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1: 世界@名無史さん 2010/10/11(月) 21:35:49 0
ダニール・アレクサンドロヴィチがモスクワ大公国に就いたのが1263年
オスマン・ベイがルーム・セルジューク朝から独立を宣言したのが1299年
ともに他民族を支配した大帝国であり、互角の戦いを繰り広げた
永遠のライバルについて語ろう








584: 世界@名無史さん 2011/01/11(火) 17:08:53 0
ロシア帝国>>>>>>>>>オスマン

で決定だな
オスマンは野蛮で過大評価

587: 世界@名無史さん 2011/01/13(木) 20:17:10 0
>>584
ピョートル以後はほぼロシア>>オスマンだね
とはいえ、ピョートル時代に獲得した領土なんてほんとチョビットだけど

589: 世界@名無史さん 2011/01/13(木) 21:46:25 0
ピョートル1世が現れなかったら、ロシアはどうなっただろうか?

590: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/01/13(木) 21:50:55 0
>>589
そのIFはあまりにも大きすぎて答えが出にくいなぁ。彼の西欧化政策は、その後のロシア帝国が進む路線を大きく決定したからね。影響はかなり大きい。

591: 世界@名無史さん 2011/01/13(木) 22:00:30 0
最終的に北方戦争で勝ったことがでかすぎる

592: 世界@名無史さん 2011/01/14(金) 10:59:43 0
>>591 
北方戦争の勝敗が逆だったら、どうなってたかな?
オスマントルコの弱体化も無く、ウクライナも独立してたかも?
ロシアが強大化することも無く、ポーランドが分割されることも無く、グレートゲームも起きず、日英同盟も日露戦争も無かったかも?

595: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/01/14(金) 17:02:48 0
>>592
オスマン帝国は大北方戦争でこれといって損も得もなかったので、オスマン帝国の、衰退と大北方戦争はあまり関係ないんじゃないの?アゾフの奪還ができた程度。
まぁ、でもロシアの強大化がなかった可能性があるから、そのおかげでオスマン帝国の、弱体化がある程度まで食い止められるということはあったかも知れない。
ポーランド分割は、何とも言えないなぁ。ウクライナ独立は確かにあったかも知れないけどどっちみちいずれは、ロシアに取り込まれてるような気がする。
個人的にスウェーデン・バルト帝国の弱体化は、なかったとは思うけど、それ以外は何とでも言える気がする。影響の大きさは確実だけど。

593: 世界@名無史さん 2011/01/14(金) 11:10:09 0
ロシアは北方戦争のころですら後背地が半端ではなくデカイからな。
オスマンとの戦争も皇帝が捕虜になろうが、国家崩壊状態にならねえしロシアはいろんな意味でタフ。
ナポレオンだろうがヒトラーなんだろうが全部ロシアの大地が飲み込んでしまう。
西側が熱い戦争にせず、冷戦でソ連を攻略したのは大正解だと思う。

594: 世界@名無史さん 2011/01/14(金) 16:28:40 0
>>593
ピョートルは捕虜にはなっていない。自分自身が指揮していた軍をオスマン側に包囲されただけ。
しかもその時ロシア軍の別動隊がオスマン軍の後方を脅かしていたのでオスマン側としてもほどほどの条件で和平をする必要があったらしい。

596: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/01/14(金) 17:32:38 0
>>594
あれ?そうだったっけ?思い違いしたてのか。まぁ、とはいえオスマン帝国は、大北方戦争においては普通にロシアに対して勝ってるんだよね。
この頃は、まだロシア帝国とオスマン帝国の軍事力は互角だったということになるのかな。

601: 世界@名無史さん 2011/01/15(土) 00:58:41 0
>>596
1736-1739年のオスマンとオーストリアの戦争ではオスマン側が勝っているんだからね。この時点ではまだ互角だったんだろう。

602: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/01/15(土) 01:00:24 0
>>601
そうだね。「ヨーロッパの重病人」と明確に言われるほどになるのは、19世紀に入ってからだしね。衰退の兆し自体は既にあっただろうけど。

609: 世界@名無史さん 2011/01/16(日) 13:36:20 0
>>602
18世紀後半からかなりの重病人だが。
改革に成功したロシアやプロシアに比較して、遅々として改革が進まず衰退が止まらない。
カピチュレーションはすでに18世紀前半から重荷になっていたし
カピチュレーションとは、ローディの和を最初として、オスマン帝国が領内在住の外国人に対し恩恵的に認めた特権である。通商・居住の自由、租税免除、身体・財産・企業の安全などを保障した。

1536年にスレイマン1世が仏王フランソワ1世に与えたとされているが、正確にはフランス使節がオスマン帝国大宰相と合意した条約案である。フランスへの最初のものとして確実なものは、セリム2世の1569年に締結された。
1579年にイギリス、1613年にオランダにも同様の特権が認められた。また、18世紀までにオーストリア・ロシア・スウェーデン・プロイセンなどにも商業特権が与えられた。

18世紀になると西欧諸国による不平等条約締結の恰好の足がかりになった。
1740年にオスマン帝国がフランスに認めたカピチュレーションでは、スルタンから認められた一代限りの恩恵という形でなく、両国が対等な立場に立つことが定められており、オスマン帝国側に履行の義務が課されることになった。


611: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/01/16(日) 13:46:43 0
>>609
18世紀前半もロシアに対しては互角だったけど、オーストリアや他の、東欧諸国に対しては劣勢だったしね。17世紀前半は互角だったろうけど。やはり第2次ウィーン包囲が境目かな。衰退自体は18世紀後半からだけど、「重病人」と呼ばれるまでに落ちぶれたのは18世紀末から19世紀にかけて。
具体的にはナポレオン戦争やギリシャ独立戦争ぐらいの時期からかな。
まぁ、確かに改革運動はその前から行なわれてたし、その改革も遅々としてたけど。

603: 世界@名無史さん 2011/01/15(土) 10:03:01 0
いや互角とはいえないだろ
その時はロシアには負けてロシアに領土を割譲してる
逆にピョートルに勝利した時にはオーストリアに負けてるし
当時のオスマンは勝率が低いしやや劣勢といえる

604: 世界@名無史さん 2011/01/15(土) 10:39:24 0
領土は割譲してないか勘違い
アゾフで港を作るのを許可されただけか

605: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/01/15(土) 17:22:09 0
>>603-604
そのアゾフは大北方戦争の時にオスマン帝国が奪還してる。
ピョートル1世がアゾフ奪えたのだってオーストリアの協力が、大きかったし。
確かにオーストリアには負けてたけど、それでも1739年にはベオグラードの奪還も出来てる。
とは言え、西欧や、オーストリアに対していささか劣勢だったのは否めないね。
でも、ロシアに対してはまだ勝ったり負けたりを繰り返してて互角だよ。
ロシアとの力関係が逆転するのはエカチェリーナ2世からだと思う。

610: 世界@名無史さん 2011/01/16(日) 13:37:43 0
>>605
エカテリーナ以後は完全にオスマンはダメだな
ロシアの国力が伸びたのか、それともオスマンが絶望的状態になったのか

611: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/01/16(日) 13:46:43 0
>>610
どっちもあるね。個人的には前者の理由のほうが大きいと思うけど。

612: 世界@名無史さん 2011/01/16(日) 22:53:51 0
18世紀のトルコはヨーロッパに押されて、既にこの世紀の後半にはヨーロッパ諸国から「病人」扱いされていた。
18世紀末にセリム3世が改革事業を始めて失敗しているが、そのような改革が試みられたということ自体がトルコの衰退ぶりを示している。
オスマン・トルコも常にヨーロッパと交流していた。カルロヴィッツ条約後は軍事面でかなりの改革もおこなわれている。
しかし大勢を動かすことは出来なかった。
18世紀前半にトルコの砲兵隊がかなり強化されたのは事実だがそれもボンヌヴァルというフランスの軍人に依存していたという所にトルコとヨーロッパの力関係の変化が象徴されていると思う。

ロシアもピョートル以前の17世紀から、西欧から技師を招いて大砲や小銃の国産化を始めていた。しかしそれだけだは西欧に対抗できず、西欧に匹敵する強国になるためにはピョートル大帝による政治体制から社会、文化の面にまで及ぶ大改革が必要だった。

613: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/01/16(日) 23:09:29 0
>>612
まぁ、カルロヴィッツ条約以後のオスマン帝国は明らかにヨーロッパに対して、劣勢だったのは否めないね。
ロシア帝国はピョートル1世からの西欧化改革が、発展の源になったと言われてるけど(まぁ、その前から西欧化政策はやってたけど)、オスマン帝国は西欧化改革を行なったこと自体が衰退の証だと言われてる。
まぁ、決してオスマン帝国の西欧化改革が失敗だったという訳でもないんだけどね。

617: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/02/27(日) 09:40:45.64 0
エカチェリーナ2世にクリミア・ハン国を取られたのはオスマン帝国にとっては、かなり屈辱的だったらしい。場合によってはカルロヴィッツ条約による領土の、喪失なんかよりも悔しいみたい。
ハンガリーなんかと違って、同じムスリムで、なおかつトルコ系だったからね。トルコの歴史教科書でもそう書かれてるし。

618: ◆axCVsGomao 2011/02/27(日) 15:29:35.78 0
クリミアハン国って今のウクライナだもんなあ
たった200年前までウクライナはイスラム圏だったわけで

619: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/02/27(日) 15:59:01.55 0
>>618
ウクライナと言っても南部のほうだけだけどね。
キリスト教徒であるウクライナ・コサックたちの住む地域はポーランド・リトアニア共和国の領土だったからね。
クリミア・ハン国だった地域にウクライナ人が多く移住してきたのはロシア領になってからで、現在もクリミア・ハン国の子孫であるクリミア・タタール人は少数民族としてウクライナに残ってる。

625: 世界@名無史さん 2011/03/01(火) 16:55:14.07 0
ロシアでは正教が華々しく復活しつつあるけど、共産主義の影響で正教に嫌悪感を持つが故になぜかイスラム教に転向してしまったロシアの政治家いたな。
もちろんイスラム世界ではスター扱い。

630: 世界@名無史さん 2011/09/19(月) 17:48:52.36 0
オスマンとロシアの違いは正教会とイスラムの違いだけだからな。
イスラムの凋落がオスマンの滅亡を招いた。
貨幣経済で金融をユダヤが抑え、それをキリスト教勢力(イギリスとスペイン)が味方に付けたからイスラムが墜ちた?

631: 世界@名無史さん 2011/09/19(月) 18:20:35.59 O
宗教以外にももっと多くの違いがあると思うけど

632: 世界@名無史さん 2011/09/19(月) 18:39:02.52 0
食べ物の違いもあったな。
寒冷地の煮込み中心のロシア料理に比べて乳製品や野菜をふんだんに使うトルコ料理。
両者甲乙付けがたい

633: 世界@名無史さん 2011/09/19(月) 20:14:15.48 0
ロシアもオスマンも出発点では宗教単位に大差ない。
ロシアはイスラムになっていてもおかしくなかったが、とにかく時の遊牧民集団がイスラム主流だからどっちにも多い。
モンゴル-遊牧民ーイスラムータタール は、ユーラシア史では切っても切れない関係があるが、その直系子孫が両国。というか子孫国はたくさんあるけど。

634: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/09/19(月) 22:30:52.95 0
>>633
確かにロシア帝国もオスマン帝国もどっちも多宗教国家だったからね。
でも、上がキリスト教かイスラム教かという部分が違うんだよね。
まぁそれが近代における両国の力の差になったかどうかまでは分からないけど。

635: 世界@名無史さん 2011/09/19(月) 22:46:30.76 0
>>634
金融の支援を受けれたかどうかで両者の差が出たと踏んでおります。
キリスト教はユダヤ教を迫害しつつも取り入れた。
なぜうまいことイスラムとユダヤを敵対させることが出来たのか。
やはりイギリスとユダヤ資本の”またそこか”の話になってしまうのか。

636: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/09/19(月) 22:52:53.64 0
>>635
まぁ、利子を取ることが禁じられてるイスラーム圏の金融業界ではどうしても、ギリシャ人やユダヤ人のほうが有利になるから確かにその違いはあるかもね。

637: 世界@名無史さん 2011/09/19(月) 23:05:40.03 0
>>636
貨幣経済は人間が作った独特のルールなのだが、これが近世以降に大きく発展し、財産をゲーム化出来る仕組みが全世界に浸透した。
それで勢力圏に大きく影響したと思う。
机上で所有物分配を変えられるのだから。
従来の農本経済や遊牧経済では起こり得ないこと。

639: 世界@名無史さん 2011/09/21(水) 20:00:34.65 0
>>633
ウォッカが飲めない宗教なんて浸透しないよ。

641: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/09/23(金) 06:47:30.58 0
>>639
ウラジーミル1世は近隣の様々な宗教を調べた時にイスラム教について、酒が飲めないからだめだと言ったと言われてるしね。
まぁ、この話自体は、本当かどうか分からないけど何となく説得力を感じてしまうような話だなぁ。

644: 世界@名無史さん 2011/10/08(土) 20:41:49.42 0
ウォッカは12世紀頃のポーランドで飲み始めたというが、ウラジーミルが国の宗教を決める時、酒が飲めないからイスラムは駄目だといったという俗説があるけど、当時の酒はウォッカだという先入観があった。
実際ウラジーミルが言ったとされる酒はどんな酒だったんだろうね。

645: 世界@名無史さん 2011/10/08(土) 21:40:43.14 0
>>644
当時の酒といえば主流はビールと蜂蜜酒とワインだと思う。
気候的に上層階級は西から入手したワインも飲んでただろうけど一般民だとビールと蜂蜜酒だろうね。

646: 世界@名無史さん 2011/10/08(土) 22:16:53.93 0
>>645
ありがとう!
蜂蜜酒ってよく出てくるけど、飲んだことが無い。ググってみると、日本でも販売されてるね。今度飲んでみよう。

ところで、「ウラジーミル諸公物語」という、キエフ時代の文書の翻訳がネットにあったので少し読んでみた。
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/5088/1/KJ00002586870.pdf

これによると、リューリクは、アウグストゥスの同族ということになっている。
ビザンツ滅亡後のモスクワ大公国の世界観が出ている史料を読むのは初めてなので面白い。

658: 世界@名無史さん 2012/02/25(土) 01:54:30.77 O
ロシアはエカテリーナ時代にオスマンに完勝したけど、なにが要因だったんだろう?
皇帝の力量?、名将の出現?

660: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2012/02/25(土) 06:32:52.58 0
>>658
ピョートル1世以来の西欧化政策でそれなりに国力が上がってたからだと思う。
西欧やロシアの発展はオスマン帝国にとってはすでに覆せないほどの差になってた。

666: 世界@名無史さん 2012/07/06(金) 08:32:07.47 O
オスマンはロシアには勝てないな。
バルカンでは強力で大虐殺をしばしばやったり現地キリスト教徒を奴隷にしたりしまくったのに、ロシア相手には何故だか負ける。

668: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2012/07/15(日) 11:44:27.37 0
>>666
>オスマンはロシアには勝てないな。

必ずしもそうとは言えないけどね。オスマン帝国のほうが勝った戦いも一応なくはない。
とは言え、時代が下るにつれてオスマン帝国側の敗北が圧倒的に多くなってるのも事実なんだけどね。
近代になるとロシア帝国のほうがオスマン帝国よりも強国になってきちゃったからね。
ロシア帝国がオスマン帝国への本格的な進出を始めた頃のオスマン帝国はすでに衰退期に入ってたし。

667: 世界@名無史さん 2012/07/15(日) 10:32:32.33 0
シャミールのエピソードをみると、ロシアの寛大さ、懐の深さが良くわかる
オスマンは異教徒を奴隷にして、虐殺する過酷な支配だから、結局ロシアに敗北した。
宗教に関しては、オスマンは狭量すぎる。

668: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2012/07/15(日) 11:44:27.37 0
>>667
最盛期のオスマン帝国は異教徒に対してもそれなりに寛容ではあったけどね。
衰退期になるにつれてイェニチェリなどの増長が目立つようになり始め、その結果バルカン半島のキリスト教徒がオスマン帝国からの離脱を図るようになった。
一方でオスマン帝国も離反を抑えるためにバタク虐殺なんかをするようになったため、余計にバルカン半島の離反が強まり、ロシア帝国に傾く傾向が出始めてきた。
ロシアがオスマン帝国にしばしば勝てたのにはこのようなバルカン半島の味方も一因だっただろうね。
とは言え、上でも言ったようにオスマン帝国のほうが勝った戦いもなくはないんだけど。

引用元: ・ロシア帝国vsオスマン帝国




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