
1: 世界@名無史さん 2016/02/07(日) 14:29:42.53 0
ローマのライバルであった東方の大国であるペルシア。
そしてヨーロッパに対して中世時代まで優位を保ち続けたイスラム
ローマの軍隊については多く語られているが、ペルシアの軍隊や戦術などについては余り語られていない。中世時代のヨーロッパも文献や資料こそ多いがそれに対してイスラム等の中東圏に関するものは乏しい。
そこでこのスレでは情報の少ないイスラム化する以前のペルシアと、イスラム諸王朝(アッバース朝、セルジューク朝など)の軍隊を語っていきましょう
そしてヨーロッパに対して中世時代まで優位を保ち続けたイスラム
ローマの軍隊については多く語られているが、ペルシアの軍隊や戦術などについては余り語られていない。中世時代のヨーロッパも文献や資料こそ多いがそれに対してイスラム等の中東圏に関するものは乏しい。
そこでこのスレでは情報の少ないイスラム化する以前のペルシアと、イスラム諸王朝(アッバース朝、セルジューク朝など)の軍隊を語っていきましょう
: 世界@名無史さん 2016/02/07(日) 14:34:05.43 0
パルティアとササン朝はローマとの戦争に勝利することが多かったみたいだが、戦術や戦略はどのようなものだったのだろうか?
8: 世界@名無史さん 2016/02/07(日) 17:55:42.63 0
映画の300とか、アレクサンドロスを見る限りではペルシア(アケメネス朝ね)って人数だけは多いけど、士気と練度が低い烏合の衆のイメージがあったけど、パルティア以降は西洋に対して勝率が高いように見えるんだが、軍制の改革があったとみていいのかな?
イスラム以前のパルティアとかササン朝とか何度もローマを破ってるし
イスラム以前のパルティアとかササン朝とか何度もローマを破ってるし
11: 世界@名無史さん 2016/02/07(日) 19:06:42.94 0
12: 世界@名無史さん 2016/02/07(日) 19:45:53.96 0
16: 世界@名無史さん 2016/02/08(月) 16:17:12.40 0
ペルシアで有名な軍の部隊として不死隊がいるけど、戦術面、戦略面では欧州とはどういう違いがあったんかな?
アレクサンドロスはペルシアを征服できたけど、ローマ帝国はできなかった。
なぜここまで差が付いたのか?
ローマにも優秀な君主や将軍は沢山いただろ
アレクサンドロスはペルシアを征服できたけど、ローマ帝国はできなかった。
なぜここまで差が付いたのか?
ローマにも優秀な君主や将軍は沢山いただろ
17: 世界@名無史さん 2016/02/08(月) 19:09:10.91 0
ローマ帝国はヨーロッパの領土も防衛しなければならないから、ペルシャに勝利してもヨーロッパでゲルマン人が侵入すると、ペルシャと講和してゲルマンと戦う為に帰国する場合が多かった
ローマのオリエント現地軍やはり文明化していて軟弱なので、ペルシャ遠征のローマ軍はヨーロッパ戦線から援軍が主力だった
ローマのオリエント現地軍やはり文明化していて軟弱なので、ペルシャ遠征のローマ軍はヨーロッパ戦線から援軍が主力だった
18: 世界@名無史さん 2016/02/09(火) 15:33:04.80 0
世界最強の文明国であるローマが東方の蛮族相手に苦戦してたのはゲルマンが原因だったか。
本気出せばパルティアだろうがササンだろうがカス扱いなんだね
本気出せばパルティアだろうがササンだろうがカス扱いなんだね
25: 世界@名無史さん 2016/02/11(木) 23:22:45.61 0
>>18
ヨーロッパ方面はローマ帝国には余禄でいらなくなったらとっとと切り離すお荷物
往々にしてペルシア遠征が大規模化してるのはそっちが富を生む交易を巡ったガチだから
勝てない理由は簡単で、軍事的にローマは大体の時期で風下だから
東帝国時代になってやっと重騎兵が少し追いつく
ヨーロッパ方面はローマ帝国には余禄でいらなくなったらとっとと切り離すお荷物
往々にしてペルシア遠征が大規模化してるのはそっちが富を生む交易を巡ったガチだから
勝てない理由は簡単で、軍事的にローマは大体の時期で風下だから
東帝国時代になってやっと重騎兵が少し追いつく
27: 世界@名無史さん 2016/02/12(金) 16:19:23.69 0
>>25
パルティアとササンってローマよりも強かったん?
具体的にどんな戦術でローマを破ったのかな?
パルティアンショットだけで、勝てる程甘い相手じゃないと思うけど、ローマの将軍が糞無能揃いだったのかも
パルティアとササンってローマよりも強かったん?
具体的にどんな戦術でローマを破ったのかな?
パルティアンショットだけで、勝てる程甘い相手じゃないと思うけど、ローマの将軍が糞無能揃いだったのかも
28: 世界@名無史さん 2016/02/12(金) 16:34:40.24 0
>>27
ローズ マリー シェルドン著「ローマとパルティア: 二大帝国の激突三百年史」を読むといい
ローズ マリー シェルドン著「ローマとパルティア: 二大帝国の激突三百年史」を読むといい
45: 世界@名無史さん 2016/02/13(土) 17:30:59.18 0
>>27
接近せず一定距離をたもって弓騎兵でチクチクして弱まったところで重装騎兵アタック
あるいは行軍中を狙ったり、小部隊ずつおびき出して孤立したところを包囲殲滅という典型的な騎馬民スタイル
そしてローマ軍は歩兵主体でさらにそれまでガチ騎馬民軍とはまともに戦ったこともなかったから、初期のクラッスス~アントニウス戦では成す術なくやられまくった(さらに指揮官のミスが火に油を注いだ)
この頃はウェンティディウスの件以外は本当にローマ軍がサンドバッグ状態だった
でもローマ側もそれら敗戦からいろいろ学ぶようになって、まずウェンティディウスが対騎馬民戦術の原型を考案し、コルブロたちが1世紀のアルメニア争奪戦で形にしていき2世紀にトラヤヌスたちが完成させ
以降はローマ側のミスがないかぎりパルティアはまず戦闘で勝てなくなった(ただしミスはしばしばあった)
2世紀半ばにヴォロガセス4世がパルティア全盛期を髣髴とさせるような勢いで戦ったけど結局敗退したり
2世紀からローマがパルティアに本格侵攻をやりだしたのは、「あの騎馬軍と戦える、そして勝てる」という確信をようやく得たからというのもある
ただしこれらの技能は3世紀の衰退期に入ってあっっっというまに喪失するという
接近せず一定距離をたもって弓騎兵でチクチクして弱まったところで重装騎兵アタック
あるいは行軍中を狙ったり、小部隊ずつおびき出して孤立したところを包囲殲滅という典型的な騎馬民スタイル
そしてローマ軍は歩兵主体でさらにそれまでガチ騎馬民軍とはまともに戦ったこともなかったから、初期のクラッスス~アントニウス戦では成す術なくやられまくった(さらに指揮官のミスが火に油を注いだ)
この頃はウェンティディウスの件以外は本当にローマ軍がサンドバッグ状態だった
でもローマ側もそれら敗戦からいろいろ学ぶようになって、まずウェンティディウスが対騎馬民戦術の原型を考案し、コルブロたちが1世紀のアルメニア争奪戦で形にしていき2世紀にトラヤヌスたちが完成させ
以降はローマ側のミスがないかぎりパルティアはまず戦闘で勝てなくなった(ただしミスはしばしばあった)
2世紀半ばにヴォロガセス4世がパルティア全盛期を髣髴とさせるような勢いで戦ったけど結局敗退したり
2世紀からローマがパルティアに本格侵攻をやりだしたのは、「あの騎馬軍と戦える、そして勝てる」という確信をようやく得たからというのもある
ただしこれらの技能は3世紀の衰退期に入ってあっっっというまに喪失するという
70: 世界@名無史さん 2017/06/24(土) 09:35:49.44 0
>まずウェンティディウスが対騎馬民戦術の原型を考案し、コルブロたちが1世紀のアルメニア争奪戦で形にしていき2世紀にトラヤヌスたちが完成させ
どんな戦術?
レギオン兵では攻撃しようとしても弓騎兵に追いつけなさそうだが
どんな戦術?
レギオン兵では攻撃しようとしても弓騎兵に追いつけなさそうだが
71: 世界@名無史さん 2017/06/24(土) 16:59:50.42 0
>>70
盾壁くんだ軍団兵の後ろに弓兵や投石兵やバリスタを大量において集中射撃
矢弾の密度と射程で弓騎兵を圧倒してさっさと追っ払うという戦術
方法は単純だけどローマ軍の錬度と統率力によって少なくとも会戦では弓騎兵をそれなりに排除できるほどの効果を発揮
ただし機能させるにはまとまった数が必要だから小規模なゲリラ的戦闘ではやはり苦戦
あと三世紀以降はローマ軍の統率力が衰えていったためにこの戦術もだんだん使いこなせなくなる
盾壁くんだ軍団兵の後ろに弓兵や投石兵やバリスタを大量において集中射撃
矢弾の密度と射程で弓騎兵を圧倒してさっさと追っ払うという戦術
方法は単純だけどローマ軍の錬度と統率力によって少なくとも会戦では弓騎兵をそれなりに排除できるほどの効果を発揮
ただし機能させるにはまとまった数が必要だから小規模なゲリラ的戦闘ではやはり苦戦
あと三世紀以降はローマ軍の統率力が衰えていったためにこの戦術もだんだん使いこなせなくなる
23: 世界@名無史さん 2016/02/11(木) 18:15:19.08 0
そういや西洋の剣術書なんかは多いけど、イスラムの剣術指南に関しての資料は見かけないね。
イスラム世界の剣術ってどんなもんだったんだろうか?
イスラム世界の剣術ってどんなもんだったんだろうか?
29: 世界@名無史さん 2016/02/12(金) 18:31:10.43 0
>>23
「続・中世ヨーロッパの武術」に少しだがイラン地方の武術が言及されてたな
どうも剣術の体系化はヨーロッパより早かったらしい
「続・中世ヨーロッパの武術」に少しだがイラン地方の武術が言及されてたな
どうも剣術の体系化はヨーロッパより早かったらしい
31: 世界@名無史さん 2016/02/12(金) 22:35:01.99 0
32: 世界@名無史さん 2016/02/13(土) 00:31:59.60 0
イスラム世界の代表的な戦士にマムルークがいるけど、彼等はどんな武術を習得していたんだろうか?
砂漠の民って戦闘力高いイメージあるけど、過酷な環境が強い戦士を作るということでおk?
砂漠の民って戦闘力高いイメージあるけど、過酷な環境が強い戦士を作るということでおk?
33: 世界@名無史さん 2016/02/13(土) 01:28:46.25 0
パルティアについては初期のカルラエの戦いのイメージが一人歩きして、「ローマよりも軍事面で勝っていた」と言われることあるけどそれは大間違い
通算で見ればパルティアはローマにボコられ続けてる
特にローマ最盛期の2世紀とか「ローマさんもうやめたげて」と言いたくなる位に毎回ボッロクソに大敗してる
>>28の本でも説明されていたけどローマが結局オリエントを手に入れられなかったのは
・ローマ圏から遠すぎ&パルティアの支配域デカすぎ
・占領統治のための情報収集がおろそか
・ローマのマンパワー不足
これらが理由で支配の維持ができなかったから
そんでこの著者は「本質はイラク戦争と同様」とも結論してたり
通算で見ればパルティアはローマにボコられ続けてる
特にローマ最盛期の2世紀とか「ローマさんもうやめたげて」と言いたくなる位に毎回ボッロクソに大敗してる
>>28の本でも説明されていたけどローマが結局オリエントを手に入れられなかったのは
・ローマ圏から遠すぎ&パルティアの支配域デカすぎ
・占領統治のための情報収集がおろそか
・ローマのマンパワー不足
これらが理由で支配の維持ができなかったから
そんでこの著者は「本質はイラク戦争と同様」とも結論してたり
34: 世界@名無史さん 2016/02/13(土) 01:38:49.69 0
ササン朝のシャープール1世の時でさえwiki見る限りではローマ相手に3勝してるけど、ササン朝ってパルティアよりも強かったと見ていいのかな?
37: 世界@名無史さん 2016/02/13(土) 02:28:45.70 0
>>34
間違いなくササン朝のほうが強い
従来の東方騎馬戦力に加えてパルティアが最後までもてなかった高練度歩兵部隊と洗練された攻囲技術も有していたから
ドゥラ・エウロポス遺跡のローマ軍相手の攻囲戦跡とかしゅごい
間違いなくササン朝のほうが強い
従来の東方騎馬戦力に加えてパルティアが最後までもてなかった高練度歩兵部隊と洗練された攻囲技術も有していたから
ドゥラ・エウロポス遺跡のローマ軍相手の攻囲戦跡とかしゅごい
39: 世界@名無史さん 2016/02/13(土) 10:00:07.16 0
>>34
ササン朝が統一国家を維持していたのに対してパルティア王はアッバース朝のように、だいたいイラク南部しか支配していないからササン朝の方がローマのとって脅威だな
カルラエではスレナスが東方のシースタンのサカ族騎兵を動員していたけど、パルティア王が自分の領地の兵しか動員出来ない場合も当然多かった
ササン朝が統一国家を維持していたのに対してパルティア王はアッバース朝のように、だいたいイラク南部しか支配していないからササン朝の方がローマのとって脅威だな
カルラエではスレナスが東方のシースタンのサカ族騎兵を動員していたけど、パルティア王が自分の領地の兵しか動員出来ない場合も当然多かった
40: 世界@名無史さん 2016/02/13(土) 13:23:25.92 0
強い相手との決戦で勝利したからあそこまで拡大できたのはもちろんだが、基本的にローマは彼我の戦力見極めて弱い相手をぼこり続けるんだよ
1世紀にブリタニア遠征を続けたのなんかまさにそう
トイトブルクで敗戦→ゲルマンやべー→ブリタニア遠征に切り替え(1世紀)
ブリタニアをおおかた征服すると、今度は弱体化したパルティアを定期的にぼこる(2世紀)
そいうことを考えずに突撃したのがクラススとアントニウス
あとササン朝がパルティアより相対的に強いというのはそうだと思うが、パルティア時代はティグリス河畔のセレウキアなどギリシア都市があり、ギリシア商人ネットワークがパルティア情報をローマ領側に送ることができ、ローマ側はそれを活用できた。2世紀末にセレウキアは衰亡するが、そのためササン朝時代になるとササン側の情報は殆ど入ってこなくなる
変わりにキリスト教徒東方教会がササン朝領土に広まるがローマ側はこれを殆ど活用できていない
タキトゥスやプリニウスにパルティア情報が多いのにはこうした背景がある
1世紀にブリタニア遠征を続けたのなんかまさにそう
トイトブルクで敗戦→ゲルマンやべー→ブリタニア遠征に切り替え(1世紀)
ブリタニアをおおかた征服すると、今度は弱体化したパルティアを定期的にぼこる(2世紀)
そいうことを考えずに突撃したのがクラススとアントニウス
あとササン朝がパルティアより相対的に強いというのはそうだと思うが、パルティア時代はティグリス河畔のセレウキアなどギリシア都市があり、ギリシア商人ネットワークがパルティア情報をローマ領側に送ることができ、ローマ側はそれを活用できた。2世紀末にセレウキアは衰亡するが、そのためササン朝時代になるとササン側の情報は殆ど入ってこなくなる
変わりにキリスト教徒東方教会がササン朝領土に広まるがローマ側はこれを殆ど活用できていない
タキトゥスやプリニウスにパルティア情報が多いのにはこうした背景がある
42: 世界@名無史さん 2016/02/13(土) 16:09:59.75 0
>>40
いんやアントニウスも侵攻タイミング自体は完璧だったんだよ
当時のパルティアは直前にウェンティディウスに歴史的大敗させられて、王家の権威崩壊してしっちゃかめっちゃかになっていてほとんど兵を集められなかったから
少なくとも活発に打って出てきた1世紀のヴォロガセス1世戦や、全面的な迎撃をかけてきた2世紀のヴォロガセス4世戦に比べたらずっと楽な状況
しかし当時のアントニウスはクレオパトラに脳みそ溶かされてたから、そんな負けるはずのない好機であったにもかかわらず大失敗という
いんやアントニウスも侵攻タイミング自体は完璧だったんだよ
当時のパルティアは直前にウェンティディウスに歴史的大敗させられて、王家の権威崩壊してしっちゃかめっちゃかになっていてほとんど兵を集められなかったから
少なくとも活発に打って出てきた1世紀のヴォロガセス1世戦や、全面的な迎撃をかけてきた2世紀のヴォロガセス4世戦に比べたらずっと楽な状況
しかし当時のアントニウスはクレオパトラに脳みそ溶かされてたから、そんな負けるはずのない好機であったにもかかわらず大失敗という
35: 世界@名無史さん 2016/02/13(土) 01:48:07.65 0
プルタルコス英雄伝のクラッススの伝を見るとパルティア兵>>>>>>>>>>>>>>>>ローマ兵のように思えるけどな
36: 世界@名無史さん 2016/02/13(土) 01:57:50.63 0
恐るべしパルティア論はカルラエの衝撃を忘れられなかったローマ人が長年かけて作りだした虚構だからな
カルラエのすぐあとにウェンティディウス・バッスス率いるローマ軍が逆にパルティアの主力壊滅させて大圧勝してるのにこれもスルーして「パルティアやべー」と言い続けたくらいにカルラエがショックだったから
そして厄介なのは現代の識者もこのイメージをそのまま受け取ってしまうことが多々あること
日本でも塩婆がウェンティディウス・バッススの大勝利を無かったことにして「ローマが武力で勝ったことはない。パルティアやべー」だし
カルラエのすぐあとにウェンティディウス・バッスス率いるローマ軍が逆にパルティアの主力壊滅させて大圧勝してるのにこれもスルーして「パルティアやべー」と言い続けたくらいにカルラエがショックだったから
そして厄介なのは現代の識者もこのイメージをそのまま受け取ってしまうことが多々あること
日本でも塩婆がウェンティディウス・バッススの大勝利を無かったことにして「ローマが武力で勝ったことはない。パルティアやべー」だし
43: 世界@名無史さん 2016/02/13(土) 16:49:02.55 0
ササン朝って文化レベルはローマと比べてどうだったんだろ?
世界に冠たるローマと比較すれば足元にすら及んでいないのかな。
あくまであの地域の中では文化レベルが高いだけで、ローマとは比べるのもおこがましい程のショボ文化だったりして
世界に冠たるローマと比較すれば足元にすら及んでいないのかな。
あくまであの地域の中では文化レベルが高いだけで、ローマとは比べるのもおこがましい程のショボ文化だったりして
48: 世界@名無史さん 2016/02/13(土) 18:09:45.73 0
>>43
ごく一部の分野では同レベル
・ガラス製品
ごく一部の分野では同レベル
・ガラス製品
49: 世界@名無史さん 2016/02/13(土) 18:50:58.78 0
>>43
ローマといえば世界中余程教育のない人でない限り誰でもコロッセオが思い浮かぶ
ササン文化といえば、(日本人の場合は)一部の人が正倉院の文物を思い浮かべるくらい
パルティア文化といえば、何それ状態
やはりその違いは大きかろう
ローマといえば世界中余程教育のない人でない限り誰でもコロッセオが思い浮かぶ
ササン文化といえば、(日本人の場合は)一部の人が正倉院の文物を思い浮かべるくらい
パルティア文化といえば、何それ状態
やはりその違いは大きかろう
50: 世界@名無史さん 2016/02/13(土) 19:07:32.44 0
>>43
ローマは当時の地中海の国としては破格に文明度高いのだけども、足元にも及んでないというのは少々ローマ幻想が過ぎる
文化度の高さは「文化物の輸出で黄金がどこに流れ込むか」で判断するという発想を宮崎市定がしているが、ローマはアウグストゥスの時代から常に黄金を出す側
ローマは当時の地中海の国としては破格に文明度高いのだけども、足元にも及んでないというのは少々ローマ幻想が過ぎる
文化度の高さは「文化物の輸出で黄金がどこに流れ込むか」で判断するという発想を宮崎市定がしているが、ローマはアウグストゥスの時代から常に黄金を出す側
52: 世界@名無史さん 2016/02/13(土) 19:16:28.66 0
>>50
流れ出た黄金はインドに向かったわけでササン朝ではなかった
前漢と比べ後漢も金が減少しているらしいから、これもインドに向かったのかも
結論 インド最強
流れ出た黄金はインドに向かったわけでササン朝ではなかった
前漢と比べ後漢も金が減少しているらしいから、これもインドに向かったのかも
結論 インド最強
54: 世界@名無史さん 2016/02/13(土) 19:19:51.19 0
>>52
パルティア、ササン朝がローマにとって邪魔で邪魔でしょうがなかった理由が、インド貿易路の上にドデンと転がってるから、なわけで全てがインドに行ったというより、結構な額がその二国に吸われちゃいるとは思うけどね
古代においてはインド最強は結構正しいと思う
クシャナ朝のカニシカ王は各国の金を鋳潰して自分の金貨を発行してるしな
パルティア、ササン朝がローマにとって邪魔で邪魔でしょうがなかった理由が、インド貿易路の上にドデンと転がってるから、なわけで全てがインドに行ったというより、結構な額がその二国に吸われちゃいるとは思うけどね
古代においてはインド最強は結構正しいと思う
クシャナ朝のカニシカ王は各国の金を鋳潰して自分の金貨を発行してるしな
56: 世界@名無史さん 2016/02/13(土) 19:48:16.13 0
2世紀パルティア衰退の理由のひとつは、ローマがアラビア半島経由のインド航路を発見し、パルティアを通さないで交易が可能になってしまったこともある
領土的にも2世紀は、もともとパルティア領の東方はクシャン朝支配下にあり、2世紀のパルティアが弱体化していたことは間違いない。
しかしローマの金鉱山が枯渇しインド交易も衰退するとともにクシャン朝やサータヴァーハナ朝も衰退。4世紀の西アジアに強力な国家が生まれる素地は用意されていた。ササン朝の勃興もこの流れに沿ったもの
領土的にも2世紀は、もともとパルティア領の東方はクシャン朝支配下にあり、2世紀のパルティアが弱体化していたことは間違いない。
しかしローマの金鉱山が枯渇しインド交易も衰退するとともにクシャン朝やサータヴァーハナ朝も衰退。4世紀の西アジアに強力な国家が生まれる素地は用意されていた。ササン朝の勃興もこの流れに沿ったもの
46: 世界@名無史さん 2016/02/13(土) 17:35:27.35 0
ストラボンがパルティアは多夫多妻制って書いてるけどまじかよ
当時はパルティアとの交流が盛んだったからデマとは思えんが
当時はパルティアとの交流が盛んだったからデマとは思えんが
51: 世界@名無史さん 2016/02/13(土) 19:10:07.68 0
カエサルが暗殺されずにパルティア遠征に出てたらどうなったろう?
カエサルはクラススやアントニウスとはレベルが違うから、案外抜かりなく情報収集・研究し、勝利したのではなかろーか
カエサルはクラススやアントニウスとはレベルが違うから、案外抜かりなく情報収集・研究し、勝利したのではなかろーか
58: 世界@名無史さん 2016/02/13(土) 20:56:58.88 0
>>51
あの時代でもウェンティディウスが証明したとおり情報収集と戦術次第でブチのめせるから、その辺が得意なカエサルなら上手くやったと思う
ただしゲルマニアをすぐに見限ったように、パルティアも物理的に制覇困難と判断してちょっと叩いて有利な講和結んですぐに手をひきそう
あの時代でもウェンティディウスが証明したとおり情報収集と戦術次第でブチのめせるから、その辺が得意なカエサルなら上手くやったと思う
ただしゲルマニアをすぐに見限ったように、パルティアも物理的に制覇困難と判断してちょっと叩いて有利な講和結んですぐに手をひきそう
59: 世界@名無史さん 2016/02/13(土) 21:40:23.52 0
トラヤヌスだってゲルマニア侵攻じゃなく、ダキアとパルティアだったし、即位前属州上ゲルマニア総督だったから、ゲルマニアの状況を良く知っていて侵攻しなかった
トラヤヌスのライバルニゲリヌスはシリア総督だったから、彼が皇帝になっていたら、ゲルマニア侵攻をしたかも知れない
ハドリアヌスは上ゲルマニアでの軍団将校やシリア総督を歴任しているから、どっちもやばいことを認識してた
トラヤヌスのライバルニゲリヌスはシリア総督だったから、彼が皇帝になっていたら、ゲルマニア侵攻をしたかも知れない
ハドリアヌスは上ゲルマニアでの軍団将校やシリア総督を歴任しているから、どっちもやばいことを認識してた
67: 世界@名無史さん 2017/02/18(土) 11:39:00.80 0
アレクサンドロス3世と戦ったペルシア帝国の一般兵は防具を装備してないって本当?
69: 世界@名無史さん 2017/06/23(金) 18:55:06.82 0
>>67
プルタルコス英雄伝によるとアレクサンドロス東征軍は当初ペルシャ軍の豪壮な兵装を見て士気をくじかれてたそうなので少なくとも当時のギリシャよりかはマシ
プルタルコス英雄伝によるとアレクサンドロス東征軍は当初ペルシャ軍の豪壮な兵装を見て士気をくじかれてたそうなので少なくとも当時のギリシャよりかはマシ
72: 世界@名無史さん 2017/06/25(日) 13:38:59.59 0
>>69
アレクサンドロス東征軍が最初に対戦した豪壮なペルシャ軍はアナトリアのサトラップらが率いたリディア兵やフリギア兵とかだった
ペルシャ本国兵とはダレイオス3世との会戦で初めて対戦したと思われる
ペルシャ本国とメディアは帝国本土として免税されると同時に国民皆兵で庶民も従軍していたので軽装備の兵が多かったようだ
アレクサンドロス東征軍が最初に対戦した豪壮なペルシャ軍はアナトリアのサトラップらが率いたリディア兵やフリギア兵とかだった
ペルシャ本国兵とはダレイオス3世との会戦で初めて対戦したと思われる
ペルシャ本国とメディアは帝国本土として免税されると同時に国民皆兵で庶民も従軍していたので軽装備の兵が多かったようだ
68: 世界@名無史さん 2017/04/04(火) 18:16:19.98 0
マクニール「世界史-人類の結びつきと相互作用の歴史-」のなかに、パルティア~ササン朝の重装騎兵に関する説明で初見のものがあった
1. ペルシャ圏北部で戦士階級の領主が大型馬の品種を飼育
2. 餌は自生する草では駄目でマメ科アルファルファを飼料として利用
3. アルファルファは灌漑農場での休耕地用作物として作付サイクルが成立
4. ササン朝後期には塩害などでその灌漑農場の生産性が落ち込む
5. ペルシャ圏北部領主が北方遊牧民に対する防波堤となることが困難に
最後のとこはエフタルや突厥との戦いについての背景になっているわけだが、この分野に焦点あてた本ではなく該当部の出典もなかったので妥当性が分からん
類似した推論を見たことある人いる?
1. ペルシャ圏北部で戦士階級の領主が大型馬の品種を飼育
2. 餌は自生する草では駄目でマメ科アルファルファを飼料として利用
3. アルファルファは灌漑農場での休耕地用作物として作付サイクルが成立
4. ササン朝後期には塩害などでその灌漑農場の生産性が落ち込む
5. ペルシャ圏北部領主が北方遊牧民に対する防波堤となることが困難に
最後のとこはエフタルや突厥との戦いについての背景になっているわけだが、この分野に焦点あてた本ではなく該当部の出典もなかったので妥当性が分からん
類似した推論を見たことある人いる?