51QSPT62JNL._SL500_







526: 世界@名無史さん 2021/09/01(水) 17:03:34.77 0
日本でも、平安時代には物語文学が盛んになった

あれも日本史だけ見てると日本独特の現象に思えるんだけど、やっぱり唐朝での傾向が多少の時差で日本にも現れたといえる

532: 世界@名無史さん 2021/09/01(水) 19:55:54.26 0
唐代には音楽も胡楽・俗楽の影響を受けていたな
とくにインド・クチャ・トゥルファン・サマルカンドなど西方の音楽がとりいれられ、中国の音楽を画期的に進歩させた

533: 世界@名無史さん 2021/09/01(水) 20:16:06.71 0
そうだ
雅楽も日本では「中国から伝来した音楽」として紹介されることが多いが、基本的にペルシャが発祥地

534: 世界@名無史さん 2021/09/01(水) 20:16:53.04 0
中央アジアに広がる草原の帝国・唐朝ならでは

535: 世界@名無史さん 2021/09/01(水) 20:24:39.69 0
仏像も、仏教はインドの宗教、彫刻はギリシャの美術。その2つがガンダーラで融合したものだ

542: 世界@名無史さん 2021/09/03(金) 10:07:59.00 0
日本って、唐から宦官の制度だけは輸入しなかったな

545: 世界@名無史さん 2021/09/03(金) 20:00:34.39 0
>>542
牧畜文化に伴う去勢が広く知られてる地域ならともかく、日本は歴史的に牧畜文化があまり一般化しなかったから、宮廷文化にそういった事柄を持ち込むのはむしろ忌まれたんじゃないか

543: 世界@名無史さん 2021/09/03(金) 14:37:45.23 0
吐蕃も日本や新羅同様、唐に留学生を送り、中国の文字を習得し、古典を学ばせ、漢文で中国との国交文書を作成するために唐の文人を招いている
また、唐から養蚕や穀物から作った酒、紙、墨なども輸入した
また唐から降嫁してきた文成公主のために、中国風の城壁のある宮殿を築いた

544: 世界@名無史さん 2021/09/03(金) 15:21:00.46 0
唐代の日本吐蕃新羅なら文明の発展具合はどうだったのかな?
新羅>日本=吐蕃くらい?

545: 世界@名無史さん 2021/09/03(金) 20:00:34.39 0
>>544
版図の広さ、他文明との接点の多さ、周辺民族の多様性からいっても、当時は吐蕃のほうが日本や新羅よりも先進的だったんじゃないかな

546: 世界@名無史さん 2021/09/03(金) 22:38:36.37 0
吐蕃は、降嫁してきた文成公主がチベット風の顔を赤く塗る風習を嫌ったので、この風習を禁じたという
文成公主は当初、ソンツェン・ガンポ王の息子のグンソン・グンツェンに嫁したが、グンソンが間もなく落馬して死亡したので、父のソンツェンが復位した
文成公主は646年、吐蕃の風習に従って、ソンツェンに再嫁する
また文成公主は、亡夫のために現在もあるラモチエ(小招寺)を建て、中国から仏像を取り寄せた

549: 世界@名無史さん 2021/09/04(土) 06:30:29.55 0
>>543
吐蕃は実際のところ唐に学んでないけどな。
唐は獲るところ、学ぶ先はインド。
で、チベットが吐蕃、支那が唐の時分に制定した文字は、インドの文字が手本。
東南アジア諸国がよく言うだろ、インドに文化を学び、支那に料理を習って、豊かになった。逆だと最悪だったかもしれない。
と。

550: 世界@名無史さん 2021/09/04(土) 10:33:16.60 0
吐蕃はソンツェンのとき、留学生を送って漢字文化を学んだが、これは定着せず、のちに北インド系の文字がチベット文字となった
朝鮮三国や日本が唐文化の多くの面を輸入したのと異なっているのは、チベットが地域的にインド文化に接する機会が多かったから

551: 世界@名無史さん 2021/09/04(土) 12:13:23.90 0
>>550
インド~チベットは、ヒマラヤでがっつり蓋されて往来困難なんだけど?
支那~チベットは、支那の二大大河の源流がチベットで川沿に往来が容易、チベット圏・支那圏・北方遊牧圏・大陸深部オアシス農耕圏の境が河西回廊で、この一帯は大昔から交易路。
吐蕃も河西回廊から攻め入って長安を包囲攻撃したり、隋唐の支配層と同族の吐谷渾がチベット北東部を支配したりしていた。
支那が宋の時期には、北東チベットから河西回廊にかけて陣取っていた西夏国が、漠南・華北の契丹と時に共同し、時に三つ巴になりながら、宋を軍事的に圧迫していたりもした。

617: 世界@名無史さん 2021/09/06(月) 23:54:08.32 0
タラス河畔の戦いの後、唐は敗軍の将である高仙芝に対して責任を問うこともなかった
唐にとってはしょせん辺境で起きた事件で、たいしたことではなかったのか

619: 世界@名無史さん 2021/09/07(火) 05:47:01.62 0
>>617
あれは、唐とアッバース朝の戦いというより、高仙芝とアブームスリムの戦い
双方ともに半独立勢力

623: 世界@名無史さん 2021/09/07(火) 07:07:05.10 0
>>619
アブー・ムスリムはウマイヤ朝を打倒しアッバース朝に交代させた最大の功労者。
タラス河畔へは諸民族の支持を集め20万人を動員してる。
一方、高仙芝はそれまでに西域72ヶ国を服属させた猛将。
タラス河畔ではカルルク族に裏切られる。
それぞれ唐とアッバース朝の代表による激突だよ。

618: 世界@名無史さん 2021/09/07(火) 04:28:07.49 0
タラス川の戦いは、文化面での影響が大きい。
その戦いでイスラム側の捕虜になった唐人に紙漉き職人がいた。
結果、製紙法が西方に伝播した

621: 世界@名無史さん 2021/09/07(火) 06:45:22.54 0
>>618
文化面の影響で言えば、中央アジア諸民族がイスラム化したことが大きい。

625: 世界@名無史さん 2021/09/07(火) 07:48:40.26 0
>>621
中央アジアをイスラム化し、仏教文化や中国の影響力を排除するに飽き足らず、ムスリムの本拠地から遠く遠く隔たった周秦漢唐の本拠たる関中の周縁までやってきて、巡り巡って近現代中国を悩ませることになるとかイスラム教強すぎる

632: 世界@名無史さん 2021/09/07(火) 10:13:31.38 0
>>625
支那圏が河西回廊よか西に及ぼした影響って少ないよな。
紙くらいか?

唐より後も結局は自前で暦すら作れない、唐の次に西域と支那と両方を支配したモンゴル帝国は文字も税制も経済政策も西域から習ったものを用いて、支那圏一番の知識集団の儒家を乞食同等の扱いだったし。
モンゴル帝国ちょい前に支那圏から西域に遷った契丹はまるっきり支那圏の文化技術を西域にもたらすことなく、がっつりペルシャ化してしまったし。

653: 世界@名無史さん 2021/09/07(火) 20:05:46.88 0
>>632
>支那圏が河西回廊よか西に及ぼした影響って少ないよな。
>紙くらいか?

まぁ一番デカいのは古代においては絹
中国の別名のセリカもここから来てるぐらいだし
近世近代においては陶磁器
あと中国絵画の影響によって中東ではミニアチュールに発展したり
また唐三彩を真似てイスラム三彩なんてものが作られている

624: 世界@名無史さん 2021/09/07(火) 07:10:07.10 0
すごいな、高仙芝

630: 世界@名無史さん 2021/09/07(火) 08:45:54.64 0
>>624
武人の時代の始まり。
スゲぇ武人は凄すぎると中央から誣告を受けやすい。
これを嫌った武人が中央から離れようとする。
首都への帰還命令に服さないことに始まって、事実上の独立勢力へと進む。

622: 世界@名無史さん 2021/09/07(火) 07:05:29.67 0
中央アジアは仏教国だったのにな

イスラム国になってしまった

626: 世界@名無史さん 2021/09/07(火) 07:59:16.98 0
豚肉をご馳走とする中華文明とイスラムはどうしても相いれないな
イスラム文化圏では、「西遊記」は大っぴらに公開されていない。
豚の猪八戒が主人公格だから
日本敗戦のち、日本軍に与したインドネシア人を華僑は「豚小屋に閉じ込めて」苦しめたという

627: 世界@名無史さん 2021/09/07(火) 07:59:40.72 0
東南アジアも一部はイスラム化した
イスラム教の強さの秘密は何なのか?

628: 世界@名無史さん 2021/09/07(火) 08:14:45.93 0
>>627
「死後の救済」をストレートに主題としている

629: 世界@名無史さん 2021/09/07(火) 08:18:28.96 0
仏教もキリスト教も、「結局のところ、人は死んだらどうなるの?」というのが、なんだかんだ言いつつよく分からない
どちらも、開祖の死後に凄まじい論争が起きている
その点、イスラム教は「死後の救済」を単純明快に語っており、あいまいなところや、難解なところが無いので論争の余地が無い

631: 世界@名無史さん 2021/09/07(火) 09:00:30.05 0
>>629
権力闘争、勢力争いは絶えないけどね。
アッバース朝はホラーサーンなどのペルシア系シーア派の力で覇権を握ったが、多数派のスンニ派を国教にした。
タラス河畔の戦いの功労者ホラーサーンのアブー・ムスリムをカリフ権力の脅威と見なして暗殺してる。
シーア派にとっては裏切りなんで反乱が続いたりする。

634: 世界@名無史さん 2021/09/07(火) 10:18:32.67 0
>>631
狡兎死して走狗烹らるるは古代中世の常だろ。
強力な武人は強敵があるから必要であって、強敵の脅威の無い時には内なる脅威だから、排除される。

636: 世界@名無史さん 2021/09/07(火) 14:29:39.27 0
中国文明の影響が東アジアだけに留まったのは中国の価値感が余りに人間至上主義で前近代の世界に合わなかったからじゃないかなあ
例えば中華文明以外の地域では神官などの宗教的権威が国家権力と結びついていたけど中華の場合は周王朝以降神云々は脇において人徳のある者や能力のある者が国家を治めるべきというあくまで人間を重視する価値感だった
儒教でも死後の救済や創造主の神話なんかの根拠のない話は出てこない
徹底した現実主義と人間至上主義が他の文明と中華を分ける点であり、中華文明が他の文明に広がりにくかった理由では

637: 世界@名無史さん 2021/09/07(火) 14:56:32.95 0
儒教では祖先崇拝はあるけど、死後にどうなるかは特に説いていない
前近代の人々にとっては物足りないだろうな

640: 世界@名無史さん 2021/09/07(火) 15:31:12.06 0
>>637
儒教も、じつは「死後の救済」が隠れた中心教義になっている

あの世とか生まれ変わりとか、そういうことについては何も語らないが、その代わり、「子孫に祀られることにより、ときどき招魂してもらえる」というのが救済メソッド

655: 世界@名無史さん 2021/09/07(火) 20:24:25.20 0
ルーシのハスカールとかセルジューク朝トルコやインド、モンゴル帝国とか、10世紀以降のアジア圏の騎兵はどこもドングリ型の兜に小札鎧という東洋風の格好になるけど、あれも中国の鎧の影響だったりする

660: 世界@名無史さん 2021/09/08(水) 06:57:12.17 0
生産力はヤバイけど、他の文明を文化的に侵略するソフトパワーは微妙ってところは近世・近代・現代中国まで来てもあまり変わらないわね

661: 世界@名無史さん 2021/09/08(水) 07:09:04.64 0
7世紀の預言者マホメットも「詩と宗教はアラブ、技術は中国」、「知識を求めよ、中国にまで」と言ってるからなあ

東アジアが製造業に強いのは、今に始まった傾向ではない。
でも、思想とか芸術では、基本的に舶来文化を受け入れる側だ

678: 世界@名無史さん 2021/09/08(水) 18:39:31.23 0
>>661
マホメット以下回教圏には、漢詩は心に響かなかったか。
タラス河畔でバチバチやりあった時分って、唐詩の絶頂期だったろうに。

684: 世界@名無史さん 2021/09/08(水) 21:05:58.21 0
唐詩の朗読もいいんだけどなあ

やはり、宗教の魅力には勝てないか

唐詩の朗誦(中国人)
https://youtu.be/E4w1b7KMWys

685: 世界@名無史さん 2021/09/08(水) 21:07:50.89 0
西域の人々は、唐詩よりコーランに魅了されたようだ

コーランの朗誦(アラビア人)

https://youtu.be/eaJq5yyYlB4

687: 世界@名無史さん 2021/09/08(水) 22:35:10.54 0
>>685
唐の時代の漢語はどうだったんだろうねえ。
今の人民中国語は不快感しかないけど。

そういえば、こんなのもあるよな
一自蕭關起戰塵
河湟隔斷異郷;春
漢児盡作胡字語
卻向城頭罵漢人
タラス河会戦の後、唐の支配を及ばなくなると、残留者があっちゅう間に漢語を忘れてしまうというような内容。

741: 世界@名無史さん 2021/09/11(土) 14:33:01.81 0
唐代の仏教排斥の場合、僧侶・尼僧の堕落に対する反感や、仏教寺院が所有する荘園を奪うという目的もあったようだな

742: 世界@名無史さん 2021/09/11(土) 14:39:20.80 0
あまりにも多くの人が出家して僧侶になってしまうので、「このままじゃ社会が崩壊してしまう」という危機感に駆られた時代もあった

743: 世界@名無史さん 2021/09/11(土) 14:41:45.14 0
北周の武帝による仏像破壊には、「背景には偶像崇拝に反対する思想があったのではないか」と指摘されている

武帝は、西域から何らかの思想影響を受けていたようだ

744: 世界@名無史さん 2021/09/11(土) 14:51:12.72 0
隋朝の統一前は、戦乱による社会不安のせいか、とくに出家が大流行した
北斉の史官魏収は、寺3万、僧尼200万と記している。北斉の人口を1000万とすると、5人に1人が僧尼になった勘定だ

仏像破壊もさることながら、「僧尼の還俗」が大きな課題となった

747: 世界@名無史さん 2021/09/11(土) 19:00:10.66 0
会昌の廃仏で、4600の寺院、招提蘭若といわれた小寺院4万を廃棄し、26万500人の僧尼を還俗させるとともに、寺院に隷属していた奴婢15万人を解放して、還俗僧とともに両税の負担戸として一般農民並みにし、広大な荘園は没収され、仏像や仏具は銅銭と農具の材料にまわされた

751: 世界@名無史さん 2021/09/11(土) 22:33:10.91 0
会昌の廃仏のときには、仏教だけではなく、景教・ゾロアスター教・マニ教も弾圧されて姿を消した
このときの弾圧令には、景教などを「中華の風に雑わらず」としている
道教は弾圧を受けなかったが、単に、時の皇帝武宗があつい道教信者であったというだけではなく、道教が中国固有のものだったからである

760: 世界@名無史さん 2021/09/14(火) 23:17:19.90 0
唐の太宗の太子承乾は、脚が不自由で、そのうえニ十歳をこえたころから奇行が目立つようになった
突厥語と突厥風の服装を好み、顔が突厥人に似ている者を選んで羊飼いをさせ、穹盧(テント)を作って住み、自分が可汗になって死んだ真似をし、突厥風の葬式をやりだすといった始末だった
こんな狂った太子が突厥風を好んだところに、突厥の風習が唐の帝室の中にまで影響していたことが判明して興味深い

引用元: ・隋唐帝国 二