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/08/12(月) 09:19:49.00 ID:0XYmXefO0
商人は三国間でも自由に行き来してたんだろ?

339: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/08/12(月) 10:09:32.40 ID:Mu/8kNyQ0
互市みたいなのが三国の隣接地帯にあったんじゃないかと想像してる

341: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/08/12(月) 14:22:03.41 ID:5chW+hSo0
劉備の兄貴分、公孫瓚は商人や占い師と義兄弟になって姻戚関係を結んでいたそうだが
劉関張も似たような関係だったんだろうか

342: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/08/12(月) 16:58:11.50 ID:wckZKYxF0
>>341
関羽も伝承で塩の密売絡んでるし
同族や豪族の絡みが少ないのは劉備の出自の面白さでもあるわな

359: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/08/19(月) 13:04:13.67 ID:nLNCjBmc0
曹爽が大した軍歴なくて蜀は費偉以下結構まとまってたからじゃない

360: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/08/19(月) 16:02:56.18 ID:nLX8hePL0
>>359
たいしたどころか曹爽も夏侯玄もそれまでの軍歴がほぼ皆無の素人
実質的な指揮官のカクワイは司馬懿の下にいた経歴あるし、わざと敗北させるよう助言するなと裏で指示しててもおかしくはない

んで負けさせはするけど痛手負って逆襲される前にさっさと撤退させたと
王凌連座でもカクワイの家族は例外的に許されたり、晋の時代には一族が外戚になってる辺り抜け目ないわ

361: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/08/19(月) 20:44:11.33 ID:Vxv03Y470
カクワイはじめ司馬懿は対蜀線での武将に慕われてたなドラマ三国志では

362: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/08/19(月) 21:31:36.12 ID:2hJJxd0E0
ていうか対呉戦線を含め前線の将軍たちはみんな司馬懿の息がかかった人間だと思う
反乱を起こした毌丘倹でさえアンチ司馬師ではあっても反司馬氏ではなかったからな

370: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/08/21(水) 22:18:39.12 ID:FHVlU7f50
司馬懿の一番の失敗は九品官人法を改悪した事じゃねえかなと思う
まあ司馬家が晋王朝を作る事に繋がるからある意味成功だけど

371: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/08/21(水) 23:12:57.41 ID:OAlmxLO90
改悪しないと名士から支持されないもの
簒奪の対価は重い

372: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/08/22(木) 04:21:21.59 ID:LH3mbT7z0
正始政変も老齢の司馬懿がクーデター起こす利点が無いって状況を見るに、自利や愛国心ではなく息子たちに権力を引き継がせる、士大夫の支持を得るために起こした可能性が高いからな
簒奪まで考えた息子連中と違って州大中正なんて置いても一族に仇なさないと考えたんだろう

曹叡が宗族に力を与えようと腐心し、それに運よく乗っかれた曹爽に多くの人間が群がった結果
宗族連中は権力の継承が上手くいくのと対照的に、士大夫は一代限りで弱肉強食の世界に放り込まれるという魏のシステムへの不満が爆発したのは皮肉だ
司馬師は元々曹爽にも取り入っていて事情に詳しかったところから、やはりこいつが持ちかけて司馬懿が協力してやったという感じか

374: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/08/22(木) 09:35:33.09 ID:GmdWeR7B0
>>372
息子たちに権力を引き継がせるってほぼ自利では。いや自分自身て意味じゃないのは分かるけども

379: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/08/23(金) 16:46:39.33 ID:SOCfcsXi0
たまたま嫡男が生まれないまま司馬師が死んだから後継になっただけで、司馬昭は自分が家を継ぐことになるとは考えてなかったんだろうな
同じことは孫権にも言えるけど
映画ゴッドファーザーの主人公、マイケルコルレオーネにイメージが重なる

380: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/08/23(金) 17:27:10.81 ID:c6cN/JjA0
>>379
孫権も孫策の気風があるという孫翊を殺した疑惑あるしな
司馬昭が実験握ってから満寵の子孫を失脚、処刑してたりする過剰な保身とのシンパシーを感じる

381: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/08/23(金) 17:33:06.36 ID:SkrKsYvK0
>>380
司馬昭というか司馬炎がちゃんと司馬師を皇帝として諡してる
それだけで孫策を王にしかしない孫権とはかなり違うよ

385: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/08/23(金) 21:40:04.29 ID:rU4Hc4x30
>>381
昭さんの場合「今の天下は子元大兄(司馬師)の天下。オレにはなんの手柄もない。だから大兄に司馬家をお返ししたいのだ」ってアピールしておかないと士大夫層に「不人情だ」だの「不孝者だ」だの謗られる危険性があったから……

392: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/08/24(土) 13:29:44.22 ID:AoAyjgCe0
司馬懿自身はやっぱ魏に忠義を誓ってて息子達が簒奪を図ったって感じがするよな
ただ司馬懿ほどの男なら息子達が簒奪に進む事を読んでそうな気もするが

引用元: ・何故、魏は大国でありながら呉と蜀に苦戦したのか2