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1: 日本@名無史さん 2012/03/21(水) 06:40:17.85
古代から近代までの通貨の歴史を語りましょう。
江戸時代もう既に為替や小切手で決済していた日本。
はたまた中国から通貨を輸入していた時代もあり
通貨から見た歴史ってやつを見て行きましょう。








5: 日本@名無史さん 2012/03/21(水) 15:28:19.22
江戸後期の一文て今で言う何円?

6: 日本@名無史さん 2012/03/21(水) 17:18:57.67
>>5
一両が10万円から20万円だから100円くらいじゃね

7: 日本@名無史さん 2012/03/21(水) 20:46:13.33
>>6
二八そば(16文)があちこちにあったくらいだからその計算じゃ高すぎる。
1文=20円くらいだと思う。
それで計算すると
1両=8万円

12: 日本@名無史さん 2012/03/22(木) 20:41:36.74
>>6はなんで金一両を銭一貫文程度のレートで計算してるんだ。

ちなみに、公式レートは金一両が銭四貫文だけど、江戸後期には鉄銭が出回って銭相場が下落し、金一両が銭六貫文程度。

13: 日本@名無史さん 2012/03/22(木) 20:46:23.94
>>12
悪銭とか鐚銭も銭として流通してるし。藩札も通用してるから。一両現在の価値でいくらとはいえんのだよね。幕末の動乱で金は流出してしまったし。
日本がアメリカの中央銀行制度になったのは金銀複本位制だから。
実際は流入した銀による銀本位制だったわな。

14: 日本@名無史さん 2012/03/22(木) 22:37:45.89
>>13
普通は購買力で比較する。
当時は今と比べて人件費は激安、食料は高めだった。
概ね一両は5万から20万円とされる。研究者は10万円としている例が多く、小説家は小判を大金とみなしたがって、20万円と設定したがる人間が多いようだ。

金銀レートは、幕末の開国で銀の価値が極端に下がった以外は、大体公定レートの一両六十匁から1割2割程度しか振れてないしね。

飢饉では食料価額が極端に上がるけど、飢饉は当然別の話として議論する。

19: 日本@名無史さん 2012/03/23(金) 22:52:22.87
皇朝十二銭以後寛永通宝が造られるまで600年間は商人・都市部は外国銭、地方は物々交換だったの?
皇朝十二銭(こうちょうじゅうにせん)は、708年(和銅元年)から963年(応和3年)にかけて律令制下の日本で鋳造された12種類の銅銭の総称。

21: 日本@名無史さん 2012/03/24(土) 06:18:19.54
>>19
蝦夷地でさえ渡来銭の埋蔵例がある。地方でもかなり銭が出回っていたことは間違いない。
永楽通宝は西日本よりも関東でむしろもてはやされたというしね。

49: 日本@名無史さん 2012/04/07(土) 08:58:33.73
>>21
皇朝十二銭は、北海道の胆振国千歳郡あたりからも出土してるよね

飛鳥時代から平安時代初期に築かれた茂漁古墳群(柏木東遺跡)からは律令時代の六位以下の位階を示す帯金具などとともに和同開珎出てるし、その近辺の数か所の遺跡からは隆平永宝や富寿神宝などの皇朝銭数種も見つかっている

当時、蝦夷征討や粛慎討伐が盛んに行われていたから位階のある人も北海道にいたんだろうな

50: 日本@名無史さん 2012/04/07(土) 09:11:58.38
>当時、蝦夷征討や粛慎討伐が盛んに行われていたから位階のある人も北海道にいたんだろうな

戦利品が蝦夷の首長の間で取引きされたのかもよ。

51: 日本@名無史さん 2012/04/07(土) 12:48:58.67
蝦夷(えみし)の人の墓と、江別古墳群や茂漁古墳群の構造は違うから、道外から渡った役人や有力者の可能性あるけどね
飛鳥時代の阿倍比羅夫は郡領を置いてるし

古墳の副葬品も土師器や須恵器などもあり
一方、蝦夷の人たちは当時擦文土器を用いていたそうな

56: 日本@名無史さん 2012/04/08(日) 20:20:14.63
>>49-51
平安時代初期の天長3年(826年)、
胆振国有珠郡では慈覚大師円仁が堂宇を建て阿弥陀如来を本尊とし有珠善光寺を開山している

室町時代、応仁の乱の10年ほど前に有珠善光寺はコシャマインの乱に害されたが、慶長18年(1603)松前藩の祖、慶広公が松前の祈願所として再興され、文化元年(1804)等澍院(後述)や釧路国厚岸郡の国泰寺とともに蝦夷三官寺に指定された

円仁は日高国様似郡でも修行したと伝わり、江戸時代この地には等澍院が建立されている
等澍院は蝦夷三官寺の筆頭寺院であった

坊さんが足を踏み入れるくらいだから、皇朝銭持った和人が平安時代の北海道にいても不思議じゃないわな

57: 日本@名無史さん 2012/04/10(火) 20:30:52.29
>坊さんが足を踏み入れるくらいだから、皇朝銭持った和人が平安時代の北海道にいても不思議じゃないわな

修行僧は人跡未踏の地に好んで足を踏み入れるけどね。寺を建てたなら技術者は足を踏み入れただろうけど。

59: 日本@名無史さん 2012/04/13(金) 12:58:09.41
北海道の場合は、円仁が足を踏み入れる前の飛鳥時代に比羅夫の遠征があり郡領を置いてるけどね

22: 日本@名無史さん 2012/03/24(土) 08:56:09.78
埋蔵銭の内訳調査はかなり面白い。

どこでも大体北宋銭が主体だが、唐の開元通宝もけっこうな勢力だし、珍しいものでは漢の半両銭や西夏の漢字銭、後代のものでは琉球銭、朝鮮銭、安南銭も出る。
蕃字銭(西夏文字銭)の出土例があるのかは気になるところ。
渡来銭の流通は寛永通宝李発行後の天和2年(1682)に一応停止されているが、その後も寛永銭の銭棹に混じって幕末まで少量の流通はあったらしい。
古銭系の書によると、明治初年の新貨体制下でも上記の事情を勘案して、一部の渡来銭での決済が認められたとあるんだけど、その詳細な内容がわからない。
誰か知らない?

多分寛永鉄銭(0.0625厘扱、銅銭なら1厘扱)より評価高かったんだろうな。
単なる両替保障なのか上記の決定の効力の範囲と期限も気になる。
渡来銭が厳密にはいつまで日本の法定通貨だったかにも係わるからね。

23: 日本@名無史さん 2012/03/25(日) 11:06:13.72
寛永銭の新貨評価は地金での評価だからな。金貨流出で痛い目見てるだけに慎重だったんだろう。
朝鮮併合後は常平通宝が2厘で交換されたという記事を見たことがある。蔵二つ分出てきたとかで、相当な額として交換されたそうだ。常平銭も種類があるだろうに、それぞれがどの交換比率だったかは記事になかった。
25: 日本@名無史さん 2012/03/26(月) 07:18:48.51
慶長通宝、元和通宝、平安通宝。
この辺の放つ怪しい香りに惹かれる。
鋳銭記録とかまともに残ってないのに、現物は存在するんだよね。

26: 日本@名無史さん 2012/03/26(月) 10:18:37.98
>>25
私鋳銭のびた銭だろw
鐚銭も半分の価値で流通したからな

江戸幕府が通貨鋳造始めるとやっと日本にも通貨制度が

27: 日本@名無史さん 2012/03/26(月) 12:18:19.19
>私鋳銭のびた銭だろw
>鐚銭も半分の価値で流通したからな

これは2行とも間違っている。

まず私鋳銭=鐚銭ではない。

そもそも皇朝十二銭以降公鋳銭のなかった日本には、贋金という意味での私鋳銭はない。
私鋳銭の品質はまちまちだったが必ずしも悪いと決まっていたわけではない。
良質銭として高く評価されていた永楽通宝も実は明製より、良質の日本製私鋳銭の方が多かったという説もある。

そして交換レートは、
良銭2=鐚銭1ではなく永楽銭4=鐚銭1=寛永通宝1。

室町時代には既に銭(庶民)、銀(商人)、金(武士)それぞれの通貨体制は確立していた。

江戸幕府がやったのは発行元の幕府への一元化と3種の通貨の交換レートの保証。
だからそのためにまず先に良貨だが通貨量の不足する永楽銭の流通を禁止する一方で鐚銭の金銀との最低交換レートを保証して、さらにそのあとに鐚銭と等価を保証しながら寛永通宝を発行した。
これによって幕府は経済恐慌なしにくたびれた渡来銭を良質の寛永通宝に交換することに成功した。

28: 日本@名無史さん 2012/03/26(月) 12:21:58.87
あ、いけねレートのとこの数字が入れ違ってる。

永楽銭1=鐚銭4=寛永通宝4ね。

永楽通宝1000文=小判1個が保証相場だったのが幕末までの銭4000文=金1両の公定保証レートのはじまり。

30: 日本@名無史さん 2012/03/26(月) 15:22:18.08
>>27
西日本が銀本位制で東日本が金本位制じゃなかったのか?

32: 日本@名無史さん 2012/03/26(月) 15:28:03.89
>>30
商人⇔武家
西日本⇔東日本

別に境界線とかないから同じことだよ。

大名や江戸の幕府は金取引中心。
大坂や堺を頂点とする商人は銀取引中心。

36: 日本@名無史さん 2012/03/26(月) 18:28:59.89
東国の金遣い、上方西国の銀遣いってのはごく一般的な常識のはずなのに、>>32はどういう認識でいるんだろうか。
大名は江戸に参勤するから小判遣ってたっていうぼんやりしたイメージで、西国大名が国元でどうだったとか思いが及んでないだけか?

39: 日本@名無史さん 2012/03/26(月) 18:43:48.99
>>36
あんたこそなに「中心」と言っている大筋の話にドヤ顔で突っ込んでるんだ?
金取引圏と銀取引圏で境界でもあったようなイメージなのか?
武家⇔商人の対照はおおむね東⇔西の対照と符合するという話で、誰も金ないし銀「だけ」使ってたなんていう話はしていない。
大名や大商人レベルなら普通金銀両方の勘定で取引があるが、当然その比率は東西でも異なってくる。

東国の金遣い、上方西国の銀遣いってのは取引の比率の話でしかない。
西国大名は小判の一枚も持ってないようなイメージなのか?

35: 日本@名無史さん 2012/03/26(月) 18:21:51.36
>大名や江戸の幕府は金取引中心。

諸大名が発行した藩札の額面をみれば分かるように、西日本の諸大名は銀遣いだ。
つーかそもそも大名の年貢米や産物などの取引相手は商人なんだから、大名と商人で別の通貨を使うわけがないだろう。

大坂商人は全国の大名を相手にしてるけど、東国の大名に対しては金貨で決裁していた。

37: 日本@名無史さん 2012/03/26(月) 18:34:46.18
>>35
現金決済だったっけ?

38: 日本@名無史さん 2012/03/26(月) 18:41:58.12
決裁が手形であっても金単位銀単位は当然明記される。

40: 日本@名無史さん 2012/03/26(月) 19:12:14.86
まぁ現在でも揉めるくらいだから明治維新後の当時の政府は大変だったろうなぁ
日銀券が全国で通用するようになるのに20年くらいかかってるし。
太政官札も乱発してインフレになったらしいし。

93: 日本@名無史さん 2013/02/14(木) 23:24:48.67
関東は小判、関西は銀貨といわれているが、境目は関ヶ原か

94: 日本@名無史さん 2013/02/15(金) 07:26:36.10
時期によって異なる。藩札の額面などを見る限り、幕府が銀単位貨幣の極端な鋳造削減を始めるまでは、銀単位の東限は越中、飛騨、美濃、三河あたりで、その後は徐々に金単位が西に侵食してる。
当然ながら境界付近は金単位銀単位の双方の市場と取引きするから混在していて、明確な線引きは出来ない。
大坂でさえ、東国の諸藩との取引きでは顧客サービスのために金単位貨幣での取引きを商人仲間で
取り決めているほどだ。

45: 日本@名無史さん 2012/04/02(月) 21:34:12.32
金山銀山っていっぱいアッたんでしょ?

46: 日本@名無史さん 2012/04/05(木) 14:52:29.95
領主が認識しなければただの山。

47: 日本@名無史さん 2012/04/05(木) 20:53:21.34
甲州露金だっけ?
あれが流通してたのって甲斐一国のみ?
秋田藩の銀のかけらみたいな扱い?

48: 日本@名無史さん 2012/04/06(金) 21:03:32.07
甲州金は地元ニーズにより特例で導入されたものだから、他所にはあまり流通しなかっただろう。
大和吉野の御免銀札みたいな幕府公認の地方通貨の類。

60: 日本@名無史さん 2012/04/17(火) 01:53:05.03
富本銭をお守りに欲しいんだけど古銭ショップで売ってるの?

61: 日本@名無史さん 2012/04/17(火) 02:09:14.55
宋銭なら中国行けば100円とか500円で売ってるよw

62: 日本@名無史さん 2012/04/17(火) 11:47:19.04
偽物のがw

63: 日本@名無史さん 2012/04/17(火) 19:07:27.79
状態の良くない物なら本物もそれくらいの値段
宋銭は数千億枚も造られてるから偽造する意味が無いw
美品や銀銭はウン十万、極美品や金銭はウン百万の世界だけど

64: 日本@名無史さん 2012/04/18(水) 11:00:22.67
銭種ならともかく状態でそんなに価値が開くかよ。
富本銭は江戸期にも発掘されたものがごく少数ながら出回ってるからな。
数十年単位で金を貯めつつ待てば、運が良ければゲットできるかもよ。

65: 日本@名無史さん 2012/04/18(水) 22:15:26.98
だって、本物よりも品質のいい偽銭が出回るのは普通だったんだぜ>宋銭。
そもそも、中国の前近代の造幣コストには中央に運ぶ輸送費が込だったから、時代と場所によっては本物と全く同じ品質の偽銭を作っても採算が取れたケースすらあった。

66: 日本@名無史さん 2012/04/18(水) 22:28:37.50
>>65
それは無いな、宋代の銅銭は直接製造費の時点で額面とほぼ同額
私鋳が盛んだったのは秦よりも後、唐よりも前の時代、その時代には冶金の施設と技術を持つ者の私鋳は、許可されたり禁止されたり偽銭という概念が乏しかったからね。

88: 日本@名無史さん 2013/02/11(月) 18:49:33.67
>>66
確か、宮澤知之氏が著書でコスト計算して鋳造地から長安への輸送コストが原価を押し上げて逆転現象が起きたと論じていた筈なのだが。

67: 日本@名無史さん 2012/04/18(水) 22:53:45.38
江戸時代の日本でも寛永通宝銭は私鋳だろうと普通に出回っていたりする。
95: 日本@名無史さん 2013/03/30(土) 00:34:06.65
江戸時代の豆板銀は買えるけど、丁銀や小判は高くて買えない…
満州国紙幣や宋銭も集めたい

97: 日本@名無史さん 2013/03/30(土) 03:25:20.92
宋銭は美品でなければ日本国内で安く買えるよ。
結局流通してた膨大な渡来銭は鋳潰されたもの以外今でも日本のどっかにあるということらしい。

逆に中国の美品は贋物が多いので要注意。

98: 日本@名無史さん 2013/03/30(土) 08:05:03.52
まぁ、宋銭は明代に大量に偽造されて日本に大量に流れ込んだと言う説もあるし

101: 日本@名無史さん 2013/03/30(土) 08:59:09.86
>>98
それは幾つかの話がごっちゃになってると思う。

宋銭
・宋末に禁止令が出されており宋銭の日本大量流出は事実
・宋や明では宋銭私鋳は官銭偽造になり犯罪
・そもそも中国側での問題は産銅減少と銅地金流出なので輸出用偽造銭鋳造はメリットがない
・日本で私鋳された「宋銭」もけっこう多い(官銭のない日本での私鋳は犯罪ではない)
・江戸時代の輸出用の「長崎貿易銭」も宋銭銘を用いた(寛永通宝の流出防止用の銭)

永楽通宝
・中国での流通を示す証拠が少なく、対日輸出用として鋳造されたとの説が強かった
・しかし最近はやっぱり国内流通用だったとの説も出ており、中間説も含め論争中
・日本で流通していた永楽通宝のうちかなりの比率が日本での私鋳
・特に東日本で流通していた質のよい永楽銭はほとんど日本製との説も
・金銭と銀銭は秀吉が作らせたプレミアムメダル

70: 日本@名無史さん 2012/04/19(木) 02:50:45.05
金が流出して国内にあまり無いのは解るんだが、代わりに増えた銀って主に何になって残ってるんだ??

72: 日本@名無史さん 2012/04/19(木) 06:36:16.26
>>70
貿易銀になって中国とかに大量に流れたよ。

73: 日本@名無史さん 2012/04/20(金) 14:21:51.25
銅も国外流出してますやろ
寛永通宝なんか、支那や越南はおろか遠くインドネシアあたりからも出土してるらしいし

明治以降はバンバン掘りまくって銅の輸出が盛んに行われた(関連する足尾鉱毒事件はあまりにも有名)

74: 日本@名無史さん 2012/04/20(金) 15:50:43.95
わざわざオランダのために長崎貿易銭を鋳造したくらいだしね。


引用元: ・【皇朝十二銭】通貨の日本史【藩札】