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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/24(火) 21:51:26 ID:6IO3YM3P0
湖北にそびえる、道教の聖地にして、真武大帝が昇天した武当山。
その武当山において、伝説の道士張三豊が修行し、かの太極拳を創始した。
武当派の武術と歴史について語りましょう♪








275px-紫霄宮


武当山
は、中華人民共和国湖北省十堰市にある山。又の名を太和山という。

周囲400km、72峰からなる広大な山で、主峰は天柱峰(標高1612m)。山脈中には100を超える道観(道教寺院)群がある。「玄天真武大帝」を奉る道教武当派と中国武術の武当拳の発祥地。
道観は元の時代に戦火で焼失し、明の洪武帝の時代に再建された。道観と建物は1994年にユネスコ世界遺産(武当山古建築)となる。




2: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/24(火) 22:54:35 ID:1mQzRoWo0
多くの武術が少林寺の武術を起源とする伝説を持つことから、少林拳を含めて数多くの武術を少林派と呼び、太極拳の創始者張三豊が修行した場所が武当山であることから太極拳を武当派武術と呼ぶ。
しかし達磨大師の伝説も張三豊の伝説も信憑性が薄いことからこの分類自体ほとんど価値がない。太極拳の門派の者が少林拳門派に対抗意識が強いために2つの門派が対等で対立しているという発想から無理に考えられた呼称であるように思われる。
別の説として、1928年に南京中央国術館が開設され、当初は学科として、少林門と武当門が設けられた。武当門の中に武当拳、太極拳、形意拳、八卦掌 などが含まれていた。後には学科の分類は改められた。

3: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/25(水) 00:25:59 ID:n7udpV/20
金庸の「倚天屠龍記」の中じゃ、武当派の開祖張三豊は、元々は少林寺の寺の坊主で、ある事件がきっかけで寺を逃げ出し、悟るものがあって道士となり、武当派を創設、更に太極拳を編み出したということになっていたけどね。

まあ、太極拳は実際は清代に編み出されたもののようだし、張三豊そのものの実在性も怪しいけどね。
張 三丰(ちょう さんぽう、1247年 - ?)は、南宋・元・明代に生きた遼陽府懿州出身の道士・仙人。

伝説的な人物で、存在したかどうかは定かでない。しかし、諸事の根拠を明示して論証する学問的態度である考証学の祖である黄宗羲が記した『王征南墓志銘』に張三丰のことを記録しており、その中で内家拳の祖であるなどを記していることから、伝説は多いが内家拳の祖として確かに実在したとする説もある。

伝説では、少林寺で修行した後、武当山(湖北省十堰市)で武当派をつくり、太極拳を創設したとされる。


10: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/27(金) 14:42:59 ID:QqkfSyI30
>>3
張三豊が元少林寺にいたという設定は、金庸の創作ではなく、実際にそういう伝説がある。
少林寺で武術を学んだ後、武当山で修行して道教と組み合わせ、太極拳を生み出したと伝えられている。

事実ではなく伝説だけどね。

11: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/28(土) 00:46:21 ID:8MqGbLgJ0
金庸の武侠小説って、物語に出てくる人物や逸話が、意外にも史実や伝説に基づいている場合が多いからね。
周伯通が創作人物ではないことを知った時は驚いた。

5: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/25(水) 16:14:38 ID:+Orvf47M0
太極拳の起源

伝説的起源
その昔、張三豊という人が少林寺で武術を修めた後に武当山に入って修行をし、道教の陰陽五行説の思想や吐納法という呼吸法を取り入れて編み出したものが太極拳であるとの説話がある。張三豊は中国の他の伝説にも現れる不老長寿の仙人の名前であり、武術との関連は明らかではなく伝説の域を出ない説である。

歴史的起源
元来は河南省温県陳家溝という村の陳一族に家伝として伝えられていた武術であったらしい。創始者については諸説あり、明代末・清代初に当時武人として活躍した陳王廷がつくったとも言われる。しかし陳家溝に残る史料からは他にさまざまな武術が流入していた可能性がうかがえ、むしろそうした研鑽の蓄積としてできあがったものと考えるべきであろう。
陳氏の武術は一族を守る武術として発展し、それ故に門外不出とされていたが、清代末に河北省永年県広府鎮の楊露禅がこの拳法を会得して、北平(北京)に出向き広めた。拳理(武術理論)として王宗岳の『太極拳論』が重視されたため、そこから「太極拳」という名称が用いられるようになったとの説がある。

8: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/26(木) 16:08:21 ID:w0u6UrQP0
>>5
太極拳は、箔をつけるために、武当派の名声を借りたって感じだね。

9: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/27(金) 00:10:12 ID:X6f4Dp+60
>>5
>清代末に河北省永年県広府鎮の楊露禅がこの拳法を会得して、北平(北京)に出向き広めた。

「太極英雄」とかいう中国ドラマが、ちょうどその逸話をドラマ化したものだったね。
まあまあ、面白かった。

6: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/25(水) 22:39:04 ID:iFfaNNET0
武侠小説の世界じゃ、武当派ってものすごく偉そうにしているよなあ。
少林寺と並んで、武林の頂点に君臨する大派閥って感じで。

12: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/28(土) 09:46:54 ID:BavDBui30
武侠小説の中の描写だと、太極拳はくるくると円を描き、相手の力を取り込んで自分の力として使うような、印象だけど、実際の太極拳ってどうなのかねえ?
健康体操のようなものらしいけど。

14: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/28(土) 10:06:51 ID:ZirKXR6N0
>>11
相手の力を取り込んで自分の力として使うような、印象

「引進落空」 「四両発千斤」の事でしょう

25: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/15(水) 18:56:04 ID:FwH4aTMi0
>>12
相手に貼り付いて動きにくくしたあと、殴ったり蹴ったりする。
イメージとしては、ボクシングのクリンチの間合いで自在に動いて戦うと思ってくれ。

基本的に接近戦なので、フックと肘打ち、膝蹴りを多用する。
筋トレじみた練習も豊富で、習った感想としては「体がでかくて体重があって力が強い奴が強い武術」という印象。
いろいろと派があるけど、少なくとも、力の弱い人や女性が強いなんてことは無いです。

27: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/15(水) 22:04:45 ID:4OibmrCs0
>>25
一般に聞くイメージと正反対だな、それ。

4: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/25(水) 13:20:31 ID:XhJDrIvq0
武当山は世界遺産になっているよね。
少林寺もそのうち、世界遺産に指定されるかな?

19: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/30(月) 13:18:26 ID:Vdg3YXM90
武当山って、五嶽より上に位置づけられることもある、
かなり偉い山なんだね。

20: 張三豊 2006/10/30(月) 23:46:49 ID:eNAY3jyj0
だから、わしは、修行場所に武当山を選んだのじゃよ。

21: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/01(水) 12:35:58 ID:JOgdFa2q0
>>20
倚天屠龍記によると、たまたま通りかかったようだが?

22: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/06(月) 14:21:51 ID:V8MlL4X+0
映画のグリーン・デスティニーでも、武当山が舞台になっていたね。

31: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/19(日) 13:11:56 ID:QktPeHmE0
実際に今の武当派へ入ったら、道教の修行だけじゃなしに、武術の修行もさせてもらえるのだろうか?

32: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/20(月) 15:18:04 ID:n6HmCdud0
>>31
道士としての道を極めてからの話だ。

24: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/13(月) 15:48:15 ID:pPzZ7iUb0
明の永楽帝の時代、神仙道士の張三豊を捜し出す命令が何度も出された。また、武当山に宮観を造営するために膨大な金を費やし、太和山という名を賜り、真武大帝を祭祀した。これは、元代明代には張三豊が「活神仙」であると広く認識され、彼が武当山で修行を積んだからである。

明の永楽帝朱棣は、宮観を建てて本物の神仙と会おうとした。また、真武大帝を自分の守護神とし、自分が「真武大帝の生まれ変わり」であるとほのめかして世を欺き人々を惑わせた。彼はそれによって自分が燕王の立場から挙兵して皇帝位を簒奪したことに対する不安な気持ちと社会の物議を消し去ろうとした。

明の嘉靖三十一年に、武当山の真武殿が竣工し、陶仲文は命を受けて武当山で大規模な?を行った。その?は夜間の灯火が昼間のように明るかったと言われている。

36: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/06(水) 11:45:18 ID:v98/qya30
武当山は、いまも明代の遺構を多く残すとはいえ、かつての太和・南岩・紫霄・五龍・玉虚・遇真・迎恩・浄楽の八大宮のうち、迎恩・浄楽宮の建物のほとんどは失われ、五龍・玉虚宮もかなりの部分が毀れたままである。
南岩宮は比較的まだ保存されているとはいえ、その碑亭などはいまも上部を欠いている。清代にも多くの宮観は何度も重修されているとはいえ、明王朝のような過度な保護がなかったことがやはり影響しているといえるだろう。
現在これだけの規模の宮観を維持するのは大変なことと思われる。ただ見たところ玄天上帝信仰の盛んな台湾各地の廟からの寄進が多いようであった。

37: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/09(土) 09:09:11 ID:vmGpwu3U0
清代はあまり保護を受けなかったんだな

38: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/09(土) 10:32:14 ID:BTvGjd9q0
清は蒙古とかチベット勢力への懐柔策としてチベット仏教(ラマ教)を保護してたそうだから

39: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/12(火) 08:59:01 ID:fESHm6Mt0
2005年夏期武当山諸宮観調査報告
https://cir.nii.ac.jp/crid/1050282677887454464?lang=en

40: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/16(土) 17:09:32 ID:OXdeiF4b0
>>39
へえ、清代は関羽がライバルになったのかw

41: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/18(月) 23:48:47 ID:3QpLgdr00
玄天上帝は、関羽ごときが、って思っただろうな。

42: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/21(木) 12:50:23 ID:Ph73ZbEd0
>>39
>そもそも、北方の守護神であった玄天上帝を祀る聖地が、なぜ河北や山西といった北方異民族に接する地区でなく、北の地にあるのかは大きな疑問であった。
しかし視点を変えてみれば、北宋から元初に至るまで、漢民族と北方異族の係争の地であった襄陽の近辺は、むしろこの時代の北方守護の神にふさわしい土地と言えるかもしれない。


宋代に発展したってこと?

43: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/22(金) 23:57:52 ID:ITLaVHkw0
元代にぼろぼろになったものを、明代に再建

44: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/14(日) 12:49:00 ID:X6I2hBEg0
元の時代にぼろぼろになる前の宋の時代にも、そこそこの建物が建ち並んでいたってことかな。

45: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/18(木) 02:37:33 ID:NMkOF8VU0
中華民族と栄枯盛衰を共にしてる山

48: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/05(月) 23:41:10 ID:GkjDKC4p0
明朝の保護を受けたそうだけど、相当な寄進とかがあったのかな。

49: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/21(水) 23:58:26 ID:Kv0xm2bk0
永楽帝が何か熱心に保護したんだっけ?

58: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/10(日) 13:46:12 ID:CfPLqFgF0
撮影はともかく、一般の観光客は紫霄宮とかには入れるんだよね。
でなきゃ観光に行く意味ないし。

93: 名無しさん@お腹いっぱい 2022/04/10(日) 09:34:36.81 ID:nXux65zB0
>>58
紫霄宮は山のふもとにあるので簡単なんだよね すぐ横に大きなホテルと駐車場があった

68: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/12(月) 21:26:51 ID:znjxAY030
武当山へ行くとしたら、空港はどこが一番近くになるんだろうか?

69: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/29(土) 14:45:43 ID:RRANy7mo0
近くにある大きな都市だと、老河口とか

70: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/31(月) 12:58:50 ID:n0FX3EFZ0
結構、辺鄙な位置にあるね、武当山って。

72: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/17(木) 00:26:51 ID:WcsGNsBP0
明の時代の道観の建設にいくらぐらいかかったんだろう。
国家事業として建ててもらったようだけど。

引用元: ・【太極拳】 武当山 【真武大帝】