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1: 人間七七四年 2007/07/02(月) 23:33:51 ID:z3f4sFVc
九州の戦国時代は、大友、島津、龍造寺の三国志。
それに宇都宮、蒲池、松浦、有馬、伊東などが絡んでくるが、なかなか話題にされることがない。
そこで、九州の武将や合戦について多いに語ってもらいたい。








5: 宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c 2007/07/03(火) 00:20:01 ID:3pdTdky2
伊東義祐の知名度の低さは異常。

17: 人間七七四年 2007/07/07(土) 21:46:56 ID:EdEs+w5q
>>5
最後はのたれ死にしたって、本当ですか?

18: 長門 ◆q8GdomS4XA 2007/07/08(日) 02:44:51 ID:guj7cIC0
>>17
本当だよ。若干違うかも知れないけど覚えてる限りで書くと

秀吉に仕官した息子に喰わせて貰おうと思って移動してる最中に船に乗せて貰い堺に行くことになったが途中で意識が昏倒したらしい
ただで船に乗せてくれた船主だがめんどくさくなったのか怖くなったのか途中陸に船を着けて町に伊東を投げ捨ていった。

投げ捨てられた伊東は惨めにその辺りをのたうち回りそれを見た町の人が奉行所に通報
駆け付けた奉行はひょっとして噂の痴呆の伊東じゃね?(刀や扇子で感づいたとかなんとか)
とか思って息子にその旨を伝える。
痴呆に心辺りのある息子は急いで駆け付けたが時既に遅く、道端で惨めに息絶えていた。
これが日向で重税をしき領民を苦しめ自らの栄華を極めようとした男の惨めな最後である。

とかなんとか。
所々間違ってるかも知れないけど大まかにはこんな感じかと。
一国の主だったものがこれじゃなぁ…。

20: 人間七七四年 2007/07/08(日) 02:47:21 ID:gGiGjyYQ
>>18
付き従う者もいなかったんですかな? 合掌。

21: 長門 ◆q8GdomS4XA 2007/07/08(日) 03:18:43 ID:guj7cIC0
>>20
いない。そもそも耳川大敗で豊後に居るのが気まずくて逃げて京周辺に来たって感じだからね。
家臣は豊後に残るか日向に帰ったか息子に数人与力が残った程度かと。

大名としては1、2を争う惨めな死に様じゃないかと個人的には思う。
19: 宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c 2007/07/08(日) 02:46:50 ID:imHi/gZL
でもかつての家臣に再会して、過去の己の行状を悔やんだりもしてる。
最後には悔い改めたようだな。

22: 人間七七四年 2007/07/08(日) 12:09:49 ID:1mUyGh6S
竜造寺のピザの死に様も凄いね。

23: 長門 ◆q8GdomS4XA 2007/07/08(日) 22:03:03 ID:guj7cIC0
龍造寺およそ2万~2万5千対8千島津有馬に無惨に敗北した上、総大将討ち死にっていう悲惨な戦い。大名が戦場で討ち死にしたのは今川・龍造寺くらいである。

先鋒が釣り野伏せにかかり引っ張られて挟撃される。
先鋒は大混乱に陥り身動きもろくに取れなくなる。
先鋒がこんな状況の中行軍が進まない隆信はぶちきれて「とっとと前進しろ」と全軍に大号令。 全軍袋の鼠に自らなりに前進し次々と撃破されていった。
次第に隆信本隊にも混乱が伝わり始め前進する本隊と逃げる先鋒が入り乱れ大混乱。
そこに追撃にうって出た連合軍が加わり最早軍としての統率が不可能となる。
隆信を逃がすために必死になる重臣達が次々と戦死。
しかしそんな時間稼ぎも虚しく日頃の行いが悪いせいか輿持ちは総逃亡でおいてけぼり。
最後は井戸の裏辺りに隠れていた(?)所を見つかり討ち取られる。

その首は龍造寺側の城に届けられるが「敗者の総大将の首なんぞいらん!」と言われ(一説では城から掘りに投げ返されたとかなんとか)
結局困った島津が供養する事になる。

うん、これもひでぇよなぁ
今川は重臣が死んだってあんまり聞かないけど龍造寺は正にこっぱ微塵に全てを粉砕されちゃっなぁ

24: 奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/07/08(日) 22:31:43 ID:ELxXeuZx
三駿遠の太守と鎮西五国の太守だからといって、 同じように万単位の兵力をどうこうするってのは疑って掛かるべきじゃないかなあ。

26: 人間七七四年 2007/07/09(月) 15:41:37 ID:9eG80MZG
実際龍造寺は肥前の兵も全軍動員してるからかなりの数にはなると思うが

27: 宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c 2007/07/09(月) 16:02:20 ID:pxuZ2Qyp
イエズス会の記録、2万5000ぐらいが妥当だと思う。

28: 人間七七四年 2007/07/09(月) 18:59:26 ID:pOWjXDD8
鍋島が竜造寺を乗っ取りに近い形で掌握したのに竜造寺一族はこれに従ってるのは何故?

29: 人間七七四年 2007/07/09(月) 19:52:08 ID:4PYVfeHr
龍造寺分家一門は鍋島藩でもそれなりの地位を約束されたから、それと引き替え。
政家が病弱だったのがすべてだったな・・・。

ちなみに鍋島藩35万石の内藩主の蔵入り地はわずか6万石。
残りは龍造寺分家一門をはじめとする有力分家の物だった。

204: 人間七七四年 2009/10/24(土) 09:25:41 ID:k3G7ZgT/
長崎や熊本の大名が軽視されすぎ

208: 人間七七四年 2009/11/05(木) 01:57:38 ID:Nq97QBhr
>>204
長崎の大名のエピソードといえば三国志丸パクリの‘唾飲み城’だな。

205: S.C.為作 ◆S.C.T/lLWs 2009/10/24(土) 15:35:37 ID:ywFi9mFF
平戸の松浦は大内傘下、肥後守護は大友でしょ?

206: 人間七七四年 2009/10/25(日) 12:59:06 ID:xZSqKTDs
まー肥後は阿蘇や相良は大友傘下と言っていいね。
隈部・赤星・城の菊池三家老は、なんか微妙だよね。

207: 人間七七四年 2009/10/29(木) 20:28:35 ID:SM00GViH
結局、肥後を統一できそうな国人はいなかったな。
有力候補はいたはずなんだが、なぜなんだろうか。
南北朝の動乱期に光り輝いた忠烈無双の忠臣菊池氏には頑張って欲しかったぜ。
龍造寺を保護した蒲池氏、大友傘下に入った相良氏や阿蘇氏

209: 人間七七四年 2009/11/05(木) 22:39:14 ID:T4o0Qk3i
>>207
蒲池は筑後の豪族だと思ったが・・・ 肥後にも進出していたの?


相良(上村)・阿蘇(甲斐)・菊地ら主な肥後豪族以外の国人といえば、城、隈部、和仁あたりか

210: 人間七七四年 2009/11/07(土) 11:51:14 ID:ucRm6jPp
城とか隈部とか山鹿は菊池配下じゃなかったっけ?
つか唐津藩の寺沢は
てらざは
って読むらしいな。

212: 人間七七四年 2009/11/14(土) 09:32:18 ID:GWx8o2yr
城とか隈部は今山合戦で龍造寺に生捕されているな

223: 人間七七四年 2010/02/12(金) 14:49:43 ID:iI2sK1nr
南九州に城を見に行きたいな

225: 人間七七四年 2010/02/13(土) 13:42:17 ID:R0uo7e7f
南九州の城は雰囲気が重厚鉄壁という感じ。
一度は見る価値がある。
安土桃山文化の直接の影響下に無かったからか、関東や南九州の城郭はもともと天守閣を備えていないところが多い。
そのかわりむき出しの土塁や石垣、川のように広い堀など、天然の要害に建てられた堅城が多いから見る者を圧倒させる。
たとえば箱根の山中城、下総古河城、豊後岡城(緒方時代)、日向綾城など。

226: 人間七七四年 2010/02/14(日) 02:03:37 ID:+wKIL3GR
人吉・高鍋・飫肥は行ってみたいが、綾は公共交通機関でのアクセス悪すぎだろ?
延岡・佐伯はあまりに遠すぎるし。

227: 人間七七四年 2010/02/14(日) 06:59:00 ID:zX8TvPD5
公共交通機関を鉄道だけで見るとそうだがバスで見ると綾はバスの便が少ないがバス停から歩く距離で言えば高鍋や人吉と大差ない
むしろ高鍋なんて最寄りのバス停に停まるバスは日に1、2本
高鍋のバスセンターから歩くと30分くらいかかるよ

229: 人間七七四年 2010/02/18(木) 13:37:12 ID:hZXSuyBM
綾って宮崎駅の次の駅のバスターミナルから1時間はかかるんだよな。。
宮崎県は観光に力を入れるなら交通アクセスを改善して欲しいよな。
そのまんまも伊東氏をアピールして伊東祐兵が主人公の大河を作らせるべき。
大河と言えば女性が活躍せんとだが、祐兵の奥さんのエピソードとしては大友義統が祐兵を殺して奥さんを奪おうとする風評なんかがあるな。

231: 人間七七四年 2010/02/19(金) 00:46:36 ID:5FoIQCNU
伊東では大河は無理じゃて。
九州は宗茂も直茂も龍造寺もおるのに。

232: 人間七七四年 2010/02/19(金) 11:02:21 ID:XcnWVZ2D
主家が衰退した彼らより故地になってしまった伊東氏の再興物語の方が面白いし、耳川の戦いはおろか信長の本能寺や明智の山崎合戦まで絡めても不自然じゃない美味しい人生なんだぜ。

233: 奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2010/02/19(金) 20:41:54 ID:+4Om0Qc5
小説や大河にするなら伊東さん悪くないな。

249: 人間七七四年 2010/10/21(木) 14:47:46 ID:1d9v53ol
さすがに伊東大河は知名度なさすぎで無理
立花鍋島は主家衰退って言うけど、その後大名として取り立てられてる

251: 人間七七四年 2010/10/31(日) 06:55:23 ID:PefAkVTo
伊東大河は面白くなりそうだけどな。
しかも秀吉配下になって島津に御礼参りするとか面白すぐる。

252: 人間七七四年 2010/10/31(日) 08:54:17 ID:VcMwI4Q/
伊東自体はともかく、マンショ伝なら九州勢では一番可能性があるんじゃないの?
ほれ、こんなにエピソードが

・幼少期の日向での暮らし
・故郷を追われ、悲惨な逃避行
・キリスト教との運命的な出会い
・安土セミナリオでの生活
・ローマへの旅
・帰国
・バテレン追放令

255: 人間七七四年 2010/11/01(月) 04:48:49 ID:Djf2LjM5
だがローマへの旅は無理だと思う。大胆にマルッとカットしちまうか?

261: 人間七七四年 2010/11/17(水) 15:22:48 ID:ly5lgUO5
間を取って相良義陽で決まりだな>大河

262: 人間七七四年 2010/11/18(木) 07:36:16 ID:c1sRqwvR
蒲池家の大河はどう?
戦国から法子まで

264: 人間七七四年 2010/11/18(木) 21:38:28 ID:uKCsjY3v
大村純忠の人生もおもしろかったぞ
吉永正春氏は素晴らしい郷土史家とおもた

274: 人間七七四年 2010/12/23(木) 23:28:23 ID:jSTaW8+d
九州は現存天守もなく、イマイチな城跡しかねー
熊本城以外に見所ある城教えて

276: 人間七七四年 2010/12/24(金) 06:51:58 ID:Uj8hfX+h
>>274
天守はないが、柳川城の城跡の要害ぶりはガチ。

277: 人間七七四年 2010/12/24(金) 10:55:48 ID:zjjkkmsW
柳河城は周辺の堀埋め立てられ過ぎて石垣も護岸の埋め立てに持って行かれて、今じゃ見所どころか古地図や絵図でしかその要害ぶりを窺い知る事出来ません

280: 人間七七四年 2010/12/25(土) 00:34:50 ID:/wX/KOxC
柳川城はのどかな学校になっててとても要害感はなかった
岡城跡とか原城跡の方が堅固な感があったぞ

282: 人間七七四年 2010/12/25(土) 18:37:23 ID:VUfWc7hE
凡庸な将でも柳川に籠城すれば1年間は持ちこたえることができるだろう、ましてや名将が籠城すれば3年間はOK、と言われていた。

284: 人間七七四年 2010/12/26(日) 00:27:09 ID:pwAXUUAZ
そんなに堅城なら関ヶ原後の鍋島迎撃は篭城で良かったんじゃないの?
篭城しても清正や如水が説得に応じたのなら家臣は無駄死にしなかったような気もする

全国ではわからんが、九州ではやっぱり岡城が攻めにくそうだな
香春岳城跡あたりも昔は峻険だったらしいが

285: 人間七七四年 2010/12/26(日) 00:53:50 ID:IcNH7qBx
一回柳川を落としてる上に城を管理してた実績がある鍋島に篭城は下策との判断じゃないの

286: 人間七七四年 2010/12/26(日) 09:33:33 ID:PXH+HwH4
鍋島はどちらかというと野戦よりも攻城戦が得意ではなかったか?

289: 人間七七四年 2010/12/27(月) 00:26:36 ID:GUVtRKMS
でも柳川落としたのって城主おびき寄せてぬっ殺いたからでそ?

290: 人間七七四年 2010/12/27(月) 01:43:19 ID:oCDdPGxl
http://snkcda.cool.ne.jp/tanbou/ooki/hatiingassen/hatiinsen.htm
ここ見ると立花方が「徳川にたてつくのはまずいが、しかし領地踏み荒らされて黙っておくわけにも行かんわ」って感じだし、ガチ篭城とかすると反逆だからできんのじゃね
鍋島黒田加藤相手に篭城して耐えたところで、援軍のあてもないだろうし

291: 人間七七四年 2010/12/27(月) 02:13:49 ID:AaHGFYFf
>>290

>鍋島黒田加藤相手に篭城して耐えたところで、援軍のあてもないだろうし

いや、島津義弘が援軍送る事を約束してたし、実際援軍を出したんだが開城の方が早くて間に合わなんだ

295: 人間七七四年 2010/12/27(月) 18:20:09 ID:nP44knwf
>>291
しかし義弘にどれだけの軍勢が動かせたのかは疑問だな
そも関ヶ原にしてからが正規兵ではなく義勇軍扱いだろ?
しかも形勢は明らかに東軍勝利な訳で
義久や忠恒は絶対反対するだろうし

302: 人間七七四年 2010/12/27(月) 21:50:40 ID:AaHGFYFf
>>295
おそらく千も動員出来んと思うがそれでも柳河城囲んでる背後に島津がくっついたら気持ちいいもんじゃないと思うぞ
城攻め止めて島津に向き変えても水堀のせいで形としては兵法で忌避されている背水になるし、城内の戦上手な立花に背を向けるのも怖いし、小勢と言えど厄介だわ

292: 人間七七四年 2010/12/27(月) 14:18:56 ID:WwnFpB58
有事には佐賀城の周囲が水没するって伝説も水郷の要害たる柳川を手本にした設計思想なのだろうね。
道雪も力攻めは被害甚大になると予想して撤退したくらいだしね。
長期包囲しつつ調略が出来なきゃまず落ちない平城だよね。

293: 人間七七四年 2010/12/27(月) 14:33:46 ID:IvUkKbsE
>>292
大宰府の「水城」って実際には役に立ったことがないのではなかったか?
藤原純友にあっさり攻略されている。

294: 人間七七四年 2010/12/27(月) 18:01:31 ID:AaHGFYFf
太宰府の水城は水城と言っても実際には土塁を主体とした防塁
海岸線に築かれた元寇防塁の様に大軍に対して大軍で備える様な防塁だよ
守る側にしてみりゃ守備範囲が広すぎて万単位の人員がいなきゃ守りきれない

水城には水濠も付帯してたけど土塁の全てに備えられたものじゃなかったし、柳河城の様に城の回りが水濠だらけって状態じゃなかったから城の形態としては別物

305: 人間七七四年 2011/01/05(水) 22:57:31 ID:i0m7Dt8A
九州三国志つっても最盛期はそれぞれ時期がずれてるしなぁ

307: 人間七七四年 2011/01/08(土) 17:00:49 ID:0U2bMC0s
まぁ三国志だって正史にしても演義にしても三国鼎立時代だけじゃないからなぁ。

338: 人間七七四年 2013/10/25(金) 19:39:49.37 ID:9IfQGJln
日向高鍋3万石佐渡守秋月家は一時は北九州30万石を有する雄藩だったそうだ

339: 人間七七四年 2013/10/26(土) 15:47:20.33 ID:q1AV8Iz2
藩じゃないが
全盛期は42万石とかなんかで見たな
信憑性は知らんが

340: 人間七七四年 2013/10/26(土) 17:34:14.76 ID:0eEh8V7T
明治二年の九州大藩の内高
鹿児島藩 島津家 外様大名 869,594 薩摩・大隅・日向・琉球
熊本藩 細川家 外様大名 786,016 肥後・豊後
福岡藩 黒田家 外様大名 571,141 筑前
佐賀藩 鍋島家 外様大名 886,525 肥前
久留米藩 有馬家 外様大名 366,272 筑後
香春藩 小笠原家 譜代大名 212,771 豊前
柳河藩 立花家 外様大名 155,394 筑後
中津藩 奥平家 譜代大名 119,994 豊前・備後・筑前
対馬府中藩 宗家 外様大名 52,178 対馬・肥前・筑前

この頃の収入で計算すれば秋月の勢力圏でも42万石いくと思う

引用元: ・【相良】九州戦国史について語ろう【伊東】




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