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1: 日本@名無史さん 2011/01/26(水) 10:20:24
歴史はどうなっていただろう?








3: 日本@名無史さん 2011/01/26(水) 18:52:08
日本全国で何万人殺したら源氏滅亡になるんだよ。
平清盛はポルポトかよ。

330: 日本@名無史さん 2017/04/04(火) 11:00:01.88
>>3
クソワロタ

7: 日本@名無史さん 2011/01/27(木) 07:36:35
このスレ主の言いたいのは、
「平清盛が、源義朝の息子や兄弟などをすべて根絶やしにしていたら、その後の頼朝・義経・行家などの反乱はなく、平家の天下は続いたのでは?あるいは、別の誰かが関東の武士の求心力となり、やっぱり平家と対峙したのか。そのあたりを議論したい」
ということではないのか?

8: 日本@名無史さん 2011/01/27(木) 07:59:18
義朝の一族近親を根絶やしというのがまず現実的ではないが、例えそれが出来ていたとしても平家政権が安泰だったとは思えないな。
摂津源氏や秀郷流藤原氏などの他の軍事貴族もいるし、後白河によってそれらの軍事貴族諸氏の中から有望な物を引き立てて、承久の変みたいなのが前倒しされてそれも頻繁に起こっていた(起こされていた)んじゃないか?

12: 日本@名無史さん 2011/01/28(金) 23:58:20
各地で武士や寺社が挙兵していて、平家は仮に源義朝の息子たち、とくに頼朝を殺していても、各地の挙兵を未然に防止することはできまい。
一方、頼朝がいなかった場合、関東の武士をまとめる役割を果たしえた人物はいたのだろうか。
もし誰もまとめ得なかったとすると、各地で群雄割拠のような状態が続いたのではないか。

源義仲のような勢力が一時的に都を陥れたかも知れない。
しかし、頼朝のような強固な勢力がなければ、平家を短期に打倒することはできず、平家は西日本を拠点として存続し、都を奪回する場面もあったかも知れない。
平家・奥州藤原氏などが、もっと長く存続したのではないか。

14: 日本@名無史さん 2011/01/29(土) 02:33:37
源氏が東日本、平家が西日本を支配する二重構造になっていたかもしれない。

15: 日本@名無史さん 2011/01/29(土) 02:48:59
その源氏が滅んでたらっていう前提なんでしょ

16: 日本@名無史さん 2011/01/29(土) 03:00:04
あ、そっか…
それじゃ奥州藤原氏が東日本支配ね。

17: 日本@名無史さん 2011/01/29(土) 07:21:29
頼朝が存在せず、鎌倉政権が成立しなかったとすると、志太先生義広、上総介広常などの有力豪族が残り、それぞれの所領を拠点として自分の独立圏を築いていったのでは?
平家の派遣した討伐軍・在地の親平家勢力と戦闘する場面もしばしばあっただろう。
各個撃破される場面もあっただろうが、現地の目代を殺したり、荘園を奪ったりする事件が頻発し、平家や中央の統制は次第に効かなくなっていったと思う。

中央では後白河法皇などの反平家勢力が平家打倒のために、そうした関東の武士を利用しようとする場面もあっただろう。
一方、後白河法皇や以仁王を逆に利用はしても、中央には関心を示さず、関東に独立圏を築くことに力を注ぐ勢力もあったと思う。
奥州藤原氏は中央と協調しながら、自身の勢力を温存しようとしたのではないか。
そんな状況がどれだけ続いて、いつしかある勢力のもとにまとまっていくのか、なかなか想像はつかない。

18: 日本@名無史さん 2011/01/29(土) 11:51:15
>>17
志田義広をスレタイの源氏に含めるかどうという問題はあるが、含めないなら中心勢力のひとつになっていただろうね。
坂東平氏は貴種性を主張できるかということはあるが、院がお墨付きを与えれば、上総、千葉、三浦などは十分中心勢力になるだろう。
いずれにしても所領安堵を保証するに足る実力と権威(貴種なり官位なり)をもつリーダーが出てくるまではまとまらないな。

19: 日本@名無史さん 2011/01/29(土) 13:56:16
奥州藤原氏や坂東平氏は独立勢力になっただろうな。
以仁王みたいな出世コースから外された中央貴族は出続けただろうし、それと結びつくことも考えられる。
源平争乱を生き抜いたとしても平家政権はあまり長続きしなかったのでは。

20: 日本@名無史さん 2011/01/29(土) 14:00:08
でもそのまま元寇に突入したらあぶなくね?

21: 日本@名無史さん 2011/01/29(土) 14:11:34
ぶっちゃけ九州と中国に総動員かければどうにかなる
むしろ平家なら私掠倭寇を国家戦略に取り込みそう

22: 日本@名無史さん 2011/01/29(土) 19:39:53
もし群雄割拠の状態で元寇に突入したら、やはり西日本の覇者である平家が主体となって蒙古・高麗軍と戦うのだろう。総大将は史実と同様、九州の有力武士・小弐氏が務め、平家傘下の水軍がこれに加わるのだろう。
史実で元寇を契機に鎌倉幕府が弱体化したように、元寇によって平家は打撃を受けるのか、それとも水軍を主体として、大陸・半島に向けて新たな戦略を描くのか、興味を感じるところだ。

平家の水軍が15~16世紀ごろまで存続し、さらに海外に覇権を伸ばして、スペインやポルトガルに伍してフィリピンや南米にまで至り、現地に一の谷や屋島のような堅陣を築く。
安徳天皇の末裔の乗る御座船が浮かぶ中、夕暮れ時には平家の公達の奏でる笛の音色が聞こえてくる。
そんな展開も悪くはないだろう。

23: 日本@名無史さん 2011/01/29(土) 19:49:13
少弐は鎌倉殿に言われて大宰府入りしたクチだから、元冦で主導的な立場にたつのは大蔵・松浦・菊池あたりだろう

25: 日本@名無史さん 2011/01/30(日) 00:39:22
元や宋の調略にはまる豪族が出てこなければ良いが。
相手方は当然それを狙ってくる。

27: 日本@名無史さん 2011/01/31(月) 01:11:40
平清盛が源頼朝や源義経を成敗していたとして、頼朝が存在せず鎌倉政権が成立していなければ、平家や奥州藤原氏を倒せる勢力は存在しないように思う。
そうすると、平家と奥州藤原氏はしばらく残ったと思うが、平家と奥州藤原氏は、どんな形でいつごろまで存続したのだろうか?

中央には冷淡な態度で自分の所領を拠点として独立勢力を築く武士と、朝廷から官位をもらって武家貴族のように振る舞う武士が混在する形で、とくに決め手となる指導者が現れることなく、武家社会は推移したのであろうか?

29: 日本@名無史さん 2011/01/31(月) 11:10:02
>>27
清盛没後にはどっちみち平家政権は衰退するから院の権力が復活して、北面西面から新しい武家の勢力が湧いてくるんでない?

31: 日本@名無史さん 2011/01/31(月) 20:39:39
越後の城氏も、常陸の佐竹氏も背後の奥州藤原氏と誼を通じながらじわじわと版図を拡大して行きそうだな。

33: 日本@名無史さん 2011/02/02(水) 00:48:31
東北の開拓は活発化して↑
関東の開拓は鈍化して↓

で鎌倉末期辺りからの日本の人口増加は多少鈍化かな
地域間のバランスは多少改善されそう

38: 日本@名無史さん 2011/02/05(土) 17:01:35
北条、千葉介、上総介、三浦等みんな平氏だよね。
源平合戦で平家方に付いた源氏っている?

41: 日本@名無史さん 2011/02/06(日) 03:53:37
>>38
>源平合戦で平家方に付いた源氏っている?

義高(木曽じゃない方)やその子息たちがそうじゃないかい?

269: 日本@名無史さん 2012/06/19(火) 22:51:39.52
>>41
源季貞(飯富季貞)
清和源氏(甲斐源氏)の一族でありながら平家の侍大将
平清盛の側近でもあり、平盛澄とともに石川源氏を壊滅させるなど壇ノ浦の戦いで捕虜となるまで第一線で戦った。
子孫に武田二十四将の飯富虎昌がいる。

あまり知られてない人物だけどもっとドラマとかでもとりあげてもらいたい。

42: 日本@名無史さん 2011/02/06(日) 05:47:48
>>38
佐竹氏も源氏だけど平家方だね。
挙兵から間もない頼朝(実質上総介、千葉)に金砂城で討たれるけど、その金砂城の戦いの時当主の佐竹隆義は健在で在京中
その後佐竹氏の生き残りは「玉葉」や「延慶本平家物語」によると時折常陸国に戻っては佐竹氏は抵抗を繰り返していたらしい。

また、奥州合戦の時も頼朝に佐竹氏のなかでも頼朝についたものと奥州についたものに分かれていたようだし。

44: 日本@名無史さん 2011/02/06(日) 06:30:02
佐竹は平氏源氏というより、相手が機内を地盤にした勢力か、東国を地盤にした勢力かの方が大きそう
足利の時は周りを南朝方に囲まれても北朝方
豊臣ときも元気一杯
徳川の時は見ての通り
後北条の時もこれに当たるかな

ようは東国での、他の有力勢力の強大化や全国政権化を拒否して、機内政権との友好をって政治、外交姿勢なんでは?
こう考えたら平家方なのは当然なんじゃ

46: 日本@名無史さん 2011/02/06(日) 14:39:41
佐竹秀義、志太先生義広などは、自分の領地を根拠地として独立勢力を築くことに関心が高かったように見える。
だから、源頼朝の構想とは違いがあり、なかなか臣従しなかったのではないか。
頼朝は源氏一門といえども、特別扱い・独立性を一切許さず、他の御家人と同様、自分の家人にしなければ気が済まないという面があり、勢力の強い源氏であるほど、頼朝とはうまくいかなかったように見える。

43: 日本@名無史さん 2011/02/06(日) 05:54:56
それから、坂東おいて無視できないのが「秀郷流藤原氏」(自称も含む)。
坂東に於いて「平氏系」の豪族が力を持っていたことは確かだけど藤原系の豪族もかなり存在していた。

小山、下河辺、足立、山内首藤、藤姓足利など。

53: 日本@名無史さん 2011/02/17(木) 20:34:39
>>43
でも、なんとなく北関東(あるいは東関東)に偏るんだよね>藤原氏
あくまで大雑把な傾向としての問題で、截然と区切られるわけではないが、南関東・西関東の平氏(および右大将家)/北関東・東関東の藤原氏(基本は秀郷流だが)と関東平野が二分して分かれる傾向がある。

そして、右大将家の「源氏」という「符号」が、なんとなく南関東の覇者の符号として生き永らえ、「関東といえば源氏だろ?」という「常識」となって、足利氏、上杉氏などが使った挙句、最終的に徳川氏が江戸開幕に利用する一方、北関東の「藤原氏」という符号は、本来は別系統の奥州藤原氏の追憶と渾然一体となりながら、「奥州といえば藤原だろ?」という、(関東=源氏よりは弱いが)一つの符号と化して、最終的に、仙台の伊達氏が使おうとした一つの符号に結実した気がする。

現在の利根川(昔の流路で言えば途中から鬼怒川)あたりを境にして、関東というのは、北東側と南西側になんとなく二分されるのが、歴史的伝統に見える。
南西側は、東海甲信の延長に近い。井沢元彦は、源頼朝を「伊豆頼朝」と言ったが、けだし名言だ。
北東側は、東北南部の延長に近いところがある。
この考えは、「関東を分断するとは何事だ?許さない!」と昔、この板で猛反発を食らったことがあったが、歴史から方言に到るまで、利根川線の分断は無視できないと思う。

61: 日本@名無史さん 2011/02/23(水) 08:20:18.05
>>53
本郷和人氏は
南坂東四カ国(相模、武蔵、駿河、伊豆)に対する鎌倉幕府の統制力とそのほかの坂東に対する統制力は違うと主張しているね。
坂東内部でも見えない境界があるのかもね。

98: 日本@名無史さん 2011/02/27(日) 06:54:33.09
源氏を滅ぼすって新田も足利も武田も佐々木もみんな滅ぼすってこと?
それともいわゆる源家を滅ぼすってこと?

100: 日本@名無史さん 2011/02/27(日) 10:06:30.10
>>98
最初からそこがあいまいなわけだが、義朝の息子に限定しても、反平家の旗頭には義仲や頼政が立ったわけで状況は変わらないし。

101: 日本@名無史さん 2011/02/27(日) 12:55:12.79
でも頼政や義仲では(鍵となる)関東をまとめられない。

103: 日本@名無史さん 2011/02/27(日) 17:21:21.16
義仲の父は私闘で殺されていて、義仲の敵討ちの相手は義平だが、その相手の義平は既に死んでたし坂東が基盤ではない
頼政は坂東に基盤がなかったからな

104: 日本@名無史さん 2011/02/27(日) 18:53:59.62
常陸には志田三郎先生もいたしな。

逆に、頼朝が処刑されていていなかったら、志田三郎がかつぎだされて、反平家で動くってことはあったのかな?

105: 日本@名無史さん 2011/02/28(月) 08:40:45.84
>>104
志田庄は池禅尼の斡旋で八条院領になった。
義広は頼盛とのつながり深いのでは?
それに野木宮合戦の経過を見るといつか小山氏、八田氏と衝突する可能性があったかも。

106: 日本@名無史さん 2011/02/28(月) 09:17:06.67
105補足
志田庄立荘当時は美福門院領。
本所美福門院、領家藤原宗子、当時の常陸介は平頼盛。
ちなみに常陸国は1148年頃平家盛が常陸介になって以来、平家一門や関係者が常陸介になっている事が多く、平治または治承三年以降平家の知行国となった他の坂東諸国とは、治承寿永以前の状況が違うものがあったと推測される。

152: 日本@名無史さん 2011/05/12(木) 18:24:28.58
平家が公家から武家への權力移転を推進するような政策をとれば安定するだろうけど、そんな様子は微塵もなかったわけで、結局、あちこちの武家が騒乱を起こして戦乱の時代になるんじゃない?

どこかが頼朝と北条がやったような武家政権の樹立まで辿り着けばいいけど、そうはならずに時間切れで元寇で日本中大混乱って流れになりそう

155: 日本@名無史さん 2011/05/18(水) 03:22:13.72
平家が残っても遅かれ早かれ貴族政治に飲み込まれてたよねきっと

156: 日本@名無史さん 2011/05/21(土) 10:08:01.74
藤原が平になって平安時代がずっと続く感じ?

157: 日本@名無史さん 2011/05/21(土) 15:24:59.89
>>156
それはない!
良民が成長して、中世の扉はすでに開かれちゃってるし、朝廷も院も、政治機構としての機能は衰退してる。
「軍事貴族」として、あるていど武家の棟梁としての地位を保つか、文弱貴族化すればまた別の武家が台頭するまでのこと。

引用元: ・もし平家が源氏を滅ぼしていたら…