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1: 日本@名無史さん 2015/05/15(金) 01:59:49.51
語らん








4: 日本@名無史さん 2015/05/17(日) 00:53:21.73
忍者使って調略しまくってたのは、やはり信玄と家康というイメージだが、具体的に何をやってたのかはわからないんだよな
秘密工作だから当り前だけど

6: 日本@名無史さん 2015/05/18(月) 18:19:08.72
99%嘘

500年後の人たちが、500年前の日本に仮面ライダーがいたと思っちゃうようなもんさ

9: 日本@名無史さん 2015/05/18(月) 23:20:23.50
>>6
実際に忍者と呼ばれる人たちが実在して、戦国末期の世の中で諜報活動をしたり、ゲリラ戦したりしてたのは紛れもない事実なんだが?

10: 日本@名無史さん 2015/05/18(月) 23:23:53.18
忍者って脚色されたイメージが強すぎて、逆に忍者そのものがフィクションだとか思ってしまう人が結構いるよな

7: 日本@名無史さん 2015/05/18(月) 18:46:19.75
まあ、基本は町人に変装して諜報活動でしょ?

12: 日本@名無史さん 2015/05/19(火) 18:34:49.46
忍者とは呼ばれないでしょ
ラッパとかスッパ

11: 日本@名無史さん 2015/05/19(火) 11:48:56.71
松尾芭蕉
柳生十兵衛

13: 日本@名無史さん 2015/05/19(火) 19:48:26.57
間宮林蔵 忍者説

14: 日本@名無史さん 2015/05/20(水) 02:03:05.54
松尾芭蕉は伊賀の生れってだけの理由で勝手に忍者認定されてしまってる感が強い

15: 日本@名無史さん 2015/05/20(水) 06:00:13.15
忍者といえば三河の上郷城攻略戦だな
およそ280人の甲賀者が松平氏に雇われて出陣
事前に半分が城内に潜入、残り半分が城外から攻撃
城兵が応戦した隙をついて城主を討ち取り城主の妻子(今川氏真の叔母と従兄弟)を捕虜にする
その後今川に対し家康の妻子との人質交換を要求し、築山殿と信康を取り返した
これにより織田、徳川の同盟が機能するようになり、歴史は大きく変わった

23: 日本@名無史さん 2015/05/22(金) 01:54:36.93
みちのく忠臣蔵として有名な「相馬大作事件」は忍者合戦でもあった。(リアルに)

相馬大作は津軽藩主を狙撃しようとした南部藩の人。相馬大作の親友が、忍者間宮林蔵!!
対する、津軽藩は津軽藩用人(藩主の秘書みたいなモン)笠原八郎兵衛率いる忍者軍団「早道の者」!
早道の者は変装し、南部藩に潜り込み、相馬大作を裏切った事件の生き証人たちを南部藩から次々に逃げ出させるコトに成功。
3人の証人たちを江戸の奉行所に集め、証言させ相馬大作を言い逃れできなくさせた。

裁判後、南部藩に最後に残った同藩出身で1人の証人の妻となっていた女を無事に津軽藩に脱出させることも成功する。

南部側は篠山藩主で奉行所の裁判官である青山忠裕に接触に成功。相馬大作の死罪は免れなかったが、やけに相馬大作に
同情的な判決文を作成させることに成功。また、江戸庶民に津軽藩の悪口を広げまくる!

25: 日本@名無史さん 2015/05/22(金) 20:29:09.28
>>23
つけ加えるならば、相馬大作が師事した平山行蔵が忍者(伊賀組同心)

29: 日本@名無史さん 2015/07/03(金) 20:58:19.63
>>25
伊賀組同心が忍者やってたのなんて江戸時代の初めのほうだけだろ

28: 山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2015/05/24(日) 12:39:20.97
『太平記』に、高師直が「屈強の忍の者」を使って放火させたというのが、古い例でしょうか。
『日葡辞書』では「シノビ」を潜入する者としていますが、江戸時代の史料では『和漢三才図会』
以下、忍を潜入する行為そのもの、実行者を忍の者と呼んでいます。
忍術使いという言葉もありましたが、この辺になると芝居用の虚構が入って来る。

敵地に潜入するのが忍で、実行者が忍の者であれば、出身は地侍でも宗教者でも芸能者でもいい。
『和漢三才図会』には「甲賀にこの術をよくする人が多い」と書かれていますが、元々忍専業の人や忍の里があったわけではないでしょうね。

城や陣に潜入するのと、敵国に変装して赴くのとは、元々別技能だったのではないかという気がします。『日葡辞書』の定義では、後者にまで言及がない。
「草」という言葉も実際は草に紛れて偵察して来ることで、他国に根を張って情報収集云々は時代劇の世界のようです。

31: 日本@名無史さん 2015/07/20(月) 02:31:21.54
伊賀者は農民から発展したタイプ
甲賀者は古代豪族が土着した地侍連合
武田の三ツ者や伊達の黒脛巾は大名が組織した特殊部隊
尼子の鉢屋、北条の風魔は元々定住する地を持たない遊芸者の集団

こんな成り立ちも中身も違うものを一緒くたにして語ろうなんて無理がある。

55: 日本@名無史さん 2015/11/16(月) 19:45:52.45
西 甲賀忍び 伊賀忍び 根来忍び
東 甲州透破 風魔乱破

66: 日本@名無史さん 2016/06/10(金) 00:31:57.60
甲賀は世界遺産認定目指しているらしいが車でドライブすると面白い
ただの田舎の土の道だったであろう想像できるきれいに整備されたアスファルト道が田んぼの中に続くのだが、それがアリの巣のようで一旦甲賀に入ってしまうとなかなか出るのに時間がかかる 
もちろん信号はほぼない
伊賀方向へ抜けようとしているのだが甲南へが戻っているのだ
鎌倉武士の末裔の俺を出し抜きやがってと苦笑いながら走っている。

63: 日本@名無史さん 2016/06/04(土) 09:10:04.65
忍者という語源は司馬遼太郎だか山田風太郎あたりが使い出したのが定着したらしい
昔は透破や乱破とか草とか間者とか言われて忍びなんて言われていなかった

65: 日本@名無史さん 2016/06/09(木) 17:01:43.76
>>63
昔といったって江戸時代の万川集海には既に忍者という言葉が出てくるぞ

68: 日本@名無史さん 2016/06/11(土) 10:14:36.57
クノイチの語源って諸説あるけどどれが正しいのかね
いつから使われだしたのかね

70: 日本@名無史さん 2016/06/16(木) 05:12:20.27
日本史上初めて忍者を使ったのは聖徳太子だという。志能便と書かれたその人物は大伴細人というらしい。もともと大伴氏は物部氏と並ぶ大王家の軍事力を担う一族で、物部氏が国軍的な役割で大伴氏は近衛軍である。
貴族文化全盛だった平安時代においても藤原氏に排斥されたとはいえ武人の故実を伝える武官家だった。
応天門の変で失脚した伴大納言こと伴善男を最後に公卿を輩出することはなくなり日本各地に土着していった。
伴氏の血脈として有名なものに鶴岡八幡宮宮神主や、平安期に大隅国肝属に下向しのちに戦国大名化した肝付氏もいる。
肝付氏には始祖・伴兼行が伝えた家伝の野太刀術があり、これはのちに分家の薬丸家が継ぎ幕末から明治にかけて門下生たちが数々の重大事に関わった薬丸自顕流の源流となる。

少し話が逸れたが、面白いことに甲賀にも伴氏の末裔がいる。
三河伴氏の流れのようで戦国時代も伴姓のままの伴長信などの名が見える。
織田信長に使えた滝川一益の滝川氏もこの伴氏の家系で、ゆえに一益忍者説がある。
滝川氏は楠木氏説もあるがこちらならば服部氏や根来の津田算長や杉ノ坊妙算、照算を出す津田氏などもいたりする。
信長の乳兄弟・池田恒興もこの滝川氏で、池田姓は母方の名字である。

71: 日本@名無史さん 2016/06/18(土) 09:28:04.87
忍者定番のあの格好って、あの時代にそういうファッションしてたって文献なんてひとつも出てないよね
昭和あたりでどっかの漫画家か絵師がああいう絵を描いてそれが定着しちゃったと聞いてるが

72: 日本@名無史さん 2016/06/18(土) 13:55:37.72
北斎漫画に載ってるが
ダウンロード (1)


73: 日本@名無史さん 2016/06/18(土) 22:08:32.84
>>72
あのイカれ創作画家が描いたからそれが史実という保証はない
もしその絵が北斎の創作なら忍者ファッションの起源は北斎ということになる

74: 日本@名無史さん 2016/06/18(土) 23:03:40.78
実際の所、町人に紛れて潜伏するなら町人の恰好だよな

76: 日本@名無史さん 2016/06/26(日) 11:16:53.07
忍術の研究とか忍術書が多く書かれたのは平和な江戸時代に入ってから

戦国時代が終わって活躍の場が無くなった彼らはもはや過去の遺物として朽ち果てて行くだけ…
そんな彼らの足掻きが忍術の研究、開発と文字化だった
だから現代に伝わる忍術や忍び道具の大半は実戦で使われたこともないし、彼らが頭の中で考えた机上の空論で出来た代物でしかない(実際に有用かどうかは別にして)

78: 日本@名無史さん 2016/06/28(火) 01:52:47.83
時代劇で大名が家臣と作戦会議してる時、屋根裏にちゃんと忍者も敵忍者に聴かれないよう待機してんの?

79: 日本@名無史さん 2016/08/14(日) 15:32:32.52
>>78
マジレスしちゃうと…

屋根裏に隠れて盗聴するようなことはしない
見つかる危険性が高い上に生還の望みが薄いし、捕まれば尋問もとい拷問される
リスクが高すぎる

そういう意味では現代のスパイや諜報組織と同じようなやり方をする
シギントはもちろん出来ないからヒューミントを主体とする

それに江戸時代にはもはや各藩は内治にしか注力しないから諜報活動をすることはまずない
幕末の動乱まではね

そして戦国時代の話だとするとそもそも忍者と忍者でない人の境目が曖昧なのでどこを切り取って話すかはなかなかに難しい

81: 日本@名無史さん 2016/08/15(月) 16:07:13.77
戦国物の作品でよく忍者が城に忍び込んでるけど、小城というか小砦で警備が薄いならまぁできないことはないだろうけど基本忍び込まない
近場で敵情偵察はする
戦中なら忍者だけじゃなく物見も同じようなことするけど

家康が攻めた三河の鵜殿長照居城・上ノ郷城は甲賀衆が城内に入り込んで放火してるけど、これはフィクションで描写される忍び込みとは違って、現代戦における特殊部隊の突入作戦のようなもの
一般兵とは確かに異なる突入の仕方だけど彼らが突入すれば終わりじゃなくて、突入して城内を混乱撹乱開門させることで一般兵の城内突入する支援をするのが任務

82: 日本@名無史さん 2016/08/22(月) 20:13:45.12
戦国時代の平時の任務って言ったらやっぱり敵地の情報収集だけど…
忍者って言えるか分からない集団がいるのがややこしい

本業はどちらかと言えば商売人だけど交易で往来する人たちから情報収集してそれも含めて商売する土豪
各地を廻って興行する隷属民でない利点を買われて雇われる芸能衆
全国行脚、聖地巡礼、廻国修行の支援をしてもらう代わりに情報提供を行う宗教系団体
川運や海運を担うことから広範囲に人脈がある川賊や海賊とも呼ばれる土豪

彼らを忍者と呼んでいいのかどうか
でも彼らのような存在を省いてしまうと戦国時代の情報網や伝達手段なんかの全貌が靄に包まれてしまうし、彼らまた忍者と同じように戦働きさえするもんだから忍者の定義が分からなくなってくる
そもそも有名な伊賀忍者もその実態は半農半士で、忍者どころか農民であり武士でさえある

忍者ってなんだろう?

83: 日本@名無史さん 2016/08/22(月) 22:09:05.76
今のスパイだって、実際は新聞の切り取りをして、
スクラップブックを作る作業が大半だそうだからな。

86: 日本@名無史さん 2016/11/25(金) 01:18:39.75
no title

http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/he13/he13_03150/index.html
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_03150/he13_03150_0004/he13_03150_0004.html
やっぱ本当にいたとしたら、手裏剣なんか使わずに
銃つかう許可もらってそうだよね?

…まあ、この絵は別に正規の忍者キャラじゃないんだけど

87: 日本@名無史さん 2016/11/25(金) 17:52:37.17
>>86
かめはめ波のような表現が何気に凄いな

引用元: ・忍者について