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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/14(金) 15:45:38 ID:t8K+pBXR
飛騨国の戦国大名について語りましょう。








2: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/14(金) 15:47:30 ID:KWNj/8k4
災害で滅亡するなんて珍しい。

7: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/14(金) 19:46:34 ID:hymDeNqZ
帰雲城の埋蔵金って呪われてるの?

12: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/15(土) 03:24:46 ID:2cEY6jg+
>>7
呪われてはいないがなんせ土砂で城ごと押し流されて四散してる上に一帯が一世紀近く泥沼地帯になってたせいで城のあった位置もよくわからない有様。

候補地一帯を30m以上発掘する費用>>>>>>>>>回収が期待できる金の価値

だから誰も掘り返さない。
内ヶ島の採掘実績からしてある程度の金が埋まってるのは確実だろうがな。
災害直前の金森勢への献上金でかなり目減りはしてるだろうが。
巷の埋蔵金との決定的な違いは後で掘り返す便を考えて人間が埋めたのではない
ところ。

15: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/15(土) 19:50:32 ID:9f7NjmDi
3万石ほどに過ぎない小大名の内ヶ島氏の力の源泉は、飛騨地方の豊富な金銀山だった。
白川郷周辺には、横谷、天生、森茂、片野、六厩、落部、上滝、三谷、三尾河など9つもの金銀山が所狭しとある。

小牧長久手合戦の時、内ヶ島氏理は、徳川について佐々成政を支援して、越中に出陣した。
その隙に、秀吉配下の金森長近が飛騨を手中に収めたので、氏理は長近に降ってなんとか本領を安堵された。
氏理が多くの鉱山技術者を抱えていたため、長近もこれを滅ぼすわけにはいかなかった。
そんな矢先の大地震だった。

1585年11月29日、飛騨白川郷を突如襲った山津波は領主内ヶ島の帰雲城と三百余戸の城下を一瞬にして呑み込んだ。
これにより内ヶ島氏理はじめ多数の人々が圧死を遂げた。
帰雲城の黄金伝説が生まれたのは、このときからだ。

180: 人間七七四年 2008/07/02(水) 13:00:17 ID:BoAPK7dO
日本酒の本読んでたら、たまたま出てきた。

飛騨とは山ひだの中の国という意味らしい。
上古、白鳳、天平時代から人里があり、室町時代になると飛騨の国司に任ぜられた姉小路尹鋼の治める所となった。
この姉小路氏は、日本の三国司(伊勢の北畠、四国の一条、飛騨の姉小路)といわれた実力者で、いわゆる守護大名の形で南吉城郡が勢力範囲であった。ここに、後藤、日下部、蒲、田辺の四天王と呼ばれた重臣たちがいた。
彼らの後裔はいずれも百姓となってこの付近に土着したが、この中の蒲氏は近くの杉崎(飛騨古川の次の駅)と言う地に居を構え、代々神職を兼ねて暮らしていた。それが元禄初年(1688年頃)、弟が分家して古川の一之町に出た。
その五代目の時、弘化二年(1845年)から酒造りをはじめている。

186: 奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2008/08/17(日) 20:33:38 ID:TCBxslTY
そういえばカバさんは岐阜に多いし、造り酒屋にも蒲酒造ってあるな。

187: 人間七七四年 2008/08/26(火) 15:12:45 ID:2EWcRIVW
飛騨では煙硝を密かに作ってたので実は結構な収入が・・・

188: 人間七七四年 2008/09/12(金) 15:15:47 ID:wWlOnvCJ
煙硝づくりは江戸期の話とも…

190: 人間七七四年 2008/09/29(月) 14:30:55 ID:mIYlxK+f
硝煙作りは五箇山が有名だった。五箇山に隣接してる内ヶ島?

191: 人間七七四年 2008/10/14(火) 15:28:33 ID:QV/etZmz
五箇山は越中だよね。

192: 人間七七四年 2008/10/14(火) 22:59:25 ID:LhYf2iCk
内ヶ島は越中に隣接してるよね

193: 人間七七四年 2008/10/15(水) 02:37:23 ID:Ik3xxcjU
内ヶ島は本願寺の要請で能登・越中の畠山や長尾と戦ってるしな

211: 人間七七四年 2009/01/29(木) 13:32:21 ID:YukiVyXA
材木でも随分儲けてたようだな

213: 奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/01/30(金) 00:26:26 ID:vUu3tj6/
ドライブ趣味の奴は一度飛騨を走り倒してみるがいい。
石高が人口を示すだの数万の兵力がどうだのという講談がいかに幻想なのか分かるから。

214: 人間七七四年 2009/01/30(金) 07:46:39 ID:0PFF+Y0y
>>213
kwsk

215: 196 2009/01/30(金) 20:39:03 ID:i+hyS/+4
たぶん、実際の石高や、講談で語られる兵力を展開できる平地が極端に少ない、という事かと。
現地に行った事はないけど、「帰雲城大崩壊」の著者の人は史跡を回るのが車であっても大変困難で、こんなとこを重装備の兵が通ったなんて考えられない、って書いてた。
冬とかは崖とスレスレの道を雪崩に怯えながら通るしかないような道ばっかだそうな。
(著作が結構昔のものだが、今もそう変わんないだろうから)

217: 人間七七四年 2009/02/16(月) 16:21:28 ID:qds5xXRW
地形に守られたんだ

228: 人間七七四年 2009/06/01(月) 18:11:24 ID:R1/KdjZN
難攻不落の山の要塞でも作れば良かったのに。
なんか格好いいし。

229: 人間七七四年 2009/06/01(月) 19:08:26 ID:4DN3Dr98
それやって地震で埋(ry

237: 人間七七四年 2009/06/16(火) 20:42:05 ID:ENXow/yu
飛騨って当時はどんな気候だったのかな?
冬なんてやばかったんだろうなぁ。

239: 人間七七四年 2009/06/17(水) 17:48:16 ID:I9Ht5v+q
明治時代だったか忘れたが、東京でも氷点下以下まで冷え込んだらしい
飛騨なんてヤバいんじゃないか?

240: 人間七七四年 2009/06/21(日) 02:14:40 ID:VkRR6APB
山ばっかり、夏は暑く冬はとにかく寒くて雪深い。
田んぼを作れる土地が少なく、常に他国からの侵略に怯えている。

飛騨はこんなイメージ

241: 人間七七四年 2009/06/21(日) 02:24:45 ID:1VX8VP67
>常に他国からの侵略に怯えている。

いや、むしろ不便すぎて他国が侵略する気にならないイメージだ

247: 人間七七四年 2009/06/25(木) 13:17:28 ID:+l5gqx27
つかたとえ車を使ったとはいえ、現代人の感覚と体力で判断するのってどうなんって気はする
難所難関って言われる峠や山とかが近くにあって、他村との頻繁な往復を余儀なくされる村なんて、嫁は炭俵担いで峠を越えて初めて嫁として一人前とか言われてる所もあるくらいだし

248: 人間七七四年 2009/06/25(木) 23:13:46 ID:76TSYRGO
>>247
言ってることはその通りだが、飛騨に行かなきゃならん人間なんて当時はごくわずかだからな
いくら体力があろうと何も無いところに好き好んで疲れに行く奴はそうそういない
飛騨が田舎ってのは間違いない

243: 人間七七四年 2009/06/22(月) 20:38:10 ID:wpMlL49d
飛騨といえば赤影さんとこのイメージが一番にくるな

244: 人間七七四年 2009/06/22(月) 20:55:42 ID:eu6r+zvg
飛騨に忍者はいたんかねぇ?

245: 人間七七四年 2009/06/24(水) 11:35:32 ID:PClMrIUy
飛騨人と余所者の区別が容易そうだしどうかな

246: 人間七七四年 2009/06/24(水) 18:47:23 ID:ziO9XKOl
飛騨弁は古典とたいして変わりない
いかに余所との交流がなかったかが伺える

いとしい→気の毒
かわいい→可哀相
げばす→失敗する(落馬した武士が下馬(げば)したのだと言い訳したのが由来)

249: 人間七七四年 2009/06/26(金) 13:53:28 ID:NglhwUFR
飛騨って怪談や童話みたいな口伝え等で現代まで伝わってる伝説はある?
各地の民間伝承の言い伝え等面白いんだよな。

251: 人間七七四年 2009/06/26(金) 18:42:46 ID:GiPRowOa
・蟻鞍の婆(ありくらのばば)
岐阜県高山市で伝承される老婆の姿をした妖怪。
不思議な術を使う仙人のような存在として伝承されており、小烏山が噴火の予兆を示した際、7日目に祈りを捧げ山の鳴動を止めたり、温泉に馬の爪を投げ入れ、ただの水に変えてしまったりした、といった逸話が残されている。

・かまいたち
かまいたちの伝承は各地にあるが、飛騨の丹生川流域では、この悪神は3人連れで、最初の神が人を倒し、次の神が刃物で切り、三番目の神が薬をつけていくため出血がなく、また痛まないのを特色とするのだと伝えられる。

・やまがろ
飛騨の山中に出没する妖怪。
木こりが山道を登って来ると、その背にまたがって弁当を奪い取ると言われている。

・両面宿儺(りょうめんすくな)
上古、仁徳天皇の御世に飛騨に現れたとされる妖怪。
その身体にはローマ神話のヤヌスのように頭の前後に顔が二つ付いており、おまけに腕が前後一対の四本、足も前後一対の四本あったとされる。
背丈は1丈・18丈等様様。手には弓矢、剣を持っている。動きは俊敏で怪力。
日本書紀に拠ると、飛騨国に現れ、朝廷に背いて民衆を苦しめていたが、仁徳天皇65年、朝廷が差し向けた武将・武振熊命(たけふるくまのみこと)により退治されたとされている。

以上、昔に「妖怪戦国SLG」を作ろうとして頓挫したデータより。ほとんどウィキペディアの抜粋だけど。

252: 人間七七四年 2009/06/26(金) 19:34:13 ID:bFF2F748
串柿仙人も飛騨の松倉山だっけかね。
あの話は笑い話っぽいんだけど、なんか切ないよ。

279: 人間七七四年 2010/05/19(水) 20:50:43 ID:Ke2MIeIO
飛騨は良い城跡がワリと残ってて良いトコ
ア〇タ飛騨高山店近くの広瀬城なんか店の駐車場から堀切がくっきり見えて中々感動的だった・・・

294: 人間七七四年 2010/12/08(水) 15:47:42 ID:oWoo96SE
金森長近もっと評価されても良いと思う
飛騨高山が国内外から観光客集めるのも彼の功績が大きい
信長、秀吉、家康の時代を生き抜く先見性もあった

296: 人間七七四年 2010/12/08(水) 19:35:31 ID:r0nnnnFO
>>294
地味だけど戦国時代のメジャーな合戦にかなり参戦してるね
関が原では飛騨の軍勢約1000人引き連れて福島正則ら先鋒の後衛に
織田有楽らと共に布陣し参戦してる

参戦した主な合戦

織田信長時代の戦歴
村木の戦い 稲生原の戦い 桶狭間の戦い 浮野の戦い 堂洞城降伏勧告 稲葉山城攻め
京都上洛作戦 越前朝倉攻め 比叡山焼き討ち 伊勢侵攻 浅井・朝倉滅亡戦 
長篠の戦い 鳶ヶ巣山砦奇襲戦 越前一向一揆戦 伊勢長島攻め
手取川の戦い 荒木村重討伐戦 武田本領侵攻

豊臣秀吉時代の戦歴
賤ケ岳の戦い 小牧・長久手の戦い 飛騨攻略 向牧戸城攻防戦 広瀬城攻防戦 松倉城攻防戦
飛騨国人一揆平定戦 小田原攻め

徳川家康時代の戦歴 
郡上八幡城攻防戦 関ヶ原の戦い 大阪冬の陣(金森可重) 岸和田城守備戦(金森可重)

http://www.geocities.jp/heavenryo/senjou/senjou.html

298: 人間七七四年 2010/12/12(日) 15:31:08 ID:vKnWz6fe
>>294
金森長近は内政にしても軍事にしても手堅かったらしい。

299: 人間七七四年 2010/12/12(日) 19:45:22 ID:UbyQnfsU
山間の小都市に文化を持ち込んで小京都とまで呼ばれるようになったのは長近の文化への造詣が深かった事に起因するな

>>298
与えられた仕事はきっちり着実にこなすことで信長公からも信頼されていたんだろう

305: 人間七七四年 2011/01/08(土) 19:30:13 ID:2h94L6YT
信長、秀吉、家康と激動の時代を生き抜いたんだから才能はあったはずだよ。飛騨の山村に文化を根付かせ小京都にしたのも長近の功績。
高山のみならず、旧領の越前大野でも銅像建てられてその功績を讃えられている

306: 人間七七四年 2011/01/08(土) 20:43:57 ID:PYw9Uy+o
金森長近は勇将というより知将タイプで、武将としての才能もそこそこあったが、行政能力はもっとあった。

317: 人間七七四年 2011/09/16(金) 14:34:15.63 ID:1eG0wAbk
金森長近の弟に、落語の祖、安楽院策伝がいるという。

327: 人間七七四年 2012/05/13(日) 05:09:29.12 ID:Tf55RneT
材木資源に目をつけた幕府により出羽上山、美濃郡上に国替えさせられ、取り潰された金森頼錦

332: 人間七七四年 2012/07/01(日) 02:55:37.02 ID:uTXjaVH6
内ヶ島氏は最近知名度が上昇した気がしないでもない

333: 人間七七四年 2012/09/04(火) 22:34:58.92 ID:bggtWsLj
発掘しないでもさ、長良川鉄道の北濃から、白川街道に沿って白川郷抜けて城端線の城端までつなげば、どこかでその帰雲城の遺跡にでも突き当たる気がするが。

334: 人間七七四年 2012/09/09(日) 10:38:39.43 ID:pG0aP339
江馬氏、内ヶ島氏の兵数はどれくらいだったんだろうか?

江馬、250~300人
内ヶ島、100人

これぐらいだろうか?

335: 人間七七四年 2012/09/09(日) 13:36:18.99 ID:st+Qx8Fk
>>334

それだけで上杉軍の侵攻を撃退できるとはとても思えないが…。

337: 人間七七四年 2012/09/09(日) 18:03:34.50 ID:pG0aP339
防衛戦だと領内の女や子供も加わるから無しで頼む
飛騨国の総兵数から考えてみたい。
関ヶ原の戦いで金森軍が約1200人、飛騨国の留守に500人ぐらいでどうかな?
よって約2000人ぐらいでOK?
皆さんの意見が聴きだい

338: 人間七七四年 2012/09/11(火) 18:54:30.61 ID:IpEWvc3u
太閤検地が3万8千石。
豊臣の小田原の陣や朝鮮征伐での軍役や上杉文禄三年定納員数目録などで、この時期の正規軍は100石あたり六人役が基準
というわけで飛騨の正規軍の人数は2280人
ちなみに関ヶ原では3人役なので金森軍は1200人と算出されている
豊臣政権の軍役の内訳は侍や足軽と人夫などの非戦闘員の内訳はだいたい半々なので、豊臣期の飛騨の正規軍戦闘員はだいたい1200人

339: 人間七七四年 2012/09/11(火) 19:12:50.16 ID:IpEWvc3u
戦国時代は大抵の地域で豊臣期より軍役が緩やかなので戦闘員1000ほどか、うち騎乗の者100人
これを戦国末期の勢力図に、超適当に対応させると
三木350人、江馬250人、塩屋100人、広瀬100人、内ケ嶋50人、その他150人
超適当な計算だけど>>334に似たような感じになった

340: 人間七七四年 2012/09/12(水) 21:06:23.36 ID:lWPU88n3
>>339
レスありがとう。私も大体同じくです。
江馬氏がもっと飛騨国統一に積極的になって欲しかった。
せめて古川盆地、国府盆地を領土化していたら、飛騨戦国時代も面白くなっていたんだろうなぁ

350: 人間七七四年 2012/09/16(日) 02:07:12.24 ID:vKyXUgQu
>>340
> 江馬氏がもっと飛騨国統一に積極的になって欲しかった。
> せめて古川盆地、国府盆地を領土化していたら、飛騨戦国時代も面白くなっていたんだろうなぁ

動員できる兵力と地形の関係で、山城に籠城されたらしんどかったというのもある。

341: 人間七七四年 2012/09/12(水) 21:57:58.60 ID:s0rOAh7y
兵数は知らないけど帰雲城の城下町は300軒くらいだったらしい

342: 人間七七四年 2012/09/12(水) 23:43:09.55 ID:qqkt/iTn
内ケ嶋氏で馬乗れるの5人か、せつねーなぁ

343: 人間七七四年 2012/09/13(木) 22:18:46.68 ID:WsLP7U7P
>>342
詳しく教えて
軍馬が5頭しかいなかったの?
馬術に長けた人が5人しかいなかったの?

344: 人間七七四年 2012/09/13(木) 22:38:33.41 ID:3uR/857o
当時の騎兵の割合が10%前後で兵員50なら5騎つーことやろ

352: 人間七七四年 2012/09/16(日) 23:43:15.59 ID:POYN4Z9v
飛騨地方の関ヶ原の合戦と例えられる八日町の戦いにおいて、江間軍3千、姉小路軍2千余との事なので、誇張的表現だという事を踏まえて実際の両軍総数は半分程度か?

358: 人間七七四年 2012/09/17(月) 21:35:47.73 ID:rBGdZQuh
>>352
飛州軍乱記に三木軍1000人、江馬軍300人とあるんだけど、三木2000人、江馬3000人より現実的だと思う。
合戦時の江馬氏の勢力圏から考えて3000人は無理だよね。
越中からの援軍も考え難いしね。
後の関ヶ原での金森軍の1300人とも合うし、飛州軍乱記の記述が現実的だと思う

365: 人間七七四年 2012/09/18(火) 03:41:59.59 ID:a2mSXENG
>>352
> 飛州軍乱記に三木軍1000人、江馬軍300人とあるんだけど、

攻撃側が守備側より少ないってのはキツイ。
どうして攻めてきたんだろう?

368: 人間七七四年 2012/09/18(火) 21:15:48.24 ID:tcZnD7SU
>>365
詳しく記述された資料が無いから私の予想になるけど
古川盆地、国府盆地を領地化したかったのかも
ところが三木が援軍で駆けつけて決戦

355: 人間七七四年 2012/09/17(月) 14:13:09.75 ID:c/HXoQJm
武田信玄がアルプス越えて侵入繰り返してたけど、何か戦略物資でもあったのかな?木材以外で

356: 人間七七四年 2012/09/17(月) 14:27:19.89 ID:6+6LsD1e
>>355
銀山とか銅山はなかったかな?

359: 人間七七四年 2012/09/17(月) 22:13:32.79 ID:c/HXoQJm
>>356
あるいは越中の五箇山の塩硝狙いかもな。
それとも飛騨経由で越中に出ることで塩の道を自前で確保したか

360: 人間七七四年 2012/09/17(月) 22:52:18.00 ID:HcUV8djp
>>359
五箇山でも白川郷でも、煙硝作ってたのって金森か天領になってからじゃないかな?

362: 人間七七四年 2012/09/17(月) 23:16:49.33 ID:c/HXoQJm
>>360
そうなると塩や海上ルートへのアクセス狙い?

363: 人間七七四年 2012/09/17(月) 23:25:07.14 ID:FdvvL4vi
実際に塩屋氏は塩のルート確保の為に神保領に攻め込んだりしてるね
姉小路、三木、江間、内ヶ島、塩屋、etc…
この辺りの飛騨の勢力の格付け的な優劣の順序ってどんなもんなんかな

366: 人間七七四年 2012/09/18(火) 18:30:01.21 ID:XcZkUIjS
>>363
姉小路の衰えと共に他が伸長してきて、暫くは本願寺の仲立ちで諸家は基本的には対等に近い状態。
金森が攻めて来る頃には、内ヶ島は三木の言うことに従わざるを得ない感じだったらしい。

引用元: ・【姉小路】飛騨の戦国大名【内ヶ島】