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2: 人間七七四年 2014/02/22(土) 22:55:03.37 ID:KfXz1Kae
「一向一揆」は江戸時代の造語
「一向一揆」の定義も江戸期の東西本願寺教団によって行われた恣意的なもの。

同時代的にはあくまで「一揆」「土一揆」であり、一向宗による宗教的な一揆であったと判断すべきではない

3: 人間七七四年 2014/02/23(日) 00:17:10.12 ID:Z3/livoe
一向宗の一揆で、当時は浄土真宗も一向宗と同一視されてた

って理解してたけど間違いですか?

4: 人間七七四年 2014/02/23(日) 14:23:18.64 ID:mHVuv+cS
親鸞を祖とする浄土真宗は一向俊聖を祖とする一向宗とは別物
ただし両者とも浄土教の流れを持つので混同されがちで、浄土真宗を一向宗と呼称する者が大勢いたが、これは不適切である

親鸞の教えを広める浄土真宗の僧侶・信者が興した一揆を「一向一揆」と呼称するが、この名称が適切か否かは賛否両論ある
しかし戦国時代後期、畿内・北国・東海の一揆の多くは浄土真宗の寺社が深く関わっており、浄土教の僧侶・信者のことを「一向衆」と呼び彼らがしばしば一揆を興したので、これを広く一向一揆と呼んでいる

一向一揆の武力は相当なもので、初期の頃から各地で管領や守護大名、守護代をたびたび破るなど猛威をふるった
しかし朝倉宗滴・細川晴元・三好長慶といった名将に阻まれ覇権を握るには至らず、戦国末期には織田信長・上杉謙信に圧倒され消滅していった

6: 人間七七四年 2014/02/24(月) 22:35:45.50 ID:OCB/eq6/
そもそも戦国時代に「一向一揆」は存在しなかったし

7: 人間七七四年 2014/02/24(月) 22:49:19.17 ID:j75JAVwT
そんなこと言ったら戦時中「太平洋戦争」も存在しませんでしたよ。

一向宗門徒と浄土真宗門徒ら「一向衆」が興した一揆で一向に御経を唱えてた一揆だから「一向一揆」。
それでいいんじゃないですか?
書店の書物にも一向一揆と表記されてますし。

9: 人間七七四年 2014/02/24(月) 23:13:08.65 ID:j75JAVwT
煬帝とか中国の皇帝は死後に正式な名前付けられることもありますよ。
一向一揆で一般に広く知られてるから問題ないと思うんですけど。
浄土真宗門徒による一揆は他の法華一揆や葛西大崎一揆と違い浄土真宗という点で強く結束してるから、他の一揆とは区別するためにもただの「土一揆」「一揆」では不便じゃないでしょうか。

「一向衆の一揆」ということで一向一揆でいいと思いますが、学会等で名称変更を提起させるといいかもしれませんね。

10: 人間七七四年 2014/02/25(火) 01:36:10.90 ID:mHpDWu21
>>9
> 浄土真宗門徒による一揆は他の法華一揆や葛西大崎一揆と違い浄土真宗という点で強く結束してるから、他の一揆とは区別するためにもただの「土一揆」「一揆」では不便じゃないでしょうか。

そもそも他の「土一揆」「一揆」と違う性質のものだったのか、という根本的な部分ですら議論がある

11: 人間七七四年 2014/02/25(火) 05:18:31.81 ID:jxORRG+m
いわゆる一向一揆は「南無阿弥陀仏」と唱えて極楽浄土へ行こうとする一向衆による一揆でしょ
その一揆率いてるのは石山本願寺や長島願証寺、井波瑞泉寺といった浄土真宗の寺
一方、法華一揆は南無阿弥陀仏とは唱えず「南無妙法蓮華経」と唱えるから別物
他の土一揆も南無阿弥陀仏とは唱えないはずだよ

違う性質のものと言えるんじゃないかな

12: 人間七七四年 2014/02/25(火) 07:26:52.86 ID:mHpDWu21
>>11
「南無阿弥陀仏」を唱えているのはいわゆる一向一揆全体の中での一部に過ぎなかった。
法華一揆もそう。法華宗の寺院を拠点にする、以上に宗教的な結合はなかったと言われる。

これらの一揆は後世になって宗教的要素を過剰に見出されていたので、注意が必要

13: 人間七七四年 2014/02/26(水) 07:37:03.76 ID:uneIchjR
>「南無阿弥陀仏」を唱えているのはいわゆる一向一揆全体の中での一部に過ぎなかった。

それは確かに正しいだろうね
加賀一向一揆は上杉謙信が「自分の敵は大軍と見え候」と書状に書いてることから相当の大軍だったと思われるけど、数万の兵すべてが浄土真宗門徒あるいは一向宗門徒とは思えないし

ただ加賀一向一揆の中心メンバーは全員浄土真宗門徒だよ
加賀一向一揆末期の頭領は広済寺の坪坂伯耆守包明だし大将は本願寺坊官の杉浦壱岐守玄任
浄土真宗門徒が領民従えて一揆興してたのが事実だろうね

19: 人間七七四年 2014/03/02(日) 23:32:57.56 ID:HiTYiWc5
北陸の一向一揆は相当精強だったらしいな
越中五箇山で煙硝が大量生産されてたから奴らの鉄砲火力は半端なかった
上杉謙信でさえ富山城攻略や朝日山城攻略に手間取ったのも頷ける

23: 人間七七四年 2014/03/15(土) 07:44:10.99 ID:yc2XIgVO
長島一向一揆をリアルに描いた小説とかないですか?
映画やドラマじゃほとんどないですよね。
ありゃ日本史上最大のゲリラ戦、殲滅戦として位置づけられると思うんだが。

26: 人間七七四年 2014/03/24(月) 08:25:36.00 ID:yBUW/sQI
ゲリラじゃない。ただのそこら辺にいる
人が良い女子供を含む農民たち。

82: 人間七七四年 2015/04/25(土) 13:56:36.09 ID:8XTUgRXs
>>26
一向一揆が武装した百姓の集まりというのは間違い
戦国には落城等で野に下った鉄砲持ち侍達が傭兵稼業している例が沢山あった
水軍になる例もあった
一向一揆とは百姓や一向宗の名目で敵対国の大名や国人が戦のプロを集めて仕掛ける紛れもない戦争
百姓も沢山混じってるが、その軍事力は大名直轄の軍団に匹敵する物があった
戦国時代の一向一揆は、百姓一揆とは別次元の存在
学校で一揆=百姓の反乱と教えるのが悪い

94: 人間七七四年 2016/11/19(土) 08:29:19.24 ID:p/vKDqUi
顕如率いる一向一揆の大河ドラマやって欲しいよな
本願寺一向一揆、山城一向一揆、近江一向一揆、長島一向一揆、三河一向一揆、越前一向一揆、加賀一向一揆、越中一向一揆
蒼々たる勢力に視聴率も飛躍的に向上するに違いない

42: 人間七七四年 2014/05/29(木) 13:28:31.18 ID:0HqdHFkb
明智光秀は信長に仕える前越前の家老朝倉土佐のもとで陣借りして坪坂伯耆を大将とする加賀の一揆軍と戦ったことがあったそうな。
一方、本多弥八郎正信は三河出奔後、加賀の一向一揆を指導していた時期があったとか。

時期にずれがあるし、お互い一軍を率いるまでの身分ではないから、有り得ないが、本多弥八郎軍と明智十兵衛軍のガチンコ対決があったらどうだったろうなとかふと考えてみました

43: 人間七七四年 2014/06/01(日) 14:40:35.48 ID:5v5oNV3i
>>42
出典元の明智軍記のその記述なんだけど、朝倉と本願寺が講和した時期も史実と違い滅茶苦茶だし、坪坂伯耆守は本願寺から加賀へ派遣された坊官なので、本願寺の命令に背いて兵糧の簒奪をして朝倉と問題を起こした云々の記述にしても正直、?っていう部分が多い

それに坪坂伯耆守って朝倉家との最終決戦で総大将に相応しい人物がいなくて、仕方なく総大将格に祭り上げられた兵站担当がメインの人物で、それまでは実戦経験に乏しい人物って言われてたぐらいだしなあ

明智軍記の光秀の朝倉家でのエピソードは後付けで考えられて追加されたような記述が多い

44: 人間七七四年 2014/06/01(日) 15:06:54.50 ID:4lYCWYLK
>>43
それは知らなかった。勉強になります。
坪坂は軍略もそこそこ、そして信仰も篤い、地元の地侍か国人あがりかと、私はてっきりそう思っていた。
じつは本山から派遣されたそれも補給担当の坊官だったんですね

48: 人間七七四年 2014/06/07(土) 18:44:27.58 ID:ggariUGa
>>44
兵站担当というよりもどちらかといえば信者からのお布施を管理する立場の人だったみたいね
まあ、もちろん戦場の前線にも出ていた事は間違いないだろうけど

63: 人間七七四年 2014/06/12(木) 19:05:48.65 ID:OV7z4A8e
日蓮宗と何で仲悪かったの?どっちが先に手を出したの?

64: 人間七七四年 2014/06/12(木) 20:25:46.15 ID:Sj0B5uBm
日蓮当人が他のあらゆる宗派を叩いたのが始まりで、表立った事件はなくともずっと仲が悪い

66: 人間七七四年 2014/06/13(金) 00:27:39.23 ID:JoGP/lD1
日蓮宗は他宗派といわずキリスト教といわずすぐに噛み付くからな
噛み付くんだったらしっかり噛み付いてこいよ。

67: 人間七七四年 2014/06/28(土) 19:30:22.00 ID:c0RXgpTY
日蓮宗は「自らの教えが正しいが故に、逆に他宗派から(反感をかって)攻撃を受ける。攻撃は不当なものであるから、折伏(教えの力をもって強制的に従わる)せねばならない。日蓮宗以外の教えを許容しない(キリスト教などの一神教に通じる)極端な教えです。
仏教としては、かなり異端と言って良いと思います。

54: 人間七七四年 2014/06/08(日) 21:03:37.29 ID:fBmH3NHy
一向衆って最終的には戦国時代の覇者になってたらどういう政権運営をするつもりだったんだろう?
大政奉還とか?それとも幕府を作ろうとしたの?

55: 人間七七四年 2014/06/08(日) 22:35:27.00 ID:IGvyMhId
そんな意思はなかったから何も考えていない

76: 人間七七四年 2015/04/23(木) 18:53:58.37 ID:TlbSR8lI
信長がいなかった場合の一向一揆の未来

今まで尊敬してた坊様がワシに税払えとか言い出す
→税から免れようと頑張った一揆衆、内部で混乱、分裂騒ぎ
→戦乱は続く…

77: 人間七七四年 2015/04/23(木) 20:20:14.41 ID:O1B6TeOJ
退けば地獄

79: 人間七七四年 2015/04/24(金) 09:29:28.47 ID:EyWtuioN
そもそも、引けば地獄とか言ってる時点で親鸞の教えに反してるからな。
本願寺がしっかり統率できずに各地で暴走してた感じはする。

85: 人間七七四年 2015/10/16(金) 23:36:19.31 ID:IRlgQhUK
結局信長の最大のライバルって顕如だったのかな
義元や義昭より抵抗頑強だった気がする
なんせ全国各地で火の手上がったから

114: 人間七七四年 2017/07/29(土) 19:23:33.73 ID:sHxgY3CE
石山本願寺で10年も信長に対抗したのが凄い

信長の最大の敵は武田勝頼でも今川義元でもなく顕如かも

115: 人間七七四年 2017/08/10(木) 21:03:14.14 ID:EHKYwc3x
なんか最近事情があって浄土真宗本願寺派の開祖親鸞のこと調べていたんだけど、浄土真宗ってさ、まさに創〇も真っ青の危険思想そのものだな。親鸞の時代から信長の時代まで、時の為政者達が放置していたのが信じられない。やり方は残忍だったかもしれないけど、徹底的に潰そうとした信長は間違ってなかったと思うよ。むしろ信長だから戦えた。
信長が一向宗に滅ぼされていたら、もしかしたら日本は、本願寺門徒王国みたのになっていたかもしれないけど、これは絶対やばかったと思う。宗教というのは一度人間の理性や分別といったリミッターが外れたら、どんな恐ろしいことがおこるかわからないのは、世界史を見ればあきらかなこと。
もし本願寺門徒王国になっていたら、今頃、日本はイスラム国並みに危険な国になってたと思う。

116: 人間七七四年 2017/08/10(木) 21:31:00.47 ID:sbVoCYHV
>>115
どう危険なの?
念仏唱えて仏にすがれば極楽浄土へ行けるよって教えだよ
それほど危険とは思わないな。
117: 人間七七四年 2017/08/10(木) 21:44:18.82 ID:EHKYwc3x
どんな悪いことをしても念仏さえ唱えれば極楽往生できるという主張は、法然がまだ生きてた鎌倉時代に一念義、多念義論争として浄土宗の弟子達の中で繰り広げられた
極楽往生にはたった1回の念仏で良い。どんな極悪人でもかまわないという過激な一念義は酒、女、盗み、殺人などを犯す破戒僧を大発生させ、社会問題化だった
1回念仏さえ唱えれば、どんな悪いことをしても良いのだ!と
モラルハザードを巻き起こす

親鸞自身は本当はどう思ってたのか知らんが、こういうのは間違いなく後世に人間に悪用される。
西欧キリスト教徒なんかも神の名ももとに、新大陸なんかで先住民へのあらゆる暴力、略奪、婦女暴行、過酷な収奪を繰り返したが、それでも聖書にも、あれいはコーランにも人間なにやっても許されるとはどこにも書いていない。書いてあったらもっととんでもないことになっていた。

124: 人間七七四年 2018/07/15(日) 18:24:52.32 ID:dW4bHHwi
上杉謙信は一向宗は信仰をするのは許しても武器を持ち戦うのは反対だったとか。

144: 人間七七四年 2021/04/29(木) 22:18:55.06 ID:rEotaznt
>>124
武田と北条から本願寺顕如に加賀・越中一向一揆に神保氏と組んで上杉謙信の背後を突くようにと依頼したのが永禄3年(1560)年以降。それまでは天文22年(1553)と永禄2年(1559)の謙信の京都上洛に加賀・越中一向一揆が協力してる。(1553には本願寺証如と謙信が会見した)
天文23年(1554)に証如が死去。弘治3年(1557)
に顕如と三条公頼の三女(如春尼)が結婚し、顕如と信玄が義兄弟になった。信玄が北陸一向一揆と手を結び永禄8年(1565)に信玄・顕如が同盟を結んだ。謙信は永禄年間(1558~70)にも信濃から越後で避難した本願寺末寺を受け入れてる。
「父・為景のように謙信も浄土真宗(一向宗)を弾圧したのが失敗」という研究者もおられるが、逆に越後国内で弾圧すれば一揆を起こされて苦境に立たされるから国外との一向一揆とは敵対しても国内では武装蜂起さえしなければ浄土真宗本願寺末寺の信仰は認めていたと思う。

125: 人間七七四年 2018/07/15(日) 22:02:21.78 ID:3v09HIB9
一向宗は暴れすぎたため大和は一向宗は永年立ち入り禁止になったり、長年続いた応仁の乱の被害より天文法華の乱の方が被害が大きいとか、多分武士の方がお行儀よく戦争してた可能性ある

126: 人間七七四年 2018/07/22(日) 22:50:22.67 ID:Qs8aPx+E
天文法華で京都半分焼いたのは六角率いる軍だけど
そもそも発端の一向一揆先導したの細川だし、武家が行儀いいなんてこたない

136: 人間七七四年 2019/07/30(火) 21:44:39.47 ID:Ra+YfJK8
今、本願寺の鷺森旧事記を読んでいるけど、顕如らは一向宗という呼ばれ方が嫌いだったみたいだな。
というのも、時宗の開祖である一遍の弟子に一向という者がいて、その一向が開いた宗派が一向宗と呼ばれていたらしい。
なので本願寺は混同を避ける為に八代目の蓮如が浄土真宗を名乗ったとのこと。

また本願寺は顕如の頃にかなりの勢力で、そこらの大名家を軽く凌ぐ武力はガチで持っていた。
根来寺と雑賀衆が組んで信長反乱部隊を結成した際に、親信長派だった何代目孫一が反乱部隊の筆頭格である土橋と根来寺の泉職坊快厳らと雑賀内で内乱に発展し、既に大坂石山から退去して鷺森に身を潜めていた顕如が孫一に書状で「物騒な事はやめとけ」と諌めている。
孫一は言う事を聞かずに土橋家を一掃しようとしたので、正親町天皇が詔勅を出して内紛を止めた。
しかし信長が紀州の反信長派を皆殺しにしたかったので軍を進めて孫一らと根来衆一部と和泉衆らの連合軍で滅ぼしてしまった。

顕如は信長がキレてとばっちり勘弁と苦悩して、いちいち信長に書状でご機嫌覗いしてみたり、武田攻めの際には坊官を派遣しておべっか使いまくって敵意が無いと示したとのこと。

尚、顕如の息子の教如との仲違いは裏で本願寺父子の策略あった説もあるが、策略だった場合には近江鉄砲衆や大坂寺内町衆を保身から利用して極楽浄土への道を奪った事になるので策略無かった説が有力ぽい。

結果、本願寺は顕如ら西本願寺と教如ら東本願寺で別れて今に至る。

139: 人間七七四年 2020/09/18(金) 11:48:44.47 ID:7HgUBls+
京都からの派遣坊主七里頼が周が加賀の一揆から追い出されたりしてるしな
一向一揆全体は各地の地元の政治に対する素直な反応であって、浄土真宗は一旦外して考えた方がいい
加賀の一揆も聞き取りで最初に出てくるのは論語の易姓革命、悪政を行う上司は討たれても仕方ないの論調だったし

140: 人間七七四年 2020/09/18(金) 12:04:27.55 ID:u9qv0mT8
池田輝政家と下間頼廉家が姻戚関係のようだが、どういう縁で嫁がせることにしたんやろ

145: 人間七七四年 2022/01/15(土) 23:06:12.07 ID:xucclHUX
>>140
本願寺降服時に安全の保障として縁が生れたのでは?

141: 人間七七四年 2020/09/18(金) 12:27:42.15 ID:7HgUBls+
加賀の一揆は始まりがそもそも蓮如の制止を振り切って起こってて、あんまり本願寺は関係してない
その頃の蓮如は逆にもう京都との繋がりの方が強くて、追われた富樫の代わりに守護の機能持たせた坊主派遣することになって税金徴収もさせようとしたりしてた

142: 人間七七四年 2021/01/24(日) 23:25:08.19 ID:iptE1c9r
戦国時代は一向一揆に対する豪農の自警団組織が後の戦国武将になってたりするから面白いな
一向一揆側も残党が他の武将にスカウトされたり、後の豪農になってたりするんだな

146: 人間七七四年 2022/02/22(火) 19:07:00.47 ID:o4qYhF7p
高田派、佛光寺派、木辺派、三門徒派、山元派などにとっては巻き込まれたり大変

引用元: ・一向一揆【本願寺・近江・長島・三河・加賀・越中】