1: 人間七七四年 2009/06/30(火) 21:48:55 ID:pjiAZHIT
明智光秀、仙石秀久、頑固一徹、▲長▼、▲忠政、快川和尚、、
隣国、近江の賢い面々が羨ましい~








12: 人間七七四年 2009/07/15(水) 01:01:06 ID:UtWow+gP
>>1
伏字にするなよw

長可は地元金山ではちゃんと良政してたんだぜ。

4: 人間七七四年 2009/07/07(火) 00:23:27 ID:SG6xENcW
斎藤妙椿もよろしく

6: 人間七七四年 2009/07/07(火) 21:11:25 ID:BqPYLnQs
>>4
稲葉山城下に常在寺や瑞龍寺を建てた人だよね。
歌と引き換えに領地返還。風流すぎww

5: 人間七七四年 2009/07/07(火) 00:39:11 ID:BqPYLnQs
謎の切腹「古田重然」

一般的には茶人・古田 織部(ふるた おりべ)として有名。
利休七哲のひとりとされる。
関ヶ原の戦いでは東軍に与したが、大坂落城後の6月11日に内通の疑いで切腹を命じられた。
織部は一言も釈明せずに自害したといわれる。

7: 人間七七四年 2009/07/08(水) 01:52:37 ID:/q7koiXZ
竹中半兵衛は違うの?

9: 人間七七四年 2009/07/10(金) 18:18:27 ID:Ufk/ndG2
半兵衛は変人だね。
酷い馬に乗って得意げに戦を語る人w
44: 人間七七四年 2013/12/01(日) 20:52:03.38 ID:WMTojZpH
竹中半兵衛は秀吉支えたよな

50: 人間七七四年 2018/01/18(木) 22:19:20.62 ID:0hKWSbia
>>44
評価は高いけど具体的な戦略とかはいまいち知らないな
軍師というより武将だったらしいが

46: 人間七七四年 2015/06/01(月) 12:07:12.14 ID:aonOrswi
豊鑑の重門は領地が美濃だったらしいが

11: 人間七七四年 2009/07/12(日) 03:59:00 ID:Eu/bFrPg
仙台名物笹可児

15: 人間七七四年 2009/07/30(木) 20:34:26 ID:w4+qTgxC
日根野弘就

武将ながら鎧や兜の自作で有名。
84歳で自害。

17: 人間七七四年 2009/09/14(月) 08:57:23 ID:UmPUE/pX
>>15
生涯信長に抗し続けた人ですね。
ところで私は他国(遠江)の者ですが、福光御構って今でいうとどのあたりにあったんですかね?

20: 人間七七四年 2009/09/14(月) 17:59:23 ID:+gDfoxPq
>>17
福光御構という言葉が初耳なので適当だけど、稲葉城下で福光といえば、今の長良福光じゃないのかな。
昔はこの辺りを流れていた長良古川、長良古々川を昭和の初めごろに締め切ったから、地形はずいぶん変わってしまっているかもしれないが。

と、地元出身武将が「地味なことで有名な加藤光泰」の俺が言ってみる。

21: 人間七七四年 2009/09/15(火) 01:23:47 ID:UWdONVrM
>>20
ありがとうございます。
福光御構(おかまえ)は土岐氏の守護館です。いわば美濃の中心ですかね。
稲葉山が確か守護代の斎藤氏の居城ですよね?
よく資料などにも出てくる名でしたが、なにぶん地理に疎いので。
遺構など残っていれば見てみたいものですね。

22: 人間七七四年 2009/09/15(火) 18:06:15 ID:QYqL6bwX
>>21
妙覚寺あたりから流れてきた長井新左衛門尉やその息子新九郎が出仕してたとこねw

23: 人間七七四年 2009/09/16(水) 21:19:50 ID:nuGGl8nU
>>22
「彼の斎治(斎藤義龍)身上之儀、祖父新と左衛門尉は、京都妙覚寺法花坊主落にて、西村と申し、長井弥二郎所へまかり出、濃州錯乱の折、心はしをも仕候て、次第にひいで候て、長井同名となり、又父左近大夫(新九郎、道三)代々なる惣領を討殺、諸職を奪取、彼の者斎藤同名に成りあがり……」
(六角承禎條書より)

25: 人間七七四年 2009/09/17(木) 07:53:10 ID:AeYw0QcQ
>>23
父長井新左衛門尉がまさに下剋上の申し子。
息子新九郎(道三)はその親父の遺志を継いだってことだね。

19: 仙台藩百姓 2009/09/14(月) 13:45:42 ID:xU9fuP7o
美濃は小器用な側近タイプが多いイメージだお( ^ω^)

26: 人間七七四年 2009/09/21(月) 14:57:54 ID:I3MMsRUj
拷問の竹中重義

美濃斎藤氏の武将であった竹中重光の孫

父の後を継いで豊後府内藩主となる。
寛永6年に長崎奉行に着任。
穴吊りなど多くのキリシタンを殉教や棄教に追い込んだ拷問が考案された。
さらに島原藩主松倉重政の勧めで雲仙地獄におけるキリシタンの拷問を開始。
多くのキリシタンが殉教した。
この時、有名な絵踏み(踏絵)が、雲仙で初められたという記録が残っている。
密貿易など職務上の不正により切腹。

29: 人間七七四年 2009/10/11(日) 18:07:47 ID:Lh/wpbQD
猪子兵助も美濃出身だな。

30: 人間七七四年 2009/11/12(木) 07:34:54 ID:v5PusksZ
>>1
何で▲で名前隠すんだ?

31: 人間七七四年 2009/12/25(金) 13:38:31 ID:EGuQJSiB
>>30
隠されてるのは森長可と森忠政か?

37: 人間七七四年 2011/08/03(水) 11:11:16.13 ID:5kNOhkx7
遠山七家
岩村遠山家が有名だが、信長に潰された
苗木遠山家は地味だが、幕末まで一度も改易改封されなかった
遠山友政の時は、森長可に苗木城を攻められ家康のところに身を寄せたけどな
51: 人間七七四年 2020/02/23(日) 19:03:50.15 ID:2CXCpwjH
遠山家は領土は小さいけど近隣の大名にとって外交に与えた影響は小さくない

53: 人間七七四年 2021/02/11(木) 11:03:32.41 ID:QaYU+jpY
>>51
信長が武田家にブチ切れて勝頼絶対殺すマンになった決定的な要因も、同盟国・徳川との紛争でなく、遠山氏の帰属問題と内紛への介入(信玄時代の岩村占領と勝頼時代の明智侵攻)だしな。

江戸時代、岩村は松平家の藩になったけど、明智は旗本遠山家の知行地として続き、遠山の金さんもその家系から出た。

41: 人間七七四年 2012/07/19(木) 19:38:02.27 ID:yRomCkpM
秀吉の材木奉行の寺沢広政は美濃出身?

人名事典などを見ても
広政の代かその前かが判らない

42: 人間七七四年 2012/07/21(土) 06:39:46.29 ID:xokxdCNh
転載

西美濃十八将『美濃国諸旧記・巻11』
美濃斎藤氏の支配下西美濃地域における国人領主クラスの家臣たち

相場国信 衣斐(いび)光兼 揖斐(いび)光親 岩手道高 軽海光顕 
国枝正則 郡家(ぐんけ)光春 小柿長秀 小弾正(こだんじょう)国家 高橋治平
竹越守久 竹中重治 所信国 林道政 船木義久 松山正定 八居国清 山岸光信

重臣の長井、日根野、日比野以外かな?

43: 人間七七四年 2012/07/22(日) 21:55:34.25 ID:kEBlj8PM
氏家や安藤もいなくね?


52: 人間七七四年 2021/02/10(水) 23:36:32.09 ID:dCK4U9vQ
高木一族って3高木以外にも岡田氏の知行地で帰農してる一族もあるのか
一族経営過ぎるな

54: 人間七七四年 2021/03/13(土) 23:07:41.07 ID:V9+lamaW
美濃国諸家系譜見ると美濃の武将あっちもこっちも全員親戚かと思えてくる
まあ狭い範囲で政略結婚してたら実際そうなるのかな

引用元: ・【狂人】美濃の武将を語れ【変人】