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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/08/22(日) 05:07:20 ID:MZMwVeZI0
いかにして明朝存亡の危機を乗り越えるか?







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崇禎帝(すうていてい)は、明朝第17代(最後)の皇帝。

即位してすぐに、兄帝の下で専横を振るった宦官魏忠賢を誅殺し、名臣として名高い徐光啓を登用するなど国政改革に取り組んだ。当時は北に満州族の後金が進入し、南では李自成たちの反乱が多発した、まさしく国事多難の時期であり、崇禎帝はこの状況をたった一人で支えようと懸命に努力した。崇禎帝は天啓帝らと違い、政治に熱心であり、色事にふけるようなこともなく、倹約を心がけていた。しかし猜疑心が強く、臣下を信用できない悪癖を有していた。

即位直後から重臣を次々と誅殺してまわり、特に山海関で満州族からの防衛を一手に引き受けていた感のあった名将袁崇煥を誅殺したことは致命的であり、明が滅亡した原因として必ず崇禎帝の猜疑心が挙げられる。

崇禎17年(1644年)、李自成の順軍は北京を包囲し、3月19日に北京は陥落した。前夜から、崇禎帝は息子たちを紫禁城から脱出させ、側室と娘たちを自ら手にかけて殺害し、周皇后の自害を見届けた後、危急を知らせる鐘を鳴らしたが、文武諸官はすべて逃亡し、君側に参じたのは宦官の王承恩ただ一人であった。ここにいたって紫禁城の北にある景山で首を吊って自殺した。享年34。




2: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/08/22(日) 12:40:00 ID:UwcIbP6xO
まず袁崇換を殺さない、北京は戦略的撤退として放棄
南京を防衛最前線拠点として、そこから以南の都市に遷都。そこでじっくり地歩を固めてやっていくかな。
農民は暴動鎮圧自体は出来ても、今までの不満を解消しない限り続発は避け難いから、鎮圧を直接の対症策としつつも、地道に不満分子の優遇を施行して人心掌握する他に手は無いだろ。
こればかりは一気に好転させるカンフル策は無い。下手な大規模税軽減では財政を圧迫するし、当座は対北方策で軍事費が懸かるのは目に見えてるから時間を掛けるしかない。
北京などの奪還は占拠してるのが農民軍などか、清軍かによって変わるだろうから思い付かないな。



一気に書いてみて、余りの厨臭い自論に涙が出そうだw

5: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/08/22(日) 19:26:30 ID:MwWK9o850
李自成に禅譲する

8: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/08/24(火) 02:20:16 ID:uuZnr0iB0
やっぱ僧侶に変身して東南アジアに逃げるしかないだろう。

9: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/08/24(火) 04:24:40 ID:gzOQep2T0
台湾へ逃げて独立し、大陸に対して反攻作戦を行う

14: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/08/30(月) 11:54:54 ID:uz3cgiQO0
亡命するしかない

20: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/09(木) 12:33:51 ID:VpmEsC8ZO
情けなく首を吊らないで
「誰か朕の首を取ろうとする物はいないか!?」
と絶叫しながら敵陣に切り込み討ち死にって言うカッコイイ最期を迎えたい

41: 名無しさん@お腹いっぱい。 2014/01/25(土) 17:15:39.71 ID:+Wam76wI0
>>20
コンスタンティノス11世乙

26: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/14(火) 09:20:34 ID:anfdCq7QO
北京陥落前夜


陛下「プランBを考えてくれ」

27: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/14(火) 09:50:58 ID:io+S+dwd0
プランB

領土割譲を条件にドルゴンを味方につけ李自成を共同で討つ。
ちょうど呉三桂の立ち位置になる。

28: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/14(火) 12:01:28 ID:anfdCq7QO
もし、それやったら石賊並に末代まで罵られるな

29: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/17(金) 08:14:43 ID:TnW2H17/O
とりあえず南北朝の形に持っていけてもドルゴンの後に順治、康熙、雍正と来られた日にゃジリ貧だわな。
インドで阿片を調達して悪辣な宦官付きで歳幣として送り付けて清朝を内部から腐らすとか?

30: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/17(金) 09:10:57 ID:s1s8l3Pb0
とりあえず肥沃な江南に落ち着けたら、平和になって余っている、日本の侍を大量に輸入して、満州族を討つ

31: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/19(日) 18:45:05 ID:/+LWKy210
>順治、康熙、雍正

この波状攻撃はすでに詰んでるよなぁ

32: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/22(水) 17:39:30 ID:s1H+otjcO
>>31
康熙帝の幼少期に傅育官を送って明の歴代皇帝並の暗君に仕立てるとか。

33: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/23(木) 09:03:20 ID:8RNThgsh0
清は皇太子制度を採用してないから、そうなったら別の親族が立つだけ

34: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/24(金) 17:20:41 ID:FcDt9Mv4O
>>33
数えで8歳、実年齢で6~7歳で即位しているから親政を始めるまでに方術、房中術、そして阿片を徹底的に叩き込めば間に合うかと。

35: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/11(月) 09:12:45 ID:mKK6fCydO
総ての即位可能皇族に色仕掛けするのも大変そうだな。
清の強味は下手に皇太子を定めず、能力が高い皇子を指定するがあるから。
皇帝早逝・太子一人で幼少・かなり有能な補佐が少ないのどの王朝もイチコロのトリプルコンボが出ればどうにかならんでもないが、初期の清は順治・康煕にそれに近くなっても上手くかわしてしまった。
ある意味勢いがあった。
崇禎帝とその後継者がどこまであの名君連続コンボを凌ぎ切るか見てみたかった気もする。

36: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/11(月) 15:26:07 ID:6odWHDo40
寧ろこの人の場合は正義感の強いインテリ青年気質で性急に改革を進めようとしてかえって明朝の命脈を縮めてしまったように思える。
もっとあせらず、無理をせずに国政をとっていたならば、彼自身が天寿をまっとうできるくらいまでは明王朝も続いていたのではないか

37: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/11(月) 18:01:48 ID:mKK6fCydO
崇禎帝は光緒帝が丁度西太后や李鴻章、康有為も張之洞ですらもいなくて、さらに袁世凱が死んでいて、孫文や海外勢力にカゴメカゴメ状態だった場合って事か。
こうして見ると本当に崇禎帝は詰んでたんだな。

38: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/23(木) 14:07:31 ID:WIhiFuf60
崇禎帝は能力的には洪武帝、永楽帝に劣らなかった人物。
しかし、彼を補佐する人間が「ただの1人も」いなかったことは悲劇でしかない。
傑物英君も一人じゃ何もできないしね

46: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/11(火) 18:38:19.17 ID:uuXr7U+X0
>>38
農民反乱壊滅させた洪承疇も知らんのか

39: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/23(木) 17:56:25 ID:ZJPVEKmF0
>>38
袁崇換

43: 名無しさん@お腹いっぱい.。 2014/05/17(土) 21:08:32.66 ID:d/Qs79TY0
>まず袁崇換を殺さない。

まずこれだろうな...

引用元: ・【絶対】もし崇禎帝に生まれていたら?【絶命】