1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/06/30(火) 17:53:46 ID:bL1FMRcK0
項羽とか国のトップが先陣きって戦ったら狙い撃ちされて終わりじゃね?








3: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/06/30(火) 20:28:47 ID:A9sIo5vE0
趙翼の『ガイ余叢考』に歴代のベストバウトが載ってる
http://www.guoxue123.com/biji/qing/gyck/039.htm
↑の真ん中からちょっと上の「斗将」見てみ
武将が先頭で戦う事もあったんだよ
わざわざ「主将のタイマンは俗説ではない」と言ってるからには、タイマンは俗説と考えられてたという事でもあるよな

4: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/07/01(水) 00:05:33 ID:4odo32HDO
先頭の隊にいるとかはあるだろうけど隊の先頭とかは流石にどうなんだろうな。

7: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/07/02(木) 17:38:40 ID:MdPy5R9RO
国のトップが先陣をきるといったらやっぱ柴栄か?
劉仁瞻との逸話は有名だよな。

劉秀は彼にとって都合の悪いことの記述の多い『後漢紀』によると、昆陽では兵を集める時にした約束を果たすため先頭に立ったらしいが。
『後漢書』の「光武帝紀」だとここら辺の記述省かれてるな。
親征のときの「自親戦」なんかも帝紀には絶対載ってない所をみると、儒家的価値観では不名誉なことと見なされているようだ。
兵士のような真似をする、皇帝のやることではないってことで忌まれたのかも知れん。

どこぞのスレでもアレクサンドロスと同じ悪癖を持っていると言われてたな。
まあ、純軍事的にも人心掌握以上の意味は何もない行為であるのは事実。
そこら辺を見ると、国のトップがってのは極めて希だったのではないかと。

9: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/07/05(日) 13:37:59 ID:DgIfcVpW0
辻政信はよく最前線へ出てきたらしい。
軍板では「どう考えても器じゃない三暴なんてやらずに大人しく前線指揮官やってれば…」とか言われてたな。

12: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/07/07(火) 04:54:38 ID:FtzrB7q40
辻~んは参謀としてはアレだけど前線の指揮官としては勇敢な猛将なんだよな
マレー作戦も蛮勇って言われるけど凄い活躍してるもん

10: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/07/05(日) 21:29:59 ID:hAxPxKxC0
三国志なら 孫堅、孫策、孫権 だな

18: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/07/13(月) 19:57:42 ID:cJFJkx9xO
>>10
おいおい、能無しの権なんか先頭きって戦した事ねーよ

20: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/07/13(月) 22:36:32 ID:wldF4/gOO
>>18
張コウに諫められてるから記録に記されてないだけじゃないの?

17: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/07/12(日) 03:15:27 ID:3PUdqT5M0
通信機も信号弾も無い時代では、指揮官が戦況を正確に把握し、もっとも適切な場所に速やかに部隊を機動させるには、自ら先頭に立って軍楽隊やら旗手やらを引き連れて位置を占めるのが有効な方法だったようだ。
それが何よりの意思表示になり、中下級の指揮官も容易には退けず、結果粘り強く戦い続けることになる。
全ての指揮官が実践したわけではないだろうけど。
銃砲以前は勿論のこと、近世のスウェーデンのグスタフ・アドルフまでもそれでミスって(?)戦死してる。

25: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/07/18(土) 18:26:37 ID:WKJt3VMk0
劉邦とかヌルハチとかもそこまで押されている状況でもないのに、弓矢で負傷するってことは先頭ではないにせよ相当前線出てたんじゃない

27: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/07/22(水) 22:33:22 ID:yfNVmzQd0
ある程度前にいてくんないと士気が下がるしなあ
自分より後ろだといつの間にか撤退してたりとか考えて不安だ

29: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/07/23(木) 08:55:23 ID:zFvLqKLn0
チンギスハーンもコイテンの戦いや西夏戦で負傷してるな

30: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/08/05(水) 22:51:31 ID:wzYx7x5P0
ヌルハチは負傷が原因で死んだんだよね
なら明の頃までは最高司令官が
前線に顔をだすのは当たり前だったんじゃ

32: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/08/06(木) 10:30:25 ID:7ozQHuGM0
だが武将が敵兵と壮絶な白兵戦なんて実際できるわけねーだろ
いくら武勇に自信があるとしても生身の人間だぞ?
槍で一突きされりゃ終了じゃん、ぶっちゃけ嘘臭いよね
後世に名を揚げようと創作したのが真実だろ

33: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/08/06(木) 10:42:14 ID:atXK3PdR0
んなこたーない。
日本でも戦国時代なんかは、武士階級だと大概は前線で戦う教育を受けていたし。
総大将でも最前線で吶喊して兜を撃たれた跡が残っている武将もいる。
大体古代中世で後ろでふんぞりかえってるような奴はなかなか人望が集まらないよ。

34: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/08/06(木) 23:14:25 ID:7ozQHuGM0
勝鬨あげたり鼓舞するだけなら安全なところで幾らでもできる
だいたい前線までノコノコやって来たら味方としても迷惑極まりねーだろ
総大将なら後ろでドッシリ構えて指揮とって欲しいだろ
敵からしたらわざわざ首打たれる為に突っ込んで来るなんて有難いよね
そんなリスク背負ってまで行動する奴はよっぽどのマヌケか自意識過剰だろ
だいたい時の権力者が自信を神格化するために創作するなんてよくある話

37: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/08/07(金) 23:34:18 ID:eszUH6Pr0
>>32>>34
農民兵が主体の時代なら、幼少から武芸自慢、もしくは訓練を受け、鉄の鎧をつけている武将が前線に赴くのは、百人単位はもちろん、千人単位の戦いでも、十分に価値がある
中世以前の戦いは先鋒をくずせば、戦いの帰趨がきまりやすい

戦争のたびに大勢を殺すような強者が出世して武将になった場合、その能力を使わないのはもったいないよ。それも十分に指揮であり、鼓舞になる。

45: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/08/14(金) 01:00:54 ID:vvM+ZPUf0
俺は戦争いったことないから分からないけど前線じゃないと分からない戦況や流れってあるらしいからね
指揮する立場にいる人間かそれに連なる人ならそういった情報は喉から手が出るほど欲しいはず

47: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/08/14(金) 22:33:04 ID:qrxtf0Ai0
この板は意味もなく前線タイプの指揮官を軽視どころか、根拠不明のこき下ろしをする奴が多いからな。
防戦の名将ならともかく、領土拡大した君主はほとんどが前線に赴いているのに
李勣みたいな軍師といわれる人物ですら、大勢の人を殺したと述懐している

どっかり構える統率重視の武将が強いのは、安定した大勢力でなければありえんよ
自分が相手するなら、杜預、王濬、陸抗より関羽、張遼、呂布の方が怖い
前者は手堅いので引き分けに持ち込める可能性が高いが、後者は討ち取れる可能性もあるが、一瞬、油断するとやられる
自分の命と引き替えにはできんよ

54: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/18(木) 10:31:23 ID:wRZAeAo40
農民が兵士の時代に後ろで呑気にしてたら全員逃亡するだろ

55: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/08/19(木) 23:47:02 ID:oFygdQlk0
率いる兵の人数にもよるんじゃないか?
数十から百、二百くらいなら、自らも武勇を示さんことには兵がついてこないだろう

戦場が広く見渡しの良い地形の多い大陸ではその数が跳ね上がり、数百から千、二千くらいまで最前線で武勇を示していたのではないかと考える

57: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/08/21(土) 17:51:49 ID:ARxlFlKyO
項羽なんかはよくフロントで戦ってたって描写があるが、まあ創作だろうな
だって最前線に立ってる本人が死んでないって事は、味方が誰一人死んでないって事じゃん

また、張良や劉邦からしたら遠巻きにして先頭の奴を矢で狙い撃ちさせて終わりって事になっちまうな

59: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/09(木) 22:58:45 ID:uZ2lYVsI0
>>57
劉邦は弓で射られて死にかけてる

60: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/14(火) 19:02:28 ID:5f9Ooi5e0
後周の皇帝柴栄は攻城戦のとき、城内の一角を占拠し、趙匡胤に戦わせておいて矢石が飛び交うなかで、冬至節を催した猛者だよ。
そのあとも、甲冑を身にまとって自ら追撃の指揮をとり、戦場をいったりきたりしている。
趙匡胤とは轡を並べて敵軍を追い討つなど、武将連中からみたら憧れの存在だったろう。
それでも傷を負ったという記録はない。
(趙匡胤、王審琦、韓重贇等親衛軍将は傷を負っているがw)

>>7も言っているが、劉仁贍の矢が柴栄に届く前に失速した逸話まで作られるほど。

58: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/08/22(日) 02:31:27 ID:WaMpwelc0
動く標的に遠巻きから狙えば当たるってほど、弓矢の命中率は高くない
防具に身を固めた相手に対して、確実に仕留められるほどの殺傷力もない
紀元前であれば尚の事

総大将が一番槍や先駆けすることはないとは思うが、前線が膠着した状況で主力騎馬隊で突破する
その陣頭を率いるというのならありえない話しではない

61: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/18(土) 23:05:49 ID:2SSzQS0C0
光武帝劉秀は皇帝になってからも先陣切ってたから部下が激怒したらしいね

64: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/24(金) 01:21:44 ID:lvXAiu/K0
劉秀もそうだが、曹操や劉備も強大な統帥権を持っていたが、元々は一部隊の長からのデビューで、近代以前の混迷期の皇帝なり王なりってのはこのタイプが多い。
だから最高権力者の筈なのに前線で指揮を執ると言う不可思議な状況になる

65: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/24(金) 15:58:15 ID:htKqRFQ40
日本戦国だけでも最上義光が直江兼続を追撃する際最前線に立ち兜に被弾、この人は自ら敵の首を打って自慢、家来から「殿様がそんなことせんでもよろしい」と怒られている。
黒田長政は前線に立ちすぎて先頭の何十人か殺せばその中に必ず長政がいるといわれた。
鉄砲玉に当たった森長可、井伊直政、後藤又兵衛らも最前線で指揮したのだろう。

光武帝や最上義光のように最前線で頑張るお!の人が家来から怒られるのもよくあることだが、彼らより下の立場なら逆にいけいけどんどんだっただろうね。

戦争というのはルール無用のようでいてルールがあるから、敵味方共通で将は将が相手をする的な認識があったのかもしれない。春秋と戦国で戦争の仕方が違うような気配があるし戦国期の戦争と楚漢戦争ではまた違う感じがする。

66: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/24(金) 16:43:12 ID:Fyx2aLWn0
概ね同意かな。

集権制が完成してしまえば別なんだけど、古代のそれじゃ弱含みなのは否めないし、乱世になるとそれはさらに弱いものとなる。
特に豪族、士大夫、土豪といった下の権力が強い前漢中期以降の明以前の中国、あるいは日本の戦国などでは、ほとんどの時代において大将も命を懸ける必要もあったろうな。
李世民が自ら斥候に出て追っかけられたり、柴栄が先頭に出て弓で狙われたりしたのも、必要なことだったのだろう。

67: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/24(金) 17:22:04 ID:3skE96DY0
>>66
李存勗も自ら斥候して、梁軍の包囲に陥ること数度w
李存勗は史家からも李世民に似ているって言われている
戦争時の求心力は半端なかったと思う(即位後アレだけど)

柴栄が狙われたのは、創作っぽいところがあるけど、前にいなくちゃいけなかったのは、たしかに必要な行動だった。
ところで、劉仁贍に狙われた柴栄は、矢が外れたあと不敵にもさらに座を進めて挑発している。

68: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/24(金) 17:29:17 ID:3skE96DY0
さらに。
柴栄は、高平の戦いのおり、全軍崩壊の危機を受けて、部下……枢密使の魏仁浦っていう軍師に「最前線行けや」って言われてる
皇帝自身もともとそのつもりだったけど、部下の進言により体裁を整えたって感じかな
部下側もそういう行動が必要だと認識していた時代ならでは。

76: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/06/08(水) 01:27:50.94 ID:GH02n3c/0
レッドクリフのコメンタリーでゲストの芸人が同じような質問してたけど、監修の渡邉先生が「個人戦闘の強さが戦いを左右してたのは春秋時代まで」と言ってた

そのコメントの直後に関羽無双が始まったのには渡邉先生も思わず苦笑い

78: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/06/11(土) 11:35:35.65 ID:GAONrvd50
個人戦闘得意の猛将が栄えたのは騎兵時代に入ってからというイメージがあるけどな
それで大砲や鉄砲や機関銃が発達して個人武勇自慢の猛将は消えていったと
日本の場合、個人武勇自慢の猛将は平安後期、戦国時代、幕末に集中してるよな

87: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/03/12(月) 12:20:56.69 ID:s8Ih/r3O0
士卒より身を先んじる、というのがあって、武将は先頭にたって戦う記録がある。
乱世に多いわな。

88: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/03/18(日) 01:43:37.43 ID:d68/DlQy0
戦闘どころか士卒を追い抜いて一番槍の手柄とった奴とかいたな

91: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/06/12(火) 05:42:57.92 ID:r7dTDp/60
実際に先頭で戦う必要なんてないだろ
出てると兵に思わせることやそういう噂を流布することは重要かもしれんがな
テレビも写真も無い時代だ
皇帝の顔を知ってる人間がどれだけいることやら

記録だって当てにならん
後からいくらでも書ける

98: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/04/23(木) 22:12:26.87 ID:STVUnoJx0
史記や六韜に良将としての過去の例であるとか、将軍としての典礼に前線で他の歩卒同様の労を厭わない態度・姿勢が望まれている。

魏の張遼は、あと一歩という所まで呉の孫権を追い詰めていたが、自軍すら置き去りにして前線に押し出し過ぎ、後ろの自兵らに
「将軍は私らを見捨てるのですか?」と嘆き叫ばれ、忍んで下がって自軍の兵らを助けに戻った。

と、wikiに書いてある。

101: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/05/10(日) 04:58:10.02 ID:/h7Oj0F10
馬超みたいなのは前線で敵将と格闘して死に掛けてたりする。

102: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/05/15(金) 09:57:33.49 ID:ugn3/JumO
宋の太祖趙匡胤は後周の武将時代に、兵5000人の奇襲を受けて500人に満たない兵で撃退してるね
味方の逃亡兵をぶったぎり、声を張り上げて鼓舞し、士気を維持するのが抜群に上手かったらしい
情報の伝達手段に乏しい最前線では、声のデカイ指揮官の存在は大切だったみたいだね
将を誉める言葉にしばしば『声が大きい』が入るのはその為
当然、敵と矛を交える機会も多かった事だろう

104: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/05/24(日) 09:59:13.17 ID:X9/pBhh90
>>102
指揮官が矛を交える機会はごくまれだったかと
むしろその例は珍しいからこそ数字的な記録にあるんだろうし

引用元: ・昔の戦闘は、武将が先頭で戦ってたの?